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2026年4月13日月曜日

ひさしぶり うららのはるに なぜいそぐ ねころびさけを のもうじゃないか  遊水

■ 2026-04-13









■ 近くでは、今年も桜は終わった。藤の花が咲き始めた。
■ 「友則君も 嘆いておった」では、説明的過ぎる。
■ なので、ちょっと、下の句を考えた。

ひさしぶり うららのはるに なぜいそぐ 
ねころびさけを のもうじゃないか

■ 私は、ほとんど酒を飲まない。
■ しかし、まあ、こんな歌も日本人なら、分かるのではないか。

月見に一杯
花見に一杯

■ 悲しみにつけ、喜びにつけ、酒を友とし、・・・




2026年3月29日日曜日

水中花、と、桜、と、つげ義春

■ 2026-03-29
■ 昨日は、7時前に行ったがアオバトは撮れなかった、という人と高町池で出会ったが、ルリビタキは撮れなかった。ケリは近くで撮れた、と聞いた、ということだった。桜など撮ったあと、亥子谷北公園まで行った。姿はない。高町池では、カワセミも見られなかったので市場池まで歩いた。よく歩いた。公園のベンチで休憩。遠くでイカルの声がすると、撮ってみるとイソヒヨドリだった。
■ 市場池ではカワセミも撮れたので、疲れはしたが、まあ、充実した一日だったということか。




2026-03-28  吹田市・亥子谷北公園

■ 出かける前、
■ 「水中花 何想う 水のなか 海童」この句の心「何想う」は何か、の一つの答えかと作ってみた。
■ 人魚は水の中にいるから涙も流せない。
■ 一緒に悲しめない、という感じ。

■ 桜の花を幾つか撮ったので、・・・
■ この頁も開いてみた。
■ そんな、こんな、だ。

■ 新聞に、つげ義春の死亡記事があったので振り返ってみようと思っていたのを忘れていた。ほかにも何か書いたかも知れない。





2026年3月27日金曜日

たえてさくらの なかりせば、「桜と月」と、「恋・こい・こひ・孤悲」の歌

■ 2026-03-27
■ 昨日は、ちょっと道に迷って、知らない所を歩いたのだが、古い桜の木があった。


■ この頁に一つのせた。
■ 写真として、うまく撮るのは難しい。
■ ところで、桜は昔から多くの句歌に詠まれている。
■ 色々あるが、表面的には、ただ桜を歌った感じでも、他の歌と併せて読むと、桜にことよせて読んでいたと分かるのもある。例えば、

よのなかに たえてさくらの なかりせば はるのこころは のどけからまし 在原業平
つきやあらぬ はるやむかしの はるならぬ わがみひとつは もとのみにして 在原業平
おもかげのかすめる月ぞやどりける春や昔の袖の涙に 藤原俊成女 新古今集 恋二

■ 「月」は相手方の愛していた女性を表している。
■ 同様に「桜」も美しい・あの人を表し、今は会えない。
■ いっそ、会えないならば、いない方がこころ乱れず、静かに暮らせることだろうに、と。
■ 悲しい恋の物語。

2023年4月3日月曜日

句歌、おだやかに ことしのさくら さきみちて  こころゆくまで ちりにけるかな  遊水

  • ■ いきなり俳句というのも難しい。
  • ■ 季語がなくてもやってみる。
  • ■ 散文・短歌・俳句
  • ■ 短歌の場合は、上の句から下の句、
  • ■ 俳句の場合は、下の句から上の句。
■ 先に、こんなことを書いたが、まあ、てきとうに。

  • そよかぜに さくらちるちる さくらちる 
  • こころゆくまで ちりにけるかな

  • おだやかに ことしのさくら さきみちて 
  • こころゆくまで ちりにけるかな  遊水

■ ↑、こんなお菓子を時々食べるが、
■ 2023-04-01 日本経済新聞・日曜版・NIKKEIプラス1・「食べる宝石」琥珀糖
■ こんな記事があったので、・・・
■ ついでに、・・・

2023年2月20日月曜日

桜の花の咲くころ : うららかな こころまちした はるなのに きもちもしらず はなはちりゆく  遊水

■ この歌はいい歌だ。
■ 好きな歌でもある。
  • ひかりのどけき
  • しずごころなく
■ この言葉遣いがよい。
■ しかし、「久方の」が「光」にかかる枕詞などとして、
■ 本来の意味で解されないのならば、この歌にこだわることはない。
  • ひさしぶり ひかりのどかな はるなのに こころみだして はなはちりゆく  遊水
  • ひさしぶり うららきぶんの はるなのに こころみだして はなはちりゆく
■ 「ひさしぶり」を捨てることもできる。
■ いったん、何もなくして、気持ちを自分なりに表現すればいいのだ。
  • うららかな こころまちした はるなのに きもちもしらず はなはちりゆく  遊水
■ これで、紀友則の歌の心は受け継ぎながら、言葉としては離れることが出来たかと思う。
■ ついでに、・・・
  • うきうきと こころまちした ときなのに きもちもしらず ひとはさりゆく
■ 応用というか、変化だ。
■ 言葉は昔から同じモノではないし、なかった言葉もある。
■ こころを託せる言葉がないとき、新しく言葉を作り出してきた。
■ 昔の人は、言葉を大切にし、なるべく通じるように、
■ いわば論理的に歌を作ってきたと思われる。
■ そうした人の心を歌のなかに読み取らなければならないと思う。
■ 桜についての歌はたくさんあり、それぞれの思いが表れている。
■ 俳句や短歌は、575、あるいは、57577で誰でも作ることができる。
■ 誰でも、自分の心を詠み言葉に託すことができる。
■ 小学生も俳句を作る。
■ 大人になれば、何というか、句や歌の良し悪しを気にするようになるのかもしれない。
■ だから難しい、などという。
■ 自分の言葉を575や57577にするだけなのに
■ 人の評価ではなく、自分の言葉かどうか、自分の心かどうかだ。
■ 歌を読み、歌を作ることで、人々は心を通わし、つながることができる。
 
 

2023年2月19日日曜日

対比、と、歌の形、と、桜

■ 先日、和漢朗詠集の歌を取り上げた。
  • いたずらに 過ぐす月日は 多かれど 
  • 花見て暮らす 春ぞ少なき
■ 漢詩にもよくある形だ。
■ それで、何かを書こうと思っていたが、何だったか。
■ 梅だと花の期間は長いように思うので、・・・
■ この花を見て暮らす春の花は、桜かなという気がする。
■ 花見に行こうかなと思っていると雨だったり、もう散ってしまっていたり、
■ 桜は短い感じだ。
■ だから歌も色々あるのだろう。
■ それで、こんな歌も取り上げた。
■ どちらかと言えば対比させるより、すっと、直線的に言う方が好みかもしれない。
■ 桜で思い出した。
■ この歌については何度か書いた。
■ もう少し整理しておいた方がいいかもしれない。
■ また、「ひかりのどかな」でなく、別の表現にすれば、元歌から離れることができる。
■ 例えば、・・・
  • ひさしぶり うららきぶんの はるなのに こころみだして はなはちりゆく
■ まあ、なにか、言葉もあるだろう。

2022年5月9日月曜日

桜の雪

 桜の雪

■ 以前も書いたが、もう一度書いておこう。
  • あらしふく みむろのやまの もみじばは たつたのかわの にしきなりけり
  • あらしふく にわのさくらの ゆきならで ふりゆくものは わがみなりけり  遊水
■ これでいいように思う 。
■ ごくふつうの表現だ。
■ 歌の意味として重要なのは下の句であり、
■ 上の句は下の句への自然な導入ができればいい。
■ 「桜の雪」で、桜吹雪、花吹雪であるとすぐ分かるように思う。
■ なぜ「花さそふ」としたのか、分からない。
■ あるいは、せざるを得ない何かがあるのか。
  • 花さそふ比良の山風ふきにけり漕ぎゆく舟のあと見ゆるまで   後鳥羽院宮内卿
■ この歌はうまい。
■ 同じ、花さそふ、でもこれほど違うのか。

2022年1月21日金曜日

彼の心変わり、と、我が容姿

 彼の心変わり、と、我が容姿

■ 小野小町は恋多き女だと言われているが、知性にあふれていた。
  • 花の色は うつりにけりな いたづらに わがみ世にふる ながめせしまに  // 小野小町
  • 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の 花にぞありける // 小野小町
■ 知的女性が嫌われるのは世の常かもしれない。
■ 藤原定家は小倉・百人一首に小野小町の「花の色は」の歌を取り上げた。
■ 「色見えで」の歌は人の心、というか、相手の心変わりをなじるような歌だが、
■ 「花の色は」は自分を鏡に映しているような歌だ。
■ 定家は、幾つも関連の歌を詠んでいる。
  • さくら花 うつりにけりな とばかりを 歎きもあへず つもる春かな // 藤原定家
  • わが身よに ふるともなしの ながめして いく春風に 花のちるらむ
  • 参考 : 小野小町 千人万首 (asahi-net.or.jp)
■ 幾つも詠んでいるのは、ひとつでは表せない、納得できないからだったのではないだろうか。
■ 定家の「花」は桜以外のモノではなく、桜だから「花のちるらむ」としていて
■ いかにも半端だ。
■ 本質的でなければ納得できるはずもない。
■ 小野小町の二つの歌は、いずれも
  • 色が移る
■ 即ち、色が変化することを詠んでいる。
  • 色が変化する花は何か
■ を考えるべきだろう。
■ 桜ではない。
■ まあ、そういうことだ。
■ 小野小町は「色見えで」の歌を先に作り、その後に「花の色は」の歌を詠んだのかもしれない。
■ 相手をなじるばかりでなく、我を省みたとも考えられる。
■ 定家は小町の女心をとらえきれなかったものと思われる。
■ しかし、取り上げているのは、カンのようなものかもしれない。
■ 「花の色は」の方が百人一首向きだといえる
  • 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の アジサイの花 // 遊水
■ アジサイは色が変化し、しかも散らない。枯れ残る。
■ 容姿が変化し、いとわしく思っても、老残の身になるのだ。
■ これがアジサイという花の本質的な姿だ。いわば、運命なのだ。
■ アジサイの花を我が身の運命だと気づき意識したならば、
  • 花の色は うつりにけりな いたづらに わがみ世にふる ながめせしまに  // 小野小町
■ と、詠み嘆かざるを得ない。
■ ただ嘆き悲しむばかりでなく、客観的に歌にしたところが、知性であり、
■ 人は皆同じだという認識にもつながる。
■ 定家のように、小町の花が桜だとする人がいても、
  • わがみ世にふる ながめせしまに
■ という感慨は変わらない。
■ 自分は同じだと思っても、時は過ぎ去り、世は移り行くのだ。
■ 

 

2022年1月18日火曜日

万葉集に、紫陽花の歌2首

 万葉集に、紫陽花の歌2首
■ シーボルトの画集の紫陽花は今見る紫陽花とほぼ同じ。
■ 牧野植物図鑑には
  • アジサイ
  • Hydrangea macrophylla (Tumb.ex Murray)Ser.
  • もとガクアジサイを母種として、日本で生まれた園芸種である
■ とある。
■ 万葉集の歌には、
■ とある。当時からアジサイが歌にも詠まれていた。
■ 大伴家持の歌は
  • [歌番号] 04/0773
  • [題詞] (大伴宿祢家持従久邇京贈坂上大嬢歌五首)
  • [原文] 事不問 木尚味狭藍 諸<弟>等之 練乃村戸二 所詐来
  • [訓読] 言とはぬ木すらあじさゐ諸弟らが練りのむらとにあざむかえけり
  • [仮名] こととはぬ きすらあじさゐ もろとらが ねりのむらとに あざむかえけり
■ これだけではちょっと分かりにくいが5首を読めば分かるだろう。
  • 心変わり
  • アジサイの色の変化
■ ということのようだ。
■ アジサイを「味狭藍」と当て字しているのは面白い。先の歌では「安治佐為」だった。
■ 大伴家持と相手との関係は今のところどうでもいい。
■ 昔、小野小町の歌の掛詞などの解説を読んで、なるほどうまいものだと感心した。
■ もう一つの歌も併せ読むといいかもしれない。
  • 花の色は うつりにけりな いたづらに わがみ世にふる ながめせしまに  // 小野小町
  • 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の 花にぞありける // 小野小町
■ 次の歌と比較してみよう。
  • はかなくて 過ぎにしかたを 数ふれば 花にものおもふ 春ぞへにける // 式子内親王
■ 「はかなくて」は桜の花のように思う。
■ 「色見えで」の花は、必ずしも桜とは言えないかもしれない。
■ というのも、例えば、
  • 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の アジサイの花 // 遊水
  • 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の 桜なりけり // ??
■ としたとき、桜では何か違和感を感じる。
■ 上の句と下の句が意味的にちぐはぐだ。
■ やはり、
  • 桜は散る
■ という感じで、色が「うつろう物」ではない。
■ しかし、定家は桜だとみていたようだ。
■ 知性あふれる言葉遣いの小野小町の歌と比較すると、いかにも、つまらん歌だが、これで分かる。
■ 式子内親王の上に挙げた歌と比較しても数段落ちる。
■ 定家は何を言いたいのかね。
■ それは、まあ、いい。
■ 他にも派生歌はいくつもあるようだが、アジサイを意識したものはない。
■ 定家の時代は武士の時代であり、小野小町の時代とは違った人生観や価値観があり
■ 時代としても、好みの対象が変わったというべきかもしれない。
■ 定家のように「花」を「桜」と思うのは読む人の勝手だが、小野小町の心や感性としてはどうだろう。
  • 昔の人の歌は、かなり論理的、知的だ。
■ 過去の人の評価や価値観にとらわれず、言葉そのものの意味を歌自体から読み取るべきだろう。
  • いつの場合も、花を桜とするのは、いかにも単純だ。
■ しかし、定家が、小町の「色見えで」の歌ではなく「花の色は」を百人一首として選んだのは当然だったかもしれない。
■ なぜ定家はこっちを選んだのかが百人一首としては興味あるところだ。
■ 藤原定家は、歌人としてはどうか、かもしれないが、選者としては、違う。
■ それは選手とコーチや監督との違いと同様だ。
■ 後日書いてみよう。
■ 歌を理解するには自分の言葉で作ってみるとよい。
■ 言葉にしたとき、客観的に自分を見ることができる。
■ 自分にとって桜とは何か、花とは何かだ。
■ ついでながら、和歌に現れる花としては、
■ にも関心がある。
■ 桜よりも橘の香の方がより官能的だからだ。
■  

2022年1月12日水曜日

紫陽花の花

 紫陽花の花

■ 2022-01-12、2022-01-15 追記
■ 昨日は雨だった。
■ 晴野雨読だ。鳥見散歩にもでず、万葉集などパラパラ読みをしていた。
■ なるほど、・・・
  • つれづれに うたよみおれば あめのひに あじさいのはな さきにけるかな // 遊水
  • いにしえの きょうのみやこの あじさいを めでつつかなし いろうつりゆく // 遊水
  • あじさいの いろうつりゆく いたずらに わがみよにふる ながめせしまに // 遊水
  • こいおおき おののこまちの よむうたの こころとことば りにかないけん // 遊水
  • いにしえの きょうのみやこの さくらばな ゆきとふれども いろはかわらじ // 遊水
  • はなざかり はなよりだんごと さわぐひと おののこまちの こころもしらず // 遊水
■ 
  • 万葉の 花は梅なり 
  • 平安の 花は桜と 人のいう 俗説なれば わかりやすけれ // 遊水
■ 
  • 桜散り 雨ふり続く 日に我は 心静かに 紫陽花の花 // 遊水
  • 長雨に 外を眺めて 紫陽花の 色移りゆく さまを楽しむ // 遊水
■ 2022-01-15 追記

■  「八重咲くごとく」とはアジサイは花がたくさん集まっている、という感じでもあるけれど

■ 「八つ代に」ということからすると時間的経過があるので、色の変化と見るのがよいように思う。

■ 小野小町の

  • 花の色は うつりにけりな いたづらに
    わが身世にふる ながめせしまに

■ この「花」を桜とするのは意味合いから無理のような気がする。

■ 万葉集にアジサイの歌が詠われていることからこの「花」は何かを見直してもいいように思う。

■ 絶対アジサイだと断定するつもりはないが、アジサイだとして読むとすっきりする。

■ 以前から気になっていたが、私としては、これで、まあ、解決したという感じだ。

■ 紫陽花の花の写真は何度か撮っている。

■ 例えば、ブログ「なんとなく そんなもんだよ はるのかぜ」で

■ 「紫陽花」と検索すると何頁もあり、その中に忘れていたけれど、

■ 万葉集の上記の歌についての記述をしていた。

■ 



 

2016年3月22日火曜日

ひとむかし ときはめぐりて さくらかな

■ ・・・
  • ひとむかし ときはめぐりて さくらかな
  • ふたむかし そのひともなく さくらかな
  • ふたむかし さらにととせの さくらかな
  • さくらぎの きられて まちは かわりけり
  • 半世紀 まさに再び ニュータウン
  • 南千里の 丘に遊びて
■ ・・・