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2022年5月30日月曜日

千早古 神代にあらず 人の世の 心は今も 歌の言葉に

千早古 神代にあらず 人の世の 心は今も 歌の言葉に
■ 古事記は神の話しから始まっている。
■ 百人一首に「神代」という言葉があるが、これが古事記の神々の時代をさしているのかどうか、
■ 当時の神代の認識が千年前かどうかを厳密に議論するつもりはない。
■ ただ、
  • 別天神五柱
  • 神世七代
■ この七代目の神が「伊邪那岐命・伊邪那美命二柱神」であり、
■ 神社もあり、国生み、神生み、としてよく知られている。
■ 自分たちの遠い祖先は、こうだった、という想像の世界だ。
■ 漢字で書かれ「神」とあるが、もちろん人間で、
■ 遠い昔のことでよく分かっていないので、 神話として象徴化して、
■ 「かみ」と呼んでいるに過ぎない。
■ 日本語で「かみ」という言葉は幾つもあり、漢字で書けばまるっきり無関係に見えるが、
■ 共通する概念がある。
■ 人であったり、モノであったり、位置関係など、
■ 優れて「上」にあるモノを「かみ」と呼び、大切にしてきた。
■ 神業というようなほめ言葉もある。
■ 菅原道真のように優れた人を虐げたことが天災の原因だと考え
■ 祟りを恐れて、祭り上げて、「かみ」とすることも多い。
■ 要するに、敬う対象を「かみ」と呼んだのだ。
■ 漢字は当て字なのだから、「かな」で考えた方が自然だけれど、
■ 文字にするから誤解が生じた。
■ 当然ながら、元々人間でない「神」という存在があったわけではない。
■ その点、日本人は、少なくとも昔の人々は、人間とは何か、言葉とは何か、
■ 「尊さ」とは何かを自然界を含め現実に即して認識していたと考えられる。
  • 千早古 神代にあらず 人の世の 心は今も 歌の言葉に  遊水
■ 古事記や日本書紀、あるいは、万葉集や勅撰和歌集、
■ また、百人一首など、残されている言葉に人々の心を知ることができる。
■ 今日の人の心にも通じることだと思われる。
 

2022年5月29日日曜日

百人一首・百年、千年

百人一首・百年、千年

■ いくとせの つきひなりしか いまはもう つきひはしらず こいしかるらん
■ 百年、千年
  • ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なおあまりある むかしなりけり
  •  
  • 千年の 昔の和歌を 我読みて 偲ぶ心を 偲びたりけり
  • 千早古 神代にあらず 人の世の 心は今も 歌の言葉に  遊水
■ 「ちはやふる かみよもきかず たつたがわ・・・」
■ こんな歌が作られたとき、千年前と言えば、遠い昔であり
■ 奈良時代に書かれた古事記でいうような神代と認識されていたのだろう。
■ 令和の現在から見ると、千年昔といっても、神代の時代ではなく、人の世の時代であり
■ 千年昔の人の気持や意識が歌に詠まれている。
■ 例えば、万葉集 1888 に
  • 冬過ぎて 春し来たれば 年月は 新なれども 人は古りゆく
■ こうした感じは今でもそのまま通じる。
■ こうしたことから、古典は言葉のあふれた今の世の歌より参考になるものも多い。
■ 生きた言葉だからだ。
■ 参考
  • 令和4年 2022
  • 鎌倉時代 1192
  • 平安時代   794
  • 奈良時代   710