楊貴妃と3人の姉、追記

■ 2022-10-31、追記



■ とりあえず、


改定・遊水くん
楊貴妃と3人の姉


前書き

この「楊貴妃と3人の姉」を出版するとすれば、その表紙のデザインは
二つのRQコードと、私の描いたイラストにする。
RQコードは、読むかどうかを判断するための
推理の対象としている、公開されている画像だ。
試しに、QRコードを作成してみた。
パソコンの「ダウンロード」フォルダーに作成された。
さて、この2つのQRコードは何にするか、それは読んだらすぐ分かるだろう。

  • 解説的に

■ 安倍龍太郎さんの「ふりさけ見れば」からの引用部分 に誤りがあったので訂正した。

■ それで読み直した。

■ うちの者に説明しながら書いたのだけれど、

■ 一般の読者向きでないような感じもする。

  • Wikipedia 「虢国夫人」には、游春図がある。

    実は、いろいろ検索したあとに、これに気づいた。

    最初からこれを見ればよかった。

■ と書いたが、次のふたつの絵

  1. 遼寧省博物館蔵「天水摹張萱虢国夫人游春図」  虢国夫人 - Wikipedia
  2. 台北国立故宮博物院所蔵「麗人行」  Li_Kung-lin_001.jpg (1721×526) (wikimedia.org)

■ これらの違いを最初に提示した方がよかったかもしれない。

■ この絵には何が描かれているのか、それが推理の対象だった。

■ 「楊貴妃と3人の姉」は推理の過程を書いているのだが、

 今となっては、結論から書いてもよいのだ。

■ 先ず、游春図を拡大してみることから始めるのがよい。

■ 1」図は唐の時代に描かれ、2」の図は宋の時代に描かれている。

■ 描かれている人たちの姿はよく似ているが、配置が変わっている。

 解釈したのだろう。

■ これも参考するとよい。

■ 「麗人行」を見ることで、より深く「游春図」を読み取ることが出来たように思う。

■ 比較効果だ。

■ もうひとつ

■ 2022-10-22、追記、

■ 日本経済新聞・朝刊小説・安倍龍太郎・「ふりさけ見れば」(442)に年齢に関する記述があった。

■ 玉鈴が17歳の時の年齢を整理すると、

  • 韓国夫人 美帆 23 才

  • 虢国夫人 美雨 20

  • 秦国夫人 玉鈴 17

  • 楊貴妃  玉環 13

■ こうなる。

  • 年齢の差が分かればいいだろうけれど、

■ と思っていたので、丁度いいのだが、

■ 遼寧省博物館蔵「天水摹張萱虢国夫人游春図」 に描かれている姿と、ちょっと違和感がある。

■ しかし、今のところ深く追求しない。

■ さて、・・・


楊貴妃と3人の姉

いつものように書斎で、パソコン遊びをしながら、音楽を聞いていると
推理小説好きのうちの奥さんが顔をだす。
ゆうすい・くん。
んっ、
ゆうすい・くん。
なんだよ。
コーヒー飲むでしょ
んっ、
ここに置くよ
ありがとう。
なにしてるの。
  • あおりんご あなたはいつも といかける
なに、それ、俳句?
かもね。
で、何してるの。
モノ書きだ。
書いていると言ってもキーボードを叩いているのだから、作成とでも言うべきか。
ぶつぶつ言ってないで、
ナニ書いてるの。
楊貴妃と3人の姉
へええ、小説かあ。
小説ではない。
ノンフィクションかな、
でもない。
だったらナニ。
実録だ。
実録故に、雑音も入り、俳句もできるというものだ。
へええ、でも、楊貴妃は昔の人だし、知らないでしょ。
そうだが、一応、実在の人物だ。
と、相手になってやる。
楊貴妃には3人の姉がいた。
インターネットで検索すれば出てくる。
2人の姉は普通の人だったかもしれないが、
1人は、かなり個性的な人だったようだ。
なんて人?
名前は、不明だ。
しかし、虢国夫人(かくこくふじん)として出てくる。
三体詩には次のようにある。

   集靈臺  張祜
虢国夫人承主恩
平明騎馬入金門
卻嫌脂粉汚顔色
淡掃蛾眉朝至尊
たまたま、この詩を知っていたので興味をもった。
ふうん。
私は本を読んだが、意味はインターネット検索でわかる。
先ず、この詩の現代語訳から入ると、印象が頭に入りいいのかもしれない。
「卻」は、かえって、という意味のようだ。
この字の他は、あまり難しい字はない。
この詩を、睨んで、ざっとした感じが掴めるといいのだ。
化粧を嫌うということは、逆に言えば、
素顔の君が美しい、ということを自覚しているとも言える。
さて、
検索すると二つの絵が出てくる。
私は画像検索することが多い。
多少横道にそれるが、
と、ごちゃごちゃ話したが、
そんなコトがどう関係するの。
と言われたので削除した。
要するに、言葉は難しい。
文字より、画像が分かりやすい。
つまり、一見百聞に如かずだな。
そういう話はいいから、本題に戻ろうよ。
ふうむ、
ただ、結論を急げはいいというものではない。
ついでの話とか、横道が人生には必要なんだよ。
寄り道すると、本筋が見えてくることもある。
ごちゃごちゃ言ってないで、先に進んでください。
どこまでいったかな
検索すると二つの絵が出てくる、でしょ。
  • 遼寧省博物館蔵「天水摹張萱虢国夫人游春図」
  • 台北国立故宮博物院所蔵「麗人行」
現物を直に見られればいいのだが、無理だ。
仮に展覧会があったとしても、行くのも億劫だ。
中華人民共和国になんか、とても、行けないしね。
下手すると帰ってこれないかもしれない。
台湾ならいけるかもしれないけれど。
こんな時、インターネットだ。
どうしてもインターネットが関係するみたいですね。
まあ、そうだ。
この文章はスマホ片手に、
というか、パソコンを立ち上げて読むのがいいだろう。
Wikipedia 「虢国夫人」には、游春図がある。
実は、いろいろ検索したあとに、これに気づいた。
最初からこれを見ればよかった。
その説明に、
「張萱の『虢国夫人遊春図』は彼女を題材にしたもので、
男装をして馬に乗り、列の先頭を行く彼女の姿が描かれている」としている。
当然のように「先頭を行く彼女の姿」と書いているが、
やはり、自分で調べ、納得するべきだろう。
Wikipedia にはいい加減な記述もけっこうあるのだ。
Wikipedia に限らず辞書・辞典の類も人が作るものだから、完璧ではない。
虢国夫人の名前は不明だと書いたが、
日本経済新聞の小説、2022-07-11、安倍龍太郎の「ふりさけ見れば」(343)には、
  • 韓国夫人 美帆 長女 2022-10-21 訂正
  • 虢国夫人 美雨 次女 2022-10-21 訂正
  • 秦国夫人 玉鈴
  • 楊貴妃  玉環
とある。参考文献は何か、ちょっと気になる。
とにかく、コンピュータで画像検索するといい。
タブレットでもいいが、スマホでは表示画面が小さすぎる。
横から見てるだけでなく、君も、自分のタブレットもってきたら、
はい。
彼女のタブレットは WiFi 接続だから移動可能だ。
おい、どうだ、この図だぞ、見てるかな。
見てるかな、ったって、見えてるはずないでしょ、今持ってきたところだから。
そうだな。
先ず、楊貴妃で検索する。
楊貴妃の姉の名前も出てくる。
難しい漢字だが、この Wikipedia もあるようだ。
Wikipedia 虢国夫人には、右に絵があるからそれをクリックする。
どうだ、この図だぞ、見てるかな。
はい。
図の上にタッチペンを置くと○+、になる。+の場合は拡張できる。
〇-の時タッチすると縮小だ。
パソコンではマウスでクリックするとかだ。
君はこの図を拡大して、私の話しを聞けば分かりやすいだろう。
そして、
うん。
楊貴妃は唐の人だから、中文も見る。
同じ Wikipedia の中文版にも、同じ絵があり、説明書きは
  • 畫中右一身著男裝,座騎三鬃馬鴛鴦鞍者為虢国夫人
こんな記述だ。
君はひとつ元に戻り、絵の右上にある「3の言語版」をクリックする。
すると、出てくる。
以前の Wikipedia では、言語名が左脇の所に縦にズラリとならんでいた。
そのうち、また、別の位置になるかもしれないし、
「3の言語版」から英語版など増えてゆくかもしれない。
とにかく、絵の下に説明書きがある。
男裝
座騎三鬃馬
鴛鴦鞍
つまり、男装で、
たてがみを3つに分けてくくっている馬に乗っていて、
その鞍にはオシドリの絵が描かれている、
ということだな。うん。
だからといって、これだけでは十分ではない。
断定できないと思う。
このあたりの詳細については、色々検索してみるとよい。
先にも言ったが、寄り道とか横道なのだ。
色々見てゆくうちに、自分が何を求めているか、がはっきりしてくる。
どのような見方をすればいいかが分かってくる。
遊びだとしても目標がいるのだ。
簡体文字で検索した方がたくさん出てくる。
つまり、その国での検索エンジンを使うということかもしれないが、深入りはしない。
簡体文字は分かりにくいけれど、
幾つか、解説文など見ると、ただ鞍でなく「鞍鞯」との記述も見られる。
簡体文字を、繁体文字にしてみたらいい。
鞍鞯、鞍韉、Ānjiān
どうやってするの
google 翻訳では、簡体文字、繁体文字の指定ができる。
発音記号もあるので読み方もわかる。
例えば、虢國夫人 Guó guó fūrén だ。
しかし、読み方にはかまわず、色々検索する。
検索結果が中文の場合「このページを訳す」をクリックして、日本語にして見ればいいかもしれない。
まあ、ひどい翻訳文がでてくるけれど、ないよりマシだ。
拡大して
鞍の部分を見ると、
虎が描かれている。
どこに。
脚が邪魔でよく見えないかもしれないけど、あるだろう。
うん、これかな。
白川静の「字統」を見ると、虢は「とらのかわをなめす」寽(らつ)と虎に従う、とある。虎の絵は、虢國の印なのかもしれない。
そして、確かに、2羽の鳥も描かれているが、薄れていて、オシドリだとは思わなかった。オシドリは、冬には近くで見られるので、よく写真を撮りに行った。
鳥は、厳密にいえば鞍ではなく、鞍が直接馬に当たらないようにしている敷物に描かれている。
*  *  *
西部劇の映画でよく見られるが、
saddle blanket というのかな。
このあたりに興味がなければ、次の区切りまで飛ばしても問題ない。
鞍韉という記述も見られたが、はsaddle で、がsaddle blanket だ。
こんな文字は知らなかった。
これで文化の比較もできる。
文字は対象を表す。
革編の文字だから革製なのか。
ひとつの文字で対象を表しているということは、それなりの文化があったということだ。
文字を作りあげるには知性が必要であり、読む側にも知識が必要だ。
その意味で比較すれば、英語を使うアメリカの方が漢字文化より文化程度が低いということになる。
歴史が浅く、人口が多く言語の普及が速かったのでそうなったということかもしれない。
ただ、中文として、繁体文字の使用を止め、簡体文字にするということは低水準に合わせるということだから、
文化は劣化する。
現在、中国大陸は中国共産党が支配している中華人民共和国だ。
支配する相手、即ち、人民を、言葉を介して劣化させれば、
結果としては、自らの地位を貶めることにほかならない。
そして、一度レベルを下げるとなかなか質は向上しない。
言葉により、人間性が劣化する。
ハングル版もあったが、漢字という文字自体に意味があるのに、ヨミだけの文字にしてしまい、漢字を捨ててしまったので文字と同時に文字文化を捨ててしまったということだ。
文化を捨てると人間は劣化する。
その点、まだベトナム版の方がよい。
横道じゃなくて、脱線してるようですよ。
うん。
脱線しすぎです。
うん、わかっている。
でも、中国と言わないんですか、
中国大陸はあっても、中国という国はない。
今話題にしている絵も唐の国のものだ。
中国大陸の今の国は短い歴史しかない。
人はいつかは死ぬのだから、それに伴い別の国になる可能性もある。
ここは文化文明比較の話ではないけれど、
実録だから、こうなるんだよ。
また別の機会に触れることもあるだろう。
しかし、ついでに、saddle blanket もインターネットで画像検索すればいいのだ。
時間をおいて検索しなおすと、別の結果が出てくる。
google 検索は多くの人が使うので、検索結果は固定的でなく変化してゆく。
私が西部劇の場面を思い出しながら検索しても、
商品が多く出てくるようになる。
また私が検索する場合と、他の人が検索する場合では違うかもしれない。
それは、個々人が検索する傾向を見て、検索結果を変えうることも考えられるからだ。
この場合の、根本的原因は、「」ではないからだ。
この漢字で検索するとどうなるかもやってみればいい。
しかし、まあ、いいか。
亜米利加ばかりでなく、他の国にもある。
日本の場合はどうなんですか、
うん、「馬具」で画像検索すればいいだろう。
現在、日本では馬の文化は廃れたようだけれど、検索すれば結構面白いものだ。
ついでだけれど、
また、ついでですか。
馬具を英語に翻訳すると harness と出てくる。
そして、harness と画像検索すると、何が出てくるかは、やってみればいい。
馬具という日本語が優れていることがわかる。
熟語という日本語の言葉遣いだ。
つまり
はい、はい、分かりました、それで、
などと、急かされるものだから、だいぶん削除したが、
紙の場合は飛ばし読みすればいい。
さて、
 *  *  *

さあて、である、でしょ
たてがみについては、同様の馬がもう1頭いる。
これは重要だ。
元に戻ると、
また、戻るんですか
Wikipedia には、中文の他に、ベトナム語とハングル語のものがある。
ベトナム語では、さきにあげた詩もあるが、この図はない。
とにかく、
虢国夫人がどの人か、については色々説があるようだが、
結論的には、先頭の人だ。
ふうん、でも、なんで 。
なぜ、先頭の人が彼女なのか。
なぜ、その人が虢国夫人なのかは 、私も考えた。
事実を見ればすぐわかる。
事実って、
どのように描かれているかだ。
白い服の人が2人
髪を両脇で束ねている人が2人
ショールをしていて、同じ髷の人が2人
これら6人は彼女ではない。
なんで。
彼女は1人だ。
うん 。まあ、そうだけど。
同じ服を着て描かれているはずはない。
なるほど、そういうことよね 、論理的ですね。
本質的になってきましたね。
図を見れば誰でも分かる。
事実とは、見たままで、説明を聞けば、単純なことだ。
ひとつづつ見てゆけばいい。
それを総合して導き出されるものが答えだ。
そういうことか。
そういうこと。
8頭の馬で、人は9人だ。
9人のうち6人が対象外だから残りは3人だ。
1人は子供で、皺のある人に抱かれている。
虢国夫人は、夫人だから既婚者で、子供ではない。
だから、子供は除外すると 、
年増の女と、先頭の人の2人が残る。
なるほど。
楊貴妃が玄宗皇帝の寵姫となったのは21歳の時だ。
つまり、姉の彼女は30歳以下と考えられる。
おそらく20代とみてよいだろうけれど、
年増の女ではない。
従って、虢国夫人は先頭の人だと言える。
活発な感じで、詩にある様をよく表している。
詩には、
化粧などかえって顔が汚れると、眉をさっと引いただけだ。
と、ボーイッシュだ。
男装がよく似合う。
明快な推理ですね
事実をみれば、それ以外ではないことが分かる。
推理とはそうしたものだ。
でも、こうしてみると面白いね。
作者が何を描きたいかが分かれば面白いのだ。
あのう。
んっ。
あのね、ちょっと質問だけど、いいかなあ。
なんだ。
小説ではない、ノンフィクションでもない。
実録だ、と言ったでしょ。
実録って、どういうこと。
 *  *  *
 内容ではなく、表現方法なんだ。
適当な言葉が今のところない。
しかし、世の中、YouTube なんてのがあるだろう。
あれに似たようなものなのだ。
YouTube を知ったとき、最初は、歌のモノを見ていた。
カメラ関係もよく見た。
そうしているうちに、Youtuber の存在が増えてきたような感じだった。
要するに、閲覧者を増やして広告料の一部を稼ぐ人たちだ。
言論活動をするモノも多い。
まあ、そういう社会現象が定着している。
インターネットでの表現方法のひとつは映像表現だ。
私も以前はよく動画を YouTube に投稿していた。
それは LUMIX カメラには動画撮影機能があったからだ。
写真にはない面白さがあった。
主に、野鳥の動画だ。
ちょっと待って、実録と野鳥の話はどうつながるのかなあ。
まあ、関係ないと思えば、読まなくていい。飛ばせばいいのだ。
しかし、例えば、コミミズク
拡大鏡のマークがある検索欄に「コミミズク」と入れるのだ。
こんな操作をして積極的に情報を得ているかどうか、
情報検索に、馴れることが必要だ。
momiji okuyama - YouTube 
このリンクは紙の上では機能しない。
しかし、OCR 機能 Text scanner で、紙に印刷された文字をスマホで撮り検索する方法もある。
以下の文字列も同様だ。
コミミズク 2015 01 05 ネズミを食った
コミミズク 2017 01 21 コミミズク 飛び立つ前の 眼の動き
この2つを比較すると閲覧数の違いがある。
これは、検索欄が小さいので、案外活用してない人が多いことの証拠だろう。
だだ、題名で見ているように思われる。
深読みしていない、ということかな。
インターネット上には情報があふれているので、どのようにすればいいか分からず、最新の情報とか、人が見ている情報とかを選択されやすいかもしれない。
自分自身、どこかに書いたはずだ、と思っても時間がかかることもある。
やはり、検索馴れすることか。
ネズミを喰う場面など、自分としてはあまり感心せず、
2」の方がいいと思う。
まあ、動画は今でも撮っているが、動画で稼ぐつもりはない。
一般ウケしようとは思わない。
世に YouTuber なるものがあふれてきたようなので、投稿はやめた。
しかし、関心はある。
紙という媒体ではなく、画像とか、映像といった複合媒体なのだ。
紙の場合でも挿絵とか図とか写真とか用いるけれど、
映像は紙の媒体ではできない。
間接的になる。
そのへんのところ分かるかな。
うん、まあ、
YouTuber たちがしていることは、映像を作ることだ。
私が野鳥の動画を撮っているときは、映像を作ることではなかった。
そもそも鳥は動く。
だから動画を作るのではなく撮っていただけなのだ。
つまり客観性だ。
小説だと、作り物だと意識してみることもできる。
小説とかノンフィクション・ノベルという言葉は、内容での分類用語だ。
紙の場合、読み返すといった全体的把握がやりやすい特徴もある。
動画の場合、飛ばす操作は面倒だ。
だらだら見てしまう。
紙の場合は、区切って、やればいい。
実録、というのは、
紙の文字媒体で映像媒体に近いことをやってみようということなんだ。
できるだけ作らず、流れに任せようとしている。
どうだろう、
ふうん、わかったような、わからないような、
分からないのは説明不足ということか。
まあ、いいわ、私は、この際、虢国夫人についてだから
 *  *  *
 ところで、もうひとの絵があったじゃない、
この絵については、どうなの。
もう一度インターネットでよく見てみよう。
そうね、よく観察するべし、なのよね。
美術館とか博物館に行かなくて、インターネット情報を参考にしながら、話を進めている。
今書いている、この文章を読む人も
自分が実際やっていることとして捉えることもできる。
つまり、実録なのだ。
このは Wikipedia はないんですか。
日本のモノとしてはないようだ。
そのうちできるかもしれない。
もう一度検索すると
  • 宋李公麟畫麗人行卷
台北国立故宮博物院所蔵「麗人行」
と、同じものだが
これがインターネットで見られる。この方が全体を見られる。
この絵について、先に進む前に私の感想を書いておく方がいいかもしれない。
結論的には、比較すると「麗人行」は、
質的にかなり劣る。
ちょっと暗い絵だ。
好感がもてない。
しかし、問題にしているのは、先ず、虢国夫人はどの人か、だった。
ざっと見てみよう。
この絵に描かれているのも同じ状況だと思われる。
ただ、2番目と3番目がそのまま移動して、後尾に描かれている。
そして、どちらの絵にも赤い飾りを付けた馬がいる。
そうね
4頭だ。
そのうち、ショールをした女が3人の姉のうちの2人だ。
これら以外の、赤い飾りのない馬に乗っているのは、侍女とか従者だとみてよい。
ふうん。
なぜ配置を変えたのかしらね。
それははっきりしている。
なんでだろう。
この人も知っていた。
何を。
主人公は誰かということだ。
「麗人行」は宋の時代に描かれた。
唐とは時代が離れているから、
知っていたというか、解釈したのだ。
いくつかの解釈については、私は疑問に思っている。
それは後で書くことになろうが、配置を変える必要はなかった。
むしろ変えない方がよかったが、
主人公を中央に置いたのだ。
なるほど、そうかな。
何人かの視線がそっちに集中している。
それは誰。
子供、女の子だ。
へええ。
これについては誰も指摘してないかもしれない。
と、まあ、
そんなことを、ブログの「橋本遊水・あれこれ」にも書いた。
インターネットで見なさいということかしら、
で、その子は誰なの。
その女の子が楊貴妃だ。
なんと、そうなの。
そうだろう。
驚きだなあ。
姉が若かった時、楊貴妃はもっと若く、
むしろ、幼かったというべきだ。
ふうん
自分一人で馬に乗れなかった。
だから、抱かれていた。
年齢の差が分かればいいだろうけれど、
そこまで厳密でなくてもいい。
楊貴妃は称号であり、
髷に櫛を挿した女の子は、楊貴妃と呼ばれる前の玉環だ。
楊貴妃を描いた絵なの。
へええ、そうなん、ホント?
本当かどうか、事実、即ち、絵に描かれた姿をみれば、それ以外ない。
事実と言っても歴史上、つまり、楊貴妃がいた時代での現実ではない。
日本で言えば、丁度、古事記が書かれた頃だな。
あら、そうなの。
そうだ。
玄宗皇帝が即位した年が、日本では古事記が作られた年にあたる。
何年なの
それはインターネットを調べればすぐ分かる。
日本書紀はその少し後だ。
そういう昔のことだ。
しかし、歴史上のコトを事実かどうか議論しているのではない。
あくまで、描かれた絵の事実を対象にしている。
現物を見る代わりにインターネット上で絵を見ている。
「虢国夫人游春図」では
2人が乗っている馬のたてがみも、3つに分けられている。
即ち、2頭の馬が、乗り手の身分を示している。
男裝
座騎三鬃馬
鴛鴦鞍
こういうことだった。
ところが、「麗人行」の絵はこの特徴がない。
「麗人行」を描くに当たって、「虢国夫人游春図」をよく見なかったということになる。
だから質が落ちるのだ。
いずれにしても、
わざわざ絵に描くくらいだから、描かれる人物もそれなりの人だろう。
おそらく、「虢国夫人游春図」は楊貴妃が有名になってから描かれたのだと思う。
虢国夫人よりも、楊貴妃の方が人の関心は上だろう。
だから、どちらも楊貴妃を題材にしたはずだ。
身分について繰り返すと、馬につけられた赤い飾りと、このたてがみだ。
これら両方の特徴があるのは2頭だ。
条件を満たす、2頭のうち1頭が先頭の人の馬だ。
繰り返すが「麗人行」の絵はこの条件を満たせない。
游春図では白い服が2人いたが、「麗人行」では上着が黒っぽくなっている。
作者の解釈だったのだろうが、黒にしない方がよかった。
黒にしたので、
先頭の黒っぽいというか、青い服も、やはり男だろうと言う人が出てくる。
しかし、まあ、違うだろう。
どうして?
先頭の人の足元を見るがいい。
赤い靴だ。
やはり女だろう。
なるほどねえ。
そのように描かれている。
この点は褒めてよい。
 
*  *  *
 
明快な推理だよね。
まあ、推理ではあるが、それが事実だといっていいだろう。
事実かどうか、インターネットで確かめることができる。
また、インターネットなのね。
だから小説ではなく、実録なのだ。
小説のように人が書いたもの、ネットでいえば、人が検索した世界だけでなく、自分も参加することができるのだ。
自分で考えることができる。
そういうつもりで、横道にそれながら書いている。
「麗人行」については、杜甫の詩があり、虢國夫人も出てくるが
絵と関連づけるにはどうかなと思う。
ここで取り上げるのは不適当だろう。
杜甫の詩は、これまたインターネットで検索すれば日本語訳もでてくる。
関心をもつ人もいることだろう。
「宋李公麟畫麗人行卷」は
「天水摹張萱虢国夫人游春図」とは別に 鑑賞した方がよいように思う。
杜甫の詩はベトナム語版にも記載されている。
翻訳しても意味が分かりにくい。
だから、別に検索して、日本語訳を見た方がいい。
 
*  *  *
 
先に
ちょっと暗い絵だ。
好感がもてない。
と言った。
それは、白い服の人2人が黒っぽい服になったからでもある。
色は、判断材料として、実は非常に重要な要素なのだ。
その時代の染色技術に関係する。
今では化学染料がある。
どのようにも染色できる。
ところが、染色技術により、色付けが難しかったり、高価になることも多い。
つまり、希少価値となる。
だから、身分にも反映されるのだ。
染料を使わない白など、身分は低いとみてよい。
「麗人行」だけを見ていては分からない。
だから、この宋時代の「麗人行」を評価できないのだ。
時代の隔たりが理解をもできなくしたのだろう。
はい、はい、「だから」次はどうするの
身分は髪型にも現れる。
かぶりものにも現れる。
それらひとつひとつを調べてゆけば、面白いものになるだろう。
忘れていたが、重要なことがある。
だから、でしょ。
「虢国夫人游春図」をもう一度見てみよう。
うん。
飽きてきたようだな
そんなことないけど、
先に、
白い服の人が2人
髪を両脇で束ねている人が2人
ショールをしていて、同じ髷の人が2人
こんなことを書いた。

そうね。
ここで、なぜ2人ずつだったかを考えた方がいい。
前から2番目の人に注目するべきだった。
「麗人行」では、この馬と、3番目の馬を後尾に移動した。
これは実に問題だ。
白い服と、髪を横で束ねた人が、
2人づついるというのには意味があったのだ。
逆に言えば、「麗人行」を描いた人は気が付かなかった。
つまり、2つの群れに分けられるということだった。
ひとつの群れは3人、もう1つの群れは6人
馬としては、3頭と5頭だ。5頭のうち姉が2人だった。
この構成をよく見てみよう。
馬の赤い飾りと従者2人、と見れば2つの群れに分けられる。
こう考えると、2頭を後ろ回すのはいかにもよくなかった。
ここで、前から2番目の人に注目することになる。
この人の馬の鞍の敷物には2羽の鳥が描かれている。
先頭の人の馬にも2羽の鳥が描かれていた。
オシドリだ。
つまり、2番目の侍女は虢国夫人の侍女だと見るべきだろう。
全体的に描かれているのは楊一族だけれど、
虢国夫人は既に結婚して別の家庭を持っていた、ということか。
だから、右半分の3人がこの順に描かれてなければならないと思う。
出た、「だから」「だから」
ん、
だから、が悪いか。
悪くはないけど、使いすぎ。
因果関係だ。
このように考えたとき、ますます、麗人行の絵は評価できないばかりか、
後の世の人を迷わすことになったのだと思う。
ついでだが。
まだあるの。
ある。
なに、問題は解決したんじゃないの。
それはだな、
と、色々話したが、これも余計なことかもしれないので削除した。
とにかく、虢国夫人游春図には、あるいは、別の題名があったのではないか。
そうかもしれないね。
でも、それを検討する材料がない。
今後の課題にしたら。
そういうことだな。
脱線もしたけど、面白かったね
そうだろう、自分でも納得すれば何でも面白くなるのだ。
 
*  *  *
 
以上だけれど、脱線ついでに、
もう一度、中文の Wikipedia 虢国夫人に戻ってみよう。
左下に、作者の名前がある。
それをクリックして、張萱 (唐朝畫家)を見ると、彼女の別の作品が見られる。
「搗練図」はスクロールして見られる。
巻物の全体像がわかる。
ハンコも、べたべた捺してある。
スクロールだけでなく絵をクリックすると拡大する。何度か拡大できる。
この絵についても調べれば面白いことが分かるかもしれない。
そうよね、次は何の話なの?
分からん。
この搗練図ですか、
いや違う。
そうね、これでは推理モノにならないかもしれないし。
何かを読んだりして、
え、それって、違うんじゃないか、ということがあれば、それについて書くかもしれない。
そうか。
うん。
コーヒーもう一杯もってこようか。
チョコレートも欲しいな。
はい、はい。
雨は止んだようだ。
コーヒーの後、そこいら散歩でもしようかな。
散歩に行くの。
うん。
でも思い出したけど、「男装」についてはどうなの。
なんだ、そんなことか。
その人の趣味でもあるが、馬に乗るという実用性からでもある。
だいたい日本の今の人は女でもズボンが多いだろう。
スラックスだとか、パンタロンだとか、パンツだとか、ファッションとして捉えられていた時期もあった。
馬に関連すると、ガウチョ、というのも流行ったような気もする。
結局のところ実用的・利便性に落ち着いた。
問題として取り上げるべきなら、
男装とか女装とか、その話は別に書いてもいい。
誰かが論文にして、
唐時代に男装が流行った、ということを問題にしていたようだが、
日本ではこの楊貴妃の時より前のこととして、
婦人乗馬 如男夫 其起干是日也
と、日本書紀にあるから、

その人たちは日本の古典を勉強しなさい、ということだろう。
それについては、別にも少し書いた。
 
あとがき
 
例えば、国会図書館の書籍など資料とか、大きな美術館や博物館にある資料は、ある程度存在していると思うが、戦争や災害で無くなることもあるだろう。
インタネットで得られる情報はいつまで存在しているものだろうか。
かつて、パソコンが壊れるなどの経験もあり、何かの原因で全てが消失していまうかもしれないという思いが頭のどこかにある。
Wikipedia に掲載されていた絵を取り上げて、分析推理をしてみたが、
Wikipedia 自体が存在し無くなれば、どうしようもない。
どうなんだろう。
歌を聞きながらこんなことを書いている。
曲名を書いておけば、すぐ検索して読みながら聞くこともできる。
ディジタル故に、いつか一瞬で無くなってしまうことがあるかもしれないけれど、平和な世界が続けば、もっと色々楽しめるかもしれない。
 
なくとなく そんなもんだよ はるのかぜ  ブログ
 
それ、俳句?
などと言う声を聞きながら、そんな風が吹いているかどうか、キーボードにこの言葉を入力しながら応えた。
俳句と言えば、俳句だけど、
これだけでは簡単にすぐは見られないな、と思い、
ブログだよ。

と応えて、俳句の後ろにブログと付け加えた。