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ぼくはこうして古典と遊んでいる
短歌と俳句
会津八一は正岡子規に啓発されて短歌を始め、万葉集と良寛の影響を受けた歌人である。若いころ俳句を作り小林一茶の六番日記(俳句二千五百余句)を発見するなどしているが、短歌が彼の表現形式である。会津八一全歌集(中央公論社)によると、「印象」に九首、「印象拾遺」に十四首、計二十三首の漢詩を訳した短歌がある。うち、四篇については私も俳句にしていた。並べ置いてみると両者の間で元の詩から受けた印象は多少異なってみえる。八一は歌集「南京新唱」の序に「・・・たまたま今の世の人に巧みと称せらるる人の歌を見ることあるも、巧みなるがために吾これを好まず、奇なるを以て称せらるるものをも見るも、奇なるがために吾これを好まず。新しといはるるもの、強しといはるるも、吾これを好まず。吾が真に好める歌としては己が歌あるのみ。」と、大変な自負心である。私は自然な句ができればよいと思っており彼ほど自分の句に対する思い入れはないが、比較して悪くない。和歌と俳句の違いがあるが共感し更に幾つか作り幾つか捨てた。
松かさの落ちて寝返る夜長かな
あきやま の つち に こぼるる まつ の み の
おと なき よひ を きみ いぬ べし や (会津八一)
人はなく稲の穂揺れて田舎道
かぜ こそ わたれ ゆく ひと も なし (会津八一)
薬草を山に求めて霧深し
やま ふかく くすり ほる とふ さすたけ の
きみ が たもと に くも みつ らむ か (会津八一)
連山に初雪降りて空青し
夕さればたなびく雲の絶間より
いり日かがよふむかつ岑の雪 (会津八一)
夢も果て鏡の中の白髪かな
宿昔青雲志 蹉■白髪年
誰知明鏡裏 形影自相憐 照鏡見白髪 張九齢
あまがける こころ は いづく しらかみ の
みだるるすがた われ と あひ みる (会津八一)
入相の河口かすめる春の暮
白日依山盡 黄河入海流
欲窮千里目 更上一層樓 登鸛雀樓 王之渙
うみ にして なほ ながれ ゆく おほかは の
かぎり も しらず くるる たかどの (会津八一)
僧一人寺さし帰る影法師
荷笠帶斜陽 青山獨歸遠 送靈■上人 劉長卿
たかむら に かね うつ てら に かへり ゆく
きみ が かさ みゆ ゆふかげ の みち (会津八一)
日は落ちてなお岸辺ゆく花の下
幽人惜春暮 澤上折芳草
佳期何時還 欲寄千里道 幽情 季收
すずろに おもふ わが とほつ びと (会津八一)
松が根を枕に天の高さかな
偶来松樹下 高枕石頭眠
山中無暦日 寒尽不短年 答人大上隠者
松が根の岩を枕に山なかの
月日もしらず年を経につつ
(会津八一)