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2022年8月13日土曜日

短歌、2首、星越町こそ 哀しけれ

■ 今朝の日本経済新聞・読書、欄に「ドナルド・キーンと俳句」の書評があった。
■ 石川啄木の歌をひとつ思い出した。
  • 函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花
■ ここで、一首+
  • 新居浜の 星越町こそ 哀しけれ 更地になりて 衛星写真  遊水
  • われもまた はるなつあきと あゆみきて 霜天に満つ 時となり  遊水

2019年5月4日土曜日

かにかくに

かにかくに
■ 石川啄木の歌にこんなのがある。
かにかくに渋民村は恋しかり
おもいでの山
おもいでの川
・・・ 吉井勇・解説「啄木歌集・一握の砂」より
 よく知られていると思う。
■ 京都の街を歩いていると、次の、碑があった。
かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる   吉井勇
■ よく似ている。
 だからといって、盗作ではない。
 友人だった、吉井勇が石川啄木のことを想いながら作ったのであろう。
■ なるほどなあ、・・・
■ 歌っていいなあ、・・・
しらかわの ながれにそいて いしだたみ あゆみとどめて いしぶみをよむ   遊水
■ 歌の世界では、いいな、と思ったとき、それを取り入れることはよくある。
■ あなたの歌を読みましたよ、いい歌ですね。・・・ということであろう。
■ そして、私はこう思いますよ、・・・、と。
■ 元の歌が、よく知られていれば、こうして、言葉が、受け継がれてゆくことに問題はない。
■ むしろ、言葉の本来のあり方だろう。
たくぼくも よしいいさむも こいおもう それぞれのとち それぞれのかわ   遊水
■ 言葉を使うことにより、それぞれの思いを、そして、それぞれの心を、言葉に込めるのだ。
■ そして、言葉により、思いを共有する。
■ 私たちが、その言葉を使う前に、既に、多くの人たちにより、言葉に心が込められている。
■ 言葉を使うとは、長い長い間に、多くの人によってこめられた、思いを、言葉の中に見出すということだ。
■ そして、同じように、見つけることができたとき、伝わり、分かる。と、いうことだろう。
■ うまく見つけられなかった場合は、誤解、といったことになる。
■ 言葉は単なる道具でもなければ、符号でもない。
■ 使うことによって、形作られる、心だ。

2017年2月15日水曜日

吉井勇、と、石川啄木

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かにかくに    映画のワンシーン



■ こんな頁が閲覧されていた。
■ これに関連して、以前何か書いた。
■ どこに書いたか記憶してなかったので、・・・
■ Google検索した。
■ ↑、これだ。
■ そして、・・・
  • しゃみせんの どこかとおくに かりまくら かわのながれの おとをききつつ   遊水
  • ■ 吉井勇が作ったときの状況を思い、こんな歌もあるかなと思った。
■ この歌は、・・・
■ 作り変えた方がいいだろう。
■ 例えば、・・・
  1. どこかとおくに
  2. どこかちかくで
■ しかし、まあ、作ってしまったものだから、・・・
■ その時は、それでいいと思ったのだ。


2016年5月13日金曜日

こいおもう よしいいさむも たくぼくも それぞれのとち それぞれのかわ

■ なんか、うまく書けないが、・・・
■ この時は、こんな文字しか書けない状態だった、ということか、・・・
■ 下手でも、なんでも、時々書いてみんとアカンわ、・・・
■ だんだん、下手になる。
■ 昨日の朝、出かける前に書いたが、バスの時刻を気にしながらではよくない。
しらかわの ながれにそいて いしだたみ あゆみとどめて いしぶみをよむ   遊水