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ぼくはこうして古典に遊んでいる
まえがき
漢詩を訳してみようと思ったのはコンピュータのプログラム作りに熱中していた頃で、気分転換だった。ただ訳すだけでなく要約し俳句形式にすることを思い付いた。これが私の俳句事始めだ。結果的には、要約というより触発されて俳句らしきものを作ったということだが、自分で納得できる句もできた。例えば、
- 麦畑、風さわやかに波となる
である。麦畑はもはや遠い記憶の中の風景でしかないが、このような句が幾つかできればいいと思っている。
漢詩の後、しばらくして「枕草子」を素材に句を作った。このときは新しい古典の読み方を発見した思いだった。いずれにせよ古典を題にするとき、古人と詩の心を共有する楽しさがあるが、五七五にできるものとできないものがあり、それがかえって詩の形への関心と、有季定型という俳句への興味を深める。
漢詩の後、しばらくして「枕草子」を素材に句を作った。このときは新しい古典の読み方を発見した思いだった。いずれにせよ古典を題にするとき、古人と詩の心を共有する楽しさがあるが、五七五にできるものとできないものがあり、それがかえって詩の形への関心と、有季定型という俳句への興味を深める。
このように、私の場合いわば五七五の形から俳句に入った。形から入ることは俳句以外でもよくあるが、定型が俳句の主要な要素だから、あるいはこれが最良の方法かもしれない。
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