漢詩に遊ぶ 2

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漢詩に遊ぶ2  二十六篇



まえがき
 
    蝉噪林逾靜
    鳥鳴山更幽  (王籍「入若耶渓」)
松尾芭蕉の/閑さや岩にしみ入る蝉の声/の背景にはこの詩があるといわれる。五七五で訳すと
 
   せみないてはやしいよいよしずかなり
   とりないてさらにしずけしやまのなか
 
といったところか。漢詩から俳句を作ることは要約であり飛躍であるが、漢詩の中に自然に対する我々と共通した認識がある。
一九九八年の正月は雨だった。/正月の雨に心も和むかな/という感じだ。雑煮のあと炬燵で漢詩の本を開いて五言絶句や七言絶句を七五で四行に訳し、できるものは五七五も添えてみた。ひとつ訳すと、次々興がのるのである。
俳句や四行詩、いずれにしても定型にするのがよいようだ。
もうひとつ、読んだ後に言葉が記憶として残るのでなく詩の全体の印象が残るように、なるべく平易な言葉を使うようにした。
文字を知ったことにより人は文字に復讐され裏切られ続けるのだそうな。文字を捨てて言葉だけの世界に返ることはできないが、文字に頼らない言葉を見失ってはならないということなのだろう。
全てかな書にできるような、平易な言葉の中に本当の言葉が隠れているように思う。文字が溢れている今、言葉のもつ本来の姿、素朴な心の表現をそうした言葉の中に求めたいと思う。
 

うつらうつらの はるのあさ

とりなくこえが にわでする

きのうのよるの あめかぜに

はなもなんぼか ちったかのう

 

    春眠不覺曉 處處聞啼鳥

    夜來風雨聲 花落知多少  春曉  孟浩然

 

 

なのはなばたけ もんきちょう

いなかのむらの のどけさに

いきなりいぬが ほえだした

どうやらひとが きたようだ
 
 

    蝴蝶雙雙入菜花 日長無客到田家

    鶏飛越籬犬吠竇 知有行商來買茶  四時田園雑興  范成大
 

なのはなのはたけにちょうちょみえかくれ






つきのあかりに なかにわの

かいどうのはな あかくちる

ひとりまどべで みおろせば

ぶらんこゆらす かぜがある

 

    胆月照中庭 海棠花自落

    獨立俯閒階 風動秋千索  効崔国輔体  韓□

 
おぼろづきぶらんこゆらすかぜありて 
 
 

 

はるのさかりの つきあかり

かおりのはなを てらしいて

はなみのえんも おわるころ

ぶらんこよるに しずむかな

 

    春宵一刻直千金 花有清香月有陰

    歌管樓臺聲細細 鞦韆院落夜沈沈  春夜  蘇軾
 
 
うたげはてぶらんこよるにしずむかな
 
 
 


ゆきもかえりも ふねにのり

ゆきもかえりも はなをみる

はるのかぜふく みずのうえ

いつのまにやら きみのいえ

 

    渡水復渡水 看花還看花

    春風江上路 不覺到君家  尋胡隠君  高啓
 
 
はるのかぜいつのまにやらきみのいえ
 

 

 

くれゆくはるを おしみつつ

きしべのよもぎ つみもちて

こののどかなる ときゆえに

そぞろゆくべし どこまでも

 

    幽人惜春暮 澤上折芳草

    佳期何時還 欲寄千里道  幽情  李収





みどりのかわに しろいとり

やまはみどりに はなあかく

ことしもはるが すぎてゆく

ああいつのひか ふるさとよ

 

    江碧鳥逾白 山青花欲然

    今春看又過 何日是歸年  絶句  杜甫
 
 
いつのひかこきょうにたちてはなふぶき

 

 

ゆうひがてらす かわすなの

きしべにふねの かたむいて

みぎわににわの しろいとり

ひとにおどろき あしにいる

 

    江頭落日照平沙 潮退漁船擱岸斜

    白鳥一雙臨水立 見人驚起入蘆花  江村晩眺  戴復古





ひとのすがたは みえないが
 
やまのどこかで こえがする

ななめにふかく さしこんだ

ひかりがあおい こけのうえ

 

    空山不見人 但聞人語響

    返景入深林 復照青苔上  鹿柴  王維
 
 
ななめからさしこむひかりこけにつゆ

 

 

どこかときけば そのひとは 

やくそうとりに でかけたと

おるにはおるが やまのなか

きりがふかくて わからない

 

    松下問童子 言師採藥去

    只在此山中 雲深不知處  尋隠者遇  賈島




なつのさかりに もんをしめ

こかげはないぞ へやのなか

さんすいなぞは いらないさ

ひもまたすずし わがこころ

 

    三伏閉門披一衲 兼無松竹蔭房廊

    安禪不必須山水 滅却心頭火亦涼  夏日題悟空上人院  杜荀鶴
 
 
わがこころひもまたすずしせみしぐれ

 

 

あさやけのころ ふなでして

そのひのうちに かえりつく

きしべにさわぐ さるのこえ

たちまちとおい かわくだり

 

    朝辭白帝彩雲閒 千里江陵一日還

    兩岸猿聲啼不住 輕舟已過萬重山  早發白帝城  李白




かぜはどこから ふいてくる

さやさやさやと ふいてくる

こずえのあさに わたりどり

われはたびびと あきをしる

 

    何處秋風至 蕭蕭送雁群

    朝來入庭樹 孤客最先聞  秋風引  劉禹錫


いちはやくわたりどりみてやどのあさ
 

 

めざめてにわの つきあかり

しもがおりたと まちがえて

やはりつきかと あおぎみた

ふっとこころに ふるさとよ

 

    牀前看月光 疑是地上霜

    擧頭望山月 低頭思故鄕  靜夜思  李白
 
 
ふるさとやしもかとみえてあおきつき
 
 
 


たびのこころに かれはちる

さくやもきいた あきのかぜ

かおをあらって しみじみと

かがみのなかの すがたみた

 

    客心驚落木 夜坐聽秋風

    朝日看容鬢 生涯在鏡中  秋朝覽鏡  薛稷

 
あきはものみな かれてゆく

さくやしみじみ みにしみた

かおをあらって あさのひに

かがみのなかの かおをみた
 





きみをおもえば あきだから

さむいよぞらに さんぽする

ひとのかげない やまおくは

まつかさだって おちるだろ

 

    懷君屬秋夜 散歩咏涼天

    山空松子落 幽人應未眠  秋夜寄丘二十二員外  韋應物






やぶれておれて はすのいけ

ざんぎくしもの えだにさく

けれどもいまは よいきせつ

みかんたわわに みのるから

 

    荷盡已無擎雨蓋 菊残猶有傲霜枝

    一年好景君須記 最是橙黄橘緑時  贈劉景文  蘇軾

 

 

とぶとりもたえ ひともなく

みのかさつけた じいさんの

こぶねがひとつ あるだけで

ゆきふるかわに さかなつる

 

    千山鳥飛絶 萬徑人蹤滅

    孤舟蓑笠翁 獨釣寒江雪  江雪  柳宗元
 
 
つりぶねやみのかさゆきにうごかざる






かわにつもった ゆきもとけ

こおりもとけて ながれだす

ゆうひはおちて ひともなく

きしべのふねに とりのかげ

 

    寒川消積雪 凍浦漸通流

    日暮人歸盡 沙禽上釣舟  晩過水北  歐陽脩

 

 

どべいのかどに うめのえだ

さむさをしのぎ さいている

あれはゆきでは ありません

よるもかおりで わかります

 

    牆角數枝梅 凌寒獨自開

    遙知不是雪 爲有暗香來  梅花  王安石
 
 
くずれたるどべいのかどにうめのはな
 
 
 


はなをみようと おもわずに

たまたまここに きてみたら

えだにかれんな はなのいろ

うれいをひめて さいている

 

    都無看花意 偶到樹邊來

    可憐枝上色 一一爲愁開  題花樹  揚衡



しらうめのしべにうれいのほのかなり
 
 

 

もんのそとには なにがある

はるのいぶきが みちている

けれどかたらう とももなく

ひるのひなかに さけのんだ

 

    出門何所見 春色滿平蕪

    可嘆無知己 高陽一酒徒  田家春望  高適
 
 
ともさそいさけをのみたやうめのはな





われにしもなく でしもなし

とうにのぼりて てんとちの

ゆうゆうたりし ひろがりを

ひとりなみだを おとしみる

 

    前不見古人  後不見來者

    念天地之悠々 獨蒼然而涕下 登幽州臺歌  陣子昴
 
 
おいのめにはるかかなしきはるがすみ

 

 

わかれのさけだ さあのもう

おれのさかずき うけてくれ

はなにあらしは つきものだ

さよならだって じんせいさ

 

    勧君金屈巵 滿酌不須辭

    花發多風雨 人生足別離  勧酒  于武陵






くもはやぶれて さんがつの

こうしたはるが あといくつ

おもうてみても はじまらぬ

いまはこのさけ のむだけさ

 

    二月已破三月來 漸老逢春能幾回

    莫思身外無窮事 且尽生前有限杯  漫興  杜甫
 
 
きさらぎのくもはやぶれてやよいかな

 
 

 

こころもひえる あめがふる

のみやはあるか たずねたら

おとこはかなた ゆびさして

あんずのさとに あるという

 

    清明時節雨紛紛 路上行人欲斷魂

    借問酒家何處有 牧童遙指杏花村  清明  杜牧
 
 
はなびえやあんずのさとのさけこいし
 
 





あとがき

 

最後にあげた「清明」は難しい文字がなく分かりやすい詩である。清明は二十四節気の一つで、四月五日頃の、ものの芽吹き萌える時期である。俳句では菜種梅雨とか花冷えといった季語がある。土地が違えば季節感も違うだろうが、この頃の雨は中国では/欲断魂/(魂も消えるばかり)といった感じなのだろう。

最後の行に杏花村とあるが、これは村の名だろうか、それとも杏の産地で村中に杏の花が咲く村なのだろうか。あるいは「灘」のように酒処なのか、いずれにせよこの「杏花村」に重点を置くため、

   清明時節雨粉粉 路上行人欲断魂

この前半二行を

   こころもひえる あめがふる

と簡単に表した。

 漢詩が好きで訳すのだが、漢詩の特徴的な形式や表現に疑問を感じることもある。例えば、

    千山鳥飛絶 萬徑人蹤滅 孤舟蓑笠翁 獨釣寒江雪

傍線部分は日本語の詩としては不要だ。むしろ目障りに映るので省略し、

    とぶとりはたえ ひともなく

とした。また、例えば杜甫の有名な絶句、

    江碧鳥逾白 山青花欲然 今春看又過 何日是歸年

 これは二句目の燃えるように赤く咲いている花が何か具体的でなく、「然」「年」と韻を踏むために対句的に単に付けただけのように見える。視覚的効果を狙ったのだろうが、散る花でなく赤く咲いた花の盛りに/今春看又過/(今年も春が過ぎて行く)という感情になるのは意味的に何か違和感を感じ、素直に/燃えるように/とは訳せない。しかし、そこを無視すると逆に詩の心が分かり、一行目に/しらとりはかなしからずや そらのあおにもうみのあおにも……/といった詩との共通性をみるのである。

    滅却心頭火亦涼

は、織田信長に焼き討ちされた日本の僧の言葉と間違うほどよく知られた一節であった。この詩の一行目は/三伏閉門披一衲/である。三伏は七月から八月にかけての時期で俳句歳時記にも見られるが一般的ではないので、

    なつのさかりに もんをしめ

と七五にした。しかしこれでは「陰陽五行説の夏至後の第三の庚(かのえ)の日を初伏……」といった意味合いが伝わらない。また「披一衲」の部分は省略したが七文字のうち三文字、約四十三%を無視して、到底、訳したとはいえない。

元々、漢詩を訳すことは無理である。英語の詩の場合は、おそらくそのまま読んで発音し、韻についても理解しようとするだろうが、漢詩の場合はなまじ漢字だけに、意味的に読めそうな気がして、韻を踏まず目で読んで理解しようとする。このへんに問題がある。言葉としてとらえていないということであろう。

言葉においてその響きが本質的なものではなかったかと思う。例えば、「び」や「み」と発音される美が「うつくし」といわれることと本当に意味的に同じなのか。

このことについて日本の詩歌を素材にして考えるとその詩自体にとらわれてしまう。かといって、漢詩上でそれをするにはあまりにも無力であるし、興味はやはり日本の言葉の方にある。だから答えはすぐにはでそうもない。

ともあれ定型である漢詩を素材とした。定型故に元々制約が存在している。それを日本語にするのだからなお更である。しかし、七五といつた定型にしなければ元の詩の意に沿って説明的に訳してしまうだろう。それでは日本語の詩になりきれないと思われるので訳もやはり定型にする。定型にすると制約ができる。制約がリズムを作り、平易な言葉を詩に変えるのである。

元の詩が有名であると、なかなか頭から離れず訳しにくい。例えば、

    春宵一刻直千金 花有清香月有陰

これをどのように表現するか、ずいぶん迷った。「直千金」がどうにも難しいのである。結局、

    はるのさかりの つきあかり

    かおりのはなを てらしいて

としてみた。

    朝辭白帝彩雲閒 千里江陵一日還

これもなかなか難しい。「千里江陵」をおもいきって捨てると何かすっきりした。

    あさやけのころ ふなでして

    そのひのうちに かえりつく

である。

こうしてできた詩は元の漢詩のにおいが感じられなければ、一応日本語に置換えられたということであるが果たしてどうだろうか。

今まで多くの人が訳してきたように、これからも訳され言葉が問い直されてゆくことだろう。そして、詩は読む人それぞれのものだから、これらの詩を読んだ人それぞれが、更に自分の言葉に置換えて自分の思いにしてくれたらよい。

 

偶成  朱熹

少年易老学難成 一寸光陰不可輕

未学池塘春草夢 階前梧葉已秋聲

 

桐一葉 学成難く 老いにけり  遊水