2026年9月9日水曜日

はるかなる いこくのちまで とびゆくは さえたねざめの おもいなるかな  遊水


■ 2026-09-09
■ 藤原定家が、百人一首の大弐三位として、なぜ「ありまやま」の歌を採ったのかは、例えば、なぜ、「もろこし」の歌を採らなかったのか、と考えてもいいかと思う。「もろこし」の歌の方がいいように思うからだ。

ありまやま ゐなのささはら 風吹けば いでそよ人を わすれやはする
はるかなる もろこしまでも 行くものは 秋の寝覚めの 心なりけり

もろともに ゐなの笹原 みち絶えて ただ吹く風の 音に聞けとや  藤原定家
心のみ もろこしまでも うかれつつ 夢路に遠き 月の頃かな  藤原定家
月清み ねられぬ夜しも もろこしの 雲の夢まで みる心ちする  藤原定家

■ もうすこし何とかならなかったものか。まあ、いいか。

  • 遥かなる 異国の地まで 飛び行くは 冴えた寝覚めの 想いなるかな  遊水


2026年9月8日火曜日

あこがれの フランスからも くるひとは いまではおおき ひのもとのくに 2026-09-09 追記


■ 2026-09-08

おれは小石をひろって口にあてながら、

■ なぜ「小石」を拾ったのか。
■ なぜ「口にあて」たのか。
■ やはり「小石」は「恋し」のようだ。
  • 君恋し 小石ひろいて 朔太郎 冷たき石に 口づけにけり
■ こんなことかもしれない。
■ 話変わって、・・・
■ 萩原朔太郎は百人一首の「有馬山~いでそよ人を忘れやはする」を関連付けて読んでいた、と丸谷才一は考えたが、新々百人一首では、
  • 遥かなる もろこしまでも ゆくものは 秋の寝ざめの 心なりける  大弐三位
■ この歌をあげている。
■ 塚本邦雄も、新撰小倉百人一首で、同じ歌を取り上げている。そして、

枕上片時春夢中
行盡江南数千里
これを秋に転じた心であらうか。
秋の寝覚めといえば、・・・恋に哀傷に述懐に、尽きぬ思いを尽くすのはこの時であらう。それらをすべて消して、彼女は頭を上げ、目をみひらいて、清らかな音声で、「はるかなるもろこしまでも行くもの」と歌った。古人も評して「限りなき心」と讃えた。

■ と書いている。一方、丸谷は

「秋の寝ざめ」のアキには「飽き」が秘められてあって、それゆゑ女は男に飽きられたのではないかと不安に思ってゐる。・・・、秋歌と見せかけて実は恋歌なのである。冷え冷えとした秋の夜、夜半の寝ざめに悩みながら女はあれこれと思いつづける。その思いはどこまでもどこまでもはてしない。さながら遠くへだたる・・・

■ 才一は、ねちこい。「はるかなるもろこしまでも行くもの」という調子にはそんなネチ濃さはない。たとえ悩みがあったとしても、しっかり寝たあと、吹っ切れ、冴えている。
■ 遠く異国への憧れは、まあ普通の感情だろうが、大正時代の萩原朔太郎はどうだったのか、確か「フランス」に行けずに背広を買う、といった詩があった。

ふらんすは あまりにとおし 朔太郎 背広を買うて 汽車の旅ゆく
はるかなる フランス・パリへ ゆくものは はるのれっしゃの まどのそとかな 
あこがれの フランスからも くるひとは いまではおおき ひのもとのくに

■ 2026-09-09
■ 朔太郎からはなれ、フランスで思い出す歌人といえば、与謝野晶子かな、・・・
■ たとえば
  • はるかなる フランス・パリへ ゆくものは 与謝野晶子の こころなるかな  遊水
■ 私自身はほとんど海外へ行きたいという気持ちがないので、 自分の歌にできないけれど。


2026年9月6日日曜日

詩と短歌・・・。いいあさに ちょっとあずきを にてごらん そのひいちにち しあわせだから


■ 2026-09-06
■ 日本経済新聞・夕刊・2026-09-04に、萩原朔太郎賞の記事があった。
■ へええっ、・・・
■ 今でも、というと、怒られるだろうけど、「詩」は書かれているのか。
■ こんな頁を書いていたので、目に付いた。


■ 「明日への話題」女優・戸田菜穂は、文章が上手い。2026-09-05、「小豆」という題で、こんな詩を書いていて、詩人だな、と思った。

あのね、気分がいい朝に
ちょっと小豆を煮てみて下さい。
その日一日幸福だから
・・・

■ なるほど、これは短歌にできる。
  • いい朝に ちょっと小豆を 煮てごらん その日一日 幸福だから
■ 本歌取りというには、ほとんど同じだけれど、できる。
■ ただ、「あのね」という呼びかけは、詩の詩たるところか。
■ 「あのね」を「ごらん」に置き換えたともいえる。
■ 自由詩を作るまえに、短歌でできないかを考えてみるのもいいかと思う。

2026年9月4日金曜日

山の上 叫べ萩原 朔太郎 俺は今でも お前が好きだ 

■ 2026-09-04
■ たまたま、萩原朔太郎「詩の原理」をパラパラみた。詩の現状は知らない。
■ あまり興味もなかった。
■ ただ、以前、「山に登る」を何度か取り上げたことがあった。


■ 理解するために、並べ変え、題名も組み込んでみた。
■ 次の通りだ。
■ この詩は、現実と過去が交差した記述になっている。
■ 「俺」が今、「私達」が回想だから、言葉は変えず、時間軸に合わせて再構成した。

  萩原朔太郎・作、橋本遊水・改
山に登る
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口くちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
旅よりある女に贈る
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。
おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。

ありまやま いなのささはら かぜふけば 
いでそよひとを わすれやはする  大弐三位

■ これを、短歌形式にすればどうか、例えば、こんな感じで。自分に向かって「叫べ」という感じにした。
  • 山の上 叫べ萩原 朔太郎 俺は今でも お前が好きだ 

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2024-01-16  富士山、と、「月に吠える」の「山に登る」、と、三好達治