■ 2026-07-24
■ 2026-07-22
■ 言葉は最初は音声と手振りなどであったかもしれない。
■ 文字を持つことで音声を記録できるようになった。
■ 記録により、時と空間を超えることが可能になった。
■ 言葉は情報であり、事実の他、心、気持ち、心情、考え想像である。
■ 詩歌は、最初は祈りであったかもしれない。
■ このあたりのことを厳密に論述しようとは思わない。
■ ただ詩歌に関して、日本人の文化、心や事実、環境などを理解したいと思う。
■ 万葉集は日本の最初の歌集だとされている。
■ 歌は、まとまった歌集でなくとも、古事記にもあるし、あるいは、他の書物にも見られることと思う。
■ 日本語は、漢字を取り入れたことで、今日にいたる文化を作り上げた。
■ 最初は「ことば」を表音文字としての漢字で表した。
■ ここで取りあげる、持統天皇の歌がひとつの例だ。
春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山
春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山
はるすぎて なつきたるらし しろたへの ころもほしたり あめのかぐやま
■ 漢字だけで書き写すには手間がかかるので、平安時代には、いわゆる、万葉仮名が考えられ、使われた。漢字、ひらがな、カタカナ、の混合文が日本語の特徴だ。
■ 新古今和歌集では、
春過ぎて夏来にけらししろたへの衣ほすてふあまのかぐ山
■ 百人一首では「衣ほすてふ」としているが、大きく誤解させることになった。原文にない「てふ」にしたことで何か言い伝えでもあったかのようにとらえられた。
■ また、「天之香来山」を「天の香具山」とし、「あめのかぐやま」を「あまのかぐ山」としているところは非常によくない。本質的な理解を妨げることになってしまった。
■ 藤原定家という偏狭な一介の老歌人による無理解が原因だっただった、と指摘したい。
■ 「白妙」「白栲」の違いもある。
■ これらについては、おいおい書くとして、馬場あき子はこんなことを書いている。
「この歌を読みながらふと思うのは「春過ぎて」という初句はなぜ必要だったのか、ということだ。「夏は来ぬ」ではじまっても一向におかしくない。」
■ 歌人らしい指摘で面白いと思った。31文字のうち、5文字を使っているのだから、他に表現もあるだろうともいえる。「春過ぎて」を使わない歌を提示してくれたらよかったと思う。
■ おそらく、当時「初夏」という言葉がなかったのだろう。
はつなつの かぜとなりぬと みほとけは をゆびのうれに ほのしらすらし 八一
■ 会津八一のこんな歌を思い浮かべた。
■ 私は、持統天皇の歌を参考にして歌を作たこともあるので、いろいろ見方もあるかと思う。
夏過ぎて 秋は来にけり 枯葉散る ・・・
■ 季節がゆっくり過ぎてゆく感じがある
■ 八一は仏像を見ながら夏が来たようだな、と感じた。持統天皇は、白妙能 衣乾有 と乾燥させている白い衣を見て、そろそろ夏だな、と感じた。八一はただ仏像の姿に思いを寄せたが、持統天皇の気持ちというか歌の心は何だったのか。
〇 〇 〇
■ 「天」が使われている天皇は二人しかいない。天智天皇、天武天皇、そして、持統天皇は天武天皇の妻であり天智天皇の娘だ。これらの名前は奈良時代につけられた。要するに、そのように評価されたということで、持統天皇は親によって作られた国を維持した政治家だった。また、天智天皇の父親の舒明天皇の「国見の歌」として知られる万葉集の二つ目の歌は天乃香具山からの眺望を歌っている。あるいは、孫にあたる持統天皇も一緒に登ったことがあったかもしれない。
国土地理院の地図では、奈良盆地の南東端にある丘は、大和三山と呼ばれ、次のように高さも書かれている。
152 m 天香久山
199 m 畝傍山
140 m 耳成山
「天香久山」の高さは海抜 152 mだが、近くの道路を基準にすれば、65 m の高さで「天・てん」とは何の関係もない平凡な丘で、山というほど高くない。
第十二代、景行天皇の頃は、「古事記」のヤマトタケルの歌に、比佐迦多能 阿米能迦具夜麻、とあるように、「あめのかぐやま」と呼ばれていた。
■ 持統天皇は「天之香来山」としているが、これをなぜ「あめのかぐやま」とするのか、「あめのかくやま」ではないのか、むしろ国土地理院の「天香久山」の方が「天の香具山」より正しい。ここでも「天」を「あま」と呼んではならない。あくまで「あめ」だ。
■ 日本書紀に、
日本書紀、神代上、第七段の、天照大神が石窟に隠れた場面を見ると、・・・
思兼神、深謀遠慮、遂聚常世之長鳴鳥使互長鳴。亦、以手力雄神、立磐戸之側、而中臣連遠祖天兒屋命・忌部遠祖太玉命、掘天香山之五百箇眞坂樹、而上枝懸八坂瓊之五百箇御統、中枝懸八咫鏡
とあり、ここでも天香山が見られる。掘天香山之五百箇眞坂樹、このように眞坂樹を掘り起こしている。眞坂樹は榊だろう。古代の人は榊の香りを特別な香りとしてとらえていたようだ。地名とか物の名とかは古ければごく単純に、というか純粋に、具体的な特性を意味している。香りの高い植物であり長寿のものとしては「樟」がある。神社には、樟が植えられていることも多い。日本書紀にあるように、天香山には、榊がたくさん生えていたようで、天照大神が岩戸に隠れたとき、この木が使われた。このようなことから神の木として「榊」文字が作られたと考えられる。
本榊は花の匂いが穏やかで甘い香り、ヒサカキは独特で強い匂いを持つ。
榊の匂いを嗅ぐ、ことの連想から「かぐ」「香具山」と呼ばれる」ようになったのかもしれない。
■ 藤原定家(1162年 - 1241年)が生きた時代は、持統天皇( 645年 - 703年)と、約500年の隔たりがある。この隔たりが持統天皇の気持ちを理解できなくした。定家は
持統天皇の歌にある「天之香来山」を見たのだろうか、ただ想像しただけだろうか、あるいは歌としての調子が気になっただけかもしれない。現地に行かず伝聞的に「てふ」としたものだから、何かがあったと思う人も出てきた。昔の人の歌は素朴な現実を歌っている。
「百人一首」という世界から見ている限り、500年前の人の気持ちは分からない。まして、世の中を統治する天皇の考えには思いが至らないのだろう。
■ 飛鳥時代における持統天皇の治世をどの程度知っているのか。
飛鳥時代
奈良時代
平安時代
と過ぎ、定家が百人一首を編纂したのは鎌倉時代になってからだ。
■ 天智天皇の歌は稲の実りの喜びの歌だ。国にとって、農作が重用だった。
■ 日本書紀には持統天皇が「雨乞い」の儀式をしたとある。
■ 稲作にとって天候が重要だが、天気は人の力ではどうしようもない。ただ祈るばかりだ。為政者の持統天皇は、春が過ぎ、夏が近づき天気が気になったと思う。
■ 「天之香来山」は祈りの場、高台だ。そのふもとに民が粗末な白い衣を干しているのを見て、今年は雨乞いをせずに済むかどうか気になった。
民人が 衣洗いて 干したるか 木の間に 白く夏は来にけり 遊水
■ ここまで書いて、「はつなつ」を思い出した。自分だったら歌にできるのか。
雨乞の 雨之香来山 洗い干す 白いころもに はつなつのかぜ 遊水