2026年9月6日日曜日

詩と短歌・・・。いい朝に ちょっと小豆を 煮てごらん その日一日 しあわせだから


■ 2026-09-06
■ 日本経済新聞・夕刊・2026-09-04に、萩原朔太郎賞の記事があった。
■ へええっ、・・・
■ 今でも、というと、怒られるだろうけど、「詩」は書かれているのか。
■ こんな頁を書いていたので、目に付いた。


■ 「明日への話題」女優・戸田菜穂は、文章が上手い。2026-09-05、「小豆」という題で、こんな詩を書いていて、詩人だな、と思った。

あのね、気分がいい朝に
ちょっと小豆を煮てみて下さい。
その日一日幸福だから
・・・

■ なるほど、これは短歌にできる。
  • いい朝に ちょっと小豆を 煮てごらん その日一日 幸福だから
■ 本歌取りというには、ほとんど同じだけれど、できる。
■ ただ、「あのね」という呼びかけは、詩の詩たるところか。
■ 「あのね」を「ごらん」に置き換えたともいえる。
■ 自由詩を作るまえに、短歌でできないかを考えてみるのもいいかと思う。

2026年9月4日金曜日

山の上 叫べ萩原 朔太郎 俺は今でも お前が好きだ 

■ 2026-09-04
■ たまたま、萩原朔太郎「詩の原理」をパラパラみた。詩の現状は知らない。
■ あまり興味もなかった。
■ ただ、以前、「山に登る」を何度か取り上げたことがあった。


■ 理解するために、並べ変え、題名も組み込んでみた。
■ 次の通りだ。
■ この詩は、現実と過去が交差した記述になっている。
■ 「俺」が今、「私達」が回想だから、言葉は変えず、時間軸に合わせて再構成した。

  萩原朔太郎・作、橋本遊水・改
山に登る
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口くちにあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんでゐた。
旅よりある女に贈る
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。
おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。

ありまやま いなのささはら かぜふけば 
いでそよひとを わすれやはする  大弐三位

■ これを、短歌形式にすればどうか、例えば、こんな感じで。自分に向かって「叫べ」という感じにした。
  • 山の上 叫べ萩原 朔太郎 俺は今でも お前が好きだ 

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2024-01-16  富士山、と、「月に吠える」の「山に登る」、と、三好達治

2026年9月1日火曜日

ふるさとを とおくはなれて ひとりすむ きみもみてるか いまこのつきを

■ 2026-09-01

  八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九  白居易
銀台金闕夕沈沈
独宿相思在翰林
三五夜中新月色
二千里外故人心
渚宮東面煙波冷
浴殿西頭鐘漏深
猶恐清光不同見
江陵卑湿足秋陰

■ 「三五」とは「さんご・じゅうご」のお月さん、頓智もあるか 十五夜の月

ふるさとを とおくはなれて ひとりすむ きみもみてるか いまこのつきを
故郷を 遠く離れて 東京で 君も見てるか 今この月を

2026年8月31日月曜日

めぐりくる きせつはいまも かわらねど みちゆくひとに しるかおもなく  遊水

■ 2026-08-31
■ 塚本邦雄は、定家の上げた歌を否定して、大江千里の歌として、新撰・小倉百人一首、と、王朝百首にそれぞれ次の歌を取り上げている。

照りもせず 曇りもはてぬ 春の夜の 朧月夜に しくものはなし  大江千里
ほととぎす 五月待たずぞ 鳴きにける はかなく春を 過ぐし来ぬれば

■ 個々の歌の好みは、人それぞれだ。なので、否定されたからといって、それがどうした、ということだ。

月見れば 千々にものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど  大江千里

■ 分かりやすくていいじゃないか。白楽天の「~ 秋来只為一人長」を元にしたからと言って、漢詩臭くはなく、万人の思いをよくとらえている。 
■ 私は、歌自体でなく、百人一首の歌の並びが気になる。この歌の次は、「菅家」すなわち菅原道真の歌だ。
■ なぜ道真の歌がここにあるのか。
■ おそらく「漢詩」にからめてだと思われるが、なにか不自然だ。
■ ここで「百人秀歌」の並びを見てみよう。漢詩関連の歌が並んでいる。

27 吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらん
28 人はいさ 心も知らず 故郷は 花ぞ昔の 香ににほひける
29 朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪
30 月見れば 千々にものこそ 悲しけれ 我が身ひとつの 秋にはあらねど

■ 「人はいさ~」の歌は、島津忠夫の解説などに惑わされず、定家は、唐の詩人劉希夷の詩「代悲白頭翁」の詩の一部を連想したと考えてよい。

年年歳歳花相似
歳歳年年人不同

■ これを、私なりに歌にすれば、とりあえず、こんなところか。
  • 巡りくる 季節は今も 変わらねど 道行く人に 知る顔もなく  

かえりみて こころゆくまで ちるはなと あいみることの いくどありしか

■ 2026-08-31
■ ・・・

ねばならぬ ことなどおおく ありければ ことしのはなの さかりのがして
かえりみて こころゆくまで ちるはなと あいみることの いくどありしか