2026年8月14日金曜日

かささき

和歌語句検索 かささき

■ 2026-08-14
かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける  大伴家持
■ この歌は「家持集」にある歌のようだ。

菜の花や月は東に日は西に、と、柿本人麻呂の歌

■ 2026-08-13
■ 昨日、「and」ではない「や」の話、で芭蕉の句と蕪村の句を上げた。
■ 特に選んだわけではないが、たまたま、先日、古本で買った、渡辺昇一・万葉集のここら日本語のこころ・WAC、を読んでいたら、この本は、渡辺昇一・日本語のこころ・講談社現代新書と内容が重なるようだが、蓮月尼と幸田露伴のことばを引用し、芭蕉は偉大だとし、蕪村を貶している。これにはもの申したいところだ。視野の広さとか世界観から見れば、蕪村も捨てたものではない。芭蕉は「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」こんな句があり、関心するが、人の心がよく分かったゆえの、驕り、あざとさ、心の卑しさがある。その最たるものは、これだ。
  • 行く春や鳥啼き魚の目は泪  芭蕉
■ 次の二つは同様の景だ。蕪村が人麻呂の歌を意識していたかどうかは、知らない。どちらも挽歌のようでもあるが、蕪村は、ただそんな状況に出会っただけなのかもしれないけれど、読んで気持ちがいい。芭蕉の、これでどうだ、という押しつけがましさはない。
  1. 菜の花や 月は東に 日は西に  蕪村
  2. 東の 野にかぎろひの 立つ見へて かへり見すれば 月かたぶきぬ  柿本人麻呂

2026年8月13日木曜日

何だったか、思い出せないので

■ 2026-08-13
■ 家庭内のカルタ取りの話だった、と思うが、
その札は取っちゃだめだといったでしょ、・・・
あの子が自分で取りたい歌なんだから、と
■ それはどの歌だったのか、思い出せない。
■ そこで、コンピュータに訊いてみたが、特定できなかった。
  • ゆくえもしらぬ こいのみちかな
■ とりあえず、これにしておこう。

「and」ではない「や」の話


■ 2026-08-13
■ 分類用語としての、切れ字、について詳しくは、書かない。
■ 実用上あまり意味がない。言葉は頭で理解するものでもない。
■ 「や」は俳句では、よく使われる。検索すれば沢山あることが分かるだろう。

ふるいけ・や  古池や 蛙飛び込む 水の音
あらうみ・や  荒海や 佐渡に横とう 天の川
しずけさ・や  閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
なのはな・や  菜の花や 月は東に 日は西に
 
■ ごくおおざっぱに言うと「や」がなくても意味は変わらない。
■ この場合、4字+「や」となっている。
■ そして、俳句の5・7・5の、5文字にするための「1字」として何があるか、ということだと考えてもいい。例えば、

ふるいけ・に
ふるいけ・か

■ 疑問文にすることも、一応、なりたつ。
■ カエルが飛び込んだ水の音で、池の存在を意識した。
■ そのときの感覚をどのように伝えるかの問題だ。

あらうみ・だ
あらうみ・の

■ ・・・

しずけさ・に
しずけさ・よ

■ 「菜の花」の場合、「月」「日」との距離感がある。
■ 菜の花畑を、夕暮れ時に見た、「場」と「時」の状況なので、他の言葉は難しいかもしれない。「菜の花・や」とすることで、広さを感じさせている。一面の黄色が、夕暮れ時に変化してゆき、あるいは、帰宅を急ぐ気持ちを起こさせる。
■ ついでながら、
  1. 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声  芭蕉
  2. 山寺や 岩にしみ入る 蝉の声  遊水
■ 「しずけさや」の句はあまり好きではない。言いすぎだ。
■ 「山寺」も静かな環境にあることだろう。
■ さて、・・・

これやこの 来るも帰るも 日本語を 知るも知らぬも ハチ公の前

■ 以前もこの英訳は難しいな、と思たことを忘れていた。
「これ・や・この」「ハチ公の前」
■ 「これやこの」は訳さなくてもよい、とするか。
■ これが(いま話題にしている)「ハチ公」ですよ、という感じ。
■ どの言語も翻訳できるとは限らない。感覚的にしかとらえられないことはある。
■ 使い慣れるしかないこともある。
■ 例えば、「いいよ」の意味で「why not ?」などというのは初めは変だなと思った。

2026年8月12日水曜日

百人首 自分が作る 参考に するのもいいさ 楽しみながら

■ 2026-08-12
■ 白州正子・私の百人一首・新潮選書・平成11年7月10日、13刷にこんなことを書いている。
百人一首を書いてみて知ったのは、一つ一つの歌を切りはなして味わうわけには行かないということだった。和歌の季節やつながり方に、綿密な注意が行き届いているのはいうまでもないが、それぞれの人間関係と、その人々の逸話や歴史にも、深く心を用いており、一篇の物語を読むような心地がした。・・・
■ 多少ほめすぎのようだが、「一篇の物語」として読むことができれば、定家の心が分かったということだろう。
■ 一首だけでなく、関連の歌、自分の好きな歌など追加して、定家の歌から、自分の選集に拡張して楽しむのもいい。元々、定家の歌以外は他人の歌だから、「定家の歌」以外は他の歌にして、いわゆる本歌取り的選集だと考えればいい。
  1. みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそおもへ
  2. みかきもり 衛士のたく火の ひるはたえ よるはもえつつ 物をこそ思へ
■ 2」があるのに、1」を、本歌取り、としてヨシとするならば同様にヨシということだ。

春過ぎて 夏は来にけり 白妙の 衣干したり 雨之香来山
夏過ぎて 秋になりけり 枯葉散る 秋の心は 愁いなるらん  遊水
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ

■ このように自分の歌も追加すると、結構おもしろくなる。
■ 自分に引き寄せ、自分が歌を作るときの、一つの参考資料として、百人一首をとらえてもいい。
■ 例えば、
  1. これやこの ゆくもかえるも わかれては しるもしらぬも おうさかのせき
  2. これやこの 来るも帰るも 日本語を 知るも知らぬも ハチ公の前
■ 「ハチ公」は今や世界的に知られているのだから、英訳などして説明し、更に百人一首にはこんな歌もあるのだよ、と日本の和歌を教えてやるのもいいだろう。
■ とにかく、楽しめればいいのだ。
■ ひらがなは、読める人も増えているので、とにかく、口に出して暗記してもらうのがいい。何度も何度もくちづさんでいるうちに、いくつかは意味も分かってくるというものだ。
■ 以前、英訳させてみた。もう一度やってみると、多少違う、・・・どれがいいのか。
■ ただ、「や」は強めの助詞なので「and」の意味ではない。
■ 「This and that」は適当ではない。

Whether you come or go, 
whether you know Japanese or not,
 in front of Hachiko

This and that,  
coming or going,  
knowing Japanese or not,  
in front of Hachiko

This or that,  
coming or going,  
whether you know Japanese or not,  
right in front of Hachiko

Here they come,
and here they go—
those who know Japanese
and those who do not—
all meeting before Hachiko.