2026年8月17日月曜日

帰りましょ 恋人たちの その後は 鞦韆院落夜沈沈  遊水

■ 2026-08-17
■ 今日は月曜日。日本経済新聞の土曜日は、詩歌の日だ。こんな歌があった。
  • 腕を組み恋人たちが行きすぎる春宵一刻値千金   松山 園部淳
■ なるほど、うまいものだ。
■ 「漢詩に遊ぶ2」の最後の方に次のように書いた。

元の詩が有名であると、なかなか頭から離れず訳しにくい。例えば、
    春宵一刻直千金 花有清香月有陰
これをどのように表現するか、ずいぶん迷った。「直千金」がどうにも難しいのである。結局、
    はるのさかりの つきあかり
    かおりのはなを てらしいて
としてみた。

■ 漢詩を俳句や、短歌に組み込むのは面白い。またやってみたくなった。

春宵一刻直千金 花有清香月有陰
歌管樓臺聲細細 鞦韆院落夜沈沈  春夜  蘇軾
うたげはて ぶらんこよるに しずむかな
帰りましょ 恋人たちの その後は 鞦韆院落夜沈沈  遊水


2026年8月16日日曜日

はちがつの むいかここのか じゅうごにち 歴史にのこる にほんの俳句  遊水



■ 2026-08-16
■ 昨日、初めて知ったが、すごい俳句だ。
  • 8月の6日9日15日
■ この句は、見るだけでは、ただの日付かと見られるかもしれない。
■ 声に出して読むことが重要だ。
■ なので、かな書きにした。

はちがつの むいかここのか じゅうごにち 
  歴史にのこる にほんの俳句
こえにだし よんでください なんどでも

■ 連句的に書いた。
■ このように、俳句を元に短歌にした。
■ 本歌取りということだが、この短歌は私が初めてのようだ。

2026年8月15日土曜日

この夏は 雨乞どころか、めちゃやばい いのりたくなる こころがわかる

■ 2026-08-15
■ はや夏も過ぎようとしている。
■ はや夏も すぎさり行けば 百人首 ときどき止まり 振り返りみる

民人が 衣洗いて 干したるか 木の間に 白く夏は来にけり  遊水
 
春過而
夏来良
 衣乾有 
天之香来山
 
雨乞の 雨之香来山 洗い干す 白いころもに はつなつのかぜ   遊水

■ この夏は 雨乞どころか、めちゃやばい 

2026年8月14日金曜日

かささき



和歌語句検索 かささき

■ 2026-08-14
かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける  大伴家持
■ この歌は「家持集」にある歌のようだ。


■ 「かささき」で検索すると「295」件ある。
■ これらの歌を幾つかみた。
■ 鵲の写真は以前、浜の宮で撮った。2度行ったことがある。

--------------------------------------------------------
‎‎‎2011‎年‎1‎月‎25‎日、‏‎11:09:16  加古川市・浜の宮

2017-04-23  加古川市・浜の宮

■ 百人一首の歌

かささぎの わたせる橋に おくしもの しろきをみれば 夜ぞふけにける  大友家持

■ 万葉集にはない歌だが、定家はなぜこの歌にしたのか、と思う。


菜の花や月は東に日は西に、と、柿本人麻呂の歌

■ 2026-08-13
■ 昨日、「and」ではない「や」の話、で芭蕉の句と蕪村の句を上げた。
■ 特に選んだわけではないが、たまたま、先日、古本で買った、渡辺昇一・万葉集のここら日本語のこころ・WAC、を読んでいたら、この本は、渡辺昇一・日本語のこころ・講談社現代新書と内容が重なるようだが、蓮月尼と幸田露伴のことばを引用し、芭蕉は偉大だとし、蕪村を貶している。これにはもの申したいところだ。視野の広さとか世界観から見れば、蕪村も捨てたものではない。芭蕉は「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」こんな句があり、関心するが、人の心がよく分かったゆえの、驕り、あざとさ、品性というか、心の卑しさがある。その最たるものは、これだ。
  • 行く春や鳥啼き魚の目は泪  芭蕉
■ 次の二つは同様の景だ。蕪村が人麻呂の歌を意識していたかどうかは、知らない。どちらも挽歌のようでもあるが、蕪村は、ただそんな状況に出会っただけなのかもしれないけれど、読んで気持ちがいい。芭蕉の、これでどうだ、という押しつけがましさはない。
  1. 菜の花や 月は東に 日は西に  蕪村
  2. 東の 野にかぎろひの 立つ見へて かへり見すれば 月かたぶきぬ  柿本人麻呂
■ 柿本人麻呂の「あしびきの やまどりの ~」以外に、よさそうな歌があるか、をあったってみればいい。