橋本遊水・ことのは
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2026年8月22日土曜日
竜童の 欲望の街と 後鳥羽院 関係性は どこにあるのか
2026年8月21日金曜日
夜中に 起きて水飲む 暑さかな
- 真夜中に 起きて水飲む 暑さかな
- 3度目の シャワーを今日は 浴びにけり
■ 起きて水こころゆくまで飲みにけり[三十一]こころゆくもの・・・ よる寝おきてのむ水。
2026年8月18日火曜日
家持の 歌を取り上げ 間接に おもいにふける 藤原定家、と、二つの橋
■ この「二つの橋」の件は、まだ終わってない。■ 疑問が解決されてない。■ いつから始まったかというと、・・・
- ■ 2011-09-21,12-20
- ボナ・セーラ、今晩は
- ■ 昔こんな頁、↑、を書いた。
■ このころからだ。
■ 橋本遊水・四季の空 山川静 鳥の声: 森サカエの検索結果 ← ここにリンクしていた。 ---------------------------------------------------------------------------------------------------- |
■ 2026-08-18
かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける 大伴家持
うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば 大伴家持
うららかな みそらにひばり なきのぼる そのうたかなし ひとりしおもえば 遊水
拾遺和歌集 巻十七:雑秋 歌番号 1089
天の河扇の風にきりはれてそらすみわたる鵲のはし 清原元輔
あまのかは−あふきのかせに−きりはれて−そらすみわたる−かささきのはし
かささきの-わたせるはしや-たなはたの-はねをならふる-ちきりなるらむ
かささきの 渡せる橋や 七夕の 羽根を並ぶる 契りなるらむ
Copilot に訊いても分からない「鵲」の話
■ Copilot に訊いても分からない。↓
- 第二十二回 閻婆大鬧鄆城縣 朱仝義釋宋公明
- 柴進扶起宋江來,口裏說道:「昨夜燈花報,今早喜鵲噪,不想卻是貴兄來。」滿臉堆下笑來。
結論から言うと、原典『水滸伝(百回本)』には「カササギ(鵲)」は登場しません。 ただし、梁山泊の結集を象徴する“橋”のイメージと、カササギが天の川に橋をかけるという中国古典の象徴体系が、後世の解釈や二次創作で結びつけられることがあります。
🐦 水滸伝原典に「カササギ」は出てこない理由
1. 鳥類としての「鵲(カササギ)」の記述がない
『水滸伝』は非常に多くの動物が登場しますが、
鵲(カササギ)
喜鵲(よろこびの鳥) といった語は本文に現れません。
検索ページにも「カササギ」に関する直接の情報はなく、 水滸伝の一般的な紹介記事が並んでいるだけです (例:Wikipedia の水滸伝紹介 )。
🪜 なぜ「カササギ」が話題になるのか(象徴的背景)
1. 中国古典でのカササギ=“橋をかける鳥”
七夕伝説で有名なように、 カササギは天の川に橋をかけて織女と牽牛を会わせる鳥。
2. 梁山泊=“集結の物語”
水滸伝は、
108人の好漢が梁山泊に集まる物語
それぞれが「橋」を渡るように結びついていく物語 と解釈されることがあり、 象徴的に「カササギの橋」に喩えられることがあります。
3. 後世の随筆・ブログ・解説での比喩
和夫さんが開いている別タブのブログ記事 「カササギ、拡大、二つの橋」 のように、 古典象徴(カササギの橋)と水滸伝の“結びつき”を重ねる解釈が散見されます。
📘 まとめ
原典『水滸伝』にはカササギは登場しない。
ただし、中国古典の象徴(カササギ=橋)と梁山泊の結集を重ねる後世の解釈が存在する。
そのため、検索すると「カササギ」と水滸伝が関連づけられたブログや随筆がヒットすることがある。
もし、 「カササギの象徴を使って水滸伝を読み解く」 という方向で深めたいなら、 和夫さんの得意な 象徴体系の比較(光と影・橋と渡り) とも相性が良いので、 その構造を整理してみることもできます。
次は、
「梁山泊の結集」と「カササギの橋」の象徴対応
中国文学における“橋”のモチーフ など、どちらを深めますか。
和夫さん、 その一文は まさに『水滸伝』で “喜鵲(カササギ)” が登場する唯一の象徴的な場面 です。 つまり——
「喜鵲(カササギ)」は “宋江が柴進の屋敷に到着した朝” に登場する。
🐦 どの章か(原典の位置)
この場面は 第10回(第十回) 「林冲棒打洪教頭 宋江夜走郓城」 の後半、 宋江が柴進の屋敷に逃げ込む場面 に出てきます。
柴進が宋江を見て言う有名な台詞がこれです:
「昨夜燈花報,今早喜鵲噪,不想卻是貴兄來。」 (昨夜は灯芯の花が吉兆を示し、今朝はカササギが鳴いた。まさかあなたが来るとは)
🪶 “喜鵲(カササギ)” の象徴的意味(中国古典)
中国文化では 喜鵲=吉兆・喜びの前触れ とされます。
喜鵲が鳴く → 良い客が来る
喜鵲が屋敷に現れる → 幸運の訪れ
七夕伝説では「橋をかける鳥」
柴進は宋江を「吉兆の客」として迎えたわけです。
📘 水滸伝の中での機能
この一文は、 宋江が“天命を受けた人物”であることを暗示する象徴表現 になっています。
灯花(燈花)=吉兆
喜鵲(カササギ)=吉兆
宋江の到来=梁山泊結集の始まり
つまり、 「宋江の登場は天意である」 という物語構造を、自然の兆しで示しているのです。
🔍 まとめ
カササギ(喜鵲)は『水滸伝』第10回に登場する。
柴進が宋江を迎える場面で、 「今朝は喜鵲が鳴いた」=吉兆の象徴 として使われる。
物語的には 宋江の“天命性”を示す伏線。
和夫さん、もしよければ この「吉兆の二重構造(灯花+喜鵲)」が宋江の人物像にどう作用するか あるいは 中国文学における“鳥の兆し”の象徴体系 など、さらに深める方向もご提案できます。
どちらを進めたいですか。
和夫さん、 第二十二回「閻婆大鬧鄆城縣 朱仝義釋宋公明」には “喜鵲(カササギ)” は登場しません。 カササギが出てくるのは 第十回 の柴進の屋敷の場面だけです。
ただ、第二十二回は 宋江の「天命性」を補強する兆しの章 なので、 第十回の「灯花+喜鵲」の吉兆と構造的に呼応しています。 その対応を整理しておきます。
📘 第二十二回の内容(要点)
◆ 閻婆(閻婆惜の母)が鄆城県で大騒ぎする
宋江が閻婆惜を殺したことで、母が役所に押しかけて大騒ぎする。
これが宋江の逃亡・転落の大きな転換点になる。
◆ 朱仝が宋江を義で救う
朱仝は宋江の義を知っており、密かに逃がす。
ここで宋江は再び「義によって救われる人物」として描かれる。
🪶 第十回の「喜鵲」との構造的つながり
◆ 第十回
灯花(吉兆)+喜鵲(吉兆)
柴進が宋江を「天意の客」として迎える。
◆ 第二十二回
宋江は殺人犯として追われるが、
朱仝の義によって救われる → “天命の人物は必ず助けられる”
これは第十回の吉兆の伏線が、物語的に回収される章。
つまり、 第十回の「喜鵲」は、第二十二回で“義による救済”として機能的に再現される。 鳥は出てこないが、象徴構造は生きている。
🔍 なぜ第二十二回にカササギが出ないのか
水滸伝の兆し(予兆)は
自然現象(灯花・鳥の鳴き声)
人の行動(義による救済) の二系統で描かれます。
第二十二回は後者の「人の義」による兆しが中心で、 自然兆しは使われません。
🧩 まとめ
カササギ(喜鵲)が出るのは第十回のみ。
第二十二回は「義による救済」で第十回の吉兆構造を補強する章。
鳥は出ないが、物語構造上は強く呼応している。
和夫さん、もしよければ 「水滸伝における予兆体系(自然兆し/義の兆し)」を整理した構造図 あるいは 宋江の“天命性”がどの章でどのように積み重ねられるかの一覧 も作れます。
どちらを深めますか。
2026年8月17日月曜日
帰りましょ 恋人たちの その後は 鞦韆院落夜沈沈 遊水
- 腕を組み恋人たちが行きすぎる春宵一刻値千金 松山 園部淳
元の詩が有名であると、なかなか頭から離れず訳しにくい。例えば、春宵一刻直千金 花有清香月有陰これをどのように表現するか、ずいぶん迷った。「直千金」がどうにも難しいのである。結局、はるのさかりの つきあかりかおりのはなを てらしいてとしてみた。
春宵一刻直千金 花有清香月有陰
歌管樓臺聲細細 鞦韆院落夜沈沈 春夜 蘇軾
うたげはて ぶらんこよるに しずむかな
帰りましょ 恋人たちの その後は 鞦韆院落夜沈沈 遊水

