2026年5月15日金曜日

百人一首で、一番馬鹿にされている歌、と、夏過ぎて 秋は来にけり 枯葉散る あきのこころは うれいなりけり  遊水

■ 今まで、何度か書いた。
■ 百人一首で一番馬鹿にされている歌は、「むべ山風を 嵐といふらむ」だ。
■ しかし、私は、そうは思わない。
■ むしろ、ほめてやりたい。
  1. 小野篁
  2. 文屋康秀
  3. 藤原公任
■ 3人、並べてみた。
■ 文屋康秀は、藤原公任を、知らなかったが、小野篁を知っていたのではないか。
■ 私は、和漢朗詠集で知ったけれど、文屋康秀は、野相公集で知ったのではないか。
  • 物色自堪傷客意 宜將愁字作秋心   和漢朗詠集 224
夏過ぎて 秋は来にけり 枯葉散る あきのこころは うれいなりけり  遊水
吹くからに 秋の草木の しほるれば むべ山風を 嵐といふらむ  文屋康秀

■ 発想は同じだ。
■ 文屋康秀は「むべ」「宜」を使っている。
■ 小野篁の漢詩を和歌にした人もいるので、知られていたと考えられる。
ことごとにかなしかりけりむべしこそ
秋の心をうれへといひけれ 藤原季通朝臣 千載和歌集
■ このような、言葉遊びとは別に、「嵐」と言う文字は、日本では「あらし」の意味として用いているが、宋之問の詩にあるように「煙嵐」は日本語的な嵐、荒々しい風ではない。
■ 靄のような状態だ。
■ 漢詩では翠嵐などと使い、緑の山の空気・雰囲気をいう。
■ 白川静の辞書で調べるとよい。
■ 要するに、文屋康秀が「嵐」と言う文字の意味を新しく定義した、ということだ、と考え、評価したい。


和歌と俳句 こんなサイトがあった。藤原定家 
千人万首 これを、よく参照している。

2026年5月12日火曜日

バルバドスからアクセスがあった


■  2026-05-12
■ バルバドスからアクセスがあった。

なぜかしら、を振り返る。



■ 2026-05-12
■ 「なぜかしら 2」こんな頁が閲覧されていたので、見てみた。
■ なるほど、で、次に、
■ この頁を見た。
■ ふうむ、・・・
■ リンクが切れているのが多い。
■ 再検索すればいいだろうが、めんどうだ。
■ 次に「なぜかしら 2」というコトは「1」もあるだろう。
■ 「なぜかしら」で更にブログ内検索した。
■ これだ。
■ この歌は、何度聞いても、変な感じがする。
■ なので、何度も書いた気がする。
■ Patti Pageが 歌う「Tennessee Waltz」はゆっくり歌っていたので意味が分かりやすかったからで、その後、歌詞に興味を持つことになった。
■ 追記





2026年5月4日月曜日

藤原定家の義理、と、人情

■ 2026-04-04
■ 定家は後鳥羽院に対して義理があった。
■ しかし、自分の歌集として「百人一首」の一番いい場所に、他人の作を置くほどであったとは考えにくい。百人一首は、いわば案の段階であったようにみえる。
■ 後鳥羽院は自分の歌集を作りたければ自分で作ればいいのだ。
■ 流人となった後でも新古今和歌に手を入れていたとか。
■ 定家は、後鳥羽院の縛りから離脱した「百人秀歌」で自分の歌選集とすることができた。
■ さらに、入道前太政大臣・藤原公経を番外に置くことで、もう一つの義理を果たせた。
■ それが人情というものだろう。