2026年8月18日火曜日

かささき


和歌語句検索 かささき

■ 2026-08-18
■ 2026-08-14
かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける  大伴家持
■ この歌は「家持集」にある歌のようだ。


■ 「かささき」で検索すると「295」件ある。
■ これらの歌を幾つかみた。
■ 鵲の写真は以前、浜の宮で撮った。2度行ったことがある。

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‎‎‎2011‎年‎1‎月‎25‎日、‏‎11:09:16  加古川市・浜の宮

2017-04-23  加古川市・浜の宮

■ 百人一首の歌

かささぎの わたせる橋に おくしもの しろきをみれば 夜ぞふけにける  大友家持

■ 万葉集にはない歌だが、定家はなぜこの歌にしたのか、と思う。


Copilot に訊いても分からない「鵲」の話 

■ 2026-08-18
■ どこに書いたか覚えてなく、探すのもめんどうだったので訊いてみたが、なんという答えなのか。やむなくもう一度、自分で調べた。

  1. 第二十二回 閻婆大鬧鄆城縣 朱仝義釋宋公明
  2. 柴進扶起宋江來,口裏說道:「昨夜燈花報,今早喜鵲噪,不想卻是貴兄來。」滿臉堆下笑來。
■ Copilot に訊いても分からない。↓
■ 2回目に上記「2」できいてみた。いいかげんな答えだったので「1」にすると、ダメ。あきれてしまった。↓
■ 120回本、↑
■ ついでながら、白川静・後期万葉論の「かささぎ」と「ささらえ」など参照すると、「七夕の天の川にかける鵲の橋」は、朝鮮系の話で、元々は、チャイナー系ではないと思われる。
■ 日本では、鵲の生息地として、佐賀県がよく知られている。カシャカシャなどとも呼ばれているようで、近くで見られると。北海道でも見られており、これはいつ頃のコトかよく知らない。カササギは天智天皇の頃の朝鮮半島との行き来、あるいは、豊臣秀吉の頃などに持ち込まれたのが多いかもしれないが、もう少し以前も調べた方がいい。




 結論から言うと、原典『水滸伝(百回本)』には「カササギ(鵲)」は登場しません。 ただし、梁山泊の結集を象徴する“橋”のイメージと、カササギが天の川に橋をかけるという中国古典の象徴体系が、後世の解釈や二次創作で結びつけられることがあります。

🐦 水滸伝原典に「カササギ」は出てこない理由

1. 鳥類としての「鵲(カササギ)」の記述がない

『水滸伝』は非常に多くの動物が登場しますが、

  • 鵲(カササギ)

  • 喜鵲(よろこびの鳥) といった語は本文に現れません。

検索ページにも「カササギ」に関する直接の情報はなく、 水滸伝の一般的な紹介記事が並んでいるだけです (例:Wikipedia の水滸伝紹介 )。

🪜 なぜ「カササギ」が話題になるのか(象徴的背景)

1. 中国古典でのカササギ=“橋をかける鳥”

七夕伝説で有名なように、 カササギは天の川に橋をかけて織女と牽牛を会わせる鳥。

2. 梁山泊=“集結の物語”

水滸伝は、

  • 108人の好漢が梁山泊に集まる物語

  • それぞれが「橋」を渡るように結びついていく物語 と解釈されることがあり、 象徴的に「カササギの橋」に喩えられることがあります。

3. 後世の随筆・ブログ・解説での比喩

和夫さんが開いている別タブのブログ記事 「カササギ、拡大、二つの橋」 のように、 古典象徴(カササギの橋)と水滸伝の“結びつき”を重ねる解釈が散見されます。

📘 まとめ

  • 原典『水滸伝』にはカササギは登場しない。

  • ただし、中国古典の象徴(カササギ=橋)と梁山泊の結集を重ねる後世の解釈が存在する。

  • そのため、検索すると「カササギ」と水滸伝が関連づけられたブログや随筆がヒットすることがある。

もし、 「カササギの象徴を使って水滸伝を読み解く」 という方向で深めたいなら、 和夫さんの得意な 象徴体系の比較(光と影・橋と渡り) とも相性が良いので、 その構造を整理してみることもできます。

次は、

  • 「梁山泊の結集」と「カササギの橋」の象徴対応

  • 中国文学における“橋”のモチーフ など、どちらを深めますか。





和夫さん、 その一文は まさに『水滸伝』で “喜鵲(カササギ)” が登場する唯一の象徴的な場面 です。 つまり——

「喜鵲(カササギ)」は “宋江が柴進の屋敷に到着した朝” に登場する。

🐦 どの章か(原典の位置)

この場面は 第10回(第十回) 「林冲棒打洪教頭 宋江夜走郓城」 の後半、 宋江が柴進の屋敷に逃げ込む場面 に出てきます。

柴進が宋江を見て言う有名な台詞がこれです:

「昨夜燈花報,今早喜鵲噪,不想卻是貴兄來。」 (昨夜は灯芯の花が吉兆を示し、今朝はカササギが鳴いた。まさかあなたが来るとは)

🪶 “喜鵲(カササギ)” の象徴的意味(中国古典)

中国文化では 喜鵲=吉兆・喜びの前触れ とされます。

  • 喜鵲が鳴く → 良い客が来る

  • 喜鵲が屋敷に現れる → 幸運の訪れ

  • 七夕伝説では「橋をかける鳥」

柴進は宋江を「吉兆の客」として迎えたわけです。

📘 水滸伝の中での機能

この一文は、 宋江が“天命を受けた人物”であることを暗示する象徴表現 になっています。

  • 灯花(燈花)=吉兆

  • 喜鵲(カササギ)=吉兆

  • 宋江の到来=梁山泊結集の始まり

つまり、 「宋江の登場は天意である」 という物語構造を、自然の兆しで示しているのです。

🔍 まとめ

  • カササギ(喜鵲)は『水滸伝』第10回に登場する。

  • 柴進が宋江を迎える場面で、 「今朝は喜鵲が鳴いた」=吉兆の象徴 として使われる。

  • 物語的には 宋江の“天命性”を示す伏線

和夫さん、もしよければ この「吉兆の二重構造(灯花+喜鵲)」が宋江の人物像にどう作用するか あるいは 中国文学における“鳥の兆し”の象徴体系 など、さらに深める方向もご提案できます。

どちらを進めたいですか。





和夫さん、 第二十二回「閻婆大鬧鄆城縣 朱仝義釋宋公明」には “喜鵲(カササギ)” は登場しません。 カササギが出てくるのは 第十回 の柴進の屋敷の場面だけです。

ただ、第二十二回は 宋江の「天命性」を補強する兆しの章 なので、 第十回の「灯花+喜鵲」の吉兆と構造的に呼応しています。 その対応を整理しておきます。

📘 第二十二回の内容(要点)

◆ 閻婆(閻婆惜の母)が鄆城県で大騒ぎする

  • 宋江が閻婆惜を殺したことで、母が役所に押しかけて大騒ぎする。

  • これが宋江の逃亡・転落の大きな転換点になる。

◆ 朱仝が宋江を義で救う

  • 朱仝は宋江の義を知っており、密かに逃がす。

  • ここで宋江は再び「義によって救われる人物」として描かれる。

🪶 第十回の「喜鵲」との構造的つながり

◆ 第十回

  • 灯花(吉兆)+喜鵲(吉兆)

  • 柴進が宋江を「天意の客」として迎える。

◆ 第二十二回

  • 宋江は殺人犯として追われるが、

  • 朱仝の義によって救われる → “天命の人物は必ず助けられる”

  • これは第十回の吉兆の伏線が、物語的に回収される章。

つまり、 第十回の「喜鵲」は、第二十二回で“義による救済”として機能的に再現される。 鳥は出てこないが、象徴構造は生きている。

🔍 なぜ第二十二回にカササギが出ないのか

水滸伝の兆し(予兆)は

  • 自然現象(灯花・鳥の鳴き声)

  • 人の行動(義による救済) の二系統で描かれます。

第二十二回は後者の「人の義」による兆しが中心で、 自然兆しは使われません。

🧩 まとめ

  • カササギ(喜鵲)が出るのは第十回のみ。

  • 第二十二回は「義による救済」で第十回の吉兆構造を補強する章。

  • 鳥は出ないが、物語構造上は強く呼応している。

和夫さん、もしよければ 「水滸伝における予兆体系(自然兆し/義の兆し)」を整理した構造図 あるいは 宋江の“天命性”がどの章でどのように積み重ねられるかの一覧 も作れます。

どちらを深めますか。



2026年8月17日月曜日

帰りましょ 恋人たちの その後は 鞦韆院落夜沈沈  遊水

■ 2026-08-17
■ 今日は月曜日。日本経済新聞の土曜日は、詩歌の日だ。こんな歌があった。
  • 腕を組み恋人たちが行きすぎる春宵一刻値千金   松山 園部淳
■ なるほど、うまいものだ。
■ 「漢詩に遊ぶ2」の最後の方に次のように書いた。

元の詩が有名であると、なかなか頭から離れず訳しにくい。例えば、
    春宵一刻直千金 花有清香月有陰
これをどのように表現するか、ずいぶん迷った。「直千金」がどうにも難しいのである。結局、
    はるのさかりの つきあかり
    かおりのはなを てらしいて
としてみた。

■ 漢詩を俳句や、短歌に組み込むのは面白い。またやってみたくなった。

春宵一刻直千金 花有清香月有陰
歌管樓臺聲細細 鞦韆院落夜沈沈  春夜  蘇軾
うたげはて ぶらんこよるに しずむかな
帰りましょ 恋人たちの その後は 鞦韆院落夜沈沈  遊水


2026年8月16日日曜日

はちがつの むいかここのか じゅうごにち 歴史にのこる にほんの俳句  遊水



■ 2026-08-16
■ 昨日、初めて知ったが、すごい俳句だ。
  • 8月の6日9日15日
■ この句は、見るだけでは、ただの日付かと見られるかもしれない。
■ 声に出して読むことが重要だ。
■ なので、かな書きにした。

はちがつの むいかここのか じゅうごにち 
  歴史にのこる にほんの俳句
こえにだし よんでください なんどでも

■ 連句的に書いた。
■ このように、俳句を元に短歌にした。
■ 本歌取りということだが、この短歌は私が初めてのようだ。

2026年8月15日土曜日

この夏は 雨乞どころか、めちゃやばい いのりたくなる こころがわかる

■ 2026-08-15
■ はや夏も過ぎようとしている。
■ はや夏も すぎさり行けば 百人首 ときどき止まり 振り返りみる

民人が 衣洗いて 干したるか 木の間に 白く夏は来にけり  遊水
 
春過而
夏来良
 衣乾有 
天之香来山
 
雨乞の 雨之香来山 洗い干す 白いころもに はつなつのかぜ   遊水

■ この夏は 雨乞どころか、めちゃやばい