2026年10月18日日曜日

ここいらで まとめてみよう すこしづつ おもいだしつつ かきつけてゆく

■ 2026-10-30
■ 2026-10-07
■ はや、10月も何日か過ぎた。
■ ここいらで多少振り返ってみよう。
■ 鳥見に出ると、当サイトがおろそかになるので、・・・




筒井康隆・時をかける少女」を読んで
はなのかに からだがふわり かるくなる ゆめをうつつに ときをうつりて

ふるさとを とおくはなれて ひとりすむ きみもみてるか いまこのつきを

大伴家持の心を思いて
しものよに ふりさけみれば あまのかわ いつまたあえる カササギのはし

のみすぎた あるきましょうか そこいらを 春宵一刻値千金
かえりましょ こいびとたちの そのあとは 鞦韆院落夜沈沈

これやこの カルタあそびの ひゃくにんしゅ しるもしらぬも きそいあうせき
これやこの くるもかえるも つどいては しるもしらぬも いざかやのせき
これやこの くるもかえるも 日本語を しるもしらぬも ハチ公のまえ

はるかなる いこくのちまで とびゆくは さえたねざめの おもいなるかな

色自堪傷客意 宜將愁字作秋心  和漢朗詠集 224
なつすぎて あきはきにけり かれはちる あきのこころは うれいなるかな
「春過而 夏来良」も参考にして

そっとてを ひらいてみせる ほたるかな
ほらねとしょうじょ ほほえみながら

俺が手を 開いたと説く 人ばかり
下の句付けて 短歌になせり
短歌詠む そんなところに よさがあるから
俳句は俳句で よさもあるけど

書き留めて 文字にならねば わが歌も 蛍と消える 夏の夜の夢
ながれとぶ ほたるほとりと うつおんな

銀燭秋光冷畫屏
輕羅小扇撲流螢
天階夜色涼如水
臥看牽牛織女星

流螢は 大和言葉に あらねども 山口誓子の 句碑に刻まれ

「有朋自遠方來、不亦樂乎」風に「輕羅小扇撲流螢」の舞
動画あり インターネットで 飛び来たる 支那の踊りも 楽しからずや

式子内親王の「かへりこぬ」の歌「昔を今に」と思いつつ
おあいては どなたでしたか あのときの つげのまくらに なぞかけられて
あのひとと ともにつかいし このまくら かおをうずめて おもいねるかな

山の上 叫べ萩原 朔太郎 俺は今でも お前が好きだ

たみびとが ころもあらいて ほしたるか このまにしろく なつはきにけり

春過而 夏来良
衣乾有 
天之香来山

あまごいの 雨之香来山 あらいほす しろいころもに はつなつのかぜ
古事記・倭建命の歌に「阿米能迦具夜麻」とある。

三五夜中新月色
さんごとは さんごじゅうごの おつきさん くくのけいさん じゅうごやのつき

ひさしぶり うららのはるに なぜいそぐ
友則君も なげいておった

よのなかに クレオパトラの なかりせば おとこのこころ のどけからまし
よのなかに たえていくさの なかりせば ひとのこころは のどけからまし
はちがつの むいかここのか じゅうごにち へいわをいのる ことばなるかな

せいそうと あいぞうのはて ながされて なすすべもなき うみのあおさよ

鎌倉と戦し破れ流刑地の隠岐の島なる天の高さよ
ひともをし ひともうらめし 後鳥羽院 なほあまりある むかしなりけり

あのころの あいとねたみと うらぎりの
よををおもうゆえ ものおもうみは

古今集 鴛鴦の歌は 幾つある 数えてみるか 暇に任せて
いとをしい あいをすてさり いとしいと おしどりみつつ こころさびしも

句題和歌 春翁酒易悲
おいたれば めぐるはるこそ かなしけれ さけをのみつつ みるさくらかな 

年年歳歳鳥相似
歳歳年年人不同
めぐりくる きせつはいまも かわらねど みちゆくひとに しるかおもなく

かえりみて こころゆくまで ちるはなと あいみることの いくどありしか
やわらかな しらべがそこに あればいい さみしいこころ うれしいこころ

おやゆきか あしをとどめて くちづさむ はるはなのみの かぜのさむさよ
はるがすみ ひはおちそらに おぼろづき なのはなばたけ なつかしきかな
はるがすみ はれぬこころに おぼろづき  いつしかまぶた おもくなるまま

春の空 ひばりなくこえ ねころんで
夏の空 わきたつくもを ながめたり
秋の空 ひつじのかずは かずしれず
冬の空 ひなたはいいな ほっこりと

百人首 美空ひばり を思いつつ 家持の歌 万葉の歌
うららかな みそらにひばり なきのぼる そのうたかなし ひとりしおもえば

うらうらと ひかりのどけき はるのひに こころしずかに はなをめでたり
うららかな こころまちした はるなのに きもちもしらず はなはちりゆく
ひさしぶり うららのはるに なぜいそぐ ねころびさけを のもうじゃないか

あきのひや スマホにあきて てがきもじ
与謝野晶子の うたかきうつす

いたましき じこやじけんは あとたたぬ なれどはなさく わすれなぐさは
原爆忌 そのひばかりは めぐりきて いきてかえらぬ ひとぞかなしき
わすれろと いえないけれど よのなかの わすれることの やさしさおもう
ゆるやかに こころのこおり とけてゆく グラスのなかの こおりのように

晴耕雨読ならぬ晴野雨読
雨の日は 書斎で本を 友として 晴れれば鳥見 散歩なるかな

いつかまた であいはあるさ とりたちと そんなたのしい ひびをおもいて
なつのよは オンザロックの テーブルに おかれてカラリ おとたてるころ

こいびとの しゃしんのように キビタキを きょうまたうつし みたされている
ふゆがれの うじのかわはらを ふみゆけば けたたましくも キジのとびたつ

アカシアの 蜜に飛び来る 虫がいる その虫を喰う 三光鳥は

つきとひと ★となくとり わたりくる 
うまれしたしむ きせつとなりて

カワセミも ときにはとまるか はなはちす

かぜかおる にわのうえきに しげみあり いつもとびくる なかよしメジロ
ひがんばな さけばノビタキ わたりくる かわのきしべを カメラかたてに

こうえんに オオルリ & コルリ ルリビタキ あえてうれしい るりいろののとり

源氏物語・玉鬘・本名瑠璃
るりという そのなはしたし ものがたり なづけおやなる むらさきしきぶ

羊羹が もっとも好きだと 漱石が 食いたる品は 小城羊羹か

かけてゆく きみのむこうに なつのうみ
九十九里浜 懐かしきかな

ゆめにみた きみのよこがお わかかった しろいすなはま あのとおいなつ

かなしくて ポトリとみずに すいちゅうか 
オマエはなみだ ながせないけど

奥の細道
とりはなき なみだのわかれ でしのなに まつおばしょうの あざとさをみる
杉風・鯉屋市兵衛と鳥金右衛門が旅費を工面した。
あいさつく おもいつたぞ あいつらに かりはかえした おくのほそみち
 
朝起きて 夕暮れまでの 8時間
どこにいたのか 良暹法師
みやこまで さんりのみちの ゆきかえり いづこもおなじ あきのゆうぐれ
にぎわいの うめだのまちに ふらりでて つかれてかえる あきのゆうぐれ
さびしさは だれでもおなじ あきのくれれ しるひともなき ざっとうのなか

かんらんしゃま わりつづける おもいでは
みなみせんりの カリヨンのおと
ナイアガラ しぶきとにじと モンローを おもいださせる カリヨンのおと
映画 Niagara「これ いかにも、こわいですねえ」

ハネムーン? きかれてはいと かぜかおる

20TH ANNIVERSARY OF SENRI、千里20周年記念 1982-10-31
PETIT&FRITSEN,AARLE-RIXTEL,HOLLAND  10774
ていこくに かねはなるなり こうえんの オランダうまれの かねのひびきよ

One-Eyed Jacks、マーロンブランド主演
トランプに かためのジャック ふたつある するどいけんと ほんとうのあい

引退後 養蜂家として シャーロックホームズ 住むところ
そこは一面 菜の花畑か
ロンドンの けんそうはなれ サセックス どうだいホームズ はちはげんきか

にほんとは にほんじんとは むいしきに みそひともじを くちずさみきく
めちゃやばい おれのきもちが ここにある 千早古世の ことのはのなか

百人一首 40番 平兼盛
ひとのいう おまえあのこが すきなのか なんでわかるん いうてへんのに

莫使空対月 満懐都是春
おぼろづき ひとりぽっちは いやですよ せいかのつぼの うたのこころを

美智子・歌集「ゆふすげ」に習いて
おさなごが ゆきとゆびさす まどのそと まことゆきかに さくらちりゆく




いにしえの こしきゆかしき ぎしきあり はさみのおとの みみにのこりて

いもうとが ははのしゃしんを ゆびさして こんなところに わたしがいると
ははゆきて いまはかえらぬ ひびなれば かなしみいろの あきかぜぞふく

たんじょうび このひばかりは めぐりくる ははとわたしの きずななるべく
わかきひの ははのしゃしんの アルバムを ひらきみるての しばしとまりて

ふっくらと これはおいしい たきかげん しんまいですよと つまのこえする

へいぼんに すぎさるひびの はやいこと きょうもきのうと かわることなく

あたらしい ペイジつくれば あきのよる きのうのあさは どこかとおくに

兄の戒名・慈雲明彩
そのときが いつかくるとは しりながら きのうきょうとは おもわざりけり 

うふふふふ あまなっとうは じょがくせい ごうかくつうち 恋ののきせつよ

ひびはすぎ きせつはめぐる ひとのよよ なんにしようか きょうのゆうげは
人生は 読み書き ソロバン 衣食住

嵐という文字は、元々は、靄のような状態で、
漢詩では、翠嵐などと使い、緑の山の空気の・雰囲気をいう。

ことのはの いみをたしかめ ひらきみる 白川静 あらしのもじを

山と風と 文屋康秀
やまとかぜ やまとことばの やまおろし あらしのもじに いみをふきこむ

有馬山
かれにしは おぼつかなくも ゆれうごく ありまやまふく かぜもつめたく

なつあつし あきふくかぜの なきごとく 和泉式部の こいのひびかな
よのなかは うつりにけりな いたづらに われかんせずと ながめせしまに
花の色は と詠むけれど 
桜なら 
散ってしまうよ 色は変わらず

世を倦み渡る 我ぞ悲しき 小野小町
しるべなき うみにわがふね かじをなみ しおのながれに みをまかせつつ
ふるあめに いろうつりゆく あじさいを めでつつかなし ひとのこころは

ローマ字で 「あい」という文字 みるけれど そんなところに 愛はあるのか

やまとびと こころをこめる ことのはに こころはいらぬ かのくにのひと
愛を意味する簡体字
「心」なき もじをさだめて つかわせる そんなところに 愛はあるのか
簡化字 & 姓名判断
かたよくで どこまでとんで ゆけるのか なふだのもじの あやうかりけり

寂しくなったなら二人でお酒飲みましょう
けんかして わかれるなんて いやだから あいはいらない おさけがほしい

古代韓国語は、日本から渡っていった。
海原 una-bara // 海umi 바다 bada
 bada → wada
和田の原 wada-no-hara
わだつみ わだつうみ wada-tu-umi
海原、草原。原は広い場所をさす。

源俊頼
いのれども かぜのはげしき はつせやま かんのんさまの こころとどかず
うかはげの うたとはなにか わからずに ただとりあそぶ うたのかるたを

はなさそう ひえいおろしに さくらばな こぎゆくふねの あとみゆるまで
そのうえを あるいてみたく なるほどに みなもにうかぶ さくらなるかな

カーテンを ゆっくりあけて たしかめる あさがおきょうは いくつさいてる

贈別  杜牧
多情却似総無情  おもいあふれて ことばなく
唯覚罇前笑不成  わかれのさけを のむだけだ
蠟燭有心還惜別  ひとにかわって ローソクが
替人垂涙到天明  なみだをたれて よがあけた

妻に代りて詠む
たのしみは えをかきあげて がくぶちを いつものみせに かいにゆくとき

6ごうに つづく7ごう たいふうの よそうしんろの おそろしきかな

こいおもう こいしさならば そのこひは 孤悲のこころと おもいいたりて

七夕、7×7 = 49
始終苦の おもいも笹に さらさらと 風に流せよ 孤悲の短冊
いにしえの うたよみおれば そのままに おもいのたけを はずかしがらず

思ひ・おもひ・面悲
能面の おもひ 悲しき 薪能

ピンキーとキラーズ「恋の季節」
コーヒーを ともにのもうよ あくるあさ むなしくあけて ひとりのみけり
つたわらぬ ことばもあるか わかきこに えがおをみせる そのかおみれば
コーヒーを あさにのもうと いうことは ふたりでよるを たのしみたいと

うつむいた 君の面影 エゴの花

たいふうで ドングリおちた おかのうえ カケスがくうと ひろうひとあり

養蜂家・シャーロック・ホームズはどこに
すいりとは どういうことか ひととえば サセックスには なのはなばたけ
honey >> rape blossoms of Sussex 

イギリスに いちどもいった ことはない しろいぜっぺき ななにんしまい

いまなんじ なんじですかと ていねいに きかれるがわに おもいをよせて

Patti Page はレズですか
him と her ただおきかえて うたううた それでいいのか Tennessee Waltz
にほんでは おんなもうたう おとこうた ちあきなおみの さびたナイフよ
すなやまの すなにうもれた ピストルが こいにやぶれた たくぼくのてに

Love Letters in the Sand
「s」ひとつ あるかないかで おおちがい パット・ブーンの かしをみるかな
なみがきて すぐにきえさる こいのもじ おもいだしつつ こいぶみをかく

映画・野のユリ
アーメンを エイメンという くにがらが すきになれない ききたくはない

いちばん好きな映画は何ですか
The Professionals
なんだろう クラウディアと リーマービン プロフェッショナルも ひとつだけれど

The Last Sunset / Pretty Little Girl In The Yellow Dress
このうたは いいないいと おもうけど
ほんとうは そのこだれのこ かわいいこ ウソだとさけぶ カーク・ダグラス

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詞書・詠題

歌には、詠まれた背景がある。
歌を共有するとすれば、なぜ詠まれたのかが分かる方がよいだろう。
勅撰和歌集では詞書も多い。

以前は歌そのものを読めばいい、と思っていた。
題詠は不得意だった。人の歌を読むとき、
何を詠んでいるのか、どこに興味や関心があるのか、
何を言いたいのか、分からないのも多い。
振り返り、自分の歌も客観視すればそうゆうことだろう。
なるべく、詞書など書くようにしよう。

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おおすぎる ことばは いつか きえるだけ こころにのこる うたはあるのか

清紫とは ひとのなまえと だれがしる 清少納言 紫式部
へいあんの うたにせいしの きちのはな まことのすがた まくらのそうし

なげけとて ときはながれて ゆくならば このひだまりに ふゆのひとひを
ひとはみな おいゆくものぞ それゆえに しばしとそどめて 鰐淵晴子

さんぽする おちたぎんなん すくないぞ なみきのえだを おとしたからか

いこくでは こおりのとりと よぶそうな ゆきふるえだに そにどりがいる

ちょんちょんと すずめきてなく ベランダに えさまきあそぶ はるはきにけり

枕草子に見る
かくことの そのたのしさ むずかしさ ひめのきょういく てならいせよと

ひさしぶり なんねんぶりと いいかわす ろうじんたちの かいわあかるく
あかるいひ これをあしたと よむことを とくにいしきは してないけれど

「L」をlove そんないみには つかわない 「ほ」のじとかくよ にほんごならば

ジョウビタキ 翼に白い 班あれば 
紋付鳥と 人は言うなり
こうえんに もんつきどりが やってきた もうすぐふゆの きせつですよと

にじゅうにの わかれはいつか わからない とおくはなれた いまはなきひと

きょうのてんきも わるくはないぞ ふらりカメラを もって でる

袁枚
莫説光陰去不還 ときはながれて ゆくけれど
少年情景在詩篇 むかしつくった うたがある
燈痕酒影春宵夢 そうだあのとき こんなこと
一度謳吟一宛然 よめばまぶたに よみがえる

まつことに すこしはなれて ふゆのとり

びっしりと ズボンりょうあし くさのたね

このはちる きそうことなど なかろうに

もうくれか ところでわしは なにをした

ことりたち みずのみにくる こうえんの そらしずまれば ハイタカがまう

ビール ビール ビールがうまい あおいそら

はるとあき あきはコルリも おさなくて

あきばれや なにもいないと いうけれど

OSを インストールして ふゆのあめ

はいくとは うたとはなにか おもわずに こころのままに よばいいのだ
とるしゃしん イメージせずに あるがまま とりのすがたを うつしとるべし

よやくした おせちりょうりを とりにゆく ついでにあれも かってきてねと

じんちょうげ へやにただよう かおりこく はるのよふけに ただふたりいて

こんなにも ちかくにいたか ホトトギス なけどすがたの みられぬままに

いけのべの ヘラオオバコの かぜにゆれ はるのひざしに カワセミをまつ

しゅりゅうだん さくっときれば キウイかな

すじぐもや にしはおおさか ひがしきょう あすはゆこうか もみじのてらへ

どりゃわしも ブログなるもの つかおうか ゆびをつかいて のうにしげきを

ひのもとに さくらのはなの あるかぎり ひとはわすれぬ やまとごころを

ひとざとを はなれてくらす そのひとに あうときいつも らんのはなかと
蘭のはな 欄と変換 されていた これはいかんぞ 恥ずかしい

ドングリを なげてオシドリ ふゆのいけ

しずけさや ちゃがまのおとと ゆきげしき

あきのひの テイクファイブを きくよかな

ほらごらん なつになったと いうことよ せんたくものが みえるじゃないの

年末に 用いるが良し 去年今年
ゆずのうく ゆぶねにしずみ こぞことし しだいにきおく うすれゆけども

田兒之浦從 打出而見者 眞白衣
不盡能高嶺尓 雪波零家留
みぎわまで こまうちかけて みかえれば ふじはましろに たちにけるかな

眞白衣に注目して
みぎわまで こまうちかけて みかえれば 
ふじはましろき ころもまといて

ふみゆきて ゆけばかえらぬ そのみちを かえりみすれば ゆきにうもれて
すぎゆけば いまもむかしに なりぬらん むかしなやめる こともなつかし

すぎゆけば いまもむかしに なりぬらん 
いまはなつかし なやめることも

いきいそぐ ことなくわれは よにいきて うつらうつらと くまぜみのこえ

ひとしれず たえねばならぬ ものならば たえてしまえと おもいつるかな
わかれると こころをきめた ことなれど こころしずかに なれぬひびかな

それはむり むりとわかれば いさぎよく わかれるほかに とるみちはなく

さびしさや ときはかなたに すぎてゆく ただセミがなく とおいひのなつ

わたのはら やそしまかけて こぎいでた 個性的なる 小野篁
うなばらや おきのしまへと こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね
おきのしま ゆけというなら いってやる うなばらひろく てんなおたかき
みれんたち みやこをはなれ おきのしま うおつることも たのしからずや
みれんたち みやこをはなれ おきのしま いけばいったで なにかがあるさ

夏草や兵どもが夢の跡 ドモとはなにか みさげたような

かにかくに むかしのうたを こいおもう ときのながれの きしべにたちて

まつやまの はいくをつくる おばさんの かみのほつれに あきのかぜふく

温泉で 泳いでやろう ほととぎす
ゆのなかで およぐべからず ホトトギス なんじゃいいよの いなかものども

シャリシャリと おともたのしや かきこおり
あさがおや どこをめざして つるのばす

ふるさとを とおくはなれて とうきょうで 
こいになやんだ こともあるかな
ふるさとを とおくはなれて あきにひに まつりだいこの おとよみがえる

しものくを つけてみようか ひまなとき なにかにきづく ことがあるかも

観覧車 回り続ける 思い出は
ひとそれぞれの こころのなかに

すきずきは それぞれならば ひとにより ちがいもあるは いちおしのうた

さてきょうも いつものように そこいらを カメラかばんに さんぽしようか
みあげれば まさおのそらに ジェット機が しろくすじひき とびさりてゆく

天智天皇の歌思いつつ
かりごやで ひとよあければ あさつゆに てうえてがりの いねのかぞする

カンビール みんなこんなに のんだのか はやりやまいの ゴミしゅうしゅうび

しんでやる あついおもいの こいだとて それをあいては しっているのか
あいよくに はてはあるのか われもこう

いにしえの かずあるうたを てほんとし われつくりたる うたもありける

なつすぎて あききたるらし はくしゅうの かぜのさやけし ふうりんのおと

学生運動を横目に
なつやすみ おわればつぎは あきになる ゲバ棒などは どこふくかぜか
だいがくを そつぎょうしたら しゃかいじん がくせいゆえに できることだと
あのひから 50よねんの ときすぎて なにがどんなに へんかしたのか
あのころも われはひとりで いまもなお ひとりでおもう あれやこれやと

ふくかぜに あきのけはいは なけれども わたりのとりに きづかされぬる

みなのがわ こいぞつもりて ふちとなる みずがつもると ふちになるのか
せいじょうと おもえぬひとの よむうたは ことばのどこか ずれておるなり

わかれても すえにあわんと おもえども ゆめにむなしき ねがいなるかな
けんりょくを うばわれうばい かえそうと いくさのはてに おにとなるらん

うつりゆく ときのうしろを ものおもう ひとのすむよは どうりがあると

よのなかは いつものように かわりなく ひびのくらしを いとなむがよく
あいしても あいされるとは かぎらない どこかとおくに いってみようか

上の句を 付けて遊ぼう 歌カルタ
このうたを よみたるあとに くらぶれば むかしはものを おもわざりけり
ただきそう ひとにまけじと カルタとる むかしはものを おもわざりけり
あのうたを よみてはじめて わかること むかしはものを おもわざりけり
いくつかの うたのこころを よみしいま むかしはものを おもわざりけり

ものおもう ひとそれぞれの おもいあり はつこいのころ ばんねんのころ
よにいきて ひとそれぞれの おもいあり せいしゅんのころ ばんねんのころ

よにいきて ろくになやまず こいもせず むかしもいまも かわることなく

さよならの てがみがとどき うろこぐも ちぎってそらに なげてやりけり
ながつゆや いやなよかんの てがみかな こんなかたちの さよならなのか

やまとしま てんぺんちいを おそれても ひとのこころの まことわすれず

箕面市の 五字神社の 木の洞に 
里帰りして 子育てをする
まつるかみ おもいかねなる ちえのかみ ねがいごとして アオバズクとる
ほうまんな ちちもあらわに おどりだし めがみなにかと かおをだしたり
あのきかく おれがやったと かのかみは いうたかどうか いまはむかしぞ
いにしえの こじきのきさい おもしろく ねころんでよむ あおばのきせつ
天の岩戸の思金神
オモイカネの カミを祭る 小さな社

はなとさく われにあらねど さくはなの ふぶきとなりて われのみにふる
ゆきならで ふりゆくものと よむひとの よわいもとうに こえにけるかな

曹操の 齢もとうに 過ぎたれば 人と争う ことは虚しく

對酒當歌,人生幾何?譬如朝露,去日苦多。
慨當以慷,憂思難忘。何以解憂?唯有杜康。
・・・







2026年10月16日金曜日

カッター替刃のこと、秋の日やスマホに飽きて手書き文字

MIDORI WRITE MAN ステーショナリーセット - 検索 画像

■ 2026-10-16
■ このシャーペン芯が出てこない、などという。
■ 見ると、WRITE MAN というセットものにカッターがあり替刃もあった。
■ なるほど、これって、あれだな、今気づいたけれど。



うつくしい あなたはもみじ 竜田川 ながれのように あいしつづける

「千早古」については新古今和歌の時点で、単なる流行語として、解決したはずだった。

■ 2026-10-16
■ 百人一首 017 在原業平の歌は現在では難解とされているが、当時は業平が高子を愛していたことはよく知られていた。しかし、天皇の女となった人を愛しているとは公には言えない。そこで極端な表現となった。
■ 伝藤原満基筆「百人一首抄(応永抄)」には「是は心詞かけたる所なき」歌としている。即ち完璧な歌という評価だ。「こころ、と、ことば」が完璧ならば、つまらぬ解説は無用で、そまま声に出して読むしかないが、分かりやすい歌にしてみた。
  • うつくしい あなたはもみじ 竜田川 ながれのように あいしつづける
■ まあ、こんな感じだろう。何も「神代」を出すこともない。

2026年10月14日水曜日

千早古 清紫の言葉 読み返す 枕草子 生き生きとして


■ 2026-10-14
■ 百人一首 017 在原業平、の歌は、↑、こんな動画がある限り、そのままかもしれない。
■ ただ、100年、1000年経つと変わる可能性がある。それが言葉で、
■ 時が解決することはある。
■ 「千早古」については新古今和歌の時点で、単なる流行語として、解決したはずだった。
■ 新古今和歌には関連する歌は一首しかない。しかも「神」の枕詞?として使われてない。
■ 1886番、香椎宮の杉をよみ侍りける、の詞書がある歌だ。
■ 夏目漱石の俳句でも分かる。
  • 秋立つや千早古る世の杉ありて  漱石。香椎宮
■ 在原業平からみて千年の昔と、現在から見て千年の昔は、当然ながら違う。
  • 千早古 清紫の言葉 読み返す 枕草子 生き生きとして  遊水
  • ちはやふる せいしのことば よみかえす まくらのそうし いきいきとして