それでもたまに さびしくなったら
ふたりでおさけ のみましょうね
■ 梓みちよが歌っている。
■ 聞いていて、一首浮かんだ。- 喧嘩して 別れるなんて 嫌だから 愛は要らない お酒が欲しい 遊水
- 傷ついて 別れるなんて 嫌だから 愛は要らない お酒が欲しい 遊水
■ [ 2 ]でなく、[ 1 ]の方がいいような。
■ みなさんは、「さびしくなったら」どうするのか。
■ さて、・・・
■ 百人一首などの解説を見ていると、「そうかなあ」と思うことがある。
■ その一つがこれ、・・・
- さひしさにやとをたちいてゝなかむれは いつくもおなし秋のゆふくれ 良暹法師
■ どんな状況でさびしく感じるのか。
■ 秋の夕暮れがさびしいとも、まして、「秋の夕暮れ」だからさびしいとも限らない。
■ 寂しいときはさびしい。
そらたかく いろどりたのし あきのひび 遊水
うかれでて さびしくかえる さくらかな 遊水
さびしくて さくらふぶきの なかにたつ 遊水
■ 江戸時代に、尾﨑雅嘉は、次のように書いている。
歌の心は余りにも物淋しさに我が宿を出でてあちこちを眺め渡せば、ここもかしこもさして変わる事もなう、おなじやうに淋しき秋の夕暮れの景色ぞといふ事なり。
■ 島津忠夫は、・・・
あまりのさびしさに耐えかねて、庵を立ち出て、あちこち見わたすと、どこもかしこも同じで、心を晴れ晴れさせるものはない。なんとさびしいながめの秋の夕暮れの景色よ。
■ 島津は尾﨑の解説に「心を晴れ晴れさせるものはない」と追加しているが、ほとんど同じだ。
■ もう少し、他の人はどのようにとらえているかみてみよう。
■ もう少し、他の人はどのようにとらえているかみてみよう。
歌人草も木も枯れ枯れになる秋。寂しさに僧庵を出て四方のけしきを眺めてみると、あきの夕べはどこも同じで、すべてが枯れ衰え、身も心も細りゆくような思いである詩人あまりのさびしさに庵を出てぐるり あたりを眺めわたしたなにもない誰もいないどこもかしこもさびしさだらけ秋の夕暮れがただぼうぼうと ひろがっていた小説家何とはないさびしさがそぞろ 身を噛む秋の夕たまらなくなって家を出てあたりを見ればどこも同じひといろにものさびしい秋の夕暮れ
■ これらに共通するのは、・・・
・・・続く