2026年8月12日水曜日

百人首 自分が作る 参考に するのもいいさ 楽しみながら

■ 2026-08-12
■ 白州正子・私の百人一首・新潮選書・平成11年7月10日、13刷にこんなことを書いている。
百人一首を書いてみて知ったのは、一つ一つの歌を切りはなして味わうわけには行かないということだった。和歌の季節やつながり方に、綿密な注意が行き届いているのはいうまでもないが、それぞれの人間関係と、その人々の逸話や歴史にも、深く心を用いており、一篇の物語を読むような心地がした。・・・
■ 多少ほめすぎのようだが、「一篇の物語」として読むことができれば、定家の心が分かったということだろう。
■ 一首だけでなく、関連の歌、自分の好きな歌など追加して、定家の歌から、自分の選集に拡張して楽しむのもいい。元々、定家の歌以外は他人の歌だから、「定家の歌」以外は他の歌にして、いわゆる本歌取り的選集だと考えればいい。
  1. みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそおもへ
  2. みかきもり 衛士のたく火の ひるはたえ よるはもえつつ 物をこそ思へ
■ 2」があるのに、1」を、本歌取り、としてヨシとするならば同様にヨシということだ。

春過ぎて 夏は来にけり 白妙の 衣干したり 雨之香来山
夏過ぎて 秋になりけり 枯葉散る 秋の心は 愁いなるらん  遊水
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ

■ このように自分の歌も追加すると、結構おもしろくなる。
■ 自分に引き寄せ、自分が歌を作るときの、一つの参考資料として、百人一首をとらえてもいい。
■ 例えば、
  1. これやこの ゆくもかえるも わかれては しるもしらぬも おうさかのせき
  2. これやこの 来るも帰るも 日本語を 知るも知らぬも ハチ公の前
■ 「ハチ公」は今や世界的に知られているのだから、英訳などして説明し、更に百人一首にはこんな歌もあるのだよ、と日本の和歌を教えてやるのもいいだろう。
■ とにかく、楽しめればいいのだ。
■ ひらがなは、読める人も増えているので、とにかく、口に出して暗記してもらうのがいい。何度も何度もくちづさんでいるうちに、いくつかは意味も分かってくるというものだ。
■ 以前、英訳させてみた。もう一度やってみると、多少違う、・・・どれがいいのか。
■ ただ、「や」は強めの助詞なので「and」の意味ではない。
■ 「This and that」は適当ではない。

Whether you come or go, 
whether you know Japanese or not,
 in front of Hachiko

This and that,  
coming or going,  
knowing Japanese or not,  
in front of Hachiko

This or that,  
coming or going,  
whether you know Japanese or not,  
right in front of Hachiko

Here they come,
and here they go—
those who know Japanese
and those who do not—
all meeting before Hachiko.


2026年8月10日月曜日

私より おそらく前に 同様の 結論を得た 人いるだろう

■ 2026-08-10
■ 結論を急ごう、という言葉がある。急ぐことはない。
■ 2024-01-19 第一刷発行・田淵句美子著「百人一首 ---- 編纂がひらく小宇宙」を何度も読んで、確信した。
■ おそらく、私より前に、同様の結論を得た人もいるのではないだろうか。
■ 小倉百人一首は下書きで、「百人秀歌」がより後に作られた。
■ 論理的常識では、こうなる。
■ おそらく大半の人は同意しないと思われるので、議論はしない。ただ、自分自身のメモとして書く。
■ 一番の理由は、以前、何度も書いたが、・・・

自分の作品の最後に、他人の歌は置かない。

■ 後鳥羽院の歌は定家にとって邪魔だ。
■ 定家自身の歌は、単純と言えば単純な発想による選択だ。
■ 相手の心を見透かしたような恋愛に関する、自信たっぷりの歌だ。
■ 若いころの歌だろうが、それを最後まで残したのは、彼の実体験だったからだろう。
■ 相手は誰かを追求しても意味はないが、私の推測では、こんな歌の人かなと思う。

かへりこぬ むかしをいまと おもひねの 
ゆめのまくらに にほふたちばな 

 

もう一度「なぜ」と問うてみる。なぜ、定家は配列を変えたのか。

■ 2026-08-10
■ 塚本邦雄は、島津忠夫注釈の「百人一首」を参照していた。
■ 島津忠夫は、尾﨑雅嘉の「百人一首一夕話」を参照していた。
■ 従って、この「夕話」を見るのもよいかと思われる。
■ 清少納言や紫式部のころ、白氏文集はよく知られていた。
■ そして、清少納言は、少なくとも、和漢朗詠集を見ていた、と思われる。

蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草庵中  和漢朗詠集巻下「山家」

■ 枕草子に、この詩句に関する記述があるからだ。
■ 藤原定家は、彼女たちのように白氏文集に接してはいなかったと考えられる。
■ ところが、「百人一首一夕話」には、この詩について記述がある。
・・・と作れる詩の句とまた、
蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草庵中
といふ句などを吟じて歌を詠む時は、この歌もおのずから心深く調べも高く詠まるるなりと宣えり。これらの心用ひ、父俊成卿の桐火桶のことにも劣らざりしなり。
■ なるほど。
■ では、なぜ、定家は、この詩を上げたのか。
■ 定家は、和漢朗詠集の大納言公任についてはよく知っていた。
■ この白楽天の詩句を和漢朗詠集で知っていたともいえるが、・・・
■ 次の疑問と併せて考えるとよい。
■ なぜ、定家は配列を変えたのか。
■ 枕草子の、この詩句に関する記述があるところを読んだからだ。
■ これに替わる答えがなければ、これが答えだろう。



2026年8月9日日曜日

そのひとの おもうこころを うたにした なぜにずかずか はいりこむのか

■ 2026-08-09
■ 塚本邦雄・新撰・小倉百人一首で、「・・・式子と定家とあと二、三人をのぞけば、他は一切凡作と、・・・」としているが、これはそのまま信じられない。
■ 例えば、定家の歌を比べてみよう。
  1. 見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ
  2. 来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
■ 1」より、2」の方がいい。
■ 「浦」にはもともと「花も紅葉も」ないのは当たり前、だから定家の発見でもなんでもない。「浦」に桜が咲いたり、紅葉があったりしない。定家は、日常的には、「浦の苫屋」とはなんら関係ない生活をしていたのだろう。だから、たまたま、珍しく感じたに過ぎないようだ。そして、次の歌と比べれば、良暹法師の方が内容的には「寂しさ」のとらえ方としては現代的だ。

さひしさに やとをたちいてゝ なかむれは いつくもおなし 秋のゆふくれ 良暹法師

■  「来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」は歌としては表現がいかにも強引すぎるが、それは定家の気持ちで、百人一首は定家のものだから、人にとやかく言われる筋合いのものではない。「小倉~」と題にするからには、少なくとも、定家の歌はそのままにしておくべきではなかったか。さらにいうなら、ある歌は、この方が定家の歌に会うのではないかと選んでみてもよかったかもしれない。

2026年8月8日土曜日

一応「なぜ」と問うてみる

■ 2026-08-08
■ 定家は、なぜ、 一条院皇后宮の歌を追加したのか? この問いは、
■ 定家は、なぜ、一条院皇后宮の歌を外したのか、という問いより、正しそうに見える。
■ というのも、足すのであれば、それだけですむが、外すのであれば、なぜ、他の歌でなくその歌を選んだのか、という問いを伴うからだ。
■ このことは、ごく普通の感覚だ。
■ もう一度、問いかけてみよう。
■ 定家は、なぜ、 一条院皇后宮の歌を追加したのか?
■ この答えは、定家に訊かなければ分からないかもしれないが、清少納言と合わせ考えると
■ 枕草子を読んだから、と言ってもいいかもしれない。
■ 一条院皇后宮とは藤原定子であり、枕草子は定子と清少納言の話だから。
■ 定家は、源氏物語の欠けた部分を自分で書き足すほど源氏物語を読んでいた。
■ そして、紫式部から、清少納言を知ることになったのではないか、と思われるからだ。