2026年8月18日火曜日

家持の 歌を取り上げ 間接に おもいにふける 藤原定家、と、二つの橋

■ この歌に関して色々書いた。前にも書いたような気がするけれど、今回?ようやくたどりついた感じだ。
■ この「二つの橋」の件は、まだ終わってない。
■ 疑問が解決されてない。
■ いつから始まったかというと、・・・
■ このころからだ。
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和歌語句検索 かささき


■ 2026-08-18
■ 2026-08-14
かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける  大伴家持
■ この歌は「家持集」にある歌のようだ。


■ 「かささき」で検索すると「295」件ある。
■ これらの歌を幾つかみた。
■ 鵲の写真は以前、浜の宮で撮った。2度行ったことがある。

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‎‎‎2011‎年‎1‎月‎25‎日、‏‎11:09:16  加古川市・浜の宮

2017-04-23  加古川市・浜の宮

■ 百人一首の歌

かささぎの わたせる橋に おくしもの しろきをみれば 夜ぞふけにける  大友家持

■ 万葉集にはない歌だが、定家はなぜこの歌にしたのか、と思う。
■ 大友家持の人生は色々あったようだ。
■ 万葉集にもたくさん歌がある。百人一首から離れれば、私は次の歌などいいと思う。

うらうらに照れる春日にひばり上がり
心悲しもひとりし思へば  大伴家持
うららかな みそらにひばり なきのぼる そのうたかなし ひとりしおもえば 遊水 

■ 「美空ひばり」を歌に詠みこんだ。
■ 「かささき」を見ると次のような歌も見られる。

天の河扇の風にきりはれてそらすみわたる鵲のはし 清原元輔
あまのかは−あふきのかせに−きりはれて−そらすみわたる−かささきのはし

かささきの-わたせるはしや-たなはたの-はねをならふる-ちきりなるらむ
かささきの 渡せる橋や 七夕の 羽根を並ぶる 契りなるらむ

■ 定家は定家自身の歌とあわせ考えれば、「七夕の 羽根を並ぶる 契りなるらむ」こんな感じで取り上げたように思う。ただ「しろきをみれば 夜ぞふけにける」というところからは現実から離れて、定家も、あの人のことを想いながら、もの思いにふけっているというところか。


Copilot に訊いても分からない「鵲」の話 

■ 2026-08-18
■ どこに書いたか覚えてなく、探すのもめんどうだったので訊いてみたが、なんという答えなのか。やむなくもう一度、自分で調べた。

  1. 第二十二回 閻婆大鬧鄆城縣 朱仝義釋宋公明
  2. 柴進扶起宋江來,口裏說道:「昨夜燈花報,今早喜鵲噪,不想卻是貴兄來。」滿臉堆下笑來。
■ Copilot に訊いても分からない。↓
■ 2回目に上記「2」できいてみた。いいかげんな答えだったので「1」にすると、ダメ。あきれてしまった。↓
■ 120回本、↑
■ ついでながら、白川静・後期万葉論の「かささぎ」と「ささらえ」など参照すると、「七夕の天の川にかける鵲の橋」は、朝鮮系の話で、元々は、チャイナー系ではないと思われる。
■ 日本では、鵲の生息地として、佐賀県がよく知られている。カシャカシャなどとも呼ばれているようで、近くで見られると。北海道でも見られており、これはいつ頃のコトかよく知らない。カササギは天智天皇の頃の朝鮮半島との行き来、あるいは、豊臣秀吉の頃などに持ち込まれたのが多いかもしれないが、もう少し以前も調べた方がいい。




 結論から言うと、原典『水滸伝(百回本)』には「カササギ(鵲)」は登場しません。 ただし、梁山泊の結集を象徴する“橋”のイメージと、カササギが天の川に橋をかけるという中国古典の象徴体系が、後世の解釈や二次創作で結びつけられることがあります。

🐦 水滸伝原典に「カササギ」は出てこない理由

1. 鳥類としての「鵲(カササギ)」の記述がない

『水滸伝』は非常に多くの動物が登場しますが、

  • 鵲(カササギ)

  • 喜鵲(よろこびの鳥) といった語は本文に現れません。

検索ページにも「カササギ」に関する直接の情報はなく、 水滸伝の一般的な紹介記事が並んでいるだけです (例:Wikipedia の水滸伝紹介 )。

🪜 なぜ「カササギ」が話題になるのか(象徴的背景)

1. 中国古典でのカササギ=“橋をかける鳥”

七夕伝説で有名なように、 カササギは天の川に橋をかけて織女と牽牛を会わせる鳥。

2. 梁山泊=“集結の物語”

水滸伝は、

  • 108人の好漢が梁山泊に集まる物語

  • それぞれが「橋」を渡るように結びついていく物語 と解釈されることがあり、 象徴的に「カササギの橋」に喩えられることがあります。

3. 後世の随筆・ブログ・解説での比喩

和夫さんが開いている別タブのブログ記事 「カササギ、拡大、二つの橋」 のように、 古典象徴(カササギの橋)と水滸伝の“結びつき”を重ねる解釈が散見されます。

📘 まとめ

  • 原典『水滸伝』にはカササギは登場しない。

  • ただし、中国古典の象徴(カササギ=橋)と梁山泊の結集を重ねる後世の解釈が存在する。

  • そのため、検索すると「カササギ」と水滸伝が関連づけられたブログや随筆がヒットすることがある。

もし、 「カササギの象徴を使って水滸伝を読み解く」 という方向で深めたいなら、 和夫さんの得意な 象徴体系の比較(光と影・橋と渡り) とも相性が良いので、 その構造を整理してみることもできます。

次は、

  • 「梁山泊の結集」と「カササギの橋」の象徴対応

  • 中国文学における“橋”のモチーフ など、どちらを深めますか。





和夫さん、 その一文は まさに『水滸伝』で “喜鵲(カササギ)” が登場する唯一の象徴的な場面 です。 つまり——

「喜鵲(カササギ)」は “宋江が柴進の屋敷に到着した朝” に登場する。

🐦 どの章か(原典の位置)

この場面は 第10回(第十回) 「林冲棒打洪教頭 宋江夜走郓城」 の後半、 宋江が柴進の屋敷に逃げ込む場面 に出てきます。

柴進が宋江を見て言う有名な台詞がこれです:

「昨夜燈花報,今早喜鵲噪,不想卻是貴兄來。」 (昨夜は灯芯の花が吉兆を示し、今朝はカササギが鳴いた。まさかあなたが来るとは)

🪶 “喜鵲(カササギ)” の象徴的意味(中国古典)

中国文化では 喜鵲=吉兆・喜びの前触れ とされます。

  • 喜鵲が鳴く → 良い客が来る

  • 喜鵲が屋敷に現れる → 幸運の訪れ

  • 七夕伝説では「橋をかける鳥」

柴進は宋江を「吉兆の客」として迎えたわけです。

📘 水滸伝の中での機能

この一文は、 宋江が“天命を受けた人物”であることを暗示する象徴表現 になっています。

  • 灯花(燈花)=吉兆

  • 喜鵲(カササギ)=吉兆

  • 宋江の到来=梁山泊結集の始まり

つまり、 「宋江の登場は天意である」 という物語構造を、自然の兆しで示しているのです。

🔍 まとめ

  • カササギ(喜鵲)は『水滸伝』第10回に登場する。

  • 柴進が宋江を迎える場面で、 「今朝は喜鵲が鳴いた」=吉兆の象徴 として使われる。

  • 物語的には 宋江の“天命性”を示す伏線

和夫さん、もしよければ この「吉兆の二重構造(灯花+喜鵲)」が宋江の人物像にどう作用するか あるいは 中国文学における“鳥の兆し”の象徴体系 など、さらに深める方向もご提案できます。

どちらを進めたいですか。





和夫さん、 第二十二回「閻婆大鬧鄆城縣 朱仝義釋宋公明」には “喜鵲(カササギ)” は登場しません。 カササギが出てくるのは 第十回 の柴進の屋敷の場面だけです。

ただ、第二十二回は 宋江の「天命性」を補強する兆しの章 なので、 第十回の「灯花+喜鵲」の吉兆と構造的に呼応しています。 その対応を整理しておきます。

📘 第二十二回の内容(要点)

◆ 閻婆(閻婆惜の母)が鄆城県で大騒ぎする

  • 宋江が閻婆惜を殺したことで、母が役所に押しかけて大騒ぎする。

  • これが宋江の逃亡・転落の大きな転換点になる。

◆ 朱仝が宋江を義で救う

  • 朱仝は宋江の義を知っており、密かに逃がす。

  • ここで宋江は再び「義によって救われる人物」として描かれる。

🪶 第十回の「喜鵲」との構造的つながり

◆ 第十回

  • 灯花(吉兆)+喜鵲(吉兆)

  • 柴進が宋江を「天意の客」として迎える。

◆ 第二十二回

  • 宋江は殺人犯として追われるが、

  • 朱仝の義によって救われる → “天命の人物は必ず助けられる”

  • これは第十回の吉兆の伏線が、物語的に回収される章。

つまり、 第十回の「喜鵲」は、第二十二回で“義による救済”として機能的に再現される。 鳥は出てこないが、象徴構造は生きている。

🔍 なぜ第二十二回にカササギが出ないのか

水滸伝の兆し(予兆)は

  • 自然現象(灯花・鳥の鳴き声)

  • 人の行動(義による救済) の二系統で描かれます。

第二十二回は後者の「人の義」による兆しが中心で、 自然兆しは使われません。

🧩 まとめ

  • カササギ(喜鵲)が出るのは第十回のみ。

  • 第二十二回は「義による救済」で第十回の吉兆構造を補強する章。

  • 鳥は出ないが、物語構造上は強く呼応している。

和夫さん、もしよければ 「水滸伝における予兆体系(自然兆し/義の兆し)」を整理した構造図 あるいは 宋江の“天命性”がどの章でどのように積み重ねられるかの一覧 も作れます。

どちらを深めますか。



2026年8月17日月曜日

帰りましょ 恋人たちの その後は 鞦韆院落夜沈沈  遊水

■ 2026-08-17
■ 今日は月曜日。日本経済新聞の土曜日は、詩歌の日だ。こんな歌があった。
  • 腕を組み恋人たちが行きすぎる春宵一刻値千金   松山 園部淳
■ なるほど、うまいものだ。
■ 「漢詩に遊ぶ2」の最後の方に次のように書いた。

元の詩が有名であると、なかなか頭から離れず訳しにくい。例えば、
    春宵一刻直千金 花有清香月有陰
これをどのように表現するか、ずいぶん迷った。「直千金」がどうにも難しいのである。結局、
    はるのさかりの つきあかり
    かおりのはなを てらしいて
としてみた。

■ 漢詩を俳句や、短歌に組み込むのは面白い。またやってみたくなった。

春宵一刻直千金 花有清香月有陰
歌管樓臺聲細細 鞦韆院落夜沈沈  春夜  蘇軾
うたげはて ぶらんこよるに しずむかな
帰りましょ 恋人たちの その後は 鞦韆院落夜沈沈  遊水


2026年8月16日日曜日

はちがつの むいかここのか じゅうごにち 歴史にのこる にほんの俳句  遊水



■ 2026-08-16
■ 昨日、初めて知ったが、すごい俳句だ。
  • 8月の6日9日15日
■ この句は、見るだけでは、ただの日付かと見られるかもしれない。
■ 声に出して読むことが重要だ。
■ なので、かな書きにした。

はちがつの むいかここのか じゅうごにち 
  歴史にのこる にほんの俳句
こえにだし よんでください なんどでも

■ 連句的に書いた。
■ このように、俳句を元に短歌にした。
■ 本歌取りということだが、この短歌は私が初めてのようだ。

2026年8月15日土曜日

この夏は 雨乞どころか、めちゃやばい いのりたくなる こころがわかる

■ 2026-08-15
■ はや夏も過ぎようとしている。
■ はや夏も すぎさり行けば 百人首 ときどき止まり 振り返りみる

民人が 衣洗いて 干したるか 木の間に 白く夏は来にけり  遊水
 
春過而
夏来良
 衣乾有 
天之香来山
 
雨乞の 雨之香来山 洗い干す 白いころもに はつなつのかぜ   遊水

■ この夏は 雨乞どころか、めちゃやばい 

2026年8月14日金曜日

菜の花や月は東に日は西に、と、柿本人麻呂の歌

■ 2026-08-13
■ 昨日、「and」ではない「や」の話、で芭蕉の句と蕪村の句を上げた。
■ 特に選んだわけではないが、たまたま、先日、古本で買った、渡辺昇一・万葉集のここら日本語のこころ・WAC、を読んでいたら、この本は、渡辺昇一・日本語のこころ・講談社現代新書と内容が重なるようだが、蓮月尼と幸田露伴のことばを引用し、芭蕉は偉大だとし、蕪村を貶している。これにはもの申したいところだ。視野の広さとか世界観から見れば、蕪村も捨てたものではない。芭蕉は「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」こんな句があり、関心するが、人の心がよく分かったゆえの、驕り、あざとさ、品性というか、心の卑しさがある。その最たるものは、これだ。
  • 行く春や鳥啼き魚の目は泪  芭蕉
■ 次の二つは同様の景だ。蕪村が人麻呂の歌を意識していたかどうかは、知らない。どちらも挽歌のようでもあるが、蕪村は、ただそんな状況に出会っただけなのかもしれないけれど、読んで気持ちがいい。芭蕉の、これでどうだ、という押しつけがましさはない。
  1. 菜の花や 月は東に 日は西に  蕪村
  2. 東の 野にかぎろひの 立つ見へて かへり見すれば 月かたぶきぬ  柿本人麻呂
■ 柿本人麻呂の「あしびきの やまどりの ~」以外に、よさそうな歌があるか、をあったってみればいい。

2026年8月13日木曜日

何だったか、思い出せないので

■ 2026-08-13
■ 家庭内のカルタ取りの話だった、と思うが、
その札は取っちゃだめだといったでしょ、・・・
あの子が自分で取りたい歌なんだから、と
■ それはどの歌だったのか、思い出せない。
■ そこで、コンピュータに訊いてみたが、特定できなかった。
  • ゆくえもしらぬ こいのみちかな
■ とりあえず、これにしておこう。

「and」ではない「や」の話


■ 2026-08-13
■ 分類用語としての、切れ字、について詳しくは、書かない。
■ 実用上あまり意味がない。言葉は頭で理解するものでもない。
■ 「や」は俳句では、よく使われる。検索すれば沢山あることが分かるだろう。

ふるいけ・や  古池や 蛙飛び込む 水の音
あらうみ・や  荒海や 佐渡に横とう 天の川
しずけさ・や  閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
なのはな・や  菜の花や 月は東に 日は西に
 
■ ごくおおざっぱに言うと「や」がなくても意味は変わらない。
■ この場合、4字+「や」となっている。
■ そして、俳句の5・7・5の、5文字にするための「1字」として何があるか、ということだと考えてもいい。例えば、

ふるいけ・に
ふるいけ・か

■ 疑問文にすることも、一応、なりたつ。
■ カエルが飛び込んだ水の音で、池の存在を意識した。
■ そのときの感覚をどのように伝えるかの問題だ。

あらうみ・だ
あらうみ・の

■ ・・・

しずけさ・に
しずけさ・よ

■ 「菜の花」の場合、「月」「日」との距離感がある。
■ 菜の花畑を、夕暮れ時に見た、「場」と「時」の状況なので、他の言葉は難しいかもしれない。「菜の花・や」とすることで、広さを感じさせている。一面の黄色が、夕暮れ時に変化してゆき、あるいは、帰宅を急ぐ気持ちを起こさせる。
■ ついでながら、
  1. 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声  芭蕉
  2. 山寺や 岩にしみ入る 蝉の声  遊水
■ 「しずけさや」の句はあまり好きではない。言いすぎだ。
■ 「山寺」も静かな環境にあることだろう。
■ さて、・・・

これやこの 来るも帰るも 日本語を 知るも知らぬも ハチ公の前

■ 以前もこの英訳は難しいな、と思たことを忘れていた。
「これ・や・この」「ハチ公の前」
■ 「これやこの」は訳さなくてもよい、とするか。
■ これが(いま話題にしている)「ハチ公」ですよ、という感じ。
■ どの言語も翻訳できるとは限らない。感覚的にしかとらえられないことはある。
■ 使い慣れるしかないこともある。
■ 例えば、「いいよ」の意味で「why not ?」などというのは初めは変だなと思った。

2026年8月12日水曜日

百人首 自分が作る 参考に するのもいいさ 楽しみながら

■ 2026-08-12
■ 白州正子・私の百人一首・新潮選書・平成11年7月10日、13刷にこんなことを書いている。
百人一首を書いてみて知ったのは、一つ一つの歌を切りはなして味わうわけには行かないということだった。和歌の季節やつながり方に、綿密な注意が行き届いているのはいうまでもないが、それぞれの人間関係と、その人々の逸話や歴史にも、深く心を用いており、一篇の物語を読むような心地がした。・・・
■ 多少ほめすぎのようだが、「一篇の物語」として読むことができれば、定家の心が分かったということだろう。
■ 一首だけでなく、関連の歌、自分の好きな歌など追加して、定家の歌から、自分の選集に拡張して楽しむのもいい。元々、定家の歌以外は他人の歌だから、「定家の歌」以外は他の歌にして、いわゆる本歌取り的選集だと考えればいい。
  1. みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそおもへ
  2. みかきもり 衛士のたく火の ひるはたえ よるはもえつつ 物をこそ思へ
■ 2」があるのに、1」を、本歌取り、としてヨシとするならば同様にヨシということだ。

春過ぎて 夏は来にけり 白妙の 衣干したり 雨之香来山
夏過ぎて 秋になりけり 枯葉散る 秋の心は 愁いなるらん  遊水
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ

■ このように自分の歌も追加すると、結構おもしろくなる。
■ 自分に引き寄せ、自分が歌を作るときの、一つの参考資料として、百人一首をとらえてもいい。
■ 例えば、
  1. これやこの ゆくもかえるも わかれては しるもしらぬも おうさかのせき
  2. これやこの 来るも帰るも 日本語を 知るも知らぬも ハチ公の前
■ 「ハチ公」は今や世界的に知られているのだから、英訳などして説明し、更に百人一首にはこんな歌もあるのだよ、と日本の和歌を教えてやるのもいいだろう。
■ とにかく、楽しめればいいのだ。
■ ひらがなは、読める人も増えているので、とにかく、口に出して暗記してもらうのがいい。何度も何度もくちづさんでいるうちに、いくつかは意味も分かってくるというものだ。
■ 以前、英訳させてみた。もう一度やってみると、多少違う、・・・どれがいいのか。
■ ただ、「や」は強めの助詞なので「and」の意味ではない。
■ 「This and that」は適当ではない。

Whether you come or go, 
whether you know Japanese or not,
 in front of Hachiko

This and that,  
coming or going,  
knowing Japanese or not,  
in front of Hachiko

This or that,  
coming or going,  
whether you know Japanese or not,  
right in front of Hachiko

Here they come,
and here they go—
those who know Japanese
and those who do not—
all meeting before Hachiko.


2026年8月10日月曜日

私より おそらく前に 同様の 結論を得た 人いるだろう 2026-08-15


■ 2026-08-15 追記。
■ 2026-08-10
■ 結論を急ごう、という言葉がある。急ぐことはない。
■ 2024-01-19 第一刷発行・田淵句美子著「百人一首 ---- 編纂がひらく小宇宙」を何度も読んで、確信した。
■ 何度も読んだのは、百人一首と「百人秀歌」があったからだ。
■ おそらく、私より前に、同様の結論を得た人もいるのではないだろうか。
■ これは、島津忠夫の本の「百人一首の注釈書」の数を見れば、「まさに汗牛充棟というべく、すこぶる多い」からで、これだけ多くの人が研究してるなら、誰かいるのではないか、と思う。このリストにある書物、どこかにまとまってあるのだろうか。これらの中で、「白眉」とか「新見」などとあるのは参考になるかもしれない。
■ 小倉百人一首は下書きで、「百人秀歌」がより後に作られた。
■ 論理的常識では、こうなる。
■ おそらく大半の人は同意しないと思われるので、議論はしない。ただ、自分自身のメモとして書く。
■ 一番の理由は、以前、何度も書いたが、・・・

自分の作品の最後に、他人の歌は置かない。

■ 後鳥羽院の歌は定家にとって邪魔だ。
■ 定家自身の歌は、単純と言えば単純な発想による選択だ。
■ 相手の心を見透かしたような恋愛に関する、自信たっぷりの歌だ。
■ 若いころの歌だろうが、それを最後まで残したのは、彼の実体験だったからだろう。
■ 相手は誰かを追求しても意味はないが、私の推測では、こんな歌の人かなと思う。

かへりこぬ むかしをいまと おもひねの 
ゆめのまくらに にほふたちばな 

 

もう一度「なぜ」と問うてみる。なぜ、定家は配列を変えたのか。

■ 2026-08-10
■ 塚本邦雄は、島津忠夫注釈の「百人一首」を参照していた。
■ 島津忠夫は、尾﨑雅嘉の「百人一首一夕話」を参照していた。
■ 従って、この「夕話」を見るのもよいかと思われる。
■ 清少納言や紫式部のころ、白氏文集はよく知られていた。
■ そして、清少納言は、少なくとも、和漢朗詠集を見ていた、と思われる。

蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草庵中  和漢朗詠集巻下「山家」

■ 枕草子に、この詩句に関する記述があるからだ。
■ 藤原定家は、彼女たちのように白氏文集に接してはいなかったと考えられる。
■ ところが、「百人一首一夕話」には、この詩について記述がある。
・・・と作れる詩の句とまた、
蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草庵中
といふ句などを吟じて歌を詠む時は、この歌もおのずから心深く調べも高く詠まるるなりと宣えり。これらの心用ひ、父俊成卿の桐火桶のことにも劣らざりしなり。
■ なるほど。
■ では、なぜ、定家は、この詩を上げたのか。
■ 定家は、和漢朗詠集の大納言公任についてはよく知っていた。
■ この白楽天の詩句を和漢朗詠集で知っていたともいえるが、・・・
■ 次の疑問と併せて考えるとよい。
■ なぜ、定家は配列を変えたのか。
■ 枕草子の、この詩句に関する記述があるところを読んだからだ。
■ これに替わる答えがなければ、これが答えだろう。



2026年8月9日日曜日

そのひとの おもうこころを うたにした なぜにずかずか はいりこむのか

■ 2026-08-09
■ 塚本邦雄・新撰・小倉百人一首で、「・・・式子と定家とあと二、三人をのぞけば、他は一切凡作と、・・・」としているが、これはそのまま信じられない。
■ 例えば、定家の歌を比べてみよう。
  1. 見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ
  2. 来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
■ 1」より、2」の方がいい。
■ 「浦」にはもともと「花も紅葉も」ないのは当たり前、だから定家の発見でもなんでもない。「浦」に桜が咲いたり、紅葉があったりしない。定家は、日常的には、「浦の苫屋」とはなんら関係ない生活をしていたのだろう。だから、たまたま、珍しく感じたに過ぎないようだ。そして、次の歌と比べれば、良暹法師の方が内容的には「寂しさ」のとらえ方としては現代的だ。

さひしさに やとをたちいてゝ なかむれは いつくもおなし 秋のゆふくれ 良暹法師

■  「来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」は歌としては表現がいかにも強引すぎるが、それは定家の気持ちで、百人一首は定家のものだから、人にとやかく言われる筋合いのものではない。「小倉~」と題にするからには、少なくとも、定家の歌はそのままにしておくべきではなかったか。さらにいうなら、ある歌は、この方が定家の歌に会うのではないかと選んでみてもよかったかもしれない。

2026年8月8日土曜日

一応「なぜ」と問うてみる

■ 2026-08-08
■ 定家は、なぜ、 一条院皇后宮の歌を追加したのか? この問いは、
■ 定家は、なぜ、一条院皇后宮の歌を外したのか、という問いより、正しそうに見える。
■ というのも、足すのであれば、それだけですむが、外すのであれば、なぜ、他の歌でなくその歌を選んだのか、という問いを伴うからだ。
■ このことは、ごく普通の感覚だ。
■ もう一度、問いかけてみよう。
■ 定家は、なぜ、 一条院皇后宮の歌を追加したのか?
■ この答えは、定家に訊かなければ分からないかもしれないが、清少納言と合わせ考えると
■ 枕草子を読んだから、と言ってもいいかもしれない。
■ 一条院皇后宮とは藤原定子であり、枕草子は定子と清少納言の話だから。
■ 定家は、源氏物語の欠けた部分を自分で書き足すほど源氏物語を読んでいた。
■ そして、紫式部から、清少納言を知ることになったのではないか、と思われるからだ。

2026年8月7日金曜日

百人首 定家は定家 それでいい なぜに物言う 塚本邦雄

■ 2026-08-07 改題
■ 旧、・・・「歌」のみで勝負したらよかったろうに。2026-08-06 追記
■ 新、・・・百人首 定家は定家 それでいい なぜに物言う 塚本邦雄
■ 丸谷才一は、新々百人一首・新潮社、を書いている。
■ 塚本と比較すると「おとな」だ。
■ しかし、塚本が「凡作だ」と決めつけたコトにも理由があったはずだ。
■ その理由は、下記に書いたように、参照した文献に問題があった、と考えてよい。
■ 定家は定家で、考えて選んだ。
■ 邦雄は邦雄で、考えて選べばいいだけの話で、なにも定家を貶めることはなかった。
■ それに、定家の場合は、全体として意味があるように選ばれている。
■ ところが、邦雄の「新撰・小倉百人一首」の場合は個々の歌が「秀歌」であるかどうかの基準のようだ。それでいいのかね。
■ 塚本邦雄・王朝百首、がどのように邦雄なりのまとまりになっているのかが問題だ。

■ 2026-08-06
■ 塚本邦雄・新撰・小倉百人一首、を見ると、2」は凡作だとして、1」を選んでいる。
  1. 北山に たなびく雲の 青雲の 星離かりゆき 月を離りて   持統天皇
  2. 春過ぎて 夏来にけらし 白妙の ころもほすてふ 天の香具山
■ 雲は夫の天武天皇、月は本人、星は草壁皇子、を暗示している、との解説がなければ分かりにくい。
■ 塚本邦雄は、どの百人一首を見たのか、「跋」に島津忠夫訳注「百人一首」(角川文庫)を参考にした、とある。島津忠夫の解説はひどい。この解説を元に、凡作だ、とするのは下記の通り、見当違いだ。そして、「北山に」の歌はいわば夫を亡くした時の個人の気持ちだが、天皇の地位にある歌としては、「春過ぎて」の方が格段に優れているようにおもう。

■ 2026-08-03
  1. 藤原定家・小倉百人一首
  2. 塚本邦雄・新撰・小倉百人一首
  3. 塚本邦雄・王朝百首
■ 2」は、1」を全て凡作だとして書かれている。1」を否定することなく、ただいいと思った歌を上げればよかった。それが、一応、3」か。
■ 3」は、2」よりも塚本色があらわれていて、よいかもしれない。
■ 2」を書くとき、1」を凡作だとしたのは、あるいは、島津忠夫・百人一首を読んでのことかもしれない。島津忠夫の解説はひどい。
■ 例えば、持統天皇の歌だが、「衣ほすてふあまのかぐやま」と、人により改変されていて、本人の歌ではない。「てふ」と変えたのは現地に行ってないことを意味する。要するに、持統天皇自身の歌でない歌を凡作だと決めつけ、否定するのは見当違いだ。
■ しかし定家の浅い理解だとしてもこの歌を取り上げたのは、1」としての意味は大きい。政治家の歌として、堂々、しかも女性らしい細やかな視点があり、祖父からの受け継いだ歴史的な場所の意味合いや、若葉青葉の中の白い衣との季節感もあり、また、「春過ぎて夏きにけらし」とこれは改変後の表現だが、ゆったりと季節の移りを表現していて、簡潔で立派な歌だ。
■ 塚本邦雄は自己主張のために、1」は、全て凡作だ、とするのは軽々しく感じられる。
■ 3」は、まあ参考になる。しかし、定家は「歌」のみをあげている。塚本も「歌」のみで、果たして、定家の小倉百人一首のように評価を得られるだろうか、とも思う。本当に自信があるならば、解説などなしで、「歌」のみで勝負したらよかったろうに。

2026年8月6日木曜日

原爆忌、HIROSIMA、NAGASAKI

1945年(昭和20年)8月6日(月曜日)、日本時間午前8時15分、ひろしま
1945年(昭和20年)8月9日(木曜日)、11:02 ながさき

2026年8月4日火曜日

百人一首、でなく、百人首でいいじゃないか

■ 2026-08-04
■ 百人一首、でなくて、百人首でいいじゃないか、と、思う。
■ 自分の気に入った歌を選ぶ。例えば、

いにしえの ならのみやこの やえざくら けふここのえに においぬるかな
あをによし ならのみやこは さくはなの にほふがごとく いまさかりなり
The capital at Nara,
beautiful in blue earth,
flourishes now
like the luster
of the flowers in bloom. リービ英雄

■ 百人一首に付け加えながら整理してゆく。ブログを100頁用意しやってみる。
■ 1年、2年と経つうちに、見方も変わるかもしれないし、自分でも作ってみようと思うかもしれない。
■ 一首にこだわることはない。
■ 最初は下記の歌を並べて基礎にするのもいいかもしれない。
  1. 藤原定家・小倉百人一首
  2. 塚本邦雄・新撰・小倉百人一首
  3. 塚本邦雄・王朝百首
■ また、2」では、「真に秀歌を取り集めたければ、紫、清の二閨秀作家は除外した方が賢明である」などとしているが、「秀歌」でなくても、自分がいいと思えばいい。それに紫式部は世界的に有名なのだから、彼女の歌として、源氏物語を読みながらとるのもいいのではないか。清少納言の枕草子も英訳されている。
■ まず、源氏物語の最初の歌、

限りとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり  紫

声はせで 身をのみ焦がす 蛍こそ 言ふよりまさる 思ひなるらめ  紫
物おもへば 沢の蛍も 我が身より あくがれ出づる 魂かとぞみる  和泉式部

たわむれに 若紫はと たずねども ただひややかに 紫のひと  遊水
あやめ咲く 草の庵と ひとよべど たまのうてなと かえしやりたり  遊水
 
蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草庵中  // 和漢朗詠集巻下「山家」
九重の 花の都を おきながら 草の庵を たれかたずねん    公任、挙直
きょう見れば 玉のうてなも なかりけり あやめの草の 庵のみして  拾遺集
 
一条院皇后宮 後拾遺和歌集・哀傷・536  藤原定子
夜もすがら 契りしことを 忘れずば 恋ひむ涙の 色ぞゆかしき  藤原定子
ゆきのひに 香炉峰の雪 いかならむ みすたかくあげ そとをみるかな  清
暁と つげの枕を そばだてて 聞くもかなしき 鐘の音かな   藤原俊成
 


雪のうちに 春は来にけり 鶯の こほれる涙 今やとくらむ 藤原高子・二條后
二条の后の東宮のみやす所と申しける時に、御屏風に竜田川にもみぢ流れたるかたをかけりけるを題にてよめる
ちはやふる 神世もきかず たつた川 から紅に みずくくるとは  なりひら朝臣
君により 思ひならひぬ 世の中の 人はこれをや 恋といふらむ  業平

いとおしい うらみはせぬが あじきなき よをおもいつつ うたをよむみは  遊水
人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は  後鳥羽院



秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる  藤原敏行
君待つと 吾が恋ひをれば 我が屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く   額田王




あさぼらけ ありけのつきと みるまでに よしののさとに ふれる白雪  坂上是則
まよなかの ましろきしもか げっこうか おもいおこすは ふるさとのやま  遊水

みちのくの しのぶもじずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに
みちのくの おくのほそみち ひかりどう こころしずかに あすをいのりて  遊水



■ 馬・・・

ひなみしの みこのみことの うまなめて 
みかりたたしし ときはきむかふ
日並の 皇子の命の 馬並めて み狩り立たしし 時は来向ふ  柿本人麻呂
千鳥鳴く 佐保の 河門の 清き瀬を 馬うち渡し いつか通わん  大友家持
田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける
田兒之浦從 打出而見者 眞白衣 
不盡能高嶺尓 雪波零家留   山部赤人
みぎわまで こまうちかけて みかえれば ふじはましろに たちにけるかな  遊水

春過而 夏來良之 白妙能 
衣乾有 天之香來山   持統天皇 万葉集
春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣干したり 天の香具山
民人が 衣洗いて 干したるか 木の間に白く 夏は来にけり  遊水
はつなつの 風わたりゆく 国原に 天のめぐみよ 雨の香来山  遊水
雨乞の 雨之香来山 洗い干す 白いころもに はつなつのかぜ   遊水





2026年8月1日土曜日

上の句は 難しいけど 下の句は 思うがままに 付ければいいか、波打ち寄せる 九十九里浜


■ 2026-08-01

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駆けてゆく 君の向こうに 夏の海 九十九里浜 懐かしきかな

2026年7月31日金曜日

俳句、夏の思い出 2026-07-31

■ 2026-07-31 リンクを復活した。
■ 2021-08-22
■ ただ、「夏」でなく、「夏の思い出」という題にすると、・・・
■ 多くの人に共通の題でありながら様々なモノになるだろう。
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駆けて行く 君の向こうに 夏の海   遊水
 
 

2026年7月30日木曜日

さだいえは 小倉の山で ないている うたにこめたが つたわらなくて、と、カワセミ

■ 2026-07-30
百人一首の最大の謎は百人一首だぞ、ワトソン君
そうかい、それでどうした
どんな謎か知りたくないか
また何か見つけたのか
百人一首は下書きだった
論証できるのか
まあね
ふうむ
歌の心は、ただ、歌にきけだよ
だいじょうぶ あなたのきもち めちゃわかる ひるねでもして まてばいいのだ
こんな感じかな
その「ただ」とはどういうことかな
・・・
つづく

■ パソコンの前にへばりついているのもよくない。鳥見散歩にでた。野外の方が楽しい。


2026-07-30  吹田市・菩提池


2026-07-30  吹田市・菩提池


2026-07-30  吹田市・菩提池

さしずめ、消えた8時間の謎、とでも言うのか


■ 2026-07-30
  1. 額ささやかに打つあられかな
  2. 額ささやかに撲つ夕あられ
「四条橋おしろい厚き舞姫の額ささやかに打つあられかな」と覚えていた。与謝野晶子は何度か直していたのか。なるほど。やはり、これでいい。
こんなことにも気が付いた。


謎ではないよ、ワトソン君、移動時間だよ。
与謝野晶子の歌にも「三里」が出てくる、こっちは「大原」ではない。西の方だ。
  • ほととぎす 嵯峨へは一里 京へ三里 水の清滝 夜の明けやすき
「京へ三里」は字余りだ。調子からいえば「へ」はない方がいい。
夏の歌なので、「夜の明けやすき」はあたりまえ、といえば、あたりまえ。
ついでながら、松尾芭蕉は
  • 清滝の水くませてやところてん 芭蕉
こんな句を作っていたようだ。今、知った。

2026年7月29日水曜日

百人首 解説読めば 変だなと 思うところが いくつもあるが、

■ 2026-07-29
■ 百人一首の解説を読めば、変だなと思うところがいくつもある。
■ それについて書いているのだが、気に入らない。
■ なぜ気に入らないのか、と自問する。
■ 人に納得してもらおうという気持ちがあるからだろう、と反省している。
■ 人がどう思おうと、自分の視点で書くべきだろう。
■ 2026-08-02
■ ここまで書いて、
■ 2026-07-30
百人一首の最大の謎は百人一首だぞ、ワトソン君
■ この「謎」?を私が解き明かすことに意味があるのか、考えた。
■ もう少し若ければ時間をかけてもいいかもしれない。
■ しかし、ほかにも楽しいことがあるのではないか、それに、誰も信じないことをすることに意味があるのか、と思う。これについては、やめておこう。
■ いままで何度か書いたが、自分の歌集の一番いい場所に他人の歌を置くはずはない。少なくとも私の場合は、なので、
百人一首は下書きだった
論証できるのか
まあね
ふうむ
歌の心は、ただ、歌にきけだよ
■ こういうことだ。








2026年7月26日日曜日

みやこまで 三里のみちの ゆきかえり いづこもおなじ あきのゆうぐれ  遊水 2026-07-28、07-29


■ 同じ題で 以前も書いている。書き直したというコトだが、どうかな、と思う。


2026年3月24日火曜日

■ 2026-07-26
■ 地球は、太陽の周りを公転しながら自転している。なので四季があり、夜と昼がある、などと、百人一首の歌の話で、言及する必要があるのかね、嫌だね。まったく。
■ 国立天文台で調べれば、日の出、日の入り、の時刻は分かると思うが、普通、朝起きて、昼間に仕事などして、夜になると寝る。 一応、常識だ。
■ 起きて、寝るまでに何時間かある。
■ さて、そこで何をしようかな、というコトだが、何か心が定まらない、ということもあるだろう。
■ 喜怒哀楽、という言葉があるが、いかにもチャイナーぽい言葉だ。喜怒哀楽で気持ちを表せるような気がしない。
■ 「さみしいな」というときもある。
■ 独りでいると寂しい。なので、そんな時どうするのか。友達もいなければ、賑やかなところに行こうと思うかもしれない。人によって違うだろう。
■ まあ、そんなことを考えながら、読んでみるといい。

さびしさに やどを立ち出でて ・・・

■ こんな風に始まる歌がある。先は読まず、と言っても、既に、何度も読ん暗記しているが、もう一度、はじめに戻り、ここでじっくり考えよう、ということだ。あわてることはない。和歌は31文字しかない。もっとも、この歌は、字余りのようだけれど、残りは、5・7・7だ。先を急いではならない。彼は何をしようとしたのか。彼の気持ちに寄り添ってみようじゃないか。
■ 「やど」とは自分のうちのことだけど、まず、何時に起きたのか。そして、何時頃「うち」を出たのかね。限定しなくていい。例えば、7時に起きて飯を喰い、8時に出たと仮定すればいい。都合が悪ければ訂正すればいい。あくまで、仮定だ。千年も前の人間の行動を確定できるはずもないし、確定する必要もない。9時に内を出たのであってもいい。
■ 内を出て、出っぱなしではない。当然、帰ってきた。いつ帰ってきたのか。

「ゆうぐれ」だった。

■ 季節は秋、「秋の夕暮れ」は寂しい。まあ、普通の感情だ。
■ 「さびしさに」うちをでて、寂しい感じの「秋の夕暮れ」に帰ってきた。
■ なので「いずくも同じ」ことだった。寂しさが解消されたわけでもなかった。
■ 朝9時に出て、仮に、夕刻、5時に戻った、とすれば、8時間がある。
■ 8時間で何があったのか。
■ これを解決するには、彼がどこに住んでいたかを考える必要がある。
■ 「さびしさに」だから人があまりいない所だったろう。

〇    〇    〇

■ どこに住んでいたか、歌からは分からない。島津忠夫・新版百人一首に書いてあった。

晩年は山城国大原に籠った
さひしさにやとをたちいてゝなかむれは いつくもおなし秋のゆふくれ 良暹法師

■ なるほど。これについて考える前に、
■ 江戸時代に、尾﨑雅嘉は、次のように書いている。

歌の心は余りにも物淋しさに我が宿を出でてあちこちを眺め渡せば、ここもかしこもさして変わる事もなう、おなじやうに淋しき秋の夕暮れの景色ぞといふ事なり。
・・・ 
この法師の住まれたる所は山城国愛宕郡の大原なり。これは都の北三里のほかにありて、八瀬村の北に当たれり、・・・
今草府村寂光院の東南2丁ばかりに泉あり。土人これを朧の清水といえり

■ 島津忠夫は、・・・
 
あまりのさびしさに耐えかねて、庵を立ち出て、あちこち見わたすと、どこもかしこも同じで、心を晴れ晴れさせるものはない。 なんとさびしいながめの秋の夕暮れの景色よ。

■ 島津は尾﨑の解説に「心を晴れ晴れさせるものはない」と追加しているが、ほとんど同じだ。もう少し、他の人はどのようにとらえているか見てみよう。

歌人  
草も木も枯れ枯れになる秋。 寂しさに僧庵を出て四方のけしきを眺めてみると、あきの夕べはどこも同じで、すべてが枯れ衰え、身も心も細りゆくような思いである

詩人
あまりのさびしさに庵を出て
ぐるり あたりを眺めわたした
なにもない
誰もいない
どこもかしこも
さびしさだらけ
秋の夕暮れが
ただぼうぼうと ひろがっていた

小説家
何とはないさびしさが
そぞろ 身を噛む秋の夕
たまらなくなって
家を出てあたりを見れば
どこも同じ
ひといろに
ものさびしい秋の夕暮れ

白州正子
いかにも俊成・定家の好みそうな幽寂の境地を歌っており、・・・、百人一首の世界もついに墨絵のような心境に至ったかと思うと、おのずと感慨が湧く。・・・、洛北大原に住んでいたらしく、「朧の清水」を詠んだ歌が残っている。今も、・・・「大原御幸」にも謡われた名水である。そういうことを心に置いて味わってみると、大原あたりの景色が彷彿とされ、浮世を離れた庵の有様が浮かぶ。特にこの歌を百人一首にえらんだ頃は、新古今の調べも定着し、その先駆けをなす秀歌として賞玩されたのでのであろう。
 
■ 「朧の清水」を詠んだ歌は、尾﨑雅嘉の解説に記載されている。「大原御幸」にも謡われた名水、とある「大原御幸」については、一応「平家物語」にもあたってみた。白州正子は「能」に詳しいのでこのような記述のなったのであろうが、想像しすぎかもしれない。
■ 寂光院には行ったことがある。当時も寂しかっただろう。大原は都の北三里にあった。良暹法師は、ここにあった庵を、おそらく朝に「立ち出でて」都まで行ったのだろう。

一里は3.92727km、約4km、
一キロメーターを十五分で歩くとすれば、四キロメーターは約一時間、
三里の道は約三時間。 都までは、日帰りできる距離だ

■ 片道3時間、往復で6時間、みやこで、団子など食う時間が2時間だとすれば、その日の行動が推定通りだったことが分かる。これを歌にした。「秋の夕暮れ」が寂しいのではない「自分自身が寂しい」そして、誰もがそんな気持ちになることがある。どこにいても、山里でも、賑やかだと思われる都にいても、寂しい時はさびしい。「人恋しさ」であるかもしれない。
寂しさは「秋の夕暮れ」どきに限るものではない。寂しいときは寂しい。

〇    〇    〇

みやこまで 三里のみちの ゆきかえり いづこもおなじ あきのゆうぐれ  遊水

さひしさにやとをたちいてゝなかむれは 
いつくもおなし秋のゆふくれ  良暹法師

お江戸日本橋 七つ立ち、を検索すると
「七つ立ち」とは、江戸時代の時刻制度に基づき、暁七つの時刻に出発することを意味します。現代の時間に換算すると、午前4時前後にあたります。民謡『お江戸日本橋』の歌詞では、日本橋を出発した旅人がまだ暗い中で提灯を持って歩き始める様子が描かれています 暁七つは、明け六つ(夜明けの時刻)より1刻前で、春分の頃では3時22分頃に相当する場合もあります
「七つ立ち」は日本橋を起点として、旅立つことだが、同様に、「たち・いでて」という複合動詞は、このうたの場合、旅ではないが、移動してどこかに出発することを意味する。ただ立ち上がって外に出たということでは、もちろん、ない。
漕ぎ・出でて
打ち・出でて
立ち・出でて
このような言葉があり、「打ち・出でて」は百人一首にある「田子の浦にうち出でてみれば~」の歌にあるが、これも何か変な現代語訳になっている。それは万葉集にある歌の原文を見ないからでもある。

田兒之浦従 打出而見者 真白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留
たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにぞ ふじのたかねに ゆきはふりける

「馬に鞭打ち~」と訳しているのは見たことがない。「漕ぎ・出でて」はさすがに舟を漕ぐという認識はあるようだ。しかし、交通手段としての、馬の文化は失われている。「立ち・出でて」も失われているが、YouTube で動画をみながら、小唄など口ずさんでみればいいように思う。ザ・ピーナッツも「お江戸日本橋七つ立ち」𝅘𝅥𝅮 を歌っているのを発見した。

さひしさにやとをたちいてゝなかむれは 
いつくもおなし秋のゆふくれ

「さびしさ」は、漢字では、淋しさ、ではなく、寂しさだろうが、一応、白川静の辞書を見てみよう。












2026年7月22日水曜日

雨乞の 雨之香来山 洗い干す 白いころもに はつなつのかぜ   遊水


■ 2026-07-24
■ 2026-07-22
■ 言葉は最初は音声と手振りなどであったかもしれない。
■ 文字を持つことで音声を記録できるようになった。
■ 記録により、時と空間を超えることが可能になった。
■ 言葉は情報であり、事実の他、心、気持ち、心情、考え想像である。
■ 詩歌は、最初は祈りであったかもしれない。
■ このあたりのことを厳密に論述しようとは思わない。
■ ただ詩歌に関して、日本人の文化、心や事実、環境などを理解したいと思う。
■ 万葉集は日本の最初の歌集だとされている。
■ 歌は、まとまった歌集でなくとも、古事記にもあるし、あるいは、他の書物にも見られることと思う。
■ 日本語は、漢字を取り入れたことで、今日にいたる文化を作り上げた。
■ 最初は「ことば」を表音文字としての漢字で表した。
■ ここで取りあげる、持統天皇の歌がひとつの例だ。

春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山
春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山
はるすぎて なつきたるらし しろたへの ころもほしたり あめのかぐやま

■ 漢字だけで書き写すには手間がかかるので、平安時代には、いわゆる、万葉仮名が考えられ、使われた。漢字、ひらがな、カタカナ、の混合文が日本語の特徴だ。
■ 新古今和歌集では、

春過ぎて夏来にけらししろたへの衣ほすてふあまのかぐ山

■ 百人一首では「衣ほすてふ」としているが、大きく誤解させることになった。原文にない「てふ」にしたことで何か言い伝えでもあったかのようにとらえられた。
■ また、「天之香来山」を「天の香具山」とし、「あめのかぐやま」を「あまのかぐ山」としているところは非常によくない。本質的な理解を妨げることになってしまった。
■ 藤原定家という偏狭な一介の老歌人による無理解が原因だっただった、と指摘したい。
■ 「白妙」「白栲」の違いもある。
■ これらについては、おいおい書くとして、馬場あき子はこんなことを書いている。
「この歌を読みながらふと思うのは「春過ぎて」という初句はなぜ必要だったのか、ということだ。「夏は来ぬ」ではじまっても一向におかしくない。」
■ 歌人らしい指摘で面白いと思った。31文字のうち、5文字を使っているのだから、他に表現もあるだろうともいえる。「春過ぎて」を使わない歌を提示してくれたらよかったと思う。
■ おそらく、当時「初夏」という言葉がなかったのだろう。

はつなつの かぜとなりぬと みほとけは をゆびのうれに ほのしらすらし  八一

■ 会津八一のこんな歌を思い浮かべた。
■ 私は、持統天皇の歌を参考にして歌を作たこともあるので、いろいろ見方もあるかと思う。
 
夏過ぎて 秋は来にけり 枯葉散る ・・・

■ 季節がゆっくり過ぎてゆく感じがある
■ 八一は仏像を見ながら夏が来たようだな、と感じた。持統天皇は、白妙能 衣乾有 と乾燥させている白い衣を見て、そろそろ夏だな、と感じた。八一はただ仏像の姿に思いを寄せたが、持統天皇の気持ちというか歌の心は何だったのか。

〇    〇    〇

■ 「天」が使われている天皇は二人しかいない。天智天皇、天武天皇、そして、持統天皇は天武天皇の妻であり天智天皇の娘だ。これらの名前は奈良時代につけられた。要するに、そのように評価されたということで、持統天皇は親によって作られた国を維持した政治家だった。また、天智天皇の父親の舒明天皇の「国見の歌」として知られる万葉集の二つ目の歌は天乃香具山からの眺望を歌っている。あるいは、孫にあたる持統天皇も一緒に登ったことがあったかもしれない。
国土地理院の地図では、奈良盆地の南東端にある丘は、大和三山と呼ばれ、次のように高さも書かれている。

152 m 天香久山
199 m 畝傍山
140 m 耳成山

「天香久山」の高さは海抜 152 mだが、近くの道路を基準にすれば、65 m の高さで「天・てん」とは何の関係もない平凡な丘で、山というほど高くない。 第十二代、景行天皇の頃は、「古事記」のヤマトタケルの歌に、比佐迦多能 阿米能迦具夜麻、とあるように、「あめのかぐやま」と呼ばれていた。
■ 持統天皇は「天之香来山」としているが、これをなぜ「あめのかぐやま」とするのか、「あめのかくやま」ではないのか、むしろ国土地理院の「天香久山」の方が「天の香具山」より正しい。ここでも「天」を「あま」と呼んではならない。あくまで「あめ」だ。
■ 日本書紀に、
日本書紀、神代上、第七段の、天照大神が石窟に隠れた場面を見ると、・・・
思兼神、深謀遠慮、遂聚常世之長鳴鳥使互長鳴。亦、以手力雄神、立磐戸之側、而中臣連遠祖天兒屋命・忌部遠祖太玉命、掘天香山之五百箇眞坂樹、而上枝懸八坂瓊之五百箇御統、中枝懸八咫鏡 
とあり、ここでも天香山が見られる。掘天香山之五百箇眞坂樹、このように眞坂樹を掘り起こしている。眞坂樹は榊だろう。古代の人は榊の香りを特別な香りとしてとらえていたようだ。地名とか物の名とかは古ければごく単純に、というか純粋に、具体的な特性を意味している。香りの高い植物であり長寿のものとしては「樟」がある。神社には、樟が植えられていることも多い。日本書紀にあるように、天香山には、榊がたくさん生えていたようで、天照大神が岩戸に隠れたとき、この木が使われた。このようなことから神の木として「榊」文字が作られたと考えられる。
本榊は花の匂いが穏やかで甘い香り、ヒサカキは独特で強い匂いを持つ。
榊の匂いを嗅ぐ、ことの連想から「かぐ」「香具山」と呼ばれる」ようになったのかもしれない。
■ 藤原定家(1162年 - 1241年)が生きた時代は、持統天皇( 645年 - 703年)と、約500年の隔たりがある。この隔たりが持統天皇の気持ちを理解できなくした。定家は持統天皇の歌にある「天之香来山」を見たのだろうか、ただ想像しただけだろうか、あるいは歌としての調子が気になっただけかもしれない。現地に行かず伝聞的に「てふ」としたものだから、何かがあったと思う人も出てきた。昔の人の歌は素朴な現実を歌っている。
「百人一首」という世界から見ている限り、500年前の人の気持ちは分からない。まして、世の中を統治する天皇の考えには思いが至らないのだろう。
■ 飛鳥時代における持統天皇の治世をどの程度知っているのか。
飛鳥時代
奈良時代
平安時代
と過ぎ、定家が百人一首を編纂したのは鎌倉時代になってからだ。
■ 天智天皇の歌は稲の実りの喜びの歌だ。国にとって、農作が重用だった。
■ 日本書紀には持統天皇が「雨乞い」の儀式をしたとある。
■ 稲作にとって天候が重要だが、天気は人の力ではどうしようもない。ただ祈るばかりだ。為政者の持統天皇は、春が過ぎ、夏が近づき天気が気になったと思う。
■ 「天之香来山」は祈りの場、高台だ。そのふもとに民が粗末な白い衣を干しているのを見て、今年は雨乞いをせずに済むかどうか気になった。

民人が 衣洗いて 干したるか 木の間に 白く夏は来にけり  遊水
春過而 
夏来良之 
白妙能 
衣乾有 
天之香来山
■ ここまで書いて、「はつなつ」を思い出した。自分だったら歌にできるのか。

雨乞の 雨之香来山 洗い干す 白いころもに はつなつのかぜ   遊水




2026年7月17日金曜日

はや、1年。と、「漢詩に遊ぶ2」

■ 2026-07-17
■ 2冊目をまとめているところだが、急ぐこともないか、などと、思う反面、やはり適当な時期に出版した方がいいかな、と思う。


■ これは、在庫はあるので、購読してもらって、気に入った句などを見つけてくれたら、嬉しい。

■ 今週は「漢詩に遊ぶ2」が何人かに閲覧されていた。




2026年7月14日火曜日

いとおしい うらみはせぬが あじきなき よをおもいつつ うたをよむみは  遊水 2026-07-21

バカの壁 - Wikipedia 2003-04-10 出版。最初に「常識」の話がある。養老孟司 講演


■ 2026-07-20
■ 2026-07-01
白川静「字通」を見ると、「呪」は「祝」の意味にも使われた例もあった、ようだ。しかし、まあ、呪いとは、言葉や、意識で、念力で、あるいは、人ガタに針を刺すなどの行為で、怨み、憎しみのある相手を貶めたり死に追いやろうとするコトだが、特定の誰かを相手にするのでなく、客観的に見て、そのような状態に、あたかも、金縛りのように、硬直状態にあることも、一種の「呪い」がかかっていると理解していいかもしれない。
「怖い」とみんなが言うから「怖い」。本当は「幽霊の招待見たり枯れ尾花」であったとしても、多くの人がそれに気づかず固定観念というか意識として存在しているものはある。多くの意識が仮想現実を作り出す。嘘がまことになると困ったものだ。
あんた、知らへんのォ、みんな知っとるでェ、常識やんかァ、などと常識の意味を理解せず、論理を無視し自分の都合よい意見を押し付けようとする、非常識な「常識」もあり、いわば、呪いに属することばに分類してもよいかもしれない。
無意識に、特定のでなく、禍を与えようと意図するものでなくとも、安易に信じることが世に影響を及ぼすことはある。
言葉は多くの人が使用するので変化してゆくが、いったん定着するとなかなか、変えられないものでもある。特に権威ある人、というか、よく知られた人が発言すると自分で考えることもなくなり、その言葉がそのまま、あたかも自分の意見であるかのように、口にされることもある。
和歌に於いて「枕詞」という用語がある。これもそのひとつだ。
共通概念を、簡単にするために用いる用語だが、意味不明の言葉を枕詞に分類すると困ったことになる。いわば無知なる「枕」の呪いだ。
そして「枕」を「暗号」だと認識するものも現れたようだ。
ガタンと何かの衝撃で、毒リンゴを吐き出す白雪姫は、己の美貌を自慢する女の呪いから逃れられたが、彼女一人だったからだ。広く普及した「枕」の呪いは解けることなく、常識的・論理的な見方が示されたとしても、数には敵わないことだろう。
ついでながら、誰が一番美しいかと鏡に訊くのだが、この鏡は魔法の鏡ではない普通の鏡だ。鏡に映った自分の顔に衰えを見出したからに過ぎない。認めたくなかっただけだろう。まあ、どうでもいいか。なので、言い争いたくはない。無駄だ。
前置きが長くなった。

〇     〇     〇

百人一首の歌で、難解とされる歌がある。
古いカルタに「千早振る」と書かれた在原業平の歌だ。
一時流行った、ブランド名がモノをいう、ルイビトンのバッグと同じで「ビニールなのにね」という人がいたけれど、「高かったのよ」という価値観の人には通じない。
また、恩師に逆らっても得はない、との人生を送る学者を相手にしても、一つや二つ、些細な事だ、と無視するだろう。
困窮した、無知な公家の手内職であっても、金箔カルタは、価値あるものだった。多量生産のカルタになっても、書かれた文字がそのままであれば、文字の持つ力に変わることはない。
推理小説はひところ知的遊びだとして読まれたこともあった。
しかし、しょせん作り物だ。飽きる。
難解とされる歌を対象に考える方が楽しい。
事実とは何か、本当のところはどうなのか、推理というより、論理だ。
さて、結論を先に書くと、夏目漱石は、明治29年秋に香椎宮を訪れている。

秋立つや千早古る世の杉ありて  漱石。香椎宮

この歌を、明治29年9月25日に子規に送り、正岡子規・選句集「承露盤」にとられている。
そして、もちろん、藤原定家はこの言葉を知っていた。時代としては逆だけれど、私が確認したのはこの順番だった。要するに

千早振る、ではなく、千早古る、だ。

これに誰も気が付かなかったかどうか知らないが、・・・
私が初めてではない。調べれば、分かることだが、気が付いた人は、定家以外に、少なくとも一人はいた。
この歌については何度か書いた。人の作った推理小説などではなく、いにしえの歌を対象に遊んだ方が日本文化の継承にも役立つことだろう。百人一首もその一つだ。
以下、くどいところはあるものの、遊びの過程を記録しておこう。
他の歌についての参考になるかもしれない。

Q  古今和歌集に在原業平の歌はいくつあるか
A  在原業平の歌は古今和歌集に30首収録されています

53-春歌上  世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし 
294-秋歌下  ちはやぶる 神世もきかず 竜田川 唐紅に 水くくるとは
747-恋歌五  月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして

Q  勅撰和歌集における巻頭歌として在原業平の歌はいくつあるか。
A  9首。在原業平の歌は、『古今和歌集』に14首、
   『後撰和歌集』に8首、『拾遺和歌集』に2首が収録されています。
    また、他にも『新古今和歌集』以下の勅撰和歌集にも9首が採録されています

丸谷才一は、新々百人一首に、こんな歌を上げている。

君により思ひならひぬ世の中の人はこれをや恋といふらむ  業平

人により好き嫌いはあるものの。一般に、在原業平は歌が上手いと評価されている。しかし、古今和歌集の序で、紀貫之は「その心あまりて言葉たらず」と辛口だ。「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」これも「その心あまりて言葉たらず」なのか。「心あまりて」というのは、その心は、有り余るほどある。分かっているが「言葉たらず」即ち、表現が「もひとつだ」ということのようだ。
「ちはやふる 神世もきかず 竜田川 唐紅に 水くくるとは」これも「その心あまりて言葉たらず」なのだろうか。この歌は、昔から、解釈が「?」で難解な歌として知られている。
ところが、と話は進むのだが、

〇     〇     〇

この歌の前に、「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」について書いておこう。桜の花はよく好まれ、花見と言えば桜で、珍しいものではない。そのような観点から見れば「世の中に 絶えて桜の なかりせば」というのは大げさすぎないか、南北に長い日本列島故に、見損なったら、桜前線を追いかけ、次の名所に行けばいいだけじゃないかともいえる。このように見方によっては平凡な桜を、業平は、なぜ、このように詠ったのか、と思うが、「桜」とは何か、などと堅苦しく考えることはない。素直に「桜」は美しい、桜は美人の象徴だと考えてよい。また「「世の中に 絶えて桜の なかりせば」から「世」「絶」という漢字を取り出し、「絶」「世」、「絶世」と頭の中で、を思いを巡らせてみるとよい。
  • 「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史は変わっていた」(パスカル)
  • 世の中に クレオパトラが なかりせば 男の心は のどけからまし
パスカルは散文で書いた。和歌にすれば、こういうコトだろう。同じ構文だ。だが定型にすることで、言葉を一部「置き換える」という発想が出てくることが分かる。これが、みそひともじ、という定型の和歌・短歌のもつ特徴とみることができる。定型にすることで日本の文化に入ることができ、思考方法が理解できるということだ。
google 翻訳してみよう。

If Cleopatra had not existed in this world, 
the hearts of men would have been at peace.

これを世の人に問うてみたらいい。そして、元々は、クレオパトラでなく「桜」のコトです、と。和歌では、間接的に表現し、ここでは「あなたは桜のように美しい」とか、「私は桜が大好きです。そして、あなたは私の桜です」というように理解したらいいように思う。唐突にクレオパトラが出てきたように思うかもしれない。流れとしては、逆だ。
  1. 春の心は のどけからまし、とあるが、
  2. 「春」そのものに「心」はないでしょ、と、世の中には屁理屈者がいる。
  3. もちろん、桜の咲くころ、春という季節に思う「こころ」ということだから
  4. 「春のこころ」でなく、「人のこころは、のどけからまし」としても、悪くはない。いいかもしれない。むしろ、そのように発想を変えることが重要だ。
  5. そして、「人」を「男」に限定すると、「美女」が無理なく連想される、のだ。
  6. さらに、「世の中に絶えて」だから「絶世の美女」と連想してもいい。
次に、本歌取りだ。

月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして  在原業平
おもかげのかすめる月ぞやどりける春や昔の袖の涙に 藤原俊成女 新古今集 恋二

桜、月、そして、紅葉、季節の移り変わり、月の満ち欠け、これら普通の、よくある状況をいかに表現するか。これが和歌における「心」と「言葉」ということで、本歌取りする人がいて、同じような気持ちだが、人により異なる表現があることが分かる。
紀貫之は「その心あまりて言葉たらず」と評した。ところが、藤原満基は「是は心詞かけたる所なきゆへに入れらるる也」としている。即ち、完璧という評価だ。しかし、今も理解されていないようだ。なぜ難解なのだろう。それは、藤原満基のこの言葉を知らないからでもある。「是は心詞かけたる所なきゆへに入れらるる也」「かけたる」即ち「欠けた」所がない、と評価している。このことばが正しいはずだ、と思うと、自分がとらえきれてないことに気付くだろう。

〇     〇     〇

話は変わるが、・・・
「縄文杉は1966年に発見され、現在確認されている中では世界最古で最大級と言われているスギ」のようだ。縄文時代は、日本列島之における考古学上の時代区分のひとつを表す言葉だが、どこまで遡ってその時代とするかは、今なお定まってない。
「縄文時代」という言葉は新しく、発掘など考古学による調査などなかった平安時代には当然なかった。古い時代をどのように表現するかは、その時代の認識による。
古事記や日本書紀には、人の時代の前は「神の代」であった。神は「上」で、もちろん、「god」などではなく、親の親、そのまた上の親である人間だった。
平安時代には、神代は千年前の時代という認識で、「千年」という言葉も、1000年、2000年というような数値ではなく、千年杉というように「古い」ことを指す言葉であるととらえていた。「千年杉」より古いから「縄文杉」という言葉が生まれたということだ。千早古神代、であり、千早古神、ではない。
枕詞と分類される「ちはやふる」は「神代」にかかることばで「神」にかかる言葉ではないが、いわば流行りことばで、多くの人に使われ、その結果、厳密に研究したわけではないが、元の用法からも離れ、いわば死語として、使われなくなったのではないだろうか。
というのも、古今和歌集にはいくつも用例がある。千載和歌集でも5つあるが、新古今和歌集にはひとつしかなく、しかも、その歌には「神代」も「神」という言葉もない。一つしかないので、どの歌かすぐわかる。
新古今和歌集は、藤原定家が編纂者のひとりだった。なので、定家も「千早古神代」であることを十分認識していた。このことからも、古今和歌集より新しい表現の「新・古今和歌集」であるといえようか。
今もって「なぜ難解なのだろう。」か?
難解だということで落語にもなった。
たつたがわ、を漢字で書くと川という文字があるだろう
だからと言って、river のことではない
関取が、昔いたんだ
その関取がな、ちはや、という花魁を見初めたんだが、関取なんて嫌だと拒否された
ならば、妹の、かみよ、でもいい、と交渉したんだがな
おねさまがいやなものは、わちきもいやでありんす、と
ちはや、にふられ
かみよ、もいうことをきかない
かみよも、きかず、だ
へええ、・・・、???
分かるかな
えっ、・・・
それで、すっかり、世の中が嫌になってな、女断ちをして精進しても、こんなことなら相撲取りなんか、もうやめだ、と故郷に帰ったんだ
父親の豆腐屋を引き継ぎ、暮らしていたところ
店先に女乞食が来て、なにも食べてないので、せめて、おからでもください、という
どこかで見た顔だが、じっとみると、ちはや、だ
お、お前は千早だな
俺を振った、千早じゃないか
お前なんかに
おからだって、くれてやるものか
・・・
からくれないに
というわけだ、分かるかな
え、?、なに、・・・、そういうことですかい
と、話はつづき、拒否された、ちはや、は、とうとう店先の井戸に身を投げてしまう
どぼーん、とな
へええ、そういうことだったんですかぁ、・・・
そういうことだ、わかるね
井戸の水に身を投げた、つまり
みずくぐるとは、だな
漢字で書くと、水潜る、だ。
そうなんですか
と、ここまで話が進み、いい加減だなあ、と思う人もいるだろう。
しかし、「括り染め」ではないぞ、と、落語家は考えたのだ。エライ!。エライというか、「水はすくえても、括ることなどできない」という現実的な体験から思っただけだ。しかし、頭で考える人も多い。まあ、知ったかぶりをするご隠居さんの、訊かれて応えなければ、威厳が保てない立場に、ときどき、子供の宿題の答えが、分からないこともある身の人としては、親近感さえ感じるので、多少の同情を寄せながらも、いい加減さにあきれ、聞き入るのだろう。まあ、うちに子供はいないけど。
この落語が作られた当時は、手書きの文字の札が一般的で、「千早振る神代もきかす」と書かれたのも多かった。いくつかの文字で書かれているが、最初は、
千早振る
と書かれているのが多い。なので、こんな話を思いついたのだ。そのまま、花魁の名前に変えた話にしただけだが、誰でも思いつくわけではない。零落した公家の手内職のカルタを見て、ろくに解釈もできない貴族たちを、「振る」とはなんだ、それが、みやび、かと疑問をもって、明快に解釈できないにしても、何かがおかしい、という庶民心をネタに、ともに笑いとばそうというところは、噺家もたいしたものである。「いつも忙しいと言って、ちゃんと教えてくれない」と言う子供の言葉を耳に残して、ご隠居さんのところに教えを請いにきたのだから、ちょっとでも疑問に思うことは、ちゃんと確認しておかないといけないのだ。ということで、いよいよ最終段階の「オチ」にいたるのだ。
分かるかな。 ・・・、・・・
だいたい、わかったんですがね、最後の、とは、とはなんですかい
えっ、なに、「とは」?、それぐらいまけとけ
いやいや、そうはいきません、みそひともじの、ふたもじですから、まけられません
なに、ふうむ、おまえのいうことは、せいろんだ。「ふたもじ」でも、おろそかにはできない。してはならない。
でしょ、 で、なんですかい、とは、とは
せかすではない、と、ここで、いっぷく。
とは、とは、だなあ、・・・
なんですか、とは、とは
とは、とは、千早の本名だ。

この落語の以前から難解だとされてきた。原因は幾つか重なっている。
私が百人一首の勉強のために買った本の一つに、島津忠夫訳注・新版百人一首・角川ソフィア文庫がある。この人の現代語訳は、次の通りだ。
(人の世にあってはもちろんのこと)不思議なことのあった神代にも聞いたことがない。竜田川にまっ赤な色に紅葉がちりばめ、その下を水がくぐって流れるということは。
賀茂真淵以下今日の通説の、下句を「こんなにまっ赤な色に水をくくり染めにするなどとは」といった 解釈が正しいんであろう。
この訳は、尾崎雅嘉・百人一首一夕話の解説を受け継いでいる。
歌の心は千早ふるは神といふ枕詞なり。神代には様々の怪しき事共ありしと聞くに、今この竜田川の絵を見れば一面に赤き色の中より青き水がくくると見ゆる、このように怪しき事は神代にもありしとは聞かずといふコトなり。
ホンマかいな・・・
「赤な色に水をくくり染めにする」という日本語は、括り染めの現物を見たことない人の言葉だろう。
他の人の解説も見てみよう。
歌人
竜田川の秋、紅葉はからくれないの千入の色だ。川一面の散りもみじは、流れのままに広がり、時に細りもして絞りの染めの美しさ。川がもみじの絞り染めとは、神代の古事にさえ聞いてはおらぬ。語注 「ちはやふる」・・・勢いが激しいの意で、「神」の枕詞。
詩人
聞いたこと ないぞ
ちはやぶる 神々の時代にだって
この龍田川の川のみずが
真っ赤な紅葉で
唐の紅色に
括り染めされる
なんてことは
小説家
竜田川の水の面
まるで紅のしぼり染め
紅葉の錦の唐くれない
神代にもこんな美しさがあったとは
聞いたこともない
なんとみごとな美しさ
どれも似たようなもんだ。
このへんで、短歌を自分でも作ってみたらどうか。日本人なら誰でもできる。
  • 春は花 秋は紅葉の 美しさ 竜田の川の 錦なりけり
はい、よくできました。頭なでなで、30点。
えええっ、30点なの
30点が嫌なら、20点だ。
なんでぇ
なんでか分からなければ、考えなさい。それで何が言いたいのか。歌の心とは何か。
実は、私は行ったこともない。どのように美しいのか知らないが「竜田の川」は紅葉の名所で、すばらしいと、よく知られていた。誰でも知っているを「うつくしい」と言っただけでは、どんな「うつくしさ」か分からない。その歌の「こころ」とはなになのか。それに、この歌の下の句は、百人一首にある次の歌と同じだ。
  • あらし吹く三室の山のもみじばは 竜田の川の 錦なりけり  能因法師
ああ、あ、・・・
佐伯梅友、校注・古今和歌集・岩波文庫、巻第五 秋歌下 294 「ちはやふる・・・」は
秋の歌として分類されていて、脚注に、
① 枕詞
② めずらしい事のあった神代でも聞いた事がない。
③~⑤ 竜田川で美しい紅色に水をくくり染めにするとは。
紅葉の流れるのを水をくくり染めに染めたものものと見立てた。
こんな注を、そのまま疑いもせず、信じて、いいのだろうか。
在原業平が思っていた神代は、千早古だから、千年の昔で、今から、ざっと二千年まえになる。今と同じように紅葉が美しかったと考えて無理はない。紅葉は日本の自然現象であって、千年経とうが、二千年経とうが、気候は多少変動するにしても、昔から今までの二千年で、基本的には変わらない。
「水くくる」これを「くくり染め」だと解釈したのは、賀茂真淵?だそうだが、これはごく普通にみて疑問。賀茂真淵は、頭でっかちの、奇をてらう癖があったような人で、人と違うことをいい、他人の注意を引くかのようだ。真淵でなく、契沖であろうと、誰が言い出したか、誰でもいいが、本質的に、糸で括った部分は染まらず、白く残る。どんな形で残るのかは、絞り染めした布を見れば分かる。到底、紅葉の葉には見えない。又「から紅」に染めるということは、全体としては赤い布になる。赤い川に白い紅葉、ということになる。赤いのは紅葉でしょ。それが白なら、何、これ、ということだ。素朴に、考えればいい。考えなくても、見れば分かる、
「見立てた」???
何を馬鹿なことを、学者がもっともらしく言うのは疑った方がいい。
この歌は、女性に向けた歌だった。
詩人
聞いたこと ないぞ
ちはやぶる 神々の時代にだって
この龍田川の川のみずが
真っ赤な紅葉で
唐の紅色に
括り染めされる
なんてことは
このように理解したのでは、こんな歌をもらても、嬉しくもなんともないだろう。そして、逆に、こんな風にしか理解されないのであれば、恋文など出さない。もちろん、在原業平には愛されない、と思う。業平だけでなく、誰も相手にしようとは思わないような気がする。恋文をもらったことなどないのかな、 恋文でしょ、これ。愛の言葉でしょ。

〇     〇     〇

さて、この歌はどのような状況下で読まれたのか。歌が詠まれた、「時」と「場所」、を含む「状況」を理解することが重要だ。
ついでに、ちょっと、コンピューターに訊いてみよう。
TPOは「Time(時間)」「Place(場所)」「Occasion(場面)」の頭文字を取った略語で、状況に応じた適切な行動や服装を選ぶことを意味します。
服装ばかりではない。状況に応じた歌が詠まれた、はずだ。
古今和歌集・巻第五・秋歌下の「そせい」の歌の前の詞書にある状況だった。

二条の后の東宮のみやす所と申しける時に、御屏風に竜田川にもみぢ流れたるかたをかけりけるを題にてよめる
   もみぢ葉のながれてとまるみなとには 紅深き浪やたつらん  そせい
   ちはやふる神世もきかず たつた川から紅にみずくくるとは  なりひら朝臣

このように屏風絵を見て二人が詠んだ。その屏風の持ち主は、「二条の后」、即ち、業平が恋した、というか、愛した女だった。その人に贈る歌に、自分の心を託さないはずはない。普通。恋をしたことのある、知性ある人なら、その心境はよく分かるだろう。川が真っ赤に染まるほどに浮いた一面の紅葉は、当然、二条の后、即ち、藤原高子であり、彼女への思いを、その真紅の紅葉の下を流れる川に託した、と解するのが、ごく常識的のように思われる。出だしが、「千早古 神世も聞かず」、このように漢字で書かれていれば、なんら問題はなかったのに、皆さんは困惑したようだ。とにかく、業平は、いままでの歴史上にないほどの美しい紅葉だ、と思ったのだ。
紅葉、は色々な木や草で見られる現象で、木の種類や場所によって、黄色や赤に変化する。例えば、蔵王のような場所では黄色だ。あるいは、銀杏の場合も黄色だ。紅葉というように「くれない」という文字を使っている、葉が赤くなる木が一般的な「もみじ」だ。色づきに一番影響するのは気象条件で、急激に冷えこんだり、谷川の霧の発生具合など、温度や湿度、あるいは日照条件が紅葉に影響する。植物学的、化学現象的な説明は専門家が解明していることだろう。どのような条件で赤くなるかはインターネットで検索すれば出てくるだろう。地形とか気象条件に基本的な変化がなければ、毎年同じ場所で発生する日本列島における、自然現象だととらえてよい。
千年、二千年の昔、即ち、在原業平が言う、神代の昔から変わることはない、従って、「神代も聞かず」という珍しい現象ではない。しかし、業平は、「神代も聞かず」と思ったのだ。このこと自体を否定してもしようがない。業平は思ったのだ。そう表現したかった。
 神代は、業平からみて千年の昔のことだ、古い時代の遠い昔のこと。長い歴史の中でも、特に、この紅葉は美しい。こんなに美しい紅葉の話は聞いたこともないと、表現したかったわけだ。美しい紅葉は、美しい人、を表している。
一面に美しい紅葉を浮かべる川は昔からずっと変わりなく流れ続けている。私の心もこの流れのように変わりない。あなたのことを思っている。と、まあ、意味的には、こんな感じで高子の顔を見ながら、業平は歌に詠んだのだろう。
ここで、藤原満基の評価を思い出そう。「是は心詞かけたる所なきゆへに入れらるる也」と。私はこの文を、島津忠夫の本で知った。せっかくこのように評価しているのに、理解もしない島津忠夫の解釈に疑問を感じざるをえない。歌はこころ、でしょ。「こころ、と、ことば」でしょ。「心詞かけたる所なき」歌でしょ。
業平の時代にはなかったが、今は、絶世の美女、という言葉がある。「絶世」を言い換えれば「神世も聞かず」となる。逆に「神世も聞かず」は「絶世の」だ。
その美しい紅葉のような「あなた」。
竜田川、即ち、私の上に浮かんでいる。言い換えれば川は紅葉の下を流れている。当然、「括る」ではない。「潜る」という表現になる。
ここまで書けば、あとは書かなくてもいいかもしれない。
元々、恋の歌、あるいは、愛の歌、だという意識で読めばどう感じるのか。
一応、枕詞は、飾りのようなもので意味を深くと問わない、と言われているので、仮に省いて考えてみてもいい。
・・・・・
神世もきかず 
たつた川
から紅に
みずくくるとは
これで受身側の女性は「恋の歌」だととらえられるか。これでもだめだろうな。
ここで、また、ちょっと短歌的に遊んでみよう。

絶世の紅葉を浮かべ竜田川 流れは永久に絶えることなく

これで「絶世の紅葉」は自分のことだと理解できるだろうか。

今もなお 俺はお前が 好きだとは 言えぬ心を 紅葉に託し
公に 好きとは言えぬ お后の 屏風絵ほめる 業平朝臣 

詞書は「二条の后の東宮のみやす所と申しける時に、御屏風に竜田川にもみぢ流れたるかたをかけりけるを題にてよめる」とあり、「二条の后」と呼ばれたようだが、「東宮のみやす所」の時は、清和天皇が皇太子の頃ということで、清和天皇は高子より8歳年下だし、年齢的には、入内し女御になったのは、25歳で、それ以前のことだ。なので、公にも大胆だったかもしれない。この辺はわからない。
言葉がどのような状況下で発せられたのか、繰り返すが、歌の心は何なのかが重要だ。
「から紅」とあるので、画家も珍しい輸入品の絵具を使い、綺麗な色で美しく描けたと自慢できる絵だったのかもしれない。しかし、画家の技量をほめたところで、何のおもしろくもない。
歌を詠んだ人、即ち、在原業平の「心」は何か、歌を詠むとは、どういうことか。ごく基本的なところで「歌」を理解することが重要だ。
  • 作詞家の松本隆は「ラブソング以外の歌って、何がある?」と言う。
これは昔から変わらない。おなじことだ。もちろん恋心だけでなく、色々な思いを歌にするのだが、「恋心」はごく普通に誰にでも、いわば共通のことだから、まず、「恋心」かな、と考えてみるのがよい。
在原業平は、過去に、参照できる勅撰和歌集もない頃、こうした歌を詠んでいることを考えれば、「その心あまりて言葉たらず。しぼめる花の、色なくしてにほひ残れるがごとし。」などという紀貫之の評価は、藤原公任と比較すると、いかにもレベルが低いという感じがする。紀貫之の小野小町に対するの評も辛いように思える。あるいは、小町や業平ほどの歌を詠めないことで、嫉妬したのかと、勘繰りたくもなる。もう一度、紀貫之の歌を意識しながら、古今和歌集じっくり読んでみるのもいいかもしれないと思う。

〇     〇     〇

「ちはやぶる」の歌は、藤原満基の評価のように、確実に高子の胸に響いたと思う。しかし、業平の心は、晴れることはなかっただろう。

いとおしい うらみはせぬが あじきなき よをおもいつつ うたをよむみは  遊水
 
人もをし 人もうらめし あぢきなく 
世を思ふゆゑに 物思ふ身は   後鳥羽院