2022年4月7日木曜日

なぜかしら 2

なぜかしら 2

■ 「言葉の連想・連鎖、恋の歌・愛の歌」の頁で
■ 次の短歌をあげた。
  • なぜかしら
  • 結婚してゆく男たち
  • 私の次にできた彼女と
■ このように「なぜかしら」と疑問を持つことはいいことだ。
■ 私は、百人一首を読み、なぜ定家はこの歌を選んだのか、人はなぜこの歌を詠んだのか。
■ そんな問いかけをしてきた。
■ この歌も今一度とりあげてみよう。
■ 幾つかの見方があるだろうけれど、
■ 先ず、男が最初に選んだのはこの人だった。
■ しかし、結婚したのは、次の人だった。
■ 要するに、男と女の価値の基準が違っていた、ということだ。
■ そして「なぜかしら」と思ったのは、その価値観の違いに気づいてないからだ。
■ あるいは認めたくないからだ。
■ これはこの人だけでなく、一般的にもいえることだ。
■ 一般的にも言えることだから、この歌は評価できる。
■ 内面を打ち明けるような歌はなかなかない。
■ 個人的な日常の雑文的短歌が多い中で、この歌は取り上げる価値がある。
■ 結婚ばかりでなく、「なぜかしら」と色々なことについていえるだろう。
■ さて、比較して、次の人の方がよい、と男は思ったという事実がある。
■ なぜ最初にこの人を選んだのかというと、例えば美人だったからかもしれない。
■ 付き合う前に外見で判断するのはひとつの方法だ。
■ なぜかしら、と疑問を持つのは、
■ 男が選んだ、次の人より自分の方が上のはずなのに、と思うからだろう。
■ 男の方は、付き合ってみて、思った程ではなかったということなのだろう。
■ どのように思ったほどではなかったのか、ということは色々あるだろうけれど、
■ 肌が合わない、ということもあるだろうし、
■ 知的に出来すぎていて、息苦しい、といったこともあったかもしれない。
■ 好みが違っていた、とか、色々あるだろう。
■ 経済基盤が違ったかもしれない。
■ 男は身の丈に合った選択をしたのかもしれない。
■ 求めるものが違っていた。
■ 短歌を作る人だから、
■ あるいは、夢と現実という違いがあるかもしれないが、
■ 「男たち」とあるから、問題はこの人自身にありそうだけれど
  • 結婚してゆく男たち
  • 私の次にできた彼女と
■ この人は、何人の、男たち、と、できた、のかなどというのはゲスの勘ぐりというもので
■ 作者から離れ、ひとつの歌として読まないといけないだろう。 
■ その後、どんな歌を詠んだのか、そういう個人的なことは、まあ、どうでもいい。
■ なぜかしら、なぜだろう、と問いかけることは新しい見方ができることになるだろう。
■ 教訓的に言えば、
■ 社会が、また、人間が、そして、人生とは何かが分かろうというものなのだ。
■ 男たち、とあるが何人の男たちかは知らない。
■ 世の中には男も女もたくさんいるのだ。
  • 恋せよ乙女
  • 熱き唇あせぬまに
■ かな。
  • あふまでの おもひはことの かずならで わかれぞこひの はじめなりける  寂蓮
■ ということであれば、判断基準が向上するだろう。
■  さて、丸谷才一・新々百人一首で、藤原定家・小倉百人一首と同様に、
■ なぜ彼はこれら百首選んだのか 、と思った。
■ 勅撰和歌集等は、 一般的には、春、夏、秋、冬、恋、等
■ 部立てがある。
■ そして巻頭歌はそのうち優れた歌が選ばれる。
■ 恋の部では、
  • 君により思ひならひぬ世の中のひとはこれをや恋といふらむ  在原業平
■ この歌が、2度選ばれている、と彼は指摘している。
■ なるほどである。
■ 新々百人一首も、春夏秋冬、賀、哀傷、旅、離別、恋、雑、釈教、神祗、の部立だ。
■ それらの中でそれぞれ最初の歌は何かと思った。
■ これについては、また後でとりあげてみよう。