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2022年6月19日日曜日

それが今日だと思わざりけり

それが今日だと思わざりけり

■ 古今和歌集・861
  • ついにゆく道とはかねてききしかど 昨日今日とは思わざりしを  なりひら
  • その時が いつか来るとは 知りながら それが今日だと 思わざりけり  遊水
■ 私ならば、こう作る、ということだ。
■ ラジオ番組で「あとは寝るだけ」というのがあるようだが、
■ なんか、あとは死ぬだけ、という感じで、無駄話は聞きたくない。

2022年5月31日火曜日

例えば、在原業平の歌

例えば、在原業平の歌

■ 代表的歌はどれかについて、 次の4首を取り上げてみよう。
  1. 世の中にたえてさくらのなかりせば 春の心はのどけからまし(古今53)
  2. ちはやぶる神世もきかず たつた川から紅に水くくるとは(古今294)
  3. 月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 我が身ひとつはもとの身にして(古今747)
  4. きみにより思ひならひぬ世の中の人はこれをや恋といふらむ(続古今944)
■ 自選だとすれば、古今集の詞書からみて、3」の歌かと思う。
■ 私が選ぶとすれば、4」かな、・・・
■ 在原業平は56歳で880年に死んだ。
■ 今から、1142年前のことだ。
■ ざっと千年の昔だとしても、
■ 現在、我々は、彼あるいは彼と同時代の人々と同等の歌を詠むことができるのか、
■ 千年経って、どれほど言語空間が広がり、深まり、豊かになったと言えるのか。
■ 在原業平の言語感覚は優れていて評価できる。
■ 仮に、AとBがあり
  • AよりBが優れているとすれば
  • Bを生み出した世界が、Aの世界より優っているということになる。
  • それを、時間の長さで表現した場合、
  • Aの千年昔がBだとすれば、Bを生み出した世界が千年以上であったということになる。
■ こうした大雑把な論理展開は必ずしも正しいとは言えないが、感覚的にとらえられる。
■ 千年昔に在原業平がこのような歌が詠んだということは、
■ 彼がいた時点から更に千年昔、つまり、今から2千年前にもそれなりの言語空間は存在したと言える。
■ 言葉は、科学技術のような発明とは違い、人の間で使われていたのだから、
■ これらの歌が、何もないところから出てきたのではなく、当然、人間がいて、社会があった。
■ 日本語を話す日本人の文化があった、と考えられる。
■ そして、2千年という時間に限定されるものでもない。
■ 現代における情報媒体の高度化による伝搬の速さを考慮し比較すると、
■ 千年前の速度はかなり遅いと思われるから、
■ 千年、2千年という程度ではなく、
■ もっと古くから日本語の文化は存在し
■ 彼らの歌が生み出される基盤となる世界があったと考えて不思議ではない。
■  千年とか2千年というような数字で表すと問題ではあるが、
■ 論理的 でないとはいえない。
■ 紀元前にも日本語の世界が存在したとみてよい。
■ もうひとつ
■ 紫式部は1019年までは生きていたようだ。
■ それまでに源氏物語を書いている。
■ 世界的にみて、彼女の源氏物語と同等の文学作品がどこにあるのか。
■ と、まあ、そういうことだ。
■ 

2022年5月30日月曜日

千早古 神代にあらず 人の世の 心は今も 歌の言葉に

千早古 神代にあらず 人の世の 心は今も 歌の言葉に
■ 古事記は神の話しから始まっている。
■ 百人一首に「神代」という言葉があるが、これが古事記の神々の時代をさしているのかどうか、
■ 当時の神代の認識が千年前かどうかを厳密に議論するつもりはない。
■ ただ、
  • 別天神五柱
  • 神世七代
■ この七代目の神が「伊邪那岐命・伊邪那美命二柱神」であり、
■ 神社もあり、国生み、神生み、としてよく知られている。
■ 自分たちの遠い祖先は、こうだった、という想像の世界だ。
■ 漢字で書かれ「神」とあるが、もちろん人間で、
■ 遠い昔のことでよく分かっていないので、 神話として象徴化して、
■ 「かみ」と呼んでいるに過ぎない。
■ 日本語で「かみ」という言葉は幾つもあり、漢字で書けばまるっきり無関係に見えるが、
■ 共通する概念がある。
■ 人であったり、モノであったり、位置関係など、
■ 優れて「上」にあるモノを「かみ」と呼び、大切にしてきた。
■ 神業というようなほめ言葉もある。
■ 菅原道真のように優れた人を虐げたことが天災の原因だと考え
■ 祟りを恐れて、祭り上げて、「かみ」とすることも多い。
■ 要するに、敬う対象を「かみ」と呼んだのだ。
■ 漢字は当て字なのだから、「かな」で考えた方が自然だけれど、
■ 文字にするから誤解が生じた。
■ 当然ながら、元々人間でない「神」という存在があったわけではない。
■ その点、日本人は、少なくとも昔の人々は、人間とは何か、言葉とは何か、
■ 「尊さ」とは何かを自然界を含め現実に即して認識していたと考えられる。
  • 千早古 神代にあらず 人の世の 心は今も 歌の言葉に  遊水
■ 古事記や日本書紀、あるいは、万葉集や勅撰和歌集、
■ また、百人一首など、残されている言葉に人々の心を知ることができる。
■ 今日の人の心にも通じることだと思われる。
 

2022年4月7日木曜日

なぜかしら 2

なぜかしら 2

■ 「言葉の連想・連鎖、恋の歌・愛の歌」の頁で
■ 次の短歌をあげた。
  • なぜかしら
  • 結婚してゆく男たち
  • 私の次にできた彼女と
■ このように「なぜかしら」と疑問を持つことはいいことだ。
■ 私は、百人一首を読み、なぜ定家はこの歌を選んだのか、人はなぜこの歌を詠んだのか。
■ そんな問いかけをしてきた。
■ この歌も今一度とりあげてみよう。
■ 幾つかの見方があるだろうけれど、
■ 先ず、男が最初に選んだのはこの人だった。
■ しかし、結婚したのは、次の人だった。
■ 要するに、男と女の価値の基準が違っていた、ということだ。
■ そして「なぜかしら」と思ったのは、その価値観の違いに気づいてないからだ。
■ あるいは認めたくないからだ。
■ これはこの人だけでなく、一般的にもいえることだ。
■ 一般的にも言えることだから、この歌は評価できる。
■ 内面を打ち明けるような歌はなかなかない。
■ 個人的な日常の雑文的短歌が多い中で、この歌は取り上げる価値がある。
■ 結婚ばかりでなく、「なぜかしら」と色々なことについていえるだろう。
■ さて、比較して、次の人の方がよい、と男は思ったという事実がある。
■ なぜ最初にこの人を選んだのかというと、例えば美人だったからかもしれない。
■ 付き合う前に外見で判断するのはひとつの方法だ。
■ なぜかしら、と疑問を持つのは、
■ 男が選んだ、次の人より自分の方が上のはずなのに、と思うからだろう。
■ 男の方は、付き合ってみて、思った程ではなかったということなのだろう。
■ どのように思ったほどではなかったのか、ということは色々あるだろうけれど、
■ 肌が合わない、ということもあるだろうし、
■ 知的に出来すぎていて、息苦しい、といったこともあったかもしれない。
■ 好みが違っていた、とか、色々あるだろう。
■ 経済基盤が違ったかもしれない。
■ 男は身の丈に合った選択をしたのかもしれない。
■ 求めるものが違っていた。
■ 短歌を作る人だから、
■ あるいは、夢と現実という違いがあるかもしれないが、
■ 「男たち」とあるから、問題はこの人自身にありそうだけれど
  • 結婚してゆく男たち
  • 私の次にできた彼女と
■ この人は、何人の、男たち、と、できた、のかなどというのはゲスの勘ぐりというもので
■ 作者から離れ、ひとつの歌として読まないといけないだろう。 
■ その後、どんな歌を詠んだのか、そういう個人的なことは、まあ、どうでもいい。
■ なぜかしら、なぜだろう、と問いかけることは新しい見方ができることになるだろう。
■ 教訓的に言えば、
■ 社会が、また、人間が、そして、人生とは何かが分かろうというものなのだ。
■ 男たち、とあるが何人の男たちかは知らない。
■ 世の中には男も女もたくさんいるのだ。
  • 恋せよ乙女
  • 熱き唇あせぬまに
■ かな。
  • あふまでの おもひはことの かずならで わかれぞこひの はじめなりける  寂蓮
■ ということであれば、判断基準が向上するだろう。
■  さて、丸谷才一・新々百人一首で、藤原定家・小倉百人一首と同様に、
■ なぜ彼はこれら百首選んだのか 、と思った。
■ 勅撰和歌集等は、 一般的には、春、夏、秋、冬、恋、等
■ 部立てがある。
■ そして巻頭歌はそのうち優れた歌が選ばれる。
■ 恋の部では、
  • 君により思ひならひぬ世の中のひとはこれをや恋といふらむ  在原業平
■ この歌が、2度選ばれている、と彼は指摘している。
■ なるほどである。
■ 新々百人一首も、春夏秋冬、賀、哀傷、旅、離別、恋、雑、釈教、神祗、の部立だ。
■ それらの中でそれぞれ最初の歌は何かと思った。
■ これについては、また後でとりあげてみよう。