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2026年2月7日土曜日

俳句と色、と「春風」の話

■ 2026-02-07
■ 過去の頁を振り返っていたら、こんなことをしていた。元々は、・・・

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2025年12月13日土曜日

土曜日は詩歌の日、・・・

■ 2025-12-13
■ 今朝の、日本経済新聞・歌壇に彼の歌があった。
  • さびしさに色とか匂いありますか?異国にいると考えること  ザンビア・川端和夫
■ これを見て、・・・
■ 思い出した。

2025年6月13日金曜日

色のコト

■ 2025-06-13
■ スカーレット




2025年5月17日土曜日

母逝きて 今はかえらぬ 日々なれば 悲しみ色の 秋風ぞ吹く



■ 2025-05-17
■ 2025-05-16
  • ■ 「色々」を「いろいろ」とするのは日本語の文化が貧弱になるように思われる。
■ 「いろいろ」って何ですか、と訊かれたとき、どう応えるかだ。
■ 言葉は単なる「用具」ではない。長い時間と多くの人によって使われてきたモノだ。
■ そこで、ちょっと思い出した。
■ 自分が書いた短歌に、どのように書いたかを忘れていた。
■ それで、思い付きで、ひとつ書いたが、振り返ってみると、「身にしむ色」だった。

秋風はいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ   和泉式部
しろたへの袖の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く     藤原定家
母逝きて はや幾年か 忘れども 身にしむ色の 秋風ぞ吹く  橋本遊水
母逝きて 今はかえらぬ 日々なれば 悲しみ色の 秋風ぞ吹く   遊水

■ 並べてみると「悲しみ色」の方がいいかもしれないと思う。
■ 「色」の使い方で

いろみえで うつろふものは よのなかの ひとのこころの はなにぞありける  小町

■ 小野小町は人の心をよく読んで表現している。
■ 当時と現在では、ことば、の数が違うかもしれない。
■ 「悲しい」という言葉がなかったのかもしれない。
■ あるかないか、よく知らないが、研究対象にしてもいいかもしれない。
■ 現代に生きていたら、どんな歌になるのか、考えてみたが、難しい。
■ 「色」の歴史が古いからだろう。
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■ ついでながら、
色即是空
■ この場合の「色」はどんなイロでしょうね。
■ 三蔵法師の時代の文字だから、「色街」のイロだろう。
■ 色は色彩の色ばかりではない。
■ 色即是空 空即是色、と玄奘 は翻訳したが、当時は性的乱れがひどかったのだろう。
■ この経文は論理的には不完全だが、
■ 「色」を目に見えるものととらえると、視覚ばかりでなく聴覚、触覚、感覚など
■ いわゆる五感による捉え方もあるので、目で見えるものが全てではないことをブツダは教えていたのかもしれない。
■ 要するに、対象などをちゃんと正しくとらえなさい、と。
■ そうすると、モノみな「空」であることが分かる、と。

2023年2月3日金曜日

漢字で書けば「ゆうなぎろ」は「夕凪色」

■ 昨日、YouTube を見ていたら、横っちょに勝手に出てくる動画がある。
■ 今、よく見られているのが出てくる、というコトか。
■ それとも、見る側の傾向を勝手に判断して絞り込みなのか、どうでもいいが、・・・
■ ↑、こんな動画があった。
■ 日本語で難しい「カタカナ英語」はよく言われるけれど、確か「ナカ国」姉妹も話していたような。↑
■ これらと、
  • 何の関係あるねん
■ と、思わんでもないが、

2022年9月16日金曜日

音色、色、color、身にしむような秋風ぞ吹く

  • しろたへの袖の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く  藤原定家
  • 母逝きて はや幾年か 忘れども 身にしむ色の 秋風ぞ吹く  橋本遊水
■ 「色」や「color」というとらえ方は、いわば人間のごく基本的な認識のひとつだ。
■ と書いた。
■ 音色、と言う言葉で分かるように、色彩の色ではない。
■ 上に挙げた歌では、・・・
  • 身にしむような
■ としてよい。
■ 英語だけでなく、他の言語でも「色」と同様な使い方がなされるかどうなんだろう。
  • 色無き風
■ このような言葉が使われると混乱するだろう。
■ 元々、風に色があるわけではない。
■ ついでながら、「風」という言葉も古いと思われる。
  • 和風、洋風
■ というような場合、自然現象としての風ではない。

2022年9月14日水曜日

身にしむ色の秋風ぞ吹く、「色」という言葉について

■ 先に、小島かおりさんのコラムの歌について取り上げた。
■ 彼女は「色」という言葉を、絵の具の色のような「色」としてとらえていたようだ。
■ 色という言葉は古く、広く長く使われている間に、色々・様々な使い方がされてきた。
■ 単に、絵の具の色のような色ばかりではない。
■ 例えば、
  • 音色
■ この場合の色はどんな色ですか。
■ この「音色」の色について考えてみるといいでしょう。
  • 顔色、をうかがう
■ こういう使い方もする。
■ いちいち私がここに書かなくても辞書引けばすぐ分かることだ。
  • 百人一首 040 平兼盛 忍れど 色に出でにけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで
■ この歌も同様だ。
■ これは英語の場合でも似たようなもので、
■ 表現としての言葉は違うが、使われ方はごく基本的には同じだ。
■ つまり、
■ 「色」や「color」というとらえ方は、いわば人間のごく基本的な認識のひとつだ。
■ 昔、こんなことも書いていた。


2022年1月21日金曜日

彼の心変わり、と、我が容姿

 彼の心変わり、と、我が容姿

■ 小野小町は恋多き女だと言われているが、知性にあふれていた。
  • 花の色は うつりにけりな いたづらに わがみ世にふる ながめせしまに  // 小野小町
  • 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の 花にぞありける // 小野小町
■ 知的女性が嫌われるのは世の常かもしれない。
■ 藤原定家は小倉・百人一首に小野小町の「花の色は」の歌を取り上げた。
■ 「色見えで」の歌は人の心、というか、相手の心変わりをなじるような歌だが、
■ 「花の色は」は自分を鏡に映しているような歌だ。
■ 定家は、幾つも関連の歌を詠んでいる。
  • さくら花 うつりにけりな とばかりを 歎きもあへず つもる春かな // 藤原定家
  • わが身よに ふるともなしの ながめして いく春風に 花のちるらむ
  • 参考 : 小野小町 千人万首 (asahi-net.or.jp)
■ 幾つも詠んでいるのは、ひとつでは表せない、納得できないからだったのではないだろうか。
■ 定家の「花」は桜以外のモノではなく、桜だから「花のちるらむ」としていて
■ いかにも半端だ。
■ 本質的でなければ納得できるはずもない。
■ 小野小町の二つの歌は、いずれも
  • 色が移る
■ 即ち、色が変化することを詠んでいる。
  • 色が変化する花は何か
■ を考えるべきだろう。
■ 桜ではない。
■ まあ、そういうことだ。
■ 小野小町は「色見えで」の歌を先に作り、その後に「花の色は」の歌を詠んだのかもしれない。
■ 相手をなじるばかりでなく、我を省みたとも考えられる。
■ 定家は小町の女心をとらえきれなかったものと思われる。
■ しかし、取り上げているのは、カンのようなものかもしれない。
■ 「花の色は」の方が百人一首向きだといえる。
  • 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の アジサイの花 // 遊水
■ アジサイは色が変化し、しかも散らない。枯れ残る。
■ 容姿が変化し、いとわしく思っても、老残の身になるのだ。
■ これがアジサイという花の本質的な姿だ。いわば、運命なのだ。
■ アジサイの花を我が身の運命だと気づき意識したならば、
  • 花の色は うつりにけりな いたづらに わがみ世にふる ながめせしまに  // 小野小町
■ と、詠み嘆かざるを得ない。
■ ただ嘆き悲しむばかりでなく、客観的に歌にしたところが、知性であり、
■ 人は皆同じだという認識にもつながる。
■ 定家のように、小町の花が桜だとする人がいても、
  • わがみ世にふる ながめせしまに
■ という感慨は変わらない。
■ 自分は同じだと思っても、時は過ぎ去り、世は移り行くのだ。
■