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2026年8月10日月曜日

もう一度「なぜ」と問うてみる。なぜ、定家は配列を変えたのか。

■ 2026-08-10
■ 塚本邦雄は、島津忠夫注釈の「百人一首」を参照していた。
■ 島津忠夫は、尾﨑雅嘉の「百人一首一夕話」を参照していた。
■ 従って、この「夕話」を見るのもよいかと思われる。
■ 清少納言や紫式部のころ、白氏文集はよく知られていた。
■ そして、清少納言は、少なくとも、和漢朗詠集を見ていた、と思われる。

蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草庵中  和漢朗詠集巻下「山家」

■ 枕草子に、この詩句に関する記述があるからだ。
■ 藤原定家は、彼女たちのように白氏文集に接してはいなかったと考えられる。
■ ところが、「百人一首一夕話」には、この詩について記述がある。
・・・と作れる詩の句とまた、
蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草庵中
といふ句などを吟じて歌を詠む時は、この歌もおのずから心深く調べも高く詠まるるなりと宣えり。これらの心用ひ、父俊成卿の桐火桶のことにも劣らざりしなり。
■ なるほど。
■ では、なぜ、定家は、この詩を上げたのか。
■ 定家は、和漢朗詠集の大納言公任についてはよく知っていた。
■ この白楽天の詩句を和漢朗詠集で知っていたともいえるが、・・・
■ 次の疑問と併せて考えるとよい。
■ なぜ、定家は配列を変えたのか。
■ 枕草子の、この詩句に関する記述があるところを読んだからだ。
■ これに替わる答えがなければ、これが答えだろう。