ラベル 小野小町 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 小野小町 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年7月7日火曜日

時をかける少女、と、ラベンダー かおりにふっと かるくなる ゆめがうつつに ときをうつりて  遊水 2026-07-08

2026年の伝統的七夕(旧暦7月7日)は8月19日
■ きのうは、7/6 というコトで



■ 筒井康隆の、時をかける少女、について見た。
■ 短歌にすると

ジャスミンの 香りにふっと 軽くなる 夢がうつつに 時を移りて  遊水
ラベンダー 香りにふっと 軽くなる 夢がうつつに 時を移りて   遊水
うたた寝に 恋しき人を 見てしより 夢てふものは 頼みそめてき  小町

■ 文字数で、ジャスミンにしてみたが、やはり、ラベンダーの方がいいか。


2025年5月17日土曜日

母逝きて 今はかえらぬ 日々なれば 悲しみ色の 秋風ぞ吹く



■ 2025-05-17
■ 2025-05-16
  • ■ 「色々」を「いろいろ」とするのは日本語の文化が貧弱になるように思われる。
■ 「いろいろ」って何ですか、と訊かれたとき、どう応えるかだ。
■ 言葉は単なる「用具」ではない。長い時間と多くの人によって使われてきたモノだ。
■ そこで、ちょっと思い出した。
■ 自分が書いた短歌に、どのように書いたかを忘れていた。
■ それで、思い付きで、ひとつ書いたが、振り返ってみると、「身にしむ色」だった。

秋風はいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ   和泉式部
しろたへの袖の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く     藤原定家
母逝きて はや幾年か 忘れども 身にしむ色の 秋風ぞ吹く  橋本遊水
母逝きて 今はかえらぬ 日々なれば 悲しみ色の 秋風ぞ吹く   遊水

■ 並べてみると「悲しみ色」の方がいいかもしれないと思う。
■ 「色」の使い方で

いろみえで うつろふものは よのなかの ひとのこころの はなにぞありける  小町

■ 小野小町は人の心をよく読んで表現している。
■ 当時と現在では、ことば、の数が違うかもしれない。
■ 「悲しい」という言葉がなかったのかもしれない。
■ あるかないか、よく知らないが、研究対象にしてもいいかもしれない。
■ 現代に生きていたら、どんな歌になるのか、考えてみたが、難しい。
■ 「色」の歴史が古いからだろう。
------------------------------------------------------------
■ ついでながら、
色即是空
■ この場合の「色」はどんなイロでしょうね。
■ 三蔵法師の時代の文字だから、「色街」のイロだろう。
■ 色は色彩の色ばかりではない。
■ 色即是空 空即是色、と玄奘 は翻訳したが、当時は性的乱れがひどかったのだろう。
■ この経文は論理的には不完全だが、
■ 「色」を目に見えるものととらえると、視覚ばかりでなく聴覚、触覚、感覚など
■ いわゆる五感による捉え方もあるので、目で見えるものが全てではないことをブツダは教えていたのかもしれない。
■ 要するに、対象などをちゃんと正しくとらえなさい、と。
■ そうすると、モノみな「空」であることが分かる、と。

2023年6月7日水曜日

小野小町、メモ

■ 2023-06-07
■ 昨日の日本経済新聞・夕刊に、高橋のぶ子、小野小町を描く新作長編、として
■ 桂星子、との名で記事があった。
実作としてはっきり伝わるのは「古今和歌集」の18首のみ
■ こんなことが 書かれていた。これが高橋のぶ子の言ったことか、桂星子が書いたことか、
■ よく分からんが、例えば、
島津忠夫訳注・新版百人一首には「古今集」「後選集」にとられた22首が確実な作と言える
■ ・・・と、ある。
■ まあ、このあたりは学者の言うコトの方が信用できそううに思う。
■ 高橋のぶ子は、先に「小説伊勢物語 業平」を書いたことからでもあるのか、・・・
ふたりを男女の仲ではなく、歌の朋友と描いた。
「これは私の願望です」
■ ・・・と。
■ このあたりが、小説の限界だといえよう。
■ 塩野七生は「ローマ人物語」23・危機と克服[下]・新潮文庫・一つの「計器」の項で
作家だからと言って勝手気ままに書くわけではなく、対象に選んだからにはそれについての調査と研究が必要になる。・・・
■ この項は何頁かあるが、ここに書かれていることが、塩野七生の作品の面白さだ。
■ 尾崎雅嘉・百人一首夕話では、古今集の序にある「衣通姫」の流なり、を受けて、
■ 日本書紀・巻第十三・允恭天皇に記載されていることを長々と記している。
■ 古今和歌集序、の
小野小町之歌、古衣通姫之流也。然艶而無気力。如病婦之着花粉。
■ このような記述、即ち、紀貫之のとらえ方をそのまま受けているようだ。
■ 古今和歌集は、
柿本人麿
山部赤人
かの御時よりこの方、年は百年あまり 、・・・
在原業平
文屋康秀
喜撰法師
小野小町
大友黒主
■ これらの人をあげ
紀友則
紀貫之
凡河内躬恒
壬生忠岑
■ ・・・により編纂されている。
■ 藤原定家・小倉百人一首の並びは最初の方は、ほぼ年代順に並べられているような感じだ。
09 小野小町
12 僧正遍照
17 在原業平
22 文屋康秀
・・・
29 凡河内躬恒
30 壬生忠岑
33 紀友則
35 紀貫之
■ 小野小町は僧正遍照や、文屋康秀との交流は精神的な意味も含めあったようだ。
■ 業平との交流も必ずしも否定はできない。
■ 小野小町の言語空間はその時代、および、過去の時代から成り立っている。
■ 和歌に顕れている、ことば、 の世界を調べてみることが必要だろう。
■ 高橋のぶ子「百夜(ももよ)」は
現代だって女性が「男性にとっての女性」「社会にとっての女性」から離れるのは大変
■ と、いう立場のようだ。
■ 古今和歌集の評価が根底にある感じだ。
■ まあ、いい。
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを
うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき  ●
いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞ着る
■ 「夢」の歌が多いので夢の小町などの評もあったようだが、
■ 丸谷才一は、新々百人一首に「うたたねに」の歌をあげ、・・・
  • うたた寝
  • 見る
■ ・・・の面から評論している。
だが、「人を見てしより」の扱い方が精妙なため、第二層がちらちらゆらめく仕掛けになっていて、その見え隠れの淫蕩さにこそこの歌たの魅力があるやうだ。
■ と。・・・ふうむ。
■ 要するに、当時「見る」というのは、夜に寝て性交をする意味なので、・・・
■ ありていに言えば身もふたもないが、・・・
■ 男と寝てよかった時のことを思い出しながら、うっふん、と思い出し笑いをしている。
■ というコト。
■ このような観点からみれば、このような歌を詠む精神は・・・
■ 高橋のぶ子のとらえる「男性にとっての女性」とかいう感じとはかなり異なるようだ。
■ ・・・


★

2022年8月15日月曜日

小野小町、応援隊2

小野小町、応援隊2

■ 平安時代前期9世紀頃の女流歌人
■ 3首取り上げてみた。
■ 孤独感があり、共感を覚える。
  • 木がらしの風にも散らで人知れず
  • 憂き言の葉のつもる頃かな〔新古1802〕
  •  
  • はかなしや我が身の果てよ浅みどり
  • 野辺にたなびく霞と思へば〔新古758〕
  •  
  • うたたねに恋しき人を見てしより
  • 夢てふものはたのみそめてき(古今553)
■ 今の世に、どれだけの人がいるか、知ろうとは思わない。
■ 自分と言葉を交わす人には限りがある。
■ ただ、千年以上の昔の人の歌に、心が生きている。

2022年7月28日木曜日

小野小町、応援隊

小野小町、応援隊

  • 海人のすむ 浦こぐ舟の 
  • かぢをなみ 世をうみわたる 我ぞ悲しき // 小野小町
■ 人の歌を理解するためには、自分の言葉で詠んでみるのがいい、と思うが、
■ 人の歌の言葉そのものを伝えるには、本歌取りするしかないのかもしれない。
■ ここにあげた小野小町の歌は、やはり、上の句がよくない。
  • 伊勢の海 
■ とするのもひとつの方法だ。
  • 伊勢の海 浦漕ぐ舟の 梶を無み 世を倦み渡る 我ぞ悲しき // 小町・遊水
■ 応援隊、といってもひとりだけれど、とりあえず。
 
 

2022年4月26日火曜日

小野小町の歌に応えて

 小野小町の歌に応えて

 ■ 

  • 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の 花にぞありける   小野小町
  • いにしえの やまとごころよ はるのひに 色は変わらず 散る桜かな   遊水
■ 
  • 花の色は うつりにけりな いたづらに わがみ世にふる ながめせしまに   小野小町
  • 紫陽花の 色移りゆく 長雨に 小野小町の 昔も今も   遊水
■ 

2022年4月7日木曜日

なぜかしら、「Tennessee Waltz」

なぜかしら、「Tennessee Waltz」

■ 「Tennessee Waltz」を女性が歌うとき
  • When an old friend I happened to see
  • I introduced her
■ とする。
■ なぜ?
  • My friend stole my sweetheart from me
■ 元々男の歌だから、女が歌うとき、sweetheart という歌詞は不適当だけれど、
■ それは置いといて、
■ これは逆に言えば、私の友達が選ばれ、自分は捨てられた、ということなのに
■ なぜ、この歌を歌う彼女たちは「I introduced her」と歌い、自分が捨てられたがるのか。
■ 捨てられたのは「なぜかしら」と思わないのか。
■ beautiful T.W. などと言っている場合ではないだろう、と思う。
■ ついでながら、歌詞を替えるとすれば、パートナーでもいいかもしれない。
  • sweetheart >> (dancing) partner
  • My friend stole my partner from me
■ もうひとつ、little を省くか、別の言葉にする。
  • Yes, I lost my (little) darling
  • Yes, I lost my only dear one
■ 英語に堪能な人なら、男でも女でも歌える、もっと適切な言葉も知っているだろう。
■ まあ、いい。
■ 先に、次の短歌を取り上げた。
  • なぜかしら結婚してゆく男たち私の次にできた彼女と
■ 次のように変えて英訳した。
 
日本語英語、google 翻訳

 

  • なぜかしら

  • 結婚してゆく男たち

  • 私でなくて

  • 次の彼女と

 
  • I wonder why
    men getting married
    not me
    with the next girlfriend
 
 
■ この歌を見たとき、テネシーワルツも思い出したのだ。
■ とにかく、流行する歌、あるいは、歌い続けられる歌について
■ 振り返ってみるのはいいと思う。
■ 時代や社会によって変わらない何かがある。
■ それにしても英語は
  • My friend stole
  • my sweetheart
  • from me
■ この、my, my, me 、このような言葉遣いにしなければいけないものか、
■ ところで、
  • いろみえで うつろうものは よのなかの ひとのこころの はなにぞありける  // 小野小町
■ こんな歌がある。
■ この歌については
  • 彼の心変わり、と、我が容姿
  • ふる雨に色移りゆく紫陽花を愛でつつ悲し人の心は
  • 心変わり
  • だけど見えない花の色まで
■ などの頁に書いた。
■ 要するに、人の心は状況により変わることがある。
■ ずっと昔に、こんな認識があったということで歌がある。
■ 昔も今も変わらない。
■ しかし、なぜ変わるのかについてははっきりしたものはない。
■ 相対的だからだ。
■ だから「なぜかしら」という自問になる。
■ 小野小町は平安時代後期の人だ。
■ 確か、いいくに、が鎌倉時代の始めだったから、その前の平安時代。
■ 今からざっと1000年前のことだ。
■ 日本文化と言葉の深さに思い至すのである。
 

2022年2月22日火曜日

標なき海に我が舟かぢをなみ潮の流れに身をまかせつつ

 標なき海に我が舟かぢをなみ潮の流れに身をまかせつつ
 
  • 由良のとを わたる舟人 かぢをたえ 行方もしらぬ 恋の道かな  曾禰好忠(新古1071)、百人一首・46番
  • 海人のすむ 浦こぐ舟の かぢをなみ 世をうみわたる 我ぞ悲しき  小野小町(後撰1090)
■ 先に、藤原定家の歌は万葉集を素にしていることを書いたとき
■ 「由良のとを」の歌もこの万葉集・笠金村の歌を参考にしている、と書いたが、
■ 万葉集を直接見たのではなく、小野小町の歌などを参考にした、ということかもしれない。
■ 当時、写本がどのていど普及していたかによるが、
■ 源実朝が藤原定家からもらって感激した、ことなどから推察すると、直接は見てないと考えた方が現実的だ。
■ 小野小町は知っていただろう。
■ 同じ言葉が使われている。
  • 名寸隅乃|船瀬従所見|淡路嶋|
  • 松<帆>乃浦尓|朝名藝尓|玉藻苅管|暮菜寸二|藻塩焼乍|海末通女|
  • 有跡者雖聞|見尓将去|餘四能無者|大夫之|情者梨荷|手弱女乃|念多和美手|
  • 俳徊|吾者衣戀流|船梶雄名三
■ さて、この万葉集の歌の最後は
  • たわやめの おもひたわみて たもとほり あれはぞこふる ふなかぢをなみ
■ こんなふうに訳されていたが、「吾者衣戀流」の部分がよくわからない。
■ 「衣」という文字は、万葉仮名では「え」のようだ。
■ 「衣」がなぜ「ぞ」になるのか。
■ 写し間違いの可能性もあるように思う。
■ 意味的には「わがこいながる」という感じで、片思いなのだから。
■ 困る。
■ これについては、また、あとで、ということにする。
■ さて、小野小町の歌は「世を倦み」「海渡る」とするうまさがある。
■ だが、「あまのすむ うらこぐ」の部分はいかにも説明的だ。
■ ほかに書きようがあったのではないかと思うが、 家にいて作った歌だろう。
■ 説明的というより、笠金村の歌に「海女」とあるので、受け継いだだけ。
  • 玉藻刈る 海人をとめども 見に行かむ 船楫もがも 波高くとも  笠金村(万6-936)
■ しかし、小町の歌だけみると、やはり、何とかならなかったかと思う。
■ たとえば、海と倦み、の二つをあえて使い、耳で聞くとき、おや、と思わせる手もあるかもしれない。
  • しるべなき うみにわがふね かぢをなみ 世を倦みわたる 日々ぞ悲しき   //  遊水
  • しるべなき うみにわがふね かぢをなみ ただよいうかぶ こころかなしき 
  • しるべなき うみにわがふね かぢをなみ しおのながれに みをまかせつつ  //  遊水
■ 3」は現在の日本という船に乗っている感じだ。
  • 笠金村 船梶雄名三
  • 小野小町 舟のかぢをなみ
  • 曾禰好忠 舟人かぢをたえ
■ 好忠が「かぢをたえ」にしたのは、舟でなく、舟人、だからだが、これらの発想の元は万葉集の笠金村の長歌にある。
■ あるいは、更に先に使われているかもしれないことについては、学者の仕事だ。
■ ついでながら
■ ついでながら
■ 由良のとを現在の京都府宮津市とする説があるようだが
■ 柿本人麻呂の「天離 夷之長道従 恋来者 自明門 倭嶋所見(3-255)」と同様に「と」「門」は海峡をさす。
■ これはどこかにも書いたような気がする。
■ 

2022年2月2日水曜日

だけど見えない花の色まで

 だけど見えない花の色まで

  • 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の 花にぞありける // 小野小町
■ この歌は日本語的には論理的だけれど、
■ 「人の心の花」は象徴的表現だから、翻訳しにくい。
■ 「世の中の」と一般的なことのようにみえるが、
■ その実、「人の心」は「あなたの心」をさしている。
■ 歌は誰かに読ませるために書き送る。
■ 「あなた」ではなく「人」と間接的に表現するのは、心を取り戻させるためで、
■ 「人の心」とあなたは言うけれど「私は違いますよ」という弁解の余地を残している。
■ しかし、小野小町は
  • 花の色はうつりにけりないたづらに
■ と詠っている。
■ 結局のところ相手の心変わりを変えさせることはできず、離れてしまった、ということになる。
■ 「色見えで」の歌が後に詠まれたのだとすると。
■ 非難しながらも、それが人の世とあきらめたということになる。
 
日本語英語、google 翻訳
 
  • 人の心の中に咲く花の色は
    他人には見えない

  • だから彼の心の中の花の色は

  • 変化する

 
  • The color of the flowers that bloom in people's hearts
    Invisible to others
  • So the color of the flower in his heart
  • Change

  •  お互いの 心に花を 咲かせたい だけど見えない 花の色まで // 遊水
■ この歌の下の句の英訳がうまくできない。
■ 相手の本当の心が分かりにくい、ということなのだけれど、
■ しょうがないので、とりあえず書き換えた。
 
日本語英語、google 翻訳
 
  •  お互いの心に

    花を咲かせたい

    だけど咲いても
    色は見えない
     
 
  • In each other's hearts


  • I want to make flowers bloom


  • But even if it blooms
    I can't see the color

■ 英語の「 I 」が煩わしい。

2022年1月24日月曜日

心変わり

 心変わり

■ 和歌や短歌をそのまま翻訳するのは難しい
色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の 花にぞありける // 小野小町

色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の アジサイの花 // 遊水

■ 英語圏で紫陽花の花の色の変化はどうとらえられているのか知らないので、 
■ 次のような散文にしてみた。
 
日本語英語、google 翻訳
 
  • 人の心の中に咲く花の色は
    他人には見えない

  • だから彼の心の中の花の色は

  • 変化する

 
  • The color of the flowers that bloom in people's hearts
    Invisible to others
  • So the color of the flower in his heart
  • Change
 

 

ふる雨に色移りゆく紫陽花を愛でつつ悲し人の心は

 ふる雨に色移りゆく紫陽花を愛でつつ悲し人の心は
色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の 花にぞありける // 小野小町
花の色は うつりにけりな いたづらに わがみ世にふる ながめせしまに  // 小野小町
■ 小野小町はうまいなと感心するけれど、どうだろう。
■ 小野小町が百人一首の歌だけでなく、もう一つ作っていた。
■ まとめてひとつでいいじゃないか、と。
■ 私が作ると、もう少し客観的な詠み方になる。
小野小町の歌に添えて
ふるあめに いろうつりゆく あじさいを めでつつかなし ひとのこころは // 遊水
■  と、ここまで書いて、歌を思い出した。
■ どんな歌詞だったのか。
男と女のお話 - 日吉ミミ (歌詞CC付) - YouTube
作詞 久仁京介 1970-05-05 発売された歌。
■ まあ、昔も今もたいして変わらん恋の歌。
■ 昔も今も、つったって、その歌、昔の歌ジャン、今の歌じゃないジャン、
■ 「ジャン」言葉は今の言葉かどうか知らんが、まあ、いいか。
■ ところで
ふるあめに いろうつりゆく 
あじさいを 
めでつつかなし ひとのこころは
■ これで、小野小町のふたつの歌の心を表しているといえるだろうか。
■ 「いろうつりゆく」だけで心変わりまで表現できたとは言えないかもしれないし、
■ 「ひとのこころは」の人とは誰のことかということになりそうだ。
■ ただ、小野小町のふたつの歌と併せて読むとどうだろう。
小野小町の歌に添えて
■ と詞書をつけてみた。
■ 歌手が歌う歌にも歌詞だけでなく題がある。
■ 詞書は、男と女の話、でもいい。
■ ただ、小野小町が
■ 「人の心の 花にぞありける」ではなく
色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の アジサイの花 // 遊水
■ としてくれていたら、おそらく、なんの問題もなかったはずなのだ。
■ そして、定家も他の人たちもそれなりの視点で色々歌を詠んだに違いない。
■ そうすることにより、もっと世界が広がったように思われる。
■ 今回私がこのように変えたことにより、これからの人が小野小町にこだわらず、
■ 自らの歌として紫陽花や他の花を詠んだらいいと思う。

■ 

2022年1月21日金曜日

彼の心変わり、と、我が容姿

 彼の心変わり、と、我が容姿

■ 小野小町は恋多き女だと言われているが、知性にあふれていた。
  • 花の色は うつりにけりな いたづらに わがみ世にふる ながめせしまに  // 小野小町
  • 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の 花にぞありける // 小野小町
■ 知的女性が嫌われるのは世の常かもしれない。
■ 藤原定家は小倉・百人一首に小野小町の「花の色は」の歌を取り上げた。
■ 「色見えで」の歌は人の心、というか、相手の心変わりをなじるような歌だが、
■ 「花の色は」は自分を鏡に映しているような歌だ。
■ 定家は、幾つも関連の歌を詠んでいる。
  • さくら花 うつりにけりな とばかりを 歎きもあへず つもる春かな // 藤原定家
  • わが身よに ふるともなしの ながめして いく春風に 花のちるらむ
  • 参考 : 小野小町 千人万首 (asahi-net.or.jp)
■ 幾つも詠んでいるのは、ひとつでは表せない、納得できないからだったのではないだろうか。
■ 定家の「花」は桜以外のモノではなく、桜だから「花のちるらむ」としていて
■ いかにも半端だ。
■ 本質的でなければ納得できるはずもない。
■ 小野小町の二つの歌は、いずれも
  • 色が移る
■ 即ち、色が変化することを詠んでいる。
  • 色が変化する花は何か
■ を考えるべきだろう。
■ 桜ではない。
■ まあ、そういうことだ。
■ 小野小町は「色見えで」の歌を先に作り、その後に「花の色は」の歌を詠んだのかもしれない。
■ 相手をなじるばかりでなく、我を省みたとも考えられる。
■ 定家は小町の女心をとらえきれなかったものと思われる。
■ しかし、取り上げているのは、カンのようなものかもしれない。
■ 「花の色は」の方が百人一首向きだといえる。
  • 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の アジサイの花 // 遊水
■ アジサイは色が変化し、しかも散らない。枯れ残る。
■ 容姿が変化し、いとわしく思っても、老残の身になるのだ。
■ これがアジサイという花の本質的な姿だ。いわば、運命なのだ。
■ アジサイの花を我が身の運命だと気づき意識したならば、
  • 花の色は うつりにけりな いたづらに わがみ世にふる ながめせしまに  // 小野小町
■ と、詠み嘆かざるを得ない。
■ ただ嘆き悲しむばかりでなく、客観的に歌にしたところが、知性であり、
■ 人は皆同じだという認識にもつながる。
■ 定家のように、小町の花が桜だとする人がいても、
  • わがみ世にふる ながめせしまに
■ という感慨は変わらない。
■ 自分は同じだと思っても、時は過ぎ去り、世は移り行くのだ。
■ 

 

2022年1月18日火曜日

万葉集に、紫陽花の歌2首

 万葉集に、紫陽花の歌2首
■ シーボルトの画集の紫陽花は今見る紫陽花とほぼ同じ。
■ 牧野植物図鑑には
  • アジサイ
  • Hydrangea macrophylla (Tumb.ex Murray)Ser.
  • もとガクアジサイを母種として、日本で生まれた園芸種である
■ とある。
■ 万葉集の歌には、
■ とある。当時からアジサイが歌にも詠まれていた。
■ 大伴家持の歌は
  • [歌番号] 04/0773
  • [題詞] (大伴宿祢家持従久邇京贈坂上大嬢歌五首)
  • [原文] 事不問 木尚味狭藍 諸<弟>等之 練乃村戸二 所詐来
  • [訓読] 言とはぬ木すらあじさゐ諸弟らが練りのむらとにあざむかえけり
  • [仮名] こととはぬ きすらあじさゐ もろとらが ねりのむらとに あざむかえけり
■ これだけではちょっと分かりにくいが5首を読めば分かるだろう。
  • 心変わり
  • アジサイの色の変化
■ ということのようだ。
■ アジサイを「味狭藍」と当て字しているのは面白い。先の歌では「安治佐為」だった。
■ 大伴家持と相手との関係は今のところどうでもいい。
■ 昔、小野小町の歌の掛詞などの解説を読んで、なるほどうまいものだと感心した。
■ もう一つの歌も併せ読むといいかもしれない。
  • 花の色は うつりにけりな いたづらに わがみ世にふる ながめせしまに  // 小野小町
  • 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の 花にぞありける // 小野小町
■ 次の歌と比較してみよう。
  • はかなくて 過ぎにしかたを 数ふれば 花にものおもふ 春ぞへにける // 式子内親王
■ 「はかなくて」は桜の花のように思う。
■ 「色見えで」の花は、必ずしも桜とは言えないかもしれない。
■ というのも、例えば、
  • 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の アジサイの花 // 遊水
  • 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の 桜なりけり // ??
■ としたとき、桜では何か違和感を感じる。
■ 上の句と下の句が意味的にちぐはぐだ。
■ やはり、
  • 桜は散る
■ という感じで、色が「うつろう物」ではない。
■ しかし、定家は桜だとみていたようだ。
■ 知性あふれる言葉遣いの小野小町の歌と比較すると、いかにも、つまらん歌だが、これで分かる。
■ 式子内親王の上に挙げた歌と比較しても数段落ちる。
■ 定家は何を言いたいのかね。
■ それは、まあ、いい。
■ 他にも派生歌はいくつもあるようだが、アジサイを意識したものはない。
■ 定家の時代は武士の時代であり、小野小町の時代とは違った人生観や価値観があり
■ 時代としても、好みの対象が変わったというべきかもしれない。
■ 定家のように「花」を「桜」と思うのは読む人の勝手だが、小野小町の心や感性としてはどうだろう。
  • 昔の人の歌は、かなり論理的、知的だ。
■ 過去の人の評価や価値観にとらわれず、言葉そのものの意味を歌自体から読み取るべきだろう。
  • いつの場合も、花を桜とするのは、いかにも単純だ。
■ しかし、定家が、小町の「色見えで」の歌ではなく「花の色は」を百人一首として選んだのは当然だったかもしれない。
■ なぜ定家はこっちを選んだのかが百人一首としては興味あるところだ。
■ 藤原定家は、歌人としてはどうか、かもしれないが、選者としては、違う。
■ それは選手とコーチや監督との違いと同様だ。
■ 後日書いてみよう。
■ 歌を理解するには自分の言葉で作ってみるとよい。
■ 言葉にしたとき、客観的に自分を見ることができる。
■ 自分にとって桜とは何か、花とは何かだ。
■ ついでながら、和歌に現れる花としては、
  • 橘
■ にも関心がある。
■ 桜よりも橘の香の方がより官能的だからだ。
■  

2022年1月12日水曜日

紫陽花の花

 紫陽花の花

■ 2022-01-12、2022-01-15 追記
■ 昨日は雨だった。
■ 晴野雨読だ。鳥見散歩にもでず、万葉集などパラパラ読みをしていた。
■ なるほど、・・・
  • つれづれに うたよみおれば あめのひに あじさいのはな さきにけるかな // 遊水
  • いにしえの きょうのみやこの あじさいを めでつつかなし いろうつりゆく // 遊水
  • あじさいの いろうつりゆく いたずらに わがみよにふる ながめせしまに // 遊水
  • こいおおき おののこまちの よむうたの こころとことば りにかないけん // 遊水
  • いにしえの きょうのみやこの さくらばな ゆきとふれども いろはかわらじ // 遊水
  • はなざかり はなよりだんごと さわぐひと おののこまちの こころもしらず // 遊水
■ 
  • 万葉の 花は梅なり 
  • 平安の 花は桜と 人のいう 俗説なれば わかりやすけれ // 遊水
■ 
  • 桜散り 雨ふり続く 日に我は 心静かに 紫陽花の花 // 遊水
  • 長雨に 外を眺めて 紫陽花の 色移りゆく さまを楽しむ // 遊水
■ 2022-01-15 追記

■  「八重咲くごとく」とはアジサイは花がたくさん集まっている、という感じでもあるけれど

■ 「八つ代に」ということからすると時間的経過があるので、色の変化と見るのがよいように思う。

■ 小野小町の

  • 花の色は うつりにけりな いたづらに
    わが身世にふる ながめせしまに

■ この「花」を桜とするのは意味合いから無理のような気がする。

■ 万葉集にアジサイの歌が詠われていることからこの「花」は何かを見直してもいいように思う。

■ 絶対アジサイだと断定するつもりはないが、アジサイだとして読むとすっきりする。

■ 以前から気になっていたが、私としては、これで、まあ、解決したという感じだ。

■ 紫陽花の花の写真は何度か撮っている。

■ 例えば、ブログ「なんとなく そんなもんだよ はるのかぜ」で

■ 「紫陽花」と検索すると何頁もあり、その中に忘れていたけれど、

■ 万葉集の上記の歌についての記述をしていた。

■