標なき海に我が舟かぢをなみ潮の流れに身をまかせつつ
- 由良のとを わたる舟人 かぢをたえ 行方もしらぬ 恋の道かな 曾禰好忠(新古1071)、百人一首・46番
- 海人のすむ 浦こぐ舟の かぢをなみ 世をうみわたる 我ぞ悲しき 小野小町(後撰1090)
■ 「由良のとを」の歌もこの万葉集・笠金村の歌を参考にしている、と書いたが、
■ 万葉集を直接見たのではなく、小野小町の歌などを参考にした、ということかもしれない。
■ 当時、写本がどのていど普及していたかによるが、
■ 源実朝が藤原定家からもらって感激した、ことなどから推察すると、直接は見てないと考えた方が現実的だ。
■ 小野小町は知っていただろう。
■ 同じ言葉が使われている。
- 名寸隅乃|船瀬従所見|淡路嶋|
- 松<帆>乃浦尓|朝名藝尓|玉藻苅管|暮菜寸二|藻塩焼乍|海末通女|
- 有跡者雖聞|見尓将去|餘四能無者|大夫之|情者梨荷|手弱女乃|念多和美手|
- 俳徊|吾者衣戀流|船梶雄名三
- たわやめの おもひたわみて たもとほり あれはぞこふる ふなかぢをなみ
■ 「衣」という文字は、万葉仮名では「え」のようだ。
■ 「衣」がなぜ「ぞ」になるのか。
■ 写し間違いの可能性もあるように思う。
■ 意味的には「わがこいながる」という感じで、片思いなのだから。
■ 困る。
■ これについては、また、あとで、ということにする。
■ さて、小野小町の歌は「世を倦み」「海渡る」とするうまさがある。
■ だが、「あまのすむ うらこぐ」の部分はいかにも説明的だ。
■ ほかに書きようがあったのではないかと思うが、 家にいて作った歌だろう。
■ 説明的というより、笠金村の歌に「海女」とあるので、受け継いだだけ。
- 玉藻刈る
海人 をとめども 見に行かむ船楫 もがも 波高くとも 笠金村(万6-936)
■ たとえば、海と倦み、の二つをあえて使い、耳で聞くとき、おや、と思わせる手もあるかもしれない。
- しるべなき うみにわがふね かぢをなみ 世を倦みわたる 日々ぞ悲しき // 遊水
- しるべなき うみにわがふね かぢをなみ ただよいうかぶ こころかなしき
- しるべなき うみにわがふね かぢをなみ しおのながれに みをまかせつつ // 遊水
- 笠金村 船梶雄名三
- 小野小町 舟のかぢをなみ
- 曾禰好忠 舟人かぢをたえ
■ あるいは、更に先に使われているかもしれないことについては、学者の仕事だ。
■ ついでながら
■ ついでながら
■ 由良のとを現在の京都府宮津市とする説があるようだが
■ 柿本人麻呂の「天離 夷之長道従 恋来者 自明門 倭嶋所見(3-255)」と同様に「と」「門」は海峡をさす。
■ これはどこかにも書いたような気がする。
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