2022年2月26日土曜日

関所と和歌の論理性

 関所と和歌の論理性

■ 以下を読み直し、こんなことを書くのもどうか、とも思う。
■ また、いつか書き直すかもしれない。
■ とりあえず現時点での感想だ。
■ 百人一首には、これやこの・「逢坂の関」の他に、
  • 女につかはしける
  • 名にしおはば逢坂山のさねかづら人にしられでくるよしもがな  (後撰700)
  • 名にしおはば山のさねかづら人にしられでくるよしもがな  三条右大臣藤原定方
■ こんな歌がある。
■ こんな歌をなぜ定家は選んだのかという気がする。
  • 人にしられでくるよしもがな
■ これは、男がある女の子に、
  • お父さんやお母さんとか、他人に知られずに君に会いに来ることができないかなあ
  • そんな方法を知らないか
■ などと、人目を盗んでということだ、と考えれば分かりやすい。
■ 逆に、男に会いたいばかりに、自分の欲望を満たせるならばと、女も共犯になる可能性も高い。
■ 男が「女につかわしける」ということだから
■ いわば犯罪に巻き込み誘いこむような臭いがする。
■ 昔の和歌は論理的だ。
■ 和歌は上の句と下の句は密接な関係がある。
■ 上の句に「」とある。
■ しかも、「名にしおはば」とあるのだから、この場所がなぜよく知られていることをしめしている。
  • ■ 関所で有名な、逢坂山だ。
  • ■ 関所は、よからぬ人間や物が入ってくるのを抑える為にある。
  • ■ 要するに、密入国者や密輸品の入国を防止する。
  • ■ それを、人に知られで、などとはいかにも密入国者の発想だ。
  • ■ 「よしもがな」と、手だてはないか、抜け道はないかと訊いている感じだ。
■ よろしくない。
■ 右大臣のすることか、ということになる。
■ 禁を犯してでも逢いたい程の相手、と思わせることができるかもしれないが、
■ 逢いに来るのがやましいことだと感じていた。
■ だから、こんな歌が出来たのだ。
■ という見方もできるが、どのような状況でこんな歌を作ったのか。
■ 現実の世界と、言葉の世界の区別がつくかどうかだけれど、
■ もう一つは、女から「なぜ来てくれないのか」という問いかけに、
■ 行きたいのはやまやまだが、関所があるからゆけないんだ、という言い訳のようにも考えられなくはない。
■ その辺のところはどうでもいい。
■ 手元の解説本を見ると、「名にしおはば」について書かれていない。
■ 関所 について書かれてないのはどういうことなのか。
■ これに触れなければ何の解説かと思う。
■ インターネットで検索すると、他に、ちゃんとした解説もあるだろう。
■ 歌としては、
■ 上の句と下の句の関連性をきちんと説明しなければ、解説にはならない。
■ この歌が作られた当時には関所の必要性があった。
■ 今はどうなんだ、という問いかけは国の意味の問いかけと同様だろう。
■ 今の人は、安全な社会に関心はないのか。