■ まず万葉集・原文を見てみよう。
- [歌番号]19/4292
[題詞]廿五日作歌一首
[原文]宇良々々尓 照流春日尓 比婆理安我里 情悲毛 比<登>里志於母倍婆
[訓読]うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも独し思へば
[仮名]うらうらに てれるはるひに ひばりあがり こころかなしも ひとりしおもへば
[左注]春日遅々鶬鶊正啼 悽惆之意非歌難撥耳 仍作此歌式展締緒 但此巻中不稱 作者名字徒録年月所處縁起者 皆大伴宿祢家持裁作歌詞也
[校異]等 -> 登 [元][類][文][紀]
[事項]天平勝宝5年2月25日 年紀 作者:大伴家持 悲嘆 春愁 動物 孤独
[訓異]うらうらに[寛],
てれるはるひに[寛],
ひばりあがり,[寛]ひはりあかり,
こころかなしも[寛],
ひとりしおもへば,[寛]ひとりしおもへは,
■ 「に」が続いている。
- うらうらに
- てれるはるびに
■ 「に」が二度使われるのは煩わしい。現代語的に言えば
- うらうらと
■ という感じだ。
- うらうらに、照れる
■ このような言葉遣いから
- うららかな
■ という表現がこの頃なかったのかもしれないと思う。
■ というのも
- うららかな、であれば、てれる、につながらず、
- うららかな 春
■ となるだろう。
■ さて、先に次の歌を作った。
- うらうらと ひかりのどけき はるのひに こころしずかに はなをめでたり
- うららかな こころまちした はるなのに きもちもしらず はなはちりゆく 遊水
■ 何を言おうとしているのか、というと、紀友則の歌
- ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しづごころなく はなのちるらむ
■ 並べてみると分かるが、「ひさかたの」は「ひかり」にかかる言葉ではない。
■ 春にかかる。
■ つまり「久方の春」である。
■ ひさかたという言葉が多く使われるようになり枕詞として分類されたようだ。
■ 誰が最初に使ったのか。
■ 元々は、枕詞であったとは考えられない。
■ ついでながら、以前こんな歌を作った。
- うららかな みそらにひばり なきのぼる そのうたかなし ひとりしおもえば
■ ということで、・・・
■ 美空の唄を聞いてみよう。