2026年5月4日月曜日

藤原定家の義理、と、人情

■ 2026-04-04
■ 定家は後鳥羽院に対して義理があった。
■ しかし、自分の歌集として「百人一首」の一番いい場所に、他人の作を置くほどであったとは考えにくい。百人一首は、いわば案の段階であったようにみえる。
■ 後鳥羽院は自分の歌集を作りたければ自分で作ればいいのだ。
■ 流人となった後でも新古今和歌に手を入れていたとか。
■ 定家は、後鳥羽院の縛りから離脱した「百人秀歌」で自分の歌選集とすることができた。
■ さらに、入道前太政大臣・藤原公経を番外に置くことで、もう一つの義理を果たせた。
■ それが人情というものだろう。