2022年1月21日金曜日

彼の心変わり、と、我が容姿

 彼の心変わり、と、我が容姿

■ 小野小町は恋多き女だと言われているが、知性にあふれていた。
  • 花の色は うつりにけりな いたづらに わがみ世にふる ながめせしまに  // 小野小町
  • 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の 花にぞありける // 小野小町
■ 知的女性が嫌われるのは世の常かもしれない。
■ 藤原定家は小倉・百人一首に小野小町の「花の色は」の歌を取り上げた。
■ 「色見えで」の歌は人の心、というか、相手の心変わりをなじるような歌だが、
■ 「花の色は」は自分を鏡に映しているような歌だ。
■ 定家は、幾つも関連の歌を詠んでいる。
  • さくら花 うつりにけりな とばかりを 歎きもあへず つもる春かな // 藤原定家
  • わが身よに ふるともなしの ながめして いく春風に 花のちるらむ
  • 参考 : 小野小町 千人万首 (asahi-net.or.jp)
■ 幾つも詠んでいるのは、ひとつでは表せない、納得できないからだったのではないだろうか。
■ 定家の「花」は桜以外のモノではなく、桜だから「花のちるらむ」としていて
■ いかにも半端だ。
■ 本質的でなければ納得できるはずもない。
■ 小野小町の二つの歌は、いずれも
  • 色が移る
■ 即ち、色が変化することを詠んでいる。
  • 色が変化する花は何か
■ を考えるべきだろう。
■ 桜ではない。
■ まあ、そういうことだ。
■ 小野小町は「色見えで」の歌を先に作り、その後に「花の色は」の歌を詠んだのかもしれない。
■ 相手をなじるばかりでなく、我を省みたとも考えられる。
■ 定家は小町の女心をとらえきれなかったものと思われる。
■ しかし、取り上げているのは、カンのようなものかもしれない。
■ 「花の色は」の方が百人一首向きだといえる
  • 色見えで うつろふ物は 世の中の 人の心の アジサイの花 // 遊水
■ アジサイは色が変化し、しかも散らない。枯れ残る。
■ 容姿が変化し、いとわしく思っても、老残の身になるのだ。
■ これがアジサイという花の本質的な姿だ。いわば、運命なのだ。
■ アジサイの花を我が身の運命だと気づき意識したならば、
  • 花の色は うつりにけりな いたづらに わがみ世にふる ながめせしまに  // 小野小町
■ と、詠み嘆かざるを得ない。
■ ただ嘆き悲しむばかりでなく、客観的に歌にしたところが、知性であり、
■ 人は皆同じだという認識にもつながる。
■ 定家のように、小町の花が桜だとする人がいても、
  • わがみ世にふる ながめせしまに
■ という感慨は変わらない。
■ 自分は同じだと思っても、時は過ぎ去り、世は移り行くのだ。
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