2022年6月29日水曜日

百人一首に関する中間メモ

百人一首に関する中間メモ

■ 百人一首は歌のひとつの歴史だけれど、
■ 100番目は
  • ももしきや ・・・
  • なおあまりある むかしなりけり
■ と、100年余の昔を偲んでいる
■ 1番目の歌は天智天皇作故、100年どころか約500年昔のことだ。
■ 百人一首には、在原業平の
  • ちはやふる神代
■ の歌がある。
  • ちはやぶる
  • ちはやふる
  • 千早古
■ 業平は千年昔を神代としている。
■ ということで、古事記、日本書紀の世界を参照しようかとなる。
■ そして、初代天皇、
  • 彦火火出見
■ 後の世に神武天皇と呼ばれる人について取り上げた。
■ そこで横道
■ 万葉集2番目の歌では、
  • 国原
  • 海原
■ が歌われている。
■ この時は湖があった。
■ 天智天皇、天武天皇の父の、舒明天皇の歌だ。
■ 奈良湖があったとして、いつ頃、それが消滅したのか、・・・
■ 平家物語の都遷りを見ながら、どこに各天皇は住んでいたのかを見た。
■ 湖があった場所には住んでいないはずだからだ。
■ しかし、神武天皇から舒明天皇の間はかなりの時間がある。
■ なので、奈良湖は一度消滅し、また、水が溜まることになったのではないか、
■ ではそれはいつの頃か。
■ そこで、天皇の名が参考になるのではないか、と考えた。
■ 偉大な実績を残した人にはそれなりの評価があり、それは名前に現れると考えてよい。
■ という文字が使われている天皇は3+1人いて、消去法で
  • 崇神天皇
■ が浮かび上がる。
■ ついでに、他の天皇の名前から歴史が分かるのではないか、というところまで書いた。
■ 続きを書こうかな、と思うが、面倒だ。
■ 奈良湖に関連して話しを進めるとすれば、平城京につながるかと思う。
■ 万葉集巻第一 、50に
  • 藤原の宮の役民が作る歌
■ がある。
■ 大津市南部の山から木を伐り出し、現在の巨椋干拓地まで運び
■ そこで筏に組み、木津、即ち、木の港まで運び陸揚げし現在の樫原市付近まで運んだ。
■ ただ、木津からそこまでは距離があり、この時も、おそらく湖があったのではないかという感じだ。
■ その水は、東の山辺の道から、
■ 大和三道が示す位置に少しずつ引いていったのではないかという感じもする。
■ そして、藤原京から下つ道の北端に平城京が位置する。
■ この頃の時代から百人一首が始まる。
■ と、まあ、こういうことで、後は、そのうち気が向いたら書いてみよう。