■ 先日メモ書きしていた。
■ 白州正子は清少納言が好きだった。■ このことについては頁を改めて書くことにしよう。■ 「あかねさす 日に向ひても 思ひ出でよ 都は晴れぬ ながめすらむと」この歌がどこに書かれているか、記憶になっかたので、google 検索すると、ここにあったが、
- 『枕草子』の現代語訳:122 ・・・ 226段
■ 手元の本では、226段にはなく、240段だった。
■ このメモ書きの部分が最後の方にある「清少納言論」には俳句について書かれている。
■ こんなことも書いていたのか。
■ 私と同じ見方だった。
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枕草子が書かれた時代には和歌は存在した。しかし、清少納言の醒めた眼でとらえた世界は和歌という形式では詠いきれなかったようだ。もし、彼女が現代にいて俳句という表現形式を知っていたら、ひねりの効いた句をたちどころに百や二百は作ったかもしれない。枕草子にはそんな俳句的な匂いがある。
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■ ・・・
芸術新潮・1999/12「白洲正子」全一冊
幻の原稿「清少納言」120枚一挙掲載!
■ 次のような文章もある。
これ等蕪村の句は皆清少納言が言いそうな事です。もし俳句という形を知っていたならば必ずこういうつかまえ方をしたに違いありません。
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さまざまなこと思い出す桜かな 芭蕉
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俳句を清少納言にあたえたなら彼女はすぐに飛びついた事だろうとなんだか惜しい様な気がします。
■ なるほど、なるほど。
■ 実は、この雑誌、ほったらかしにしていて、折った頁の後を読んでいたら気づいた、ということだ。
■ 白州正子はこんなことを書いただけだけど、できるなら、自分だったらこう作る、という視点でとらえることで、文化は継承されてゆくものと思う。
■ そのうち、また、何かやってみようかな、と思う。