2022年5月24日火曜日

藤原定家のみそぎ

 藤原定家の禊
■ 白洲正子・私の百人一首、に次のような記述がある。
  • 後鳥羽院をはぶくことは、批評家としての定家の自尊心が許さなかったであろうし、
  • 後鳥羽院をえらべば、順徳院を次に置くことが自然の人情であったろう。(中略)
  • お二人を最後に並べたのは選者の深い心づかいから出ていると思う。
■ 定家が百首選んだ時、最後を順徳院の歌にしたのは
  • ももしきや
■ であることから自然だった。
■ これ以外に適当な歌がなかったのかもしれない。
■ そのひとつ前に後鳥羽院を置くことも親子故に普通だったかもしれないが、
  • 深い心づかいから出ている
■ とは思えない。
■ もし、後鳥羽院に対して好感を持っていたとするなら、もっといい歌を選んだはずだ。
■ ひともをし」の歌が彼の代表的歌だとは到底思えない。
■ 隠岐に流された敗者の歌である。
■ 選者としての定家は当然ながら自分の価値判断にしたがって選択したはずだ。
■ いい歌でないのに選んだのは定家にとっては悪い歌ではないからだと思われる。
■ 百人一首は、定家自身の歌を最高位に置くことが念頭にあった、と、
■ 論理的には考えられるからだ。
■ それについては以前書いた。
■ さて、
■ 百人一首 098 従二位家隆 の歌をどうとらえたらよいのかと思っていた。
■ 「みそぎ」という言葉があるので定家は取り上げたのだと思う。
■ 何に関する禊なのか。
■ 要するに、定家は禊で何を洗い流そうとしたのか。
  • 後鳥羽院との関係
■ 百人一首の位置は
  • 定家
  • 家隆
  • 後鳥羽院
■ 家隆の爽やかな感じの歌は、定家のとがった意識を和らげる穏やかな歌だ。
■ 定家は自分にはない、家隆の歌の良さを最高に評価していたとも思われる。
■ 最後に置いておかしくない歌だった。しかし、
■ 最初に天智天皇と持統天皇を置き
■ 最後に後鳥羽院と順徳天皇を置く、という構成上の意味があった。
■ この二人の歌を省略すれば、まさに、
■ 百人一首という歌集の最後を飾る、定家・家隆、ということになる。