2026年6月14日日曜日

文字、と、ことば

◆漢詩和歌快説講座◆庚申夜、述所懐
贈王山人-丁卯集(許渾集)全文原文及譯文-識典古籍

■ 2026-06-14
■ 日本経済新聞・土曜日・詩歌教養・漢字そぞろ歩き・阿辻哲次、は面白く読んでいる。
■ 今回は、秘宝となった手紙だった。
■ 文字を宝とするのは、例えば、宝石を宝とするより素晴らしい。
■ 三希堂、について知ったのは、「墨スペシャル創刊号・台北・故宮博物館の書」だった。
■ 王義之の書は有名だが、必ずしも、私の好みではない。
■ 好み、ではないが、黄庭堅の書はおもしろい。
■ 中国の書より、日本の書の方がいい。
■ 「季刊・墨スペシャル・王朝かな書道史」に見られる、伝・藤原行成筆・粘葉本和漢朗詠集などいいと思う。人丸の歌など書かれている。
■ これだけでどんな書か想像できないかもしれない。
和漢朗詠集 647 から 652 
ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島がけれゆく 舟をしぞおもふ  人丸
わたのはら 八十島かけて 漕ぎいでぬと 人には告げよ 海女の釣り舟  野
たよりあらば 都へいかで 告げやらむ 今日白河の 関は超えぬと
・・・ 許渾
・・・ 菅
沖なかの えざるときなき 釣舟は 海女や先だつ 魚や先だつ
■ 書は物がなければ分からない。書よりも歌そのものの方が宝だという感じがする。万人が自分のモノとして選び持つコトができる。
■ どの歌を宝とするかは、人それぞれだ。
■ 藤原公任がこれらを選んだ、その心は何か。
■ 二つの漢詩と、どのような関係か。
■ 「わたのはら」は百人一首にある。「ほのぼのと」は私からみれば、「あまざかる」の明石の方がいいと思う。
■ 漢詩は「庚申」に関する詩で、検索したら番号が多少違っていた。また、ひとつは菅原道真の詩だったことに気付いた。
庚申
643 贈王山人 年長毎労推甲子 夜寒初共守庚申  許渾
644 庚申夜所懷 己酉年終冬日少 庚申夜半曉光遲  菅原道真菅丞相


土曜日の水中花

■ 2026-06-14
■ 食卓の向こうで、新聞の「漢字クイズ」をやっている、草冠が見える。
■ これとこれを足せば「花」になる。
■ 「水」はすぐ分かったけど、などとつぶやく。
■ 何文字だ、と訊くと、3文字、という。
■ だったら、「水中花」だろうと、飯を食いながらいった。
■ 「みずによし」という漢字は何か、という塙保己一のことを思い出した。
■ ~クイズ、などという、人を馬鹿にしたモノは嫌いだ。
■ 左の絵と右の絵の違いを9つあげなさい、こんなのが一番嫌いだ。
■ 今回、すぐ分かったのは、こんな頁を書いていたからだ。

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2026年6月12日金曜日

流蛍、ながれとぶ ほたるほとりと うつおんな  遊水

https://tool.hankeidou.jp/santaishi_fulltext/ コピー禁止、で見るだけ。
なんとなく そんなもんだよ はるのかぜ: 流螢
カワセミ、拡大 | なんやかや はるすぎなつの ひかりかな
アオシギが遠く動きがほとんどなかったので、カワセミを撮った。

■ 2026-06-12
■ 昨日、ブログに書いた「流蛍」の俳句を探していたら、アオシギを撮った日だった。
■ その日の頁を見た。
■ アオシギは2度目だった。
■ その後、「流蛍」は三体詩にあったと思い、本を探したが、なかなか見つからない。
■ その途中で、小川洋子・「海」、があったので裏を返すと30円で買ったことが分かる。
■ 「思い出と題名」と私が書いた文字があった。
■ 思い出せないので読んだ。
■ まだ、三体詩は見つからない。そうこうしていると、今度は、上田三四二・物に至るこころ・短歌一生、があり、ぱらぱら読みしていると、古事記の歌が引用されていた。これについてはあとで書こう。
■ ようやく見つけた。村上哲見・三体詩一、これだ。
■ この文庫本の三体詩は1から5まであるが、手元には1しかない。7言絶句の部分だ。
銀燭秋光冷畫屏
輕羅小扇撲流螢
天階夜色涼如水
臥看牽牛織女星
■ 山口誓子の句、「流蛍の自力で水を離れ飛ぶ」はこの詩をもとに作られたと思う。
■ 訳は、「かろやかな羅のちいさなうちわで、すいすいと流れ飛ぶほたるをほとりとうってみる」とある。
■ これって、俳句そのものだ。
ながれとぶ
ほたるほとりと
うってみる
■ 一応、動画も検索してみた。

輕羅小扇撲流螢
ながれとぶ ほたるほとりと うつおんな  遊水

■ 昔は、ふわふわと飛ぶ蛍を、こんな感じで採っていた。


2026年6月7日日曜日

衝撃的な出会いとは


■ 2026-06-07
■ 日本経済新聞・土曜日・短歌
■ 新聞を先に見た妻がザンビアの人の短歌が出てたよ、という。
■ でも、蜜蜂と衝撃的な出会いと何の関係があるのかしらね。
  • ザンビアがどこにあるのか知らないしそんな所に出会いはあるの
■ 短歌にすればこんな感じか。
■ そんなこと言ってないと抗議する妻。
■ 出会いは何との出会いか、人との出会いだけではないでしょ、と私。






2026年6月4日木曜日

前衛、と、題詠、2026-06-07,-08 追記。

■ 2026-06-04
■ 先日、日本経済新聞・夕刊に、馬場あき子の記事があった。
「短歌でいえば、今の歌人は塚本邦雄や葛原妙子のような前衛を自分たちの先祖だと思ってますよね。それもいいけど、・・・根っこのないものは弱いですよ」などとあった。
■ それで、高野公彦編「現代の短歌」を見たが、よく分からなかった。
■ たとえば、最近見た「歌集 ゆふすげ 美智子」では、すべての歌に「題」が付けられている。要するに、題詠だ。
■ 前衛と言われる歌人の歌は、何についての歌なのかが分かれば、あるいは、分かるのかもしれない。
■ なぜ、その歌があるのか、なぜ詠わねばならないのか、何を伝えよう、何を訴えようとしているのか、何が何やら分からん。言葉は伝えるためにある、と思うが、言葉自体を否定しているのか、分からん。
■ 塚本邦雄は、新選・小倉百人一首で、考え方は、まあ分かる。
■ 前衛など意識したことはないけど、馬場のいう「理屈でなく楽しいことを、面白がる者が世の中を前に進めるの」、これはこれでいいけど、彼女の歌に面白さを、あまり感じられないので、どんなもんかと思う。
■ 次の著作を比較すれば、塚本邦雄の方が優れているし、「根っこのないものは弱いですよ」という評は当たらない。根っこは、むしろありすぎだ。
  1. 塚本邦雄・新選・小倉百人一首
  2. 馬場あき子・馬場あき子の「百人一首」
■ ついでながら、塚本は百人一首は凡作ばかりだ、として、いいと思われる歌を上げているが、置き換えて、全体として、百人一首が成り立つのか、個々の歌が必ずしもその人の最高の作でなくても、定家はその歌を取り上げたかったと考えられる。
■ 百人秀歌の柿本人麻呂と入道前太政大臣の歌、要するに、実質的な最初と最後の歌は

  足引きの山鳥の尾のしだりおの
ながながし夜をひとりかもねん

  花さそふあらしの庭の雪ならで
ふり行くものは我身なりけり

■ 定家にとって、どちらも上の句は不要で、下の句を取り上げたかった。と考えればよいだろう。
■ それが彼の気持ちだった。
■ このような意味で「百人秀歌」を研究したらいいだろう。