2026年6月4日木曜日

前衛、と、題詠、2026-06-07,-08 追記。

■ 2026-06-04
■ 先日、日本経済新聞・夕刊に、馬場あき子の記事があった。
「短歌でいえば、今の歌人は塚本邦雄や葛原妙子のような前衛を自分たちの先祖だと思ってますよね。それもいいけど、・・・根っこのないものは弱いですよ」などとあった。
■ それで、高野公彦編「現代の短歌」を見たが、よく分からなかった。
■ たとえば、最近見た「歌集 ゆふすげ 美智子」では、すべての歌に「題」が付けられている。要するに、題詠だ。
■ 前衛と言われる歌人の歌は、何についての歌なのかが分かれば、あるいは、分かるのかもしれない。
■ なぜ、その歌があるのか、なぜ詠わねばならないのか、何を伝えよう、何を訴えようとしているのか、何が何やら分からん。言葉は伝えるためにある、と思うが、言葉自体を否定しているのか、分からん。
■ 塚本邦雄は、新選・小倉百人一首で、考え方は、まあ分かる。
■ 前衛など意識したことはないけど、馬場のいう「理屈でなく楽しいことを、面白がる者が世の中を前に進めるの」、これはこれでいいけど、彼女の歌に面白さを、あまり感じられないので、どんなもんかと思う。
■ 次の著作を比較すれば、塚本邦雄の方が優れているし、「根っこのないものは弱いですよ」という評は当たらない。根っこは、むしろありすぎだ。
  1. 塚本邦雄・新選・小倉百人一首
  2. 馬場あき子・馬場あき子の「百人一首」
■ ついでながら、塚本は百人一首は凡作ばかりだ、として、いいと思われる歌を上げているが、置き換えて、全体として、百人一首が成り立つのか、個々の歌が必ずしもその人の最高の作でなくても、定家はその歌を取り上げたかったと考えられる。
■ 百人秀歌の柿本人麻呂と入道前太政大臣の歌、要するに、実質的な最初と最後の歌は

  足引きの山鳥の尾のしだりおの
ながながし夜をひとりかもねん

  花さそふあらしの庭の雪ならで
ふり行くものは我身なりけり

■ 定家にとって、どちらも上の句は不要で、下の句を取り上げたかった。と考えればよいだろう。
■ それが彼の気持ちだった。
■ このような意味で「百人秀歌」を研究したらいいだろう。