2022年8月17日水曜日

菅原道真

菅原道真

■ 尾崎雅嘉は「百人一首一夕」に色々書いている。
■ それを読むと興味深いが、
■ 今、学問の神として崇められ、というか、親しまれ、
■ 又、たたり、怨霊の神としても知られている。
■ そんな後世のことについてはどうでもいいかもしれない。
■ 問題は目の前にあるこの歌だ。
■ この歌は何か好きになれない。
  • このたびは ぬさもとりあへず たむけやま
  • もみじのにしき かみのまにまに
■ これでは紅葉の錦は、道真が所有していたのかのようだ。
■ 自分のものでもない「自然の美しさ」を神に手向けるというのはどういうことか。
■ 感覚としては、むしろ、神により、というか、
■ 天により与えられた「紅葉の錦」を感謝するべきものではないか、
■ それが論理というものだろう。
  • とりあへず紅葉をぬさと手向山神のこころを神やうけけむ (契沖)
■ こんな歌もあるようだ。
  • 神のこころを
  • 神やうけけむ
■ 1」の「神」は天神、即ち、道真のことだろうけれど、
■ 契沖は道真だとは言ってない。ただ「神」としている。
■ 表面的な表現としては、どちらも「神」だから同じ神だととらえることもできる。
■ そのように考えたとき、「紅葉の錦」を手向けたのだから
■ 「神のこころ」は即ち「紅葉の錦」となる。
  • ちょっと、おかしくないですか、道真くん
■ 契沖は、ちょっと皮肉を込めて、
  • 神のこころを 神やうけけむ
■ としたのだろうな、と思ったりする。