2022年2月28日月曜日

私バカよね、と、A Fool Such As I

 私バカよね、と、A Fool Such As I

■ ちょっと比較してみよう。
■ 「こころのこり」があるのかないのか、・・・
■ 妹が買っていたレコードの Doris  Day の love him などよく聞いた。
■ 自分で積極的に何かを、ということでなかった。
■ 百人一首には恋の歌が多い。
■ 恋の歌とか愛の歌があるのは
■ それが人間社会のごく基本的なあり方の単位だからだ。
■ 色々な社会・政治形態があるなかで、
■ 個々人が思うことは様々だろうけれど、
■ 恋や愛が共通のものだとすれば、恋や愛について
■ その心が言葉になり歌になり歌われる。
■ 詞と曲、これが歌になるのだけれど、曲は調べであり、
■ 和歌、短歌で言えば、5・7・5・7・7にあたる。
■ 曲がないのは、言葉の多様性があるからで、
■ 曲の必要性がないからだともいえる。
■ そこに言語の深さがある。
■ 逆に曲を必要とするのは、言葉に深みがないからだとも言える。
■ 言葉の歴史が浅いからだといえる。
■ このあたりについてはまた後で書くことにする。
■ さて、
■ 恋や愛が共通のものだとすれば
■ 言葉によってどのように表されるかを比較するのがいい。
■ 共通のものなのに、いくつも歌われ続けるのは、ひとつは
■ 障害となるものが存在するからだ。
■ それが社会だ。
■ 恋や愛の歌の中にその社会が存在する。
■ そして、個々人の意識がみられる。
■ これらについて色々な歌を歌ってみればいいのだが、まあ、いい。
■ 今回取り上げた
■ 英語の歌詞に、・・・
  • You taught me how to love
  • And now you say that we are through
■ こんな部分がある。
■ 和歌にみれば、
  • あひみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもはざりけり // 藤原敦忠
  • きみにより おもいならひぬ よのなかの ひとはこれをや こひといふらむ   在原業平
  • あふまでの おもいひはことの かずならで わかれぞこひの はじめなりける  寂蓮
■ これらの歌については先にもどこかに書いた。
■ 音楽としての歌の場合、歌手や歌い方や演奏にも左右される。
■ 歌手によりヒットする場合もある。
■ 和歌や短歌の場合左右されない。
■ 調べが言葉そのものにあるからだ。
■ 5・7・5・7・7という形は同じでも音声として発するき調べがでてくる。
■ 共感し、自分の言葉として心の中に入ると、たとえ音痴であろうとも
■ 自分の心として言葉にすることができる。