2022年2月17日木曜日

言葉遊び、替え歌

 言葉遊び、替え歌
 
■ 今回は、ちょっと 替え歌・言葉遊びだ。
  • 相坂の関に庵室をつくりて住み侍りけるに、ゆきかふ人を見て
  • これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬもあふさかの関  蝉丸(後撰1089)
  • これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬもあふさかの関  百人一首
■ 関所があるということは、違う国があり、くにざかい・国境があったということだ。
■ どこに関所があったかなどはこの和歌に直接関係のないことだが
■ 百人一首をきっかけに関心を広げることは悪くはない。
■ 百人一首が恋の歌ばかりでなく、
■ 31文字のなかに何があるのかを知ろうとする人には時代背景など様々なコトがある。
■ 和歌によく詠まれている、勿来関とか弁慶の勧進帳で有名な、北陸道・安宅関
■ 歴史的に、どのような関所があったのか、
■ いつか調べてみよう。
■ 当時どのように国境の入出国管理を行っていたか、
■ 江戸時代では、例えば、入り鉄砲出女、と、武器の搬入と情報の流出を監視していた。
■ 関所は、出て行く人と帰ってくる人が必ず通る場所だが
■ 帰ってくる人ばかりではなく、新しく来る人もいるだろう。
■ 逢坂の関では帰国者しか入国を認めず、新規の流入を抑えていたとするなら、
■ 「帰る」という言葉は自然に感じられただろう。
■ 「見送って帰る人」とする現代語訳があったが、なぜそう捉えるのかおかしなものだ。
■ 軍事上とか、国防意識というか、平和を維持する意識とかがないと、
■ 通関手形発行条件なども分からず「帰る」ということばの実感がつかめないのだろう。
■ ビザなし、と考えると
■ 「行く人、来る人」だ。
  • 行くも来たるも
■ とした方が今の世では分かりやすいかもしれない。
■ 商いなどでよく行き来する場合は知り合うことも少なくなかったかもしれないが、
■ 知るも知らぬも、で、むしろ知らない人の方が多かったという気もする。
■ 必ず通る場所で、しかも、調べられる所なので、時間の長短はあれ、
■ 少しは留まるので、必然的に出会ってしまう、逢坂の関だ。
■ その時の出会いがその後どうなるかは分からない。
■ 逢坂の関という名であったとしても、逢うところではなく、結局は、別れるところで、
■ ほとんどすれ違うだけかもしれないのでこうした歌が詠まれたと考えられる。
■ だから、例えば、
  • これやこの 行くも来たるも 別るとも 知るも知らぬも あふさかの関
■ と、そんな場所なのだ。
■ そんな場所は他にもある。
■ さて、
■ 私は「ことば」に関心がある。
■ その一因は、分かろうはずのない、東北弁の中に一人放り込まれたからだろう。
■ 小学生だった。
■ 義務教育故、当然学校にゆく。
■ 関所のようなものだ。
  • これやこの 行くも帰るも 同じ道 良くも悪くも 教室の席   遊水
■ と、いうわけだ。
■ 義務教育の場など他人ばかりで、中学校、高等学校、大学校、
■ そして、会社でもごく基本的には変わりない。
■ 趣味の集まりであれば、共通点も多いかもしれないけれど、
■ まあ、いい。
■ 人がいる限り、そして、社会が存在する限り
  • 逢うと別れ
■ は付きもので、
■ 国際空港、終着駅などを素材に新しい短歌もあるだろう。
■ 藤原定家がなぜこの歌を選んだかは、また、そのうち考えてみよう。
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