2021年11月15日月曜日

西行・これが表歌か

西行
 
■ 俳句では句会がよくある。
■ 和歌の世界では「歌合」があった。
■ 比較することで分かることがある。
■ 百人一首の「月」を詠んだ歌をとりあげてみよう。
■ これらは歌合わせで彼らが競った歌ではなく勝ち負けはないのだけれど
■「百人一首」の歌としては好き嫌いはあるだろう。
  • 月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど  大江千里
  • 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな  西行
■ 「月見れば」の歌は読みやすいし分かりやすい。
■ 「嘆けとて」の歌は理屈っぽいし、分かりにくい。
■ 「嘆けとて」の歌は次の組み合わせだった。
■ 「自歌合」の場合は、どちらかを選ぶということではないかもしれない。
■ むしろ相互に補い説明しているようだ。
  • 知らざりき雲居のよそに見し月のかげを袂に宿すべしとは  西行
  • 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな
■ 藤原俊成は西行から判定を依頼されてこれらについて述べた。
■ 藤原定家は、父・俊成の評を追認する形で、「嘆けとて」の歌を百人一首にとった。
■ 西行最晩年のことだったので、「嘆けとて」が彼の代表作だといえるかもしれない。
■ 他にいい歌もあるのにと言う人も多いだろうし私自身もそう思う。
■ しかし、彼の側に立てばやはりこれが彼が一番残したかった歌だろう。
■ なぜか、そして、定家はなぜこの歌を取り上げたのかだ。
■ 定家は、おそらく、西行の心がよく分かっていたと思う。
■ どちらも恋のうただ。
■ 定家の歌と並べ置いてみれば分かるかもしれない。
  • 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな  西行
  • こぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くやもしほの身もこがれつつ   藤原定家
■ 西行は「わが涙かな」と自分の身を嘆いている。
■ 定家は「身もこがれつつ」と相手が自分を待っていることを歌っている。
■ かなり対照的だが、・・・
■ それぞれ相手は誰だったのかだ。
  • のりきよ と 待賢門院璋子・たまこ
  • さだいえ と 式子内親王・のりこ
■ 相手はどちらも皇族の人だった。
■ 同じ体験をしていたので分かり、しかも、自分の方が、いわば「勝ち組」だったからだ。
■ このように考えながら読むと「百人一首」物語は面白さ倍増なのだ。
■ 31文字で表されることは限定されるかもしれないが。
■ 幾つも詠むことはできるし、他の人の歌と比較しながら併せ読むこともできる
■ これが和歌・短歌の魅力だ。
■ もちろん31文字で詠みきることができればそれに越したことはない。