2022年6月15日水曜日

記紀と人の名・彦火火出見

記紀と人の名・彦火火出見

■ 漢風諡号、例えば、神武天皇という呼び名は
 奈良時代に淡海三船(722~785)に より付けられたとのことで
■ それ以前、
■ 712年に書かれた古事記は音読み交じりの漢字で書かれている。
  • 次若御毛沼命。亦名豐御毛沼命。亦名神倭伊波禮毘古命。
  • 神倭伊波禮毘古命。自伊下五字以音。
  • カムヤマトイワレビコノミコト
■ 人の名は長いのも多く、覚えにくい。
■ 日本書紀では、
  • 神日本磐余彦天皇。諱彦火火出見 ヒコホホデミ
■ とある。
■ 神武天皇は、九州から奈良に移った。
■ 今までの生活を捨てるのはかなり決心がいる。なぜ移ったのか、
 原因というか理由があるはずだ。
  • ■ 火出見、だから
  • ■ あるいは阿蘇山の噴火かもしれない。
■ 噴火の程度により、その土地を捨てる決心したとしてもおかしくない。
■ これ以上の理由があるだろうか。
■ 阿蘇山の噴火はいつだったのか。
■ ボーリング調査をすれば、いつ頃、何度噴火したかが分かるだろう。
■ カルデラ湖ができ、その水がなくなり、というか、
 外輪山の一部を削り排水し、耕作していたが、
 しばらくして、また、噴火が続いたように思われる。
■ 奈良盆地に移動したときも、奈良湖だった。
■ 同様に、山崩れでふさがれていた川の土砂を除き、排水した。
■ まあ、そういうことも考えられるだろう。
■ 仮説だ。
■ 東征の理由について読んだことがない。
■ 幾つか仮説を立てると、色々考え方も広がることだろう。
■ 阿蘇山の地図と奈良盆地の地図を比較してみるのもいいかもしれない。
■ 土地の区切りがよく似ている。
■ 阿蘇山の農地はいつ頃出来たのか、と思う。
■ 今2022年だが、日本書紀は720年に完成したとされている。
■ 約1300年前に書かれた歴史書にある名前、
  • 彦火 火出見 
  • ヒコホ ホデミ
■ この神武天皇の元々の名前、
■ いつ頃から使われ
■ その名前が使われるような言語空間はどのようだったのか。
■ ひとつの例を挙げたが、古事記にはたくさんの名前がでてくる。
■ その名前を使っていた人々、文化が当然あったはずだ。
■ 人々が生活していて、心、感情や理性があったはずだ。
  • ■ 認識が言葉に現れる。
■ 言葉に感じ方や考え方が込められている。
■ ことばとは何かをごく基本に立ち返って感じ、考えることが重要だ。
■ もちろん、神武天皇は神ではないし、
■ 元々、神と漢字で書かれる神は存在してない。
■ これは先にも書いた。
■ 阿蘇山以外には、桜島などもあるかもしれない。
■ 日本は火山列島だ。
■ 九州にもたくさんある。
■ ついでながら、これって何だろう。
■ 海底だが、人工物のような感じがする。
 

2022年6月13日月曜日

歌ひとつ拾ってみた

歌ひとつ拾ってみた

■ 2022-06-11(土曜日)、日本経済新聞・朝刊の歌壇に次の歌があった。
  • ずっと好きでいた訳じゃない憎んだり嫌いになったり出来なかっただけ 東大阪 麻子
■ 57577ではない。
■ とりあえずかなで書いてみよう。
  • ずっとすきでいたわけじゃない
  • にくんだりきらいになったり
  • できなかっただけ
■ 若い人の歌のように思える。
■ 相手が誰か、
■ 女友達のような感じだ。
  • あんた あんなコと いつまで つきあってるの
■ そんな問いかけに応えたのかもしれない。
  • いいわけ短歌
■ 女友達だったとするなら、こんな歌にすることもない。
■ ただ付き合わなければ、次第にうすれてゆく。
■ しかし、
■ 他に、新しい友達もできないのかもしれない。
■ 「ずっと好きでいた訳じゃない」と最初に書いたのは、
■ 好きな時もあったけれど、ということなのか。
■ どこかの時点で、思い違いだった、と気が付いたのかもしれないし、
■ つきあっていて、次第に相手のことが分かってきたのかもしれない。
■ 本当は好きではなかった、というか、好きというほどでもなかったという感じか。
■ 「できなかっただけ」という言葉は、
■ 自分の弱さなのか、相手に対する、ある種の思いやりなのか。
■ とにかく、独り言ではなく短歌形式にした方がよい。
  • にくんだり
  • きらいになったり
  • できなくて
  • すきでもないが
  • すぎてきただけ
■ ふうむ
■ 相手が「配偶者」という場合も考えられる。
■ 好き嫌いということではなくて、別の関係もあるかな。
  • 憎んだり 嫌いになったり したくない 愛というには ほど遠くても
■ こんな感じかもしれない、と最初は思ったが、違うようだ。
■ しかし、どうでもいい、といえば、どうでもいい。
■ ただ、こうした歌で、心を表現しようとしているので、
■ 客観的に、その心理状態を自分自身で見直せば、
■ 独立した歌として作り上げることもできるのではないか。
■ 他の人にも、共通する問題でもあるからだ。
■ ・・・
■ 状況は全然違うだろうけれど、
■ オリビア・ハッセーと別れた布施明の歌を思い出した。
■ この歌詞は、もう少しどうかならないかと思うが、
■ 彼は歌がうまい。
 

2022年6月5日日曜日

地名のコト、春過ぎて夏きにけらし

■ 洗濯物が干してあるのを見て、衣更えの季節になった。
■ 夏が来たと感じる女の天皇の感性があった。
■ 季節の変わり目を感じるきっかけは人それぞれだろう。
■ たとえば、
  • はるすぎて なつきにけらし しろたえの 日傘くるくる まわし行く人  遊水
■ 上の句と下の句の論理的つながりとでもいうか、
  • 何により、夏が来た、と感じたのか
■ 天皇という最高位にあるものが、染色していない粗末な白い衣服、つまり、
■ 庶民の営みをみて、自らは衣服に困ることのない天皇が、
■ 間接的に、彼らを思いやった歌ととらえることができる。
■ ・・・
■ 歌の中の地名をその由来まで立ち返らなくてもいいものを
■ 「天の」などあるから「angel」などとする英訳がある。
■ まあ、アホだ。
■ ・・・
■ ちょっと現代風に書くと、
  • はるすぎて なつがきたんだ ホラ白の 日傘くるくる まわし行く人
■ 詩的ではないけれど、・・・
■ ・・・

2022年5月31日火曜日

例えば、在原業平の歌

例えば、在原業平の歌

■ 代表的歌はどれかについて、 次の4首を取り上げてみよう。
  1. 世の中にたえてさくらのなかりせば 春の心はのどけからまし(古今53)
  2. ちはやぶる神世もきかず たつた川から紅に水くくるとは(古今294)
  3. 月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 我が身ひとつはもとの身にして(古今747)
  4. きみにより思ひならひぬ世の中の人はこれをや恋といふらむ(続古今944)
■ 自選だとすれば、古今集の詞書からみて、3」の歌かと思う。
■ 私が選ぶとすれば、4」かな、・・・
■ 在原業平は56歳で880年に死んだ。
■ 今から、1142年前のことだ。
■ ざっと千年の昔だとしても、
■ 現在、我々は、彼あるいは彼と同時代の人々と同等の歌を詠むことができるのか、
■ 千年経って、どれほど言語空間が広がり、深まり、豊かになったと言えるのか。
■ 在原業平の言語感覚は優れていて評価できる。
■ 仮に、AとBがあり
  • AよりBが優れているとすれば
  • Bを生み出した世界が、Aの世界より優っているということになる。
  • それを、時間の長さで表現した場合、
  • Aの千年昔がBだとすれば、Bを生み出した世界が千年以上であったということになる。
■ こうした大雑把な論理展開は必ずしも正しいとは言えないが、感覚的にとらえられる。
■ 千年昔に在原業平がこのような歌が詠んだということは、
■ 彼がいた時点から更に千年昔、つまり、今から2千年前にもそれなりの言語空間は存在したと言える。
■ 言葉は、科学技術のような発明とは違い、人の間で使われていたのだから、
■ これらの歌が、何もないところから出てきたのではなく、当然、人間がいて、社会があった。
■ 日本語を話す日本人の文化があった、と考えられる。
■ そして、2千年という時間に限定されるものでもない。
■ 現代における情報媒体の高度化による伝搬の速さを考慮し比較すると、
■ 千年前の速度はかなり遅いと思われるから、
■ 千年、2千年という程度ではなく、
■ もっと古くから日本語の文化は存在し
■ 彼らの歌が生み出される基盤となる世界があったと考えて不思議ではない。
■  千年とか2千年というような数字で表すと問題ではあるが、
■ 論理的 でないとはいえない。
■ 紀元前にも日本語の世界が存在したとみてよい。
■ もうひとつ
■ 紫式部は1019年までは生きていたようだ。
■ それまでに源氏物語を書いている。
■ 世界的にみて、彼女の源氏物語と同等の文学作品がどこにあるのか。
■ と、まあ、そういうことだ。
■ 

2022年5月30日月曜日

千早古 神代にあらず 人の世の 心は今も 歌の言葉に

千早古 神代にあらず 人の世の 心は今も 歌の言葉に
■ 古事記は神の話しから始まっている。
■ 百人一首に「神代」という言葉があるが、これが古事記の神々の時代をさしているのかどうか、
■ 当時の神代の認識が千年前かどうかを厳密に議論するつもりはない。
■ ただ、
  • 別天神五柱
  • 神世七代
■ この七代目の神が「伊邪那岐命・伊邪那美命二柱神」であり、
■ 神社もあり、国生み、神生み、としてよく知られている。
■ 自分たちの遠い祖先は、こうだった、という想像の世界だ。
■ 漢字で書かれ「神」とあるが、もちろん人間で、
■ 遠い昔のことでよく分かっていないので、 神話として象徴化して、
■ 「かみ」と呼んでいるに過ぎない。
■ 日本語で「かみ」という言葉は幾つもあり、漢字で書けばまるっきり無関係に見えるが、
■ 共通する概念がある。
■ 人であったり、モノであったり、位置関係など、
■ 優れて「上」にあるモノを「かみ」と呼び、大切にしてきた。
■ 神業というようなほめ言葉もある。
■ 菅原道真のように優れた人を虐げたことが天災の原因だと考え
■ 祟りを恐れて、祭り上げて、「かみ」とすることも多い。
■ 要するに、敬う対象を「かみ」と呼んだのだ。
■ 漢字は当て字なのだから、「かな」で考えた方が自然だけれど、
■ 文字にするから誤解が生じた。
■ 当然ながら、元々人間でない「神」という存在があったわけではない。
■ その点、日本人は、少なくとも昔の人々は、人間とは何か、言葉とは何か、
■ 「尊さ」とは何かを自然界を含め現実に即して認識していたと考えられる。
  • 千早古 神代にあらず 人の世の 心は今も 歌の言葉に  遊水
■ 古事記や日本書紀、あるいは、万葉集や勅撰和歌集、
■ また、百人一首など、残されている言葉に人々の心を知ることができる。
■ 今日の人の心にも通じることだと思われる。