2021年12月15日水曜日

百人一首 2番 持統天皇 白妙能 衣乾有

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 たみびとが ころもあらいて ほしたるか このまにしろく なつはきにけり  遊水

 

○ ○ ○

 

  • はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほすてふ あまのかぐやま  百人一首

  • 春過而 夏來良之 白妙能 衣乾有 天之香來山  万葉集

  • はるすぎて なつきたるらし しろたえの ころもほしたり 天之香來山  遊水・訓

■ これが無難な訓読みではなかろうか。

■ 少し現代風にして、google 翻訳してみよう。

 

日本語英語、google 翻訳
 
  • 春が過ぎて
    夏が来たようだ
    (なぜなら)
    白い服を干している
    天之香具山

 
  • Spring has passed
    It looks like summer has come
    (because)
    Drying white clothes
    Mt. Amanoka

 

■ 「天之香具山 」を固有名詞として書いたつもりだが「Mt. Amanoka」と訳された。

■ 「Amano-kagu-yama Hill 」 にするのが適当。

  • リービ英雄著「英語で読む万葉集」2024-11-19、岩波新書には

  • 春が過ぎて夏が来たらしい。白い布の衣が乾してある、天(あめ)の香久山。

■ とある。

 

日本語リービ英雄著「英語で読む万葉集」
 
  • 春過ぎて

  • 夏来たるらし

  • 白妙の

  • 衣乾したり

  • 天の香具山

 
  • Spring has passed,
  • and summer seems to have arrived ;
  • garments of white cloth
  •                            hang to dry
  • on heavenly Kagu Hill.

 

■ 彼は現地で見たので山でなく丘と捉えている。

■ 海抜 152 m だが、近くの道路を基準にみれば、65 m 故、それが普通の感覚だろう。

■ しかし、次のような捉え方が出来ていないようだ。

■ 白洲正子著「私の百人い首」昭和51年12月15日、新潮選書

  • 私がこの歌からうけるものは、

  • 春雨がからっと晴れあがった翌朝、

  • 洗濯物を干した時のあの気持ちよさで、

  • むつかしい理屈は無用である。

■ 衣替えの時期になり、今まで着ていた冬服を脱ぎ、洗濯し干すという光景を見て、

■ 女性の天皇が庶民の生活を思いやっている。

■ この際、リービ英雄・訳について少し指摘するなら

■ おそらく「春過ぎて」の「て」を意識したのだろうけれど、

■ 春の次には夏が来るのは当然なので、and は不要、

■ 尾崎雅嘉著「百人一首一夕話」

  • 白妙と書く妙の字は仮字にて、万葉には多く白栲と書けり。

■ garments of white cloth と説明的に書かなくても、「白妙の」は単に white clothes でよい。

■ 現代のように化学染料がない時代だ。

■ 当時、染色がどのていど普及していたかを考えると理解できるだろう。

 

日本語  尾崎雅嘉著「百人一首一夕話 」英語、google 翻訳
 

民百姓共の白き着物が天の香具山のあたりに干してあるのがよく見ゆるという事にて、・・・

白妙とはただ白き色という事にて、ほかの色に染めぬ先の着物の色は皆白き故、・・・

 

It's easy to see that the white kimono of the people's peasants is dried around Mt. Amanoka, so ...

Shirotae is just a white color, and the color of the kimono that is not dyed in other colors is all white, so ...

 

 

 

 

 

 

2021年12月12日日曜日

百人一首 33番 久方の 光のどけき 春の日に しず心なく 花の散るらむ // 現代風にして

  • 百人一首 33番 「久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」  紀友則

  • ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しづごころなく はなちるらむ

■ 現代風の本歌取りにして、もう一度 google 翻訳した。

  • ひさしぶり ひかりのどかな はるなのに しずごころなく はなはちるのか  遊水

 

日本語英語、google 翻訳
 

久しぶり

光のどかな春なのに

静心なく花は散るのか

 

long time no see
Even though it's a peaceful spring of light

 

Will the flowers fall without calm?

 

 

■ 「静心なく」は先にあげた方がいいようにも思う。

■ 下記だ。

■ 「心」がある。

■ 日本語で「こころ」がある言葉は幾つもある。

■ XX心、心XX、というように

 

日本語英語、google 翻訳
 

久しぶりに

光がのどかな春の日なのに

静かな心でなく花は散ってしまうのか

 

after a long time
Even though the light is a peaceful spring day

 

Will the flowers fall instead of a quiet heart?

 

 

■ 男心、女心、

■ 子供心、親心

■ 恋心、遊び心、悪戯心、出来心

■ 心持、

■ 心地、

■ 心強い、心細い、心もとない

■ 心意気、

■ 心根、

■ 心配り、心遣い

■ 他、適当に上げたが、辞書を引いたらたくさんあるだろう。

■ 心憎い、これを google 翻訳すると、I hate you  だったが、間違っている。

■ Kokoronikui は、憎らしく思われるほど、言動などがすぐれているさま。

■ The words and deeds are so good that they seem hateful. (google 翻訳

■  「心」に関する言葉はたくさんある。 

■ それはさておき、

■ 英語に秀でて詩心の分かる人が、詩として翻訳してもらいたい。

■ 「玉城周とジェームズ・カーカップ」のように

 


2021年11月15日月曜日

西行・これが表歌か

西行
 
■ 俳句では句会がよくある。
■ 和歌の世界では「歌合」があった。
■ 比較することで分かることがある。
■ 百人一首の「月」を詠んだ歌をとりあげてみよう。
■ これらは歌合わせで彼らが競った歌ではなく勝ち負けはないのだけれど
■「百人一首」の歌としては好き嫌いはあるだろう。
  • 月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど  大江千里
  • 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな  西行
■ 「月見れば」の歌は読みやすいし分かりやすい。
■ 「嘆けとて」の歌は理屈っぽいし、分かりにくい。
■ 「嘆けとて」の歌は次の組み合わせだった。
■ 「自歌合」の場合は、どちらかを選ぶということではないかもしれない。
■ むしろ相互に補い説明しているようだ。
  • 知らざりき雲居のよそに見し月のかげを袂に宿すべしとは  西行
  • 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな
■ 藤原俊成は西行から判定を依頼されてこれらについて述べた。
■ 藤原定家は、父・俊成の評を追認する形で、「嘆けとて」の歌を百人一首にとった。
■ 西行最晩年のことだったので、「嘆けとて」が彼の代表作だといえるかもしれない。
■ 他にいい歌もあるのにと言う人も多いだろうし私自身もそう思う。
■ しかし、彼の側に立てばやはりこれが彼が一番残したかった歌だろう。
■ なぜか、そして、定家はなぜこの歌を取り上げたのかだ。
■ 定家は、おそらく、西行の心がよく分かっていたと思う。
■ どちらも恋のうただ。
■ 定家の歌と並べ置いてみれば分かるかもしれない。
  • 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな  西行
  • こぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くやもしほの身もこがれつつ   藤原定家
■ 西行は「わが涙かな」と自分の身を嘆いている。
■ 定家は「身もこがれつつ」と相手が自分を待っていることを歌っている。
■ かなり対照的だが、・・・
■ それぞれ相手は誰だったのかだ。
  • のりきよ と 待賢門院璋子・たまこ
  • さだいえ と 式子内親王・のりこ
■ 相手はどちらも皇族の人だった。
■ 同じ体験をしていたので分かり、しかも、自分の方が、いわば「勝ち組」だったからだ。
■ このように考えながら読むと「百人一首」物語は面白さ倍増なのだ。
■ 31文字で表されることは限定されるかもしれないが。
■ 幾つも詠むことはできるし、他の人の歌と比較しながら併せ読むこともできる
■ これが和歌・短歌の魅力だ。
■ もちろん31文字で詠みきることができればそれに越したことはない。
  

2021年11月13日土曜日

消えた意味・愛をもう一度

  消えた意味・愛をもう一度


鳥の名は メジロは目白 オシドリは? 「をし」を詠みたる いにしえの歌

■ 普通は言葉の中に意味が残っているのだけれど
■ 使っているうちに分からなくなることもある。
  • さびしきろかも
■ 古語辞典をひくと
■ 「ろ」は「~き・ろ・かも」として用いられる、とあるが、
■ 例えば、金田一京助・晴彦などの、辞書をみてもよく分かってないなと思う。
■ まあ、いい。
■ もともとは「色」だったのが発音する段階で隣り合う「い」と「い」がひとつになった形だ。
■ 「ろ」について以前書いた。
  • さびしき・いろかも
  • sa bi shi ki iro ka mo
  • さびしきろかも
■ 同様のことは「オシドリ」(オシ・鳥)の「おし」についてもいえる。
  • いと・おしい
  • いとおしい
  • いとしい
■ この場合は「お」がなくなったので元々の意味が消えてしまった。
■ 今ではほとんど「いとおしい」と使わない。
  • ito oshii
  • itoshii
■ 「いとしい」を「愛しい」と表記するとき元々の「いと」もなくなり「おし」即ち「愛」もなくなってしまった。
■ この愛を意識して
■ 百人一首の後鳥羽院の「ひともをし」の歌を次のように詠み変えた。
  • あのころの あいとねたみと うらぎりの よをおもうゆえ ものおもうみは  遊水
■ この歌を何度か声に出して読んだ後で百人一首の彼の歌を読むと「をし」は「おし」即ち「愛」だから
■ 昔の歌を今の歌として感じとることができるのではないかと思う。
■ 後鳥羽院は本音でこんな歌を詠んでしまった。
  • 人もをし 
  • 人も恨めし
  •  あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は  後鳥羽院
■ 本音だけれど、これが彼の代表作とは思えない。
■ 敗者の「あぢきない」人生の歌だ。
■ もっと明るい歌にできなかったのか。
■ 定家はなぜ百人一首にこの歌を選んだのかについては以前も書いたが、
■ どの歌を選ぶかは、選者の考えで、「百人一首」の歌としてはこれが適していた。
■ 後鳥羽院が選ばれるような歌を作ったのだから、しょうがないといえばしょうがない。
  • 鎌倉と戦し敗れ流刑地の隠岐の島なる天の高さよ  遊水



2021年11月11日木曜日

定家と俊成の表歌

 定家と俊成の表歌

 ■ 「表歌」は 「おもてうた」つまり代表作で、俊成・定家親子の自選の表歌はそれぞれ次の歌だ。

  • 藤原俊成 夕されば野辺の秋風身にしみて鶉なくなり深草の里
  • 藤原定家 こぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつつ
■ 俊成の歌は印象的な言葉遣いではないので読み飛ばされてしまうかもしれないが、・・・
■ 定家の歌の方は百人一首でよく知られている。
■ どちらも昔の歌をふまえて詠まれている。
■ だから彼らは自らの「表歌」としたのだろう。
■ この「だから」という意味は現代と彼らの時代ではまったく違う。
■ 現代では、昔の歌で記録に残っているものは研究されていて書籍やインターネット検索で容易に見られる。
■ ところが彼らの時代には、印刷技術がなく人が手で書き写さなければならなかった。
■ だから昔の歌を多く知っていること、即ち、知識は彼らの評価力という知性を支えていた。
■ 万葉集の歌も現代のようにかな交じり文で読んでいたわけではない。
■ 漢字で書かれていた。
■ 定家はそれを読み解いて自らの歌に置き換えた。
■ 単に置き換えたのではなく、自分たちのこととして歌っている。
■ 俊成の場合は必ずしも自分のことではないように思う。
■ 俊成は伊勢物語百二十三段・在原業平の歌をもとにし、
■ 定家は万葉集・笠朝臣金村の歌をもとにした。
■ 多くの人々が生きてきた。
■ 時の流れの中に人はいる。
■ そして歌が詠まれた。
■ 歌の心を詠み継いでゆくということは大切なことだ。
■ それが言葉であり和歌・短歌だと思う。
■ 自分なりに知ることで今の自分があり次の時代があるように思う。
■ これらの歌を読み、私は次の歌を詠んだ。
  • 藻塩焼き 心焦がして 来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪ろかも   遊水
  • 鶉鳴く 伏見の里の なごり今 地名に残る 深草の秋   遊水
■ 時は流れ、人がいなくなっても、心は言葉に残る。
■ 人は心を言葉として文字に込めるのだ。
■ 文字からその心を読み出し自分の歌にすることで理解が深まるかと思う。
■ また、それを読むことでどのように理解したかが分かる。
■ 俊成の歌の「秋」は「飽きる」の「あき」でもあった。
■ それは伊勢物語にさかのぼることで分かる。
■ 同様な意味の掛詞として「あき」を使い次の歌もできる。
  • 夏されば外の遊びもあきの風 さびしさ寄せる人もなき浜    遊水
■ 言葉を文字として定型にすることで、単なる音声として拡散し消えることがなくなり、
■ 覚えやすく記憶として残り易くなる。
■ 忘れても容易に音声として心を呼び覚まし考え感じることができる。
■ 誰にでも使える、定型という言葉の箱
  • 5・7・5・7・7
■ この31文字「みそひともじ」の歌の存在が日本の特徴といえるだろう。
■ 日本語とは何か、そのひとつが定型詩の短歌や俳句だ。