■ 2025-05-17、-18
■ 今朝の日本経済新聞・朝刊・書評の頁に、後藤正治著・文品 藤沢周平文学の小箱をあける、という文芸評論家・池上冬樹の記事があった。
■ その中に、わが世代を詠うー道浦母都子小論「(道浦母都子)「無縁の抒情」(岩波現代文庫所収)という優れた批評に衝撃を受けた僕は、・・・道浦母都子小論で見せた優れた世代論(時代論)を読みたいからである。・・・
■ とあったので、「無縁の抒情」岩波書店・同時代ライブラリーを見たが、この小論は見られなかった。
■ ところが、新聞記事が挟み込まれていて、おそらく日経新聞だと思うが、詩歌・教育の欄の「ひと言の余韻」は後藤正治の書いたものだった。「最新歌集は2008年に出た「花やすらい」があげられているので、この頃の記事のようだ。「いまも世代の歌人であり続けている」と。
■ なぜ、これを書いているかというと、幾つかのコトがある。
- 大阪の千里ニュータウンに在住
- 千里石ぶみの丘. 千里石ぶみの丘を創る会 道浦摂陵、千里南公園は、歌碑・石碑が充実している公園です。 千里南公園は、拓本採集ができる
- 歌集・ゆうすげ、「ゆうすげ」抄、は「無縁の抒情」にある。
- 何度か俳句カルチャー教室で、講師として来て、話を聞いた。
- 随筆・桜をうたう、に上田三四二の歌が取り上げられていて、雑誌αに投句した「さくら」を詠んだ私の俳句が、彼の選で取り上げられたことがあった。
- 共著・女うた、男うた、が本棚にある。そのうちと思いつつ、ざっと見ただけだが、・・・
■ 歌自体は、さほど、いい、という感じで見ているわけではない。
■ 「物を書く人間は反体制でありたい」この言葉には賛成しかねる。
■ 反・XX、という限り、対象となるXXがなくなった時、ほとんど意味をなさなくなる。
■ 自分を主張するなら「園遊会の招待は断り、請われても大学には奉職しなかった。」ようだが、こんな機会も利用すべきではなかったのかな。
■ この人と同じ、いわゆる団塊の世代ではないが、世代論ということにちょっと興味がひかれた。
■ 「いまも世代の歌人であり続けている」という評は何か変かな、その世代の人はいつまでも、その世代であるしかないけれど、世代観が薄れてゆくこともあるだろう。
■ ただ、例えば、就職・氷河期という変わりにくい世代もあるだろうとは思うが、
■ むしろ、世代観がうすれ、例えば、日本人の感性的になるべきなのかもしれない。
■ ・・・