2025年5月28日水曜日

QRコードの作成

■ 2025-05-28
■ 以前、やってみました。
■ これで簡単に作成でき、スマホをかざすことで移動可能です。
■ 作成してみてください。
  1. URL を入力して、 「作成する」
  2. 画像サイズ、を指定する

https://fujino00yuki.blogspot.com/

■ 「晴野雨読」例

2025年5月18日日曜日

特徴的言葉「不意に」

■ 2025-05-18
■ 道浦母都子についてちょっと触れた。
■ なので、もう一度パラパラ読みをすると、気になった言葉があった。

レモンが胸で不意に匂えり
看守が不意に釈放告ぐる
不意に涙流がるる
ふるさとの秋不意に恋しき
不意に涙あふるる
不意になまなまと君を想いぬ
不意にまぶしき夏の光が
眠らんとして不意に寂しき

■ あの頃をす過ぎればこの言葉も無くなったのか。
  • ゆうすげよ いつしか時も 流れゆき 不意にと思う こともなくなり  遊水

2025年5月17日土曜日

世代論、という言葉を見て、ちょっと


■ 2025-05-17、-18
■ 今朝の日本経済新聞・朝刊・書評の頁に、後藤正治著・文品 藤沢周平文学の小箱をあける、という文芸評論家・池上冬樹の記事があった。
■ その中に、わが世代を詠うー道浦母都子小論「(道浦母都子)「無縁の抒情」(岩波現代文庫所収)という優れた批評に衝撃を受けた僕は、・・・道浦母都子小論で見せた優れた世代論(時代論)を読みたいからである。・・・
■ とあったので、「無縁の抒情」岩波書店・同時代ライブラリーを見たが、この小論は見られなかった。
■ ところが、新聞記事が挟み込まれていて、おそらく日経新聞だと思うが、詩歌・教育の欄の「ひと言の余韻」は後藤正治の書いたものだった。「最新歌集は2008年に出た「花やすらい」があげられているので、この頃の記事のようだ。「いまも世代の歌人であり続けている」と。
■ なぜ、これを書いているかというと、幾つかのコトがある。
  1. 大阪の千里ニュータウンに在住
  2. 千里石ぶみの丘. 千里石ぶみの丘を創る会 道浦摂陵、千里南公園は、歌碑・石碑が充実している公園です。 千里南公園は、拓本採集ができる
  3. 歌集・ゆうすげ、「ゆうすげ」抄、は「無縁の抒情」にある。
  4. 何度か俳句カルチャー教室で、講師として来て、話を聞いた。
  5. 随筆・桜をうたう、に上田三四二の歌が取り上げられていて、雑誌αに投句した「さくら」を詠んだ私の俳句が、彼の選で取り上げられたことがあった。
  6. 共著・女うた、男うた、が本棚にある。そのうちと思いつつ、ざっと見ただけだが、・・・
■ 歌自体は、さほど、いい、という感じで見ているわけではない。
■ 「物を書く人間は反体制でありたい」この言葉には賛成しかねる。
■ 反・XX、という限り、対象となるXXがなくなった時、ほとんど意味をなさなくなる。
■ 自分を主張するなら「園遊会の招待は断り、請われても大学には奉職しなかった。」ようだが、こんな機会も利用すべきではなかったのかな。
■ この人と同じ、いわゆる団塊の世代ではないが、世代論ということにちょっと興味がひかれた。
■ 「いまも世代の歌人であり続けている」という評は何か変かな、その世代の人はいつまでも、その世代であるしかないけれど、世代観が薄れてゆくこともあるだろう。
■ ただ、例えば、就職・氷河期という変わりにくい世代もあるだろうとは思うが、
■ むしろ、世代観がうすれ、例えば、日本人の感性的になるべきなのかもしれない。
■ ・・・


母逝きて 今はかえらぬ 日々なれば 悲しみ色の 秋風ぞ吹く



■ 2025-05-17
■ 2025-05-16
  • ■ 「色々」を「いろいろ」とするのは日本語の文化が貧弱になるように思われる。
■ 「いろいろ」って何ですか、と訊かれたとき、どう応えるかだ。
■ 言葉は単なる「用具」ではない。長い時間と多くの人によって使われてきたモノだ。
■ そこで、ちょっと思い出した。
■ 自分が書いた短歌に、どのように書いたかを忘れていた。
■ それで、思い付きで、ひとつ書いたが、振り返ってみると、「身にしむ色」だった。

秋風はいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ   和泉式部
しろたへの袖の別れに露落ちて身にしむ色の秋風ぞ吹く     藤原定家
母逝きて はや幾年か 忘れども 身にしむ色の 秋風ぞ吹く  橋本遊水
母逝きて 今はかえらぬ 日々なれば 悲しみ色の 秋風ぞ吹く   遊水

■ 並べてみると「悲しみ色」の方がいいかもしれないと思う。
■ 「色」の使い方で

いろみえで うつろふものは よのなかの ひとのこころの はなにぞありける  小町

■ 小野小町は人の心をよく読んで表現している。
■ 当時と現在では、ことば、の数が違うかもしれない。
■ 「悲しい」という言葉がなかったのかもしれない。
■ あるかないか、よく知らないが、研究対象にしてもいいかもしれない。
■ 現代に生きていたら、どんな歌になるのか、考えてみたが、難しい。
■ 「色」の歴史が古いからだろう。
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■ ついでながら、
色即是空
■ この場合の「色」はどんなイロでしょうね。
■ 三蔵法師の時代の文字だから、「色街」のイロだろう。
■ 色は色彩の色ばかりではない。
■ 色即是空 空即是色、と玄奘 は翻訳したが、当時は性的乱れがひどかったのだろう。
■ この経文は論理的には不完全だが、
■ 「色」を目に見えるものととらえると、視覚ばかりでなく聴覚、触覚、感覚など
■ いわゆる五感による捉え方もあるので、目で見えるものが全てではないことをブツダは教えていたのかもしれない。
■ 要するに、対象などをちゃんと正しくとらえなさい、と。
■ そうすると、モノみな「空」であることが分かる、と。

2025年5月3日土曜日

花吹雪の歌、ゆきという おさなごのこえ まどのそとに まことゆきかと はなまいしきる

■ 2025-05-03、05-31

○ 「雪」といふまごの声に見し窓にまこと雪かと花舞ひしきる      美智子
  「ゆき」という 幼な児の声 窓の外に まこと雪かと 花舞しきる  遊水・改作

■ 「まこと雪かと花舞ひしきる」という表現、今まで見たことがなかった。
■ こうした感性に学びたいと思うが、なかなか書けない。
■ この歌は心にとどめておきたいと思う。
■ ただ、すべて平仮名で書いてもいいかと思う。
■ そして、「に」を追加した。
■ こうすることで、ゆとり感がでるかもしれない。
  • ゆきという おさなごのこえ まどのそとに まことゆきかと はなまいしきる