■ 今朝の日本経済新聞に、「現代俳句大賞に坪内さん」という記事があった。
■ 昔、句会で、「甘納豆は女子大生でしょう」と言ったら、
■ 佐々木さんに、「先生はそんな人ではない」と言われた。
■ 思いがけない反応に「そんな人」とはどんな人なのか、と思った。
■ 三月はそんな季節なのだ。
■ 若草山の野焼きに発想したようだが、
■ 「たんぽぽの ぽぽのあたりが かじですよ」?、こんなのどうか、に対し
■ 「きわどいですな」と深澤さんが鋭く言った。
■ もちろん、これは「ぼぼ」をさしてのことだ。
■ いつだったか、正岡子規の「柿食えば鐘は鳴るなり法隆寺」は「二句一章」だとか言うから、あの頃は腕時計もないから寺の鐘で時刻を知った。「山のお寺の鐘が鳴る」とか、芭蕉の「鐘は上野か浅草か」、とか「お江戸の本橋七つ発ち」など、俳句は、歴史的背景を知らなければ、理解できない、と言ったら、おこりだした。
■ 正岡子規はユウモアのある人で「腹時計」を句にしただけで、腹が減ったので柿を喰ったら、ちょうど3時のおやつの鐘が鳴った、という句だと思われる。
■ カバは自分で、サイは細君、ジャリは子供、・・・河馬、馬鹿、珍鈍屋、と囃す言葉もあったなあ。
■ いつだったか、「受けを狙った変な句」作る人でしょ、と言われて、まあ、そういうこと、みんなそういう風に思っているのか、と納得した。
■ しかし、抒情的ないい句も作っているのに。