2022年5月31日火曜日

例えば、在原業平の歌

例えば、在原業平の歌

■ 代表的歌はどれかについて、 次の4首を取り上げてみよう。
  1. 世の中にたえてさくらのなかりせば 春の心はのどけからまし(古今53)
  2. ちはやぶる神世もきかず たつた川から紅に水くくるとは(古今294)
  3. 月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 我が身ひとつはもとの身にして(古今747)
  4. きみにより思ひならひぬ世の中の人はこれをや恋といふらむ(続古今944)
■ 自選だとすれば、古今集の詞書からみて、3」の歌かと思う。
■ 私が選ぶとすれば、4」かな、・・・
■ 在原業平は56歳で880年に死んだ。
■ 今から、1142年前のことだ。
■ ざっと千年の昔だとしても、
■ 現在、我々は、彼あるいは彼と同時代の人々と同等の歌を詠むことができるのか、
■ 千年経って、どれほど言語空間が広がり、深まり、豊かになったと言えるのか。
■ 在原業平の言語感覚は優れていて評価できる。
■ 仮に、AとBがあり
  • AよりBが優れているとすれば
  • Bを生み出した世界が、Aの世界より優っているということになる。
  • それを、時間の長さで表現した場合、
  • Aの千年昔がBだとすれば、Bを生み出した世界が千年以上であったということになる。
■ こうした大雑把な論理展開は必ずしも正しいとは言えないが、感覚的にとらえられる。
■ 千年昔に在原業平がこのような歌が詠んだということは、
■ 彼がいた時点から更に千年昔、つまり、今から2千年前にもそれなりの言語空間は存在したと言える。
■ 言葉は、科学技術のような発明とは違い、人の間で使われていたのだから、
■ これらの歌が、何もないところから出てきたのではなく、当然、人間がいて、社会があった。
■ 日本語を話す日本人の文化があった、と考えられる。
■ そして、2千年という時間に限定されるものでもない。
■ 現代における情報媒体の高度化による伝搬の速さを考慮し比較すると、
■ 千年前の速度はかなり遅いと思われるから、
■ 千年、2千年という程度ではなく、
■ もっと古くから日本語の文化は存在し
■ 彼らの歌が生み出される基盤となる世界があったと考えて不思議ではない。
■  千年とか2千年というような数字で表すと問題ではあるが、
■ 論理的 でないとはいえない。
■ 紀元前にも日本語の世界が存在したとみてよい。
■ もうひとつ
■ 紫式部は1019年までは生きていたようだ。
■ それまでに源氏物語を書いている。
■ 世界的にみて、彼女の源氏物語と同等の文学作品がどこにあるのか。
■ と、まあ、そういうことだ。
■ 

2022年5月30日月曜日

千早古 神代にあらず 人の世の 心は今も 歌の言葉に

千早古 神代にあらず 人の世の 心は今も 歌の言葉に
■ 古事記は神の話しから始まっている。
■ 百人一首に「神代」という言葉があるが、これが古事記の神々の時代をさしているのかどうか、
■ 当時の神代の認識が千年前かどうかを厳密に議論するつもりはない。
■ ただ、
  • 別天神五柱
  • 神世七代
■ この七代目の神が「伊邪那岐命・伊邪那美命二柱神」であり、
■ 神社もあり、国生み、神生み、としてよく知られている。
■ 自分たちの遠い祖先は、こうだった、という想像の世界だ。
■ 漢字で書かれ「神」とあるが、もちろん人間で、
■ 遠い昔のことでよく分かっていないので、 神話として象徴化して、
■ 「かみ」と呼んでいるに過ぎない。
■ 日本語で「かみ」という言葉は幾つもあり、漢字で書けばまるっきり無関係に見えるが、
■ 共通する概念がある。
■ 人であったり、モノであったり、位置関係など、
■ 優れて「上」にあるモノを「かみ」と呼び、大切にしてきた。
■ 神業というようなほめ言葉もある。
■ 菅原道真のように優れた人を虐げたことが天災の原因だと考え
■ 祟りを恐れて、祭り上げて、「かみ」とすることも多い。
■ 要するに、敬う対象を「かみ」と呼んだのだ。
■ 漢字は当て字なのだから、「かな」で考えた方が自然だけれど、
■ 文字にするから誤解が生じた。
■ 当然ながら、元々人間でない「神」という存在があったわけではない。
■ その点、日本人は、少なくとも昔の人々は、人間とは何か、言葉とは何か、
■ 「尊さ」とは何かを自然界を含め現実に即して認識していたと考えられる。
  • 千早古 神代にあらず 人の世の 心は今も 歌の言葉に  遊水
■ 古事記や日本書紀、あるいは、万葉集や勅撰和歌集、
■ また、百人一首など、残されている言葉に人々の心を知ることができる。
■ 今日の人の心にも通じることだと思われる。
 

2022年5月29日日曜日

百人一首・百年、千年

百人一首・百年、千年

■ いくとせの つきひなりしか いまはもう つきひはしらず こいしかるらん
■ 百年、千年
  • ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なおあまりある むかしなりけり
  •  
  • 千年の 昔の和歌を 我読みて 偲ぶ心を 偲びたりけり
  • 千早古 神代にあらず 人の世の 心は今も 歌の言葉に  遊水
■ 「ちはやふる かみよもきかず たつたがわ・・・」
■ こんな歌が作られたとき、千年前と言えば、遠い昔であり
■ 奈良時代に書かれた古事記でいうような神代と認識されていたのだろう。
■ 令和の現在から見ると、千年昔といっても、神代の時代ではなく、人の世の時代であり
■ 千年昔の人の気持や意識が歌に詠まれている。
■ 例えば、万葉集 1888 に
  • 冬過ぎて 春し来たれば 年月は 新なれども 人は古りゆく
■ こうした感じは今でもそのまま通じる。
■ こうしたことから、古典は言葉のあふれた今の世の歌より参考になるものも多い。
■ 生きた言葉だからだ。
■ 参考
  • 令和4年 2022
  • 鎌倉時代 1192
  • 平安時代   794
  • 奈良時代   710
 

2022年5月27日金曜日

柏餅 山ホトトギス アオバズク

柏餅 山ホトトギス アオバズク

■ 山口素堂は芭蕉の2歳年上で、奥の細道のとき芭蕉を見送った4人のうちのひとりだ。
  • 目には青葉 山ほととぎす 初鰹
■ 俳句をやる人で、これを知らない人はないだろう。
■ 季語の話しのとき、よく例に出される。
■ 和歌・短歌の本歌どりは幾つもあるが、俳句の場合文字数が少ないので作りにくい。
■ しかし、まあ、できないことはない。
■ これを素に、・・・
  • 柏餅 山ホトトギス アオバズク  遊水
■ こんな句ができた。
■ 野鳥撮影で渡りの鳥の時期に関心がある人なら、
■ この句は実感できるだろう。関西の場合は、こんな感じだ。
■ アオバズクのひなが出てくるのは場所にもよるがもう少し先だけれど。
■ 

2022年5月24日火曜日

藤原定家のみそぎ

 藤原定家の禊
■ 白洲正子・私の百人一首、に次のような記述がある。
  • 後鳥羽院をはぶくことは、批評家としての定家の自尊心が許さなかったであろうし、
  • 後鳥羽院をえらべば、順徳院を次に置くことが自然の人情であったろう。(中略)
  • お二人を最後に並べたのは選者の深い心づかいから出ていると思う。
■ 定家が百首選んだ時、最後を順徳院の歌にしたのは
  • ももしきや
■ であることから自然だった。
■ これ以外に適当な歌がなかったのかもしれない。
■ そのひとつ前に後鳥羽院を置くことも親子故に普通だったかもしれないが、
  • 深い心づかいから出ている
■ とは思えない。
■ もし、後鳥羽院に対して好感を持っていたとするなら、もっといい歌を選んだはずだ。
■ ひともをし」の歌が彼の代表的歌だとは到底思えない。
■ 隠岐に流された敗者の歌である。
■ 選者としての定家は当然ながら自分の価値判断にしたがって選択したはずだ。
■ いい歌でないのに選んだのは定家にとっては悪い歌ではないからだと思われる。
■ 百人一首は、定家自身の歌を最高位に置くことが念頭にあった、と、
■ 論理的には考えられるからだ。
■ それについては以前書いた。
■ さて、
■ 百人一首 098 従二位家隆 の歌をどうとらえたらよいのかと思っていた。
■ 「みそぎ」という言葉があるので定家は取り上げたのだと思う。
■ 何に関する禊なのか。
■ 要するに、定家は禊で何を洗い流そうとしたのか。
  • 後鳥羽院との関係
■ 百人一首の位置は
  • 定家
  • 家隆
  • 後鳥羽院
■ 家隆の爽やかな感じの歌は、定家のとがった意識を和らげる穏やかな歌だ。
■ 定家は自分にはない、家隆の歌の良さを最高に評価していたとも思われる。
■ 最後に置いておかしくない歌だった。しかし、
■ 最初に天智天皇と持統天皇を置き
■ 最後に後鳥羽院と順徳天皇を置く、という構成上の意味があった。
■ この二人の歌を省略すれば、まさに、
■ 百人一首という歌集の最後を飾る、定家・家隆、ということになる。
 

2022年5月22日日曜日

青丹吉鳥・翡翠

青丹吉鳥・翡翠
■ 万葉集
  • [歌番号] 03/0328
  • [題詞] <大>宰少貳小野老朝臣歌一首
  • [原文] 青丹吉 寧樂乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有
  • [訓読] あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり
  • [仮名] あをによし ならのみやこは さくはなの にほふがごとく いまさかりなり
■ あをによし」を、分類上の用語で、枕詞だとするのは馬鹿げている。
■ 言葉には本来意味があるのだ。
■ どのように使われているかよく考えた方がいい。
■ また、どのように使うかだ。
  • だったら、どう使うの ?
  • んっ
■ 例えば、
  • 青丹吉 千里緑地の 散歩道 心楽しき 翡翠の色  遊水
■ 青丹吉鳥は翡翠のことだ。
 

2022年5月16日月曜日

夕浪千鳥

 夕浪千鳥

■  自分の言葉で詠んでみる。
  • さざなみや しがのみやこは あれにしを むかしながらの やまざくらかな  平忠度
  • あふみのうみ ゆふなみちどり ながなけば こころもしぬに いにしへおもほゆ  柿本人麻呂
  •  
  • いにしえの みやこのあとは いずこなる ただみずとりの なみにむれなく  遊水
  •  
  • [歌番号] 03/0266
  • [題詞] 柿本朝臣人麻呂歌一首
  • [原文] 淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思<努>尓 古所念
  • [訓読] 近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ
  • [仮名] あふみのうみ ゆふなみちどり ながなけば こころもしのに いにしへおもほゆ
■ 「夕浪千鳥」
  • 時、夕方
  • 場所、琵琶湖・湖面
  • 千鳥、たくさんの鳥、シギ・チドリ類ではないだろう。
■ シギ、チドリ、は干潟・水辺に群れて生息する。
■ 例、ハマチドリ
■ 水に浮く鳥、浮寝鳥、ガン・カモ類、カモメ
■ 都、賑やか
■ 水鳥の鳴き声、賑やか、騒々しく、うるさくも聞こえるだろう。
■ ここまで書いて、以前も何か書いていたので、見てみた。
■ 琵琶湖は、鳰の海、とも言われるので、
■ 人麻呂の「千鳥」にこだわらなければ、カイツブリの声が聞こえたとしても抒情はある。
■ カイツブリやバンなどはカモ類と同じような水かきではない。
■ オオバンは群れている。
■ カイツブリは「千鳥」というよほど群れていない。
 

2022年5月11日水曜日

船の跡

 船の跡

■  「花さそふ」の歌の本歌として次の歌の記述があった。
  • 【本歌】沙弥満誓「万葉」(訓は類聚古集による)
  • 世の中を何にたとへん朝ぼらけ漕ぎゆく舟の跡なきがごと
■ この歌は、リービ英雄が英訳していて、知っていた。
■ いわば人生哲学といった内容で、
■ 本歌とするにはちょっと異論がありそうだ。
  • 世の中に 言葉と文字がある限り どこかに何か 跡も残らむ   遊水
  • 世の人の 記憶の どこに残るのか 我去り行けば それも意味なく
■ 万葉集・巻三 351
  • [歌番号] 03/0351
  • [題詞] 沙弥満誓歌一首
  • [原文] 世間乎 何物尓将譬 <旦>開 榜去師船之 跡無如
  • [訓読] 世間を何に譬へむ朝開き漕ぎ去にし船の跡なきごとし
  • [仮名] よのなかを なににたとへむ あさびらき こぎいにしふねの あとなきごとし
■ 伊藤博・校注・万葉集に
  • 「唐詩に船過ぎて浪に痕無し(宋之間)などがある」
■ とあるので一応検索したがうまく調べられなかった。
■ 手元の唐詩選に宋之間の他の歌は幾つか見られたが、見当たらなかった。
■ こんな歌はある。
■ さて、・・・
  • 花さそふ比良の山風ふきにけり漕ぎゆく舟のあと見ゆるまで   後鳥羽院宮内卿
  • 船過ぎて 水に跡なく なりし後 風に誘われ 散る桜かな   遊水

水面に浮かぶ桜

 水面に浮かぶ桜
■ 
  • 花さそふ比良の山風ふきにけり漕ぎゆく舟のあと見ゆるまで   後鳥羽院宮内卿
  • その上を 歩いてみたく なるほどに 水面に浮かぶ 桜なるかな   遊水
■ 山本健吉著・基本季語五00選の「花」の項を見ると、この、花さそふ、の歌もあった。
■ 俳句だけでなく、和歌についても書いているので参考になる。
■ 他に「桜」の項もある。
■ ついでながら、・・・
■ 花筏、ということばもあるけれど、「花」と「筏」は何かそぐわない気がする。
 

2022年5月9日月曜日

桜の雪

 桜の雪

■ 以前も書いたが、もう一度書いておこう。
  • あらしふく みむろのやまの もみじばは たつたのかわの にしきなりけり
  • あらしふく にわのさくらの ゆきならで ふりゆくものは わがみなりけり  遊水
■ これでいいように思う 。
■ ごくふつうの表現だ。
■ 歌の意味として重要なのは下の句であり、
■ 上の句は下の句への自然な導入ができればいい。
■ 「桜の雪」で、桜吹雪、花吹雪であるとすぐ分かるように思う。
■ なぜ「花さそふ」としたのか、分からない。
■ あるいは、せざるを得ない何かがあるのか。
  • 花さそふ比良の山風ふきにけり漕ぎゆく舟のあと見ゆるまで   後鳥羽院宮内卿
■ この歌はうまい。
■ 同じ、花さそふ、でもこれほど違うのか。

2022年5月7日土曜日

花ぞ昔の香に匂いける

 花ぞ昔の香に匂いける

■ 百人一首をどのように読むかは人それぞれで花の香りの記憶もまたそれぞれだろう。
■ 梅の花もそのひとつだけれど、私としては
  • 金木犀、銀木犀
  • レモン
  • 沈丁花
  • くちなし
  • ・・・
■ 幾つかある。
  • 人はいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける    貫之
  • 花だにも おなじ心に 咲くものを 植ゑたる人の 心しらなむ  返し
■ 詞書と返歌、応答のおもしろさはあるけれど、どうだろう。
  • 嫁ぎゆき 人はなけれど 沈丁花 春ぞ昔の 香に匂いける   遊水
■ こんなのがあってもいいかなと思う。

紀貫之・その2、恋の相手は誰だったのか

 紀貫之・その2

■ 表歌、即ち、代表歌は作者と第三者では評価が違う。
■ 百人一首で定家は「人はいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける(古今42)」を選んでいる。
■ この歌は貫之としては単なる、やりとりの歌、に過ぎなかったかもしれない。
■ 古今和歌集は貫之が選んだのだからそこに彼自身の代表かがあってもおかしくない。
■ 最後を飾っているのが、「道しらば」の歌だ。
  • 道しらば摘みにもゆかむ 住江のきしに生ふてふ恋忘れぐさ  つらゆき
  • その場所を 訪ねてみんか ひとり我 恋や忘るか ユウスゲの花   遊水
■ 彼の恋の相手は誰だったのか
  • 逢ふことは雲ゐはるかになる神の音に聞きつつ恋ひ渡るかな(古今482)
  • 色もなき心を人にそめしよりうつろはむとは思ほえなくに(古今729)
  • 玉の緒のたえてみじかき命もて年月ながき恋もするかな(後撰646)
 藤原定家や西行と同様で、皇族の人だろう。
■ 「逢ふことは雲ゐはるか」ということだから、片思いでしかなかったようだ。
■ だからだろうけれど、「道しらば」の歌には切実感が感じられない。
■ 「恋忘れ草」を摘んだところで、忘れるとも思えないし、それほどの問題でもない感じだ。
■ だいたい「恋」しか関心事はないのかと思うが、
■ それが当時としては歌の題材としての関心事、風潮だったのだろう。
■ ところで、相手探しは可能かどうか、彼の歌をすべて検討し、
■ 当時の可能性のありそうな女性を取り上げて、消去法で残ったひとであるかもしれない。
■ このようなことで、和歌の世界をよく知ることができるかもしれない。
■ 紀貫之の歌は
  • 勅撰和歌集に 435首
  • 古今和歌集のみでは 101首
■ のようだ。

2022年5月4日水曜日

古今和歌集・恋忘れ草・つらゆき

 古今和歌集・恋忘れ草・つらゆき

■ 古今和歌集、917番に、こんな歌がある。
  • 住みよしと あまは告ぐとも長居すな 人忘れ草おふといふなり  みぶのただみね
■ そして最後の1111番の歌は
  • 道しらば摘みにもゆかむ 住江のきしに生ふてふ恋忘れぐさ  つらゆき
■ 恋忘れ草は萱草。
■ 住江の岸だからハマカンゾウということか。
■ 住之江にばかり生えているものでもないだろうけれど、有名だったのか。
■ 古今和歌集は数が多く、百人一首でも多いように思うが、
■ その10倍以上あり、読むのは大変だ。
■ よく知られた歌だけでいいのかもしれない。
■ ざっとではあるが、何度か読んだあとの感想だ。
■ この歌が、つらゆき、の代表作ではないかもしれないけれど、
■ そのひとつだとすれば、なんだか物足りない感じだ。
■ まあ、いい。
■ つらゆき、は、つらゆき、だ。
■ 私だっらどう作るかということだろう。
  • その場所を 訪ねてみんか ひとり我 恋や忘るか ユウスゲの花   遊水
■