■ 百人一首は、一応、その人の代表作だ。
■ 一人で1首しか取り上げていない。
■ 仮に、それ一首しか知られていないにしても、藤原定家はつまらん歌を取り上げるはずはない。
■ 他に歌人がいないわけでもないので、他の人の歌でもいいはずだ。
■ それは私が選者だとしても同様だ。
- 百人一首 70番 良暹法師 さみしさに ・・・・・・・
■ そんな「いつもと同じ」秋の夕暮れを歌にするはずはないし、
■ だいたい、夕暮れにしか外に出なかったのか。
■ 彼の孤独感は何によるのか。
■ また孤独感はなぜ癒されなかったのか。
■ まあ、そんな彼の心理を定家は読み取ったから、代表作として取り上げたのだ。
- さみしさに やどをたちいで ながむれば いづくもおなじ あきのゆふぐれ
- つまんない うめだのまちに でてみたが どこもおなじで みたされなくて 遊水
- つまんない うめだのまちに でてみたが どこもおなじで ほしいものなく
■ わざわざ行ったけど、期待外れだった。
■ 満たされない心、それは昔も今も同じで、人により多少の違いがあるだけだ。
日本語 | 英語、google 翻訳 |
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■ つまんない、と、さみしさ、とは違う。
■ 寂しさは孤独感で人に会いたいという感じだ。
■ 「つまんなさ」はそれもあるが、欲しいものがない場合などもある。
■ いずれにして、彼は単にうちの外に出ただけでなく、
■ 帰宅したのは「夕暮れ」時、だった。
■ だから、往復を考えれば、ある程度の距離だったはずだ。
■ 期待外れで満たされなかったけれど、納得もしただろう。
■ 俺ばかりではない、と。
■ 人間、生きていれば付きまとう孤独感。
■ 定家は、いわばそういう、共感できる人生観を詠んだ歌だとしてとりあげたのだろう。