2026年10月18日日曜日

すこしづつ おもいだしつつ。 めちゃやばい おれのきもちが ここにある ひとはこれをや 恋といふらむ

■ 2026-11-05
■ 2026-10-07
■ はや、10月も何日か過ぎた。
■ ここいらで多少振り返ってみよう。
■ 鳥見に出ると、当サイトがおろそかになるので、・・・




「和をもって尊しとなす」言葉あり聞く耳もたぬ世界なれども

いにしえの ひとのよみたる うたよめば われのこころも ここにあるかと
めちゃやばい おれのきもちが ここにある ひとはこれをや 恋といふらむ

筒井康隆・時をかける少女」を読んで
はなのかに からだがふわり かるくなる ゆめをうつつに ときをうつりて

ふるさとを とおくはなれて ひとりすむ きみもみてるか いまこのつきを

大伴家持の心を思いて
しものよに ふりさけみれば あまのかわ いつまたあえる カササギのはし

のみすぎた あるきましょうか そこいらを 春宵一刻値千金
かえりましょ こいびとたちの そのあとは 鞦韆院落夜沈沈

蝉丸の「逢坂の関」をどう変えることができるか
これやこの カルタあそびの ひゃくにんしゅ しるもしらぬも きそいあうせき
これやこの くるもかえるも つどいては しるもしらぬも いざかやのせき
これやこの くるもかえるも 日本語を しるもしらぬも ハチ公のまえ

大弐三位は「もろこしまでも」と歌ったが、・・・
はるかなる いこくのちまで とびゆくは さえたねざめの おもいなるかな

色自堪傷客意 宜將愁字作秋心  和漢朗詠集 224
なつすぎて あきはきにけり かれはちる あきのこころは うれいなるかな
「春過而 夏来良」も参考にして

そっとてを ひらいてみせる ほたるかな
ほらねとしょうじょ ほほえみながら

俺が手を 開いたと説く 人ばかり
下の句付けて 短歌になせり
短歌詠む そんなところに よさがあるから
俳句は俳句で よさもあるけど

書き留めて 文字にならねば わが歌も 蛍と消える 夏の夜の夢
ながれとぶ ほたるほとりと うつおんな

銀燭秋光冷畫屏
輕羅小扇撲流螢
天階夜色涼如水
臥看牽牛織女星

流螢は 大和言葉に あらねども 山口誓子の 句碑に刻まれ

「有朋自遠方來、不亦樂乎」風に「輕羅小扇撲流螢」の舞
動画あり インターネットで 飛び来たる 支那の踊りも 楽しからずや

式子内親王の「かへりこぬ」の歌「昔を今に」と思いつつ
おあいては どなたでしたか あのときの つげのまくらに なぞかけられて
あのひとと ともにつかいし このまくら かおをうずめて おもいねるかな

山の上 叫べ萩原 朔太郎 俺は今でも お前が好きだ

たみびとが ころもあらいて ほしたるか このまにしろく なつはきにけり

春過而 夏来良
衣乾有 
天之香来山

あまごいの 雨之香来山 あらいほす しろいころもに はつなつのかぜ

古事記・倭建命の歌に「阿米能迦具夜麻」とある。
「春過而 夏来良」としたのは「初夏」という言葉がなかったからか。

三五夜中新月色
さんごとは さんごじゅうごの おつきさん くくのけいさん じゅうごやのつき

ひさしぶり うららのはるに なぜいそぐ
友則君も なげいておった

よのなかに クレオパトラの なかりせば おとこのこころ のどけからまし
アントニオ クレオパトラの かにまよい みをほろぼすと かたりつたえる

よのなかに たえていくさの なかりせば ひとのこころは のどけからまし
はちがつの むいかここのか じゅうごにち へいわをいのる ことばなるかな

せいそうと あいぞうのはて ながされて なすすべもなき うみのあおさよ

鎌倉と戦し破れ流刑地の隠岐の島なる天の高さよ
ひともをし ひともうらめし 後鳥羽院 なほあまりある むかしなりけり

あのころの あいとねたみと うらぎりの
よををおもうゆえ ものおもうみは

古今集 鴛鴦の歌は 幾つある 数えてみるか 暇に任せて
いとをしい あいをすてさり いとしいと おしどりみつつ こころさびしも

句題和歌 春翁酒易悲
おいたれば めぐるはるこそ かなしけれ さけをのみつつ みるさくらかな 

年年歳歳鳥相似
歳歳年年人不同
めぐりくる きせつはいまも かわらねど みちゆくひとに しるかおもなく

かえりみて こころゆくまで ちるはなと あいみることの いくどありしか
やわらかな しらべがそこに あればいい さみしいこころ うれしいこころ

おやゆきか あしをとどめて くちずさむ はるはなのみの かぜのさむさよ
さんぽして ときおりふっと くちずさむ むかしなつかし かずかずのうた

はるがすみ ひはおちそらに おぼろづき なのはなばたけ なつかしきかな
はるがすみ はれぬこころに おぼろづき  いつしかまぶた おもくなるまま

春の空 ひばりなくこえ ねころんで
夏の空 わきたつくもを ながめたり
秋の空 ひつじのかずは かずしれず
冬の空 ひなたはいいな ほっこりと

百人首 美空ひばり を思いつつ 家持の歌 万葉の歌
うららかな みそらにひばり なきのぼる そのうたかなし ひとりしおもえば
岡林信康が「 レクレイム~我が心の美空ひばり~」を歌う。

うらうらと ひかりのどけき はるのひに こころしずかに はなをめでたり
うららかな こころまちした はるなのに きもちもしらず はなはちりゆく
ひさしぶり うららのはるに なぜいそぐ ねころびさけを のもうじゃないか

あきのひや スマホにあきて てがきもじ
与謝野晶子の うたかきうつす

いたましき じこやじけんは あとたたぬ なれどはなさく わすれなぐさは
原爆忌 そのひばかりは めぐりきて いきてかえらぬ ひとぞかなしき
わすれろと いえないけれど よのなかの わすれることの やさしさおもう
ゆるやかに こころのこおり とけてゆく グラスのなかの こおりのように

晴耕雨読ならぬ晴野雨読
雨の日は 書斎で本を 友として 晴れれば鳥見 散歩なるかな

いつかまた であいはあるさ とりたちと そんなたのしい ひびをおもいて
なつのよは オンザロックの テーブルに おかれてカラリ おとたてるころ

こいびとの しゃしんのように キビタキを きょうまたうつし みたされている
春・秋の 渡りの時に 公園で 姿見られる キビタキの色

ふゆがれの うじのかわはらを ふみゆけば けたたましくも キジのとびたつ
雉も雲雀もギリギリまでじっとしている。

アカシアの 蜜に飛び来る 虫がいる その虫を喰う 三光鳥は

つきとひと ★となくとり わたりくる 
うまれしたしむ きせつとなりて

カワセミも ときにはとまるか はなはちす

かぜかおる にわのうえきに しげみあり いつもとびくる なかよしメジロ
メジロはつがいでいることが多い。

ひがんばな さけばノビタキ わたりくる かわのきしべを カメラかたてに

こうえんに オオルリ & コルリ ルリビタキ あえてうれしい るりいろののとり

源氏物語・玉鬘・本名瑠璃
るりという そのなはしたし ものがたり なづけおやなる むらさきしきぶ

羊羹が もっとも好きだと 漱石が 食いたる品は 小城羊羹か

かけてゆく きみのむこうに なつのうみ
九十九里浜 懐かしきかな

なつかしい はまはそれぞれ あるだろう おきかえよめば そのひとのうた

ゆめにみた きみのよこがお わかかった しろいすなはま あのとおいなつ

かなしくて ポトリとみずに すいちゅうか 
オマエはなみだ ながせないけど

奥の細道
とりはなき なみだのわかれ でしのなに まつおばしょうの あざとさをみる
杉風・鯉屋市兵衛と鳥金右衛門が旅費を工面した。
あいさつく おもいつたぞ あいつらに かりはかえした おくのほそみち
 
朝起きて 夕暮れまでの 8時間
どこにいたのか 良暹法師
みやこまで さんりのみちの ゆきかえり いづこもおなじ あきのゆうぐれ
にぎわいの うめだのまちに ふらりでて つかれてかえる あきのゆうぐれ
さびしさは だれでもおなじ あきのくれれ しるひともなき ざっとうのなか

かんらんしゃま わりつづける おもいでは
みなみせんりの カリヨンのおと
ナイアガラ しぶきとにじと モンローを おもいださせる カリヨンのおと
映画 Niagara「これ いかにも、こわいですねえ」

ハネムーン? きかれてはいと かぜかおる

20TH ANNIVERSARY OF SENRI、千里20周年記念 1982-10-31
PETIT&FRITSEN,AARLE-RIXTEL,HOLLAND  10774
ていこくに かねはなるなり こうえんの オランダうまれの かねのひびきよ

One-Eyed Jacks、マーロンブランド主演
トランプに かためのジャック ふたつある するどいけんと ほんとうのあい

引退後 養蜂家として シャーロックホームズ 住むところ
そこは一面 菜の花畑か
ロンドンの けんそうはなれ サセックス どうだいホームズ はちはげんきか

にほんとは にほんじんとは むいしきに みそひともじを くちずさみきく
めちゃやばい おれのきもちが ここにある 千早古世の ことのはのなか

百人一首 40番 平兼盛
ひとのいう おまえあのこが すきなのか なんでわかるん いうてへんのに

莫使空対月 満懐都是春
おぼろづき ひとりぽっちは いやですよ せいかのつぼの うたのこころを
これは「君はまっすぐ僕の目を」でもとりあげた。

美智子・歌集「ゆふすげ」に習いて
おさなごが ゆきとゆびさす まどのそと まことゆきかに さくらちりゆく




いにしえの こしきゆかしき ぎしきあり はさみのおとの みみにのこりて

いもうとが ははのしゃしんを ゆびさして こんなところに わたしがいると
ははゆきて いまはかえらぬ ひびなれば かなしみいろの あきかぜぞふく

たんじょうび このひばかりは めぐりくる ははとわたしの きずななるべく
わかきひの ははのしゃしんの アルバムを ひらきみるての しばしとまりて

ふっくらと これはおいしい たきかげん しんまいですよと つまのこえする

へいぼんに すぎさるひびの はやいこと きょうもきのうと かわることなく

あたらしい ペイジつくれば あきのよる きのうのあさは どこかとおくに

兄の戒名・慈雲明彩
そのときが いつかくるとは しりながら きのうきょうとは おもわざりけり 

うふふふふ あまなっとうは じょがくせい ごうかくつうち 恋ののきせつよ

ひびはすぎ きせつはめぐる ひとのよよ なんにしようか きょうのゆうげは
人生は 読み書き ソロバン 衣食住

嵐という文字は、元々は、靄のような状態で、
漢詩では、翠嵐などと使い、緑の山の空気の・雰囲気をいう。

ことのはの いみをたしかめ ひらきみる 白川静 あらしのもじを

山と風と 文屋康秀
やまとかぜ やまとことばの やまおろし あらしのもじに いみをふきこむ

有馬山
かれにしは おぼつかなくも ゆれうごく ありまやまふく かぜもつめたく

なつあつし あきふくかぜの なきごとく 和泉式部の こいのひびかな
よのなかは うつりにけりな いたづらに われかんせずと ながめせしまに
花の色は と詠むけれど 
桜なら 
散ってしまうよ 色は変わらず

世を倦み渡る 我ぞ悲しき 小野小町
しるべなき うみにわがふね かじをなみ しおのながれに みをまかせつつ
ふるあめに いろうつりゆく あじさいを めでつつかなし ひとのこころは

ローマ字で 「あい」という文字 みるけれど そんなところに 愛はあるのか

やまとびと こころをこめる ことのはに こころはいらぬ かのくにのひと
愛を意味する簡体字
「心」なき もじをさだめて つかわせる そんなところに 愛はあるのか
簡化字 & 姓名判断
かたよくで どこまでとんで ゆけるのか なふだのもじの あやうかりけり

寂しくなったなら二人でお酒飲みましょう
けんかして わかれるなんて いやだから あいはいらない おさけがほしい

古代韓国語は、日本から渡っていった。
海原 una-bara // 海umi 바다 bada
 bada → wada
和田の原 wada-no-hara
わだつみ わだつうみ wada-tu-umi
海原、草原。原は広い場所をさす。

源俊頼
いのれども かぜのはげしき はつせやま かんのんさまの こころとどかず
うかはげの うたとはなにか わからずに ただとりあそぶ うたのかるたを

はなさそう ひえいおろしに さくらばな こぎゆくふねの あとみゆるまで
そのうえを あるいてみたく なるほどに みなもにうかぶ さくらなるかな

カーテンを ゆっくりあけて たしかめる あさがおきょうは いくつさいてる

贈別  杜牧
多情却似総無情  おもいあふれて ことばなく
唯覚罇前笑不成  わかれのさけを のむだけだ
蠟燭有心還惜別  ひとにかわって ローソクが
替人垂涙到天明  なみだをたれて よがあけた

妻に代りて詠む
たのしみは えをかきあげて がくぶちを いつものみせに かいにゆくとき

6ごうに つづく7ごう たいふうの よそうしんろの おそろしきかな

こいおもう こいしさならば そのこひは 孤悲のこころと おもいいたりて

七夕、7×7 = 49
始終苦の おもいも笹に さらさらと 風に流せよ 孤悲の短冊
いにしえの うたよみおれば そのままに おもいのたけを よみあげるべし

思ひ・おもひ・面悲
能面の おもひ 悲しき 薪能

ピンキーとキラーズ「恋の季節」
コーヒーを ともにのもうよ あくるあさ むなしくあけて ひとりのみけり
つたわらぬ ことばもあるか わかきこに えがおをみせる そのかおみれば
コーヒーを あさにのもうと いうことは ふたりでよるを たのしみたいと

うつむいた 君の面影 エゴの花

たいふうで ドングリおちた おかのうえ カケスがくうと ひろうひとあり

養蜂家・シャーロック・ホームズはどこに
すいりとは どういうことか ひととえば サセックスには なのはなばたけ
honey >> rape blossoms of Sussex 

イギリスに いちどもいった ことはない しろいぜっぺき ななにんしまい

いまなんじ なんじですかと ていねいに きかれるがわに おもいをよせて

Patti Page はレズですか
him と her ただおきかえて うたううた それでいいのか Tennessee Waltz
にほんでは おんなもうたう おとこうた ちあきなおみの さびたナイフよ
すなやまの すなにうもれた ピストルが こいにやぶれた たくぼくのてに

Love Letters in the Sand
「s」ひとつ あるかないかで おおちがい パット・ブーンの かしをみるかな
なみがきて すぐにきえさる こいのもじ おもいだしつつ かくはこいぶみ

映画・野のユリ
アーメンを エイメンという くにがらが すきになれない ききたくはない

いちばん好きな映画は何ですか
The Professionals
なんだろう クラウディアと リーマービン プロフェッショナルも ひとつだけれど

The Last Sunset / Pretty Little Girl In The Yellow Dress
このうたは いいないいなと おもうけど
ほんとうは そのこだれのこ かわいいこ ウソだとさけぶ カーク・ダグラス

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詞書・詠題

歌には、詠まれた背景がある。
歌を共有するとすれば、なぜ詠まれたのかが分かる方がよいだろう。
勅撰和歌集では詞書も多い。

以前は歌そのものを読めばいい、と思っていた。
題詠は不得意だった。人の歌を読むとき、
何を詠んでいるのか、どこに興味や関心があるのか、
何を言いたいのか、分からないのも多い。
振り返り、自分の歌も客観視すればそうゆうことだろう。
なるべく、詞書など書くようにしよう。

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おおすぎる ことばは いつか きえるだけ こころにのこる うたはあるのか

清紫とは ひとのなまえと だれがしる 清少納言 紫式部
へいあんの うたにせいしの きちのはな まことのすがた まくらのそうし

なげけとて ときはながれて ゆくならば このひだまりに ふゆのひとひを
ひとはみな おいゆくものぞ それゆえに しばしとそどめて 鰐淵晴子

さんぽする おちたぎんなん すくないぞ なみきのえだを おとしたからか

いこくでは こおりのとりと よぶそうな ゆきふるえだに そにどりがいる
昔はカワセミのことをソニドリと呼んだ。
古事記・倭健の歌にある。空の「そ」丹色の「に」

きゅうしゅうに くまそをうちし すぐあとに あずまにゆきて しねというのか
はくちょうに すがたをかえて とびゆける やまとたけるの こころかなしも

ちょんちょんと すずめきてなく ベランダに えさまきあそぶ はるはきにけり

枕草子に見る
かくことの そのたのしさ むずかしさ ひめのきょういく てならいせよと

ひさしぶり なんねんぶりと いいかわす ろうじんたちの かいわあかるく
あかるいひ これをあしたと よむことを とくにいしきは してないけれど

「L」をlove そんないみには つかわない 「ほ」のじとかくよ にほんごならば

ジョウビタキ 翼に白い 班あれば 
紋付鳥と 人は言うなり
こうえんに もんつきどりが やってきた もうすぐふゆの きせつですよと

にじゅうにの わかれはいつか わからない とおくはなれた いまはなきひと

きょうのてんきも わるくはないぞ ふらりカメラを もって でる

袁枚
莫説光陰去不還 ときはながれて ゆくけれど
少年情景在詩篇 むかしつくった うたがある
燈痕酒影春宵夢 そうだあのとき こんなこと
一度謳吟一宛然 よめばまぶたに よみがえる

まつことに すこしはなれて ふゆのとり

びっしりと ズボンりょうあし くさのたね

このはちる きそうことなど なかろうに

もうくれか ところでわしは なにをした

ことりたち みずのみにくる こうえんの そらしずまれば ハイタカがまう

ビール ビール ビールがうまい あおいそら

はるとあき あきはコルリも おさなくて

あきばれや なにもいないと いうけれど

OSを インストールして ふゆのあめ

はいくとは うたとはなにか おもわずに こころのままに よめばいいのだ
とるしゃしん イメージせずに あるがまま とりのすがたを うつしとるべし

よやくした おせちりょうりを とりにゆく ついでにあれも かってきてねと

じんちょうげ へやにただよう かおりこく はるのよふけに ただふたりいて

こんなにも ちかくにいたか ホトトギス なけどすがたの みられぬままに

いけのべの ヘラオオバコの かぜにゆれ はるのひざしに カワセミをまつ

しゅりゅうだん さくっときれば キウイかな

すじぐもや にしはおおさか ひがしきょう あすはゆこうか もみじのてらへ

どりゃわしも ブログなるもの つかおうか ゆびをつかいて のうにしげきを

ひのもとに さくらのはなの あるかぎり ひとはわすれぬ やまとごころを

ひとざとを はなれてくらす そのひとに あうときいつも らんのはなかと
蘭のはな 欄と変換 されていた これはいかんぞ 恥ずかしい

ドングリを なげてオシドリ ふゆのいけ

しずけさや ちゃがまのおとと ゆきげしき

あきのひの テイクファイブを きくよかな

ほらごらん なつになったと いうことよ せんたくものが みえるじゃないの

年末に 用いるが良し 去年今年
ゆずのうく ゆぶねにしずみ こぞことし しだいにきおく うすれゆけども

田兒之浦從 打出而見者 眞白衣
不盡能高嶺尓 雪波零家留
みぎわまで こまうちかけて みかえれば ふじはましろに たちにけるかな

「眞白衣」に注目して
みぎわまで こまうちかけて みかえれば 
ふじはましろき ころもまといて

ふみゆきて ゆけばかえらぬ そのみちを かえりみすれば ゆきにうもれて
すぎゆけば いまもむかしに なりぬらん むかしなやめる こともなつかし

すぎゆけば いまもむかしに なりぬらん 
いまはなつかし なやめることも

いきいそぐ ことなくわれは よにいきて うつらうつらと くまぜみのこえ

ひとしれず たえねばならぬ ものならば たえてしまえと おもいつるかな
わかれると こころをきめた ことなれど こころしずかに なれぬひびかな

それはむり むりとわかれば いさぎよく わかれるほかに とるみちはなく

さびしさや ときはかなたに すぎてゆく ただセミがなく とおいひのなつ

わたのはら やそしまかけて こぎいでし 個性的なる 小野篁
うなばらや おきのしまへと こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね
おきのしま ゆけというなら いってやる うなばらひろく てんなおたかき
みれんたち みやこをはなれ おきのしま うおつることも たのしからずや
みれんたち みやこをはなれ おきのしま いけばいったで なにかがあるさ

夏草や兵どもが夢の跡 ドモとはなにか みさげたような

かにかくに むかしのうたを こいおもう ときのながれの きしべにたちて

まつやまの はいくをつくる おばさんの かみのほつれに あきのかぜふく

温泉で 泳いでやろう ほととぎす
ゆのなかで およぐべからず ホトトギス なんじゃいいよの いなかものども

シャリシャリと おともたのしや かきこおり
あさがおや どこをめざして つるのばす

ふるさとを とおくはなれて とうきょうで 
こいになやんだ こともあるかな
ふるさとを とおくはなれて あきにひに まつりだいこの おとよみがえる

しものくを つけてみようか ひまなとき なにかにきづく ことがあるかも

観覧車 回り続ける 思い出は
ひとそれぞれの こころのなかに

すきずきは それぞれならば ひとにより ちがいもあるは いちおしのうた

さてきょうも いつものように そこいらを カメラかばんに さんぽしようか
みあげれば まさおのそらに ジェット機が しろくすじひき とびさりてゆく

天智天皇の歌思いつつ
かりごやで ひとよあければ あさつゆに てうえてがりの いねのかぞする

世界中 コロナウイルスが 蔓延し 死者が多数 出たこともあり
カンビール みんなこんなに のんだのか はやりやまいの ゴミしゅうしゅうび

しんでやる あついおもいの こいだとて それをあいては しっているのか
あいよくに はてはあるのか われもこう

いにしえの かずあるうたを てほんとし われつくりたる うたもありける

なつすぎて あききたるらし はくしゅうの かぜのさやけし ふうりんのおと

学生運動を横目に
なつやすみ おわればつぎは あきになる ゲバぼうなどは どこふくかぜか
だいがくを そつぎょうしたら しゃかいじん がくせいゆえに できることだと
あのひから 50よねんの ときすぎて なにがどんなに へんかしたのか
あのころも われはひとりで いまもなお ひとりでおもう あれやこれやと

ふくかぜに あきのけはいは なけれども わたりのとりに きづかされぬる

みなのがわ こいぞつもりて ふちとなる みずがつもると ふちになるのか
せいじょうと おもえぬひとの よむうたは ことばのどこか ずれておるなり

わかれても すえにあわんと おもえども ゆめにむなしき ねがいなるかな
けんりょくを うばわれうばい かえそうと いくさのはてに おにとなるらん

うつりゆく ときのうしろを ものおもう ひとのすむよは どうりがあると

よのなかは いつものように かわりなく ひびのくらしを いとなむがよく
あいしても あいされるとは かぎらない どこかとおくに いってみようか

上の句を 付けて遊ぼう 歌カルタ
このうたを よみたるあとに くらぶれば むかしはものを おもわざりけり
ただきそう ひとにまけじと カルタとる むかしはものを おもわざりけり
あのうたを よみてはじめて わかること むかしはものを おもわざりけり
いくつかの うたのこころを よみしいま むかしはものを おもわざりけり

ものおもう ひとそれぞれの おもいあり はつこいのころ ばんねんのころ
よにいきて ひとそれぞれの おもいあり せいしゅんのころ ばんねんのころ

よにいきて ろくになやまず こいもせず むかしもいまも かわることなく

さよならの てがみがとどき うろこぐも ちぎってそらに なげてやりけり
ながつゆや いやなよかんの てがみかな こんなかたちの さよならなのか

しゅうきょうの しょうたいみたり かねもうけ 
ことばをもたぬ ひとにちかづく

やまとしま てんぺんちいを おそれても ひとのこころの まことわすれず

箕面市の 五字神社の 木の洞に 
里帰りして 子育てをする
まつるかみ おもいかねなる ちえのかみ ねがいごとして アオバズクとる
ほうまんな ちちもあらわに おどりだし めがみなにかと かおをだしたり
あのきかく おれがやったと かのかみは いうたかどうか いまはむかしぞ
いにしえの こじきのきさい おもしろく ねころんでよむ あおばのきせつ
天の岩戸の思金神
オモイカネの カミを祭る 小さな社

はなとさく われにあらねど さくはなの ふぶきとなりて われのみにふる
ゆきならで ふりゆくものと よむひとの よわいもとうに こえにけるかな

曹操の 齢もとうに 過ぎたれば 人と争う ことの虚しさ

對酒當歌,人生幾何?譬如朝露,去日苦多。
慨當以慷,憂思難忘。何以解憂?唯有杜康。
・・・

2026 年 異状気象か
ひがわりの きおんになやむ ひびなれば なにをきようと まようつまかな

ガラスどに なにかぶつかる おとがする 
みてみてジョウちゃん ジョウビタキ・オス

ジョウビタキ うつるじぶんを こうげきす しってはいたが はじめてみたぞ


 趙師秀 有約
黃梅時節家家雨  うめはいろづき あめふるきせつ
青草池塘處處蛙  くさはみどりに かえるがさわぐ
有約不來過夜半 やはんすぎても こないじゃないか
閑敲棋子落燈花   ごいしをうてば 燈花がおちた

あめがふるから こないのか
よふけてゆらぐ ろうそくが
したたりおちて はなとなり
ごいしうつおと ひびくかな

燈心に 工夫があれば 和蝋燭 燈花ができる ことの少なく

水滸伝・柴進扶起宋江來,口裏說道:
「昨夜燈花報,今早喜鵲噪,不想卻是貴兄來。」

Pearl Sydenstricker Buck、中国名:賽珍珠
「ALL MEN ARE BROTHERS」
“Last night on the candle I saw a flower form from the tallow 
and this morning a magpie called, 
but I don't know that the happiness 
they portended was the coming of this honored brother.”


白氏文集 秘省後廳
槐花雨潤新秋地  あめにうるおう はなしろく
桐葉風翻欲夜天  きりのはゆれて ひはくれる
盡日後廳無一事  いちにちとくに なにもなく
白頭老監枕書眠  ほんをまくらに ねてしもた

枕書眠、
枕草子という題はこの漢詩からきているとか


  旅懐  杜荀鶴
月華星彩坐来収   つきのあかりは いつしかきえて
嶽色江聲暗結愁   やまかげくらく かわおとかなし
半夜灯前十年事   よふけのあかり こしかたのこと
一時和雨到心頭   いちどにどっと あめふるおとに

はやととせ りょかんでひとり のむさけに いつしかつよく ふるあめのおと

   歸雁 杜甫
東來萬里客   ここにきたのは はるのこと
亂定幾年歸   とらわれのみで かえれない
腸斷江城雁   きせつはめぐり わたりどり
高高向北飛  こきょうのそらへ たかくとぶ

雁がねも しずかに聞けば からびずや  越人
酒しひならふ この比の月  芭蕉

芭蕉庵 夜なく雁の 声聞けば 杜甫の帰雁に ふるさと想う
旅先で 逝きたる杜甫を しのびつつ 
深川の夜 かりがねの声

孟浩然
春眠不覺曉  とっくに あさに なっていた
處處聞啼鳥  そとでは とりが ないている
夜來風雨聲  よるに はげしく ふったから
花落知多少  さくらのはなも ちっただろう

ならばもすこし ねてようか



・・・・・・


うたいたいときゃ うたえばいいし
うれいもあるし  なやみもあるが
さけがあるときゃ のんだらいいぞ
あしたのことは  あしたにするさ


  自遣 羅隠
得即高歌失即休  
多愁多恨亦悠悠
今朝有酒今朝醉  
明日愁來明日愁 





あめはあがって そらはすみ
やまはくっきり まどのそと
やなぎのわたげ もうとばず
あおいのはなが さいている

  初夏   司馬光
四月清和雨乍晴  南山當戶轉分明 
更無柳絮因風起  惟有葵花向日傾  




まいにちひとは おいてゆく
けれどもはるは やってくる
さけがあるから いじゃないか
はなはちっても いじゃないか


  送春辞  王維
日々人空老  年年春更帰  
相歓在尊酒  不用惜花飛  




はながさいても ひとりだし

はながちっても ひとりだけ

ふたりでみたい このきもち

はながちるとき ひらくとき



花開不相賞  花落不同悲  

欲問相思處  花開花落時    春望  薛濤(セツトウ)






くさはみどりに やなぎはめぶき

はなはひらいて かおりもあるが

はるのかぜにも うれいはさらず

わたしのこころ ものういばかり   



草色青青柳色黄 桃花歴乱李花香

東風不為吹愁去 春日偏能惹恨長   春色   賈至




つきのあかりは いつしかきえて

やまかげくらく かわおとかなし

よふけのあかり こしかたのこと

いちどにどっと あめふるおとに



月華星彩坐来収  嶽色江聲暗結愁

半夜灯前十年事  一時和雨到心頭  旅懐   杜荀鶴



あれやこれやと かいたけど    むかしはてがみ かいたもの

てわたすまえに よみかえす    ふうをするまえ よみかえす



洛陽城裏見秋風  欲作家書意万重  

復恐匆匆説不尽  臨行人発又開封   秋思 張籍





きしべにかぜの そよぐころ

むらさきいろの まめのはな

こころがさわぐ おれなのさ

のみやのもじが きにかかる



村辺紫豆花垂次  岸上紅梨葉戦初  

莫怪煙中重回首  酒旗青紵一行書  江南    陸亀蒙



みやこにともを たずねれば

ちほうにきみは とばされた

はやくさくのは うめのはな

どうだいそっちは もうはるか



洛陽訪才人  江嶺作流人  




わかれのさけだ さあのもう  これからきみは どうするね

おもうようには いかなんだ  やまのふもとで くらすんだ

そうかいそれも いいだろう   なんせしぜんが いっぱいだ

  送別  王維

下馬飲君酒 問君何所之 

君言不得意 帰臥南山陲 

但去莫復問 白雲無尽時 


わかれのさけを のむときに  どこへゆくかと たずねたら

どこへゆくとは きめてない   いなかぐらしを しようかと

なるほどそれも いいだろう   ならばくうきも うまいだろ







ゆきがふりやみ いなかみち

あちらこちらに うめもさき

のみやもあるが すどおりだ

きみがいるなら いいのだが



野水晴山雪後時  獨行村路更相思

無因一向渓橋酔  処処寒梅映酒旗    寄友   李群玉


















2026年10月16日金曜日

カッター替刃のこと、秋の日やスマホに飽きて手書き文字

MIDORI WRITE MAN ステーショナリーセット - 検索 画像

■ 2026-10-16
■ このシャーペン芯が出てこない、などという。
■ 見ると、WRITE MAN というセットものにカッターがあり替刃もあった。
■ なるほど、これって、あれだな、今気づいたけれど。



うつくしい あなたはもみじ 竜田川 ながれのように あいしつづける

「千早古」については新古今和歌の時点で、単なる流行語として、解決したはずだった。

■ 2026-10-16
■ 百人一首 017 在原業平の歌は現在では難解とされているが、当時は業平が高子を愛していたことはよく知られていた。しかし、天皇の女となった人を愛しているとは公には言えない。そこで極端な表現となった。
■ 伝藤原満基筆「百人一首抄(応永抄)」には「是は心詞かけたる所なき」歌としている。即ち完璧な歌という評価だ。「こころ、と、ことば」が完璧ならば、つまらぬ解説は無用で、そまま声に出して読むしかないが、分かりやすい歌にしてみた。
  • うつくしい あなたはもみじ 竜田川 ながれのように あいしつづける
■ まあ、こんな感じだろう。何も「神代」を出すこともない。

2026年10月14日水曜日

千早古 清紫の言葉 読み返す 枕草子 生き生きとして


■ 2026-10-14
■ 百人一首 017 在原業平、の歌は、↑、こんな動画がある限り、そのままかもしれない。
■ ただ、100年、1000年経つと変わる可能性がある。それが言葉で、
■ 時が解決することはある。
■ 「千早古」については新古今和歌の時点で、単なる流行語として、解決したはずだった。
■ 新古今和歌には関連する歌は一首しかない。しかも「神」の枕詞?として使われてない。
■ 1886番、香椎宮の杉をよみ侍りける、の詞書がある歌だ。
■ 夏目漱石の俳句でも分かる。
  • 秋立つや千早古る世の杉ありて  漱石。香椎宮
■ 在原業平からみて千年の昔と、現在から見て千年の昔は、当然ながら違う。
  • 千早古 清紫の言葉 読み返す 枕草子 生き生きとして  遊水
  • ちはやふる せいしのことば よみかえす まくらのそうし いきいきとして

2026年10月10日土曜日

俳句、と、今朝の朝顔

倉本聰 - Wikipedia  本名は山谷 馨

■ 2026-10-10
■ 土曜日は詩歌の日。ひとつ拾ってみた。
  • 北の国から届く訃報や秋の雨  横浜 秋元正
■ うちにTVはないので見たことがなかったけれど、この句はあっさりしている。
■ 句と朝顔は無関係だが「今日」ということでの関連性?だ。


今朝の朝顔


2026年10月4日日曜日

雲


■ 2026-10-04
■ リンクした歌が、切れていたので、↑、再度リンクした。


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■ そして、昨日はこんな写真を、たまたま、撮った。

夕刻

2023-10-03


2026年10月2日金曜日

はるのゆめ よあけとともに さりゆける いずこにきえし あさやけのくも



■ 2026-10-02
■ 短歌的に書くと
  • 春の夢 夜明けとともに 去りゆきて どこの人かも 知らないままに
  • 春の夢 夜明けとともに 去りゆきて どこにいったか 知るすべもなく
  • 春の夢 夜明けとともに 去りゆきて 知るすべもなき 朝焼けの雲
  • 春の夢 夜明けとともに 去りゆける いずこに消えし 朝焼けの雲
■ ・・・何とかならんか、もう少し。

花非花 霧非霧
夜半來 天明去
來如春夢幾多時?
去似朝雲無覓處

■ 清少納言は、本当に、この漢詩を知っていたのか。
■ というのも、・・・

明けはなるるほどの黒き雲のやうやう消えて、白ろうなり行くも、いとをかし。
「朝にさる色」とかや、ふみに作りたなる。

■ 「黒き雲のやうやう消えて」という表現からは、「花非花」という色めいた感じがしない。
■ だが、「朝にさる色」とあるので、やはり見たのか。
■ いずれにせよ、自分の歌として詠む場合は、元の詩から離れるのがいいと思う。

2026年10月1日木曜日

清少納言と雲の話、「朝にさる色」とかや、ふみに作りたなる。

覓 意味 - 検索 「探し求める」

■ 2026-09-30
■ 昨日は雨だったので、動画を見たり、枕草子などをパラパラ読みした。
■ 「雲」の話なのだが、以前はよく雲の写真を撮った」ような気がする。

2002-07-14    14:01:48

吹田市



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■ 消滅飛行機雲は一度だけでなく他にも撮ったことがあると振り返ってみた。

2008-12-13    10:06:05

琵琶湖・東



■ 最近、鳥撮りで使用しているカメラ・レンズでは、雲や空、風景をを撮れないのはつまらないけれど、まあ、いいか、という感じだ。
■ さて、清少納言はどんな雲を見ていたのか、

[ 二五五 ] 
雲は、白き。むらさき。黒きもをかし。
風ふくをりの雨雲。
明けはなるるほどの黒き雲のやうやう消えて、白ろうなり行くも、いとをかし。
「朝にさる色」とかや、ふみに作りたなる。
月のいとあかきおもてにうすき雲あはれなり。

■ 脚注に、朝にさる色ーー出典不明、とあったので、他の本ではどうか見てみた。
■ 萩谷朴校註・枕草子・新潮日本古典集成、には、白楽天「花非花」を挙げていた。

花非花 霧非霧
夜半來 天明去
來如春夢幾多時?
去似朝雲無覓處

■ 訳文を見れば、ロマンチックな感じだ。
■ 「朝にさる色」とかや、ふみに作りたなる。・・・この文から漢詩、専門家は違うな、と思う。
■ 島内裕子は、230段訳、「中国の巫山という山の女神が、朝、人間の男のもとから去ってゆく時のことを詠んだ漢詩・・・」などとある。そして、評に、「雲のいろいろに関心を持つのは、近代文学を先取りしたようで、面白い。石川啄木が、不来方のお城の草に寝転んで見た空の雲、ボードレールが呼びかけた雲。清少納言が雲を眺めて、遥か遠くに思いを馳せたのだろうか。」と。
■ 啄木の歌は、

不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心

■  ボードレールの方は、まったく興味はないが、これなのか、??、「スープと雲」LA SOUPE ET LES NUAGES | 笑い仮面のブログ
■ まあいい。
■ 私は、雲の形に面白さを感じる。清少納言と、ちょっと違いをかんじた。

文房具


■ 2026-10-01
■ 色鉛筆がうまく削れない、という。
■ いくつかあるのを試してみた。
■ ついでに、「DUX」の刃を入れ替えた。

丸形のモノは、昔、父が欧米旅行の際買ってきたもので、
父の死後、手元に4個ある。
後に、自分でも丸善で買った。その後、四角のモノも買った。


■ パソコンに入力する前に、メモ書きには鉛筆を使う。
■ 妻は、どちらかというと、ステッドラー派だ。


2026年9月28日月曜日

おや ゆきか あしをとどめて くちづさむ はるはなのみの かぜのさむさよ  遊水

白氏文集 - Wikipedia
白氏文集卷十四 南秦雪: 雁の玉梓 ―やまとうたblog―

■ 2026-09-28
■ 池田亀鑑校訂・枕草子[ 106 ] 、これが本はいかでかつくべからん
■ 脚注に白氏文集、十四、南泰雪、の詩があげられている。

慣從駱口到南秦
三時雲冷多飛雪
二月山寒少有春
我思舊事猶惆悵

■ 一応、検索してみた。
■ 清少納言はこの詩を思い浮かべ「このもとの、上の句は、どのように、つけたらいいだろうか」と思ったわけだ。
■ 公任からの使いが来て「少し春ある ここちこそすれ」と懐紙に書いてあった。
■ なるほど、これは、あれ、だな、と気づき、清少納言は「空さむみ 花にまがへて ちる雪に」と返した。これでいいかと不安だったが、ほめられた、というような話だ。
  • 空さむみ 花にまがへて ちる雪に 少し春ある ここちこそすれ
■ 清少納言の歌は少ないが、こんな遊びは得意だったようで、前の段からの続きで、こんなこともあった、と回想している。
■ こんなことを書きながら、次の歌を思い浮かべた。
  • おや ゆきか あしをとどめて くちづさむ はるはなのみの かぜのさむさよ  遊水

さては古今の歌二十巻をみなうかべさせ給ふを御学問にはさせ給へ

■ 2026-09-28
■ 昨日は雨がひどくなって帰ったが、野鳥撮影をした。


■ 今日は雨だ。
■ 知識としての古今和歌については、多くの人が書いていると思う。
■ ただ、作者名でなく何人かを知りたいのだが、便利な一覧がないようだ。
■ 以前、こんな句を作った。
■ 何の話かというと、枕草子の話だ。
■ 最初の方で、

「村上の御時に、宣耀殿の女御と聞こえけるは、小一條の左の大臣殿の御女におはしけると、たれかは知り奉らざらん。まだ姫君ときこえける時、父大臣のをしへきこえ給ひけることは、
    1. ひとつは御手をならひ給へ。
    2. つぎにはきんの琴を、人よりことにひきまさらんとぼせ。
    3. さては古今の歌二十巻をみなうかべさせ給ふを御学問にはさせ給へ
となん聞こえ給ひける。

■ この見識は見習うべきものかもしれない。
■ 例えば、映画はもう一つの人生体験だ、などとも言われる。
■ 古今和歌集に、は1000以上の歌があり、それを暗記することは、歌の作者の人生を追体験することに他ならない。しかも自ら書き写すことで記憶も確実になることだろう。
■ 単に「読み書き」でなく、具体的に示していることに意味がある。
■ そして、音楽として感情を表現できるように、「人よりことにひきまさらん」とは他の人の演奏も聴くことになる。
■ 当時の、娘の教育方針としては立派で明確だ。
■ 後の世の正岡子規の発言など、いい加減なものだ。子規が万葉集を手本にするならすればいい。万葉集がすべて漢字で書かれていたことを考えれば、当時の女の子が、自分で簡単に学習できるはずもない。
■ 実際、全てを暗記していたことが確認されたというから、すごいことだと思う。
■ そうした現実社会のことが書かれているので、~物語などよりおもしろい。

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平安時代前期の歌集。全二十巻。1111首。
905年(延喜五)醍醐天皇の勅命、8年後完成
撰者4人の歌が2割以上
4割ほどが読人知らず
  1. 紀貫之
  2. 紀友則
  3. 在原業平
  4. 小野小町
  5. 大江千里
  6. 壬生忠岑
  7. 僧正遍昭
  8. 凡河内躬恒
  9. 藤原敏行朝臣
  10. 猿丸太夫
  11. 参議篁
  12. 源宗于朝臣
  13. 後京極摂政前太政大臣
  14. 中納言行平
  15. 光孝天皇
  16. 喜撰法師
  17. ・・・
  18. よみ人しらす

2026年9月25日金曜日

へいあんの うたにせいしの きちのはな まことのすがた まくらのそうし

■ 関係なく、こんな名前に気が付いた。


■ 2026-09-25
■ 清少納言の和歌は少ない理由はどこにあるのか。
■ それに関する話が枕草子にあり面白く読んだ。
■ 昔、句会でのコトだけれど、その場にいた誰もが、奥の細道、を読んだことがないと聞き、そんなもんかとあきれたことがあった。だとすると、ただ芭蕉の句を参照しても意味が通じないのかもしれない。
■ 松尾芭蕉は「松島は笑うがごとく、象潟は恨むがごとし」と中国の二人の美人の楊貴妃と西施を連想し、何に美を感じるか、人による違いをうまく俳句に取り入れた。
■ 仮名で書いた方が耳から入るので連想しやすい。
■ この句から、私は枕草子を読み、次の句を書いた。
  • 象潟や雨に西施が合歓の花  芭蕉
  • きさかたや あめにせいしが ねむのはな
  • へいあんや うたにせいしの きちのはな
  • 平安や 歌に清紫の 機知の華
  • 平安の 歌に清紫の 機知の華 真の姿 枕草子
  • へいあんの うたにせいしの きちのはな まことのすがた まくらのそうし  遊水
■ さて、清少納言の興味の対象が描かれているには、行成とのやり取りの話だが、・・・
■ その前に、書いておこう。
■ 紫式部の源氏物語は、世界初の女性の小説として有名だが、その少し前に・・・
■ 清少納言の枕草子が書かれている。
■ 歴史的文学作品の価値は枕草子の方が上だ。
■ なぜなら、源氏物語は、題名が示す通り、小説であり作り物だ。しかし、・・・
■ 枕草子に出て来る人物はすべて、当時の現実社会に生きていた。
■ まさに、本当の人の心は枕草子に現れている。
■ 言葉が生きている。
■ なので、もう少し読んでゆきたい。


2026年9月24日木曜日

山吹の 黄色口無し 分かるでしょ いはでは思ふ くちなしの花

■ 2026-09-24
■ 和歌の基本は「やり取り」にある。しかしの時の状況が分からないと意味が分かりにくいのもある。
■ 千載和歌集に、清少納言の歌は3首ある。これは紫式部の歌の9首に比べて少ない。
■ しかし、「枕草子」にある歌なので、該当する部分を読めば、なるほどと分かる。
いかにして過ぎにしかたを過ごしけむ暮らしわづらふきのふけふかな  皇后宮 定子
雲のうへも暮らしかねける春の日をところがらともながめつるかな  清少納言

■ 次の歌は、[ 34 ] にあり、蓮の葉の裏に書いてやった、などとある。

もとめてもかかるはちすの露をおきて うき世にまたはかへるものかは  清少納言

■ もうひとつは、・・・

うはごおりあはにむすべる紐なればかざす日かげにゆるぶばかりぞ  清少納言

■ 千載和歌集の記載準は、2、3、1 、で
  1. 961
  2. 967
  3. 1206
■ なので、「枕草子」を読むことになり、前後の段も楽しめる。
■ ついでながら、[ 第一四六段 ]、または、[ 143 ] にこんなことが書かれている。
定子から、

・・・、紙にはものも書かせたまはず、やまぶきの花びらただ一重をつつませ給えり。それに「いはでぞ思ふ」と書かせ給えり。・・・この歌の本さらにわすれたり。

■ この歌「知らぬ人やはある」というほどに有名な歌なのに、ど忘れて思い出せないでいると、童に教えられた。

心には下ゆく水のわきかへり言はで思ふぞ言ふにまされる  詠人知らず

■ この歌だった。そして、「やまぶきの花びら」は、次の歌を踏まえていたのだった。
  • 山吹の花色衣ぬしや誰問へど答へずくちなしにして  素性法師 古今和歌集 1012 
■ 島内裕子訳の文章は分かりやすく書かれている。このあたりは面白いと思ったが、一応、google してみると、私がわざわざ書くこともなかった。
■ 梔子の果実にはクロシンが含まれ、これが黄色の染料として利用される。要するに、山吹色は、梔子で染めた黄色で、「クチナシ、口無し」を意味する。


2026年9月23日水曜日

選んだ人の気持ちに近ければいいように思う



■ 2026-09-23
■ 少し、離れて、自分ならどう詠むか考えるといいように思う、それが元の作者の気持ちと一致するかどうかは分からないけれど、選んだ人の気持ちに近ければいいように思うがどうか。





■ ついでだが、たまたま、小野小町を意識して作られたアニメだとか、・・・
その未来の物語を小野小町の和歌『思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを』
■ ・・・

2026年9月22日火曜日

さんごとは さんごじゅうごの おつきさん くくのけいさん じゅうごやのつき

計算を表にまとめて語呂よく暗記する方法

■ 2026-09-22
■ 「九九の計算」とした方がいい。


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三五夜中新月色
「三五」とは「さんご・じゅうご」のお月さん、頓智もあるか 十五夜の月
▼

さんごとは さんごじゅうごの おつきさん 
くくのけいさん じゅうごやのつき

2026年9月20日日曜日

枕草子に関してはどうか

■ 2026-09-20
■ 先日、千載和歌集に、源氏物語、という詞書がある歌について書いた。


■ 源氏物語に関してあるのならば、枕草子に関してはどうか。
■ 選者の藤原俊成は、読んでいるだろう。
■ こんな歌があった。

いかにして過ぎにしかたを過ごしけむ暮らしわづらふきのふけふかな  皇后宮 定子
雲のうへも暮らしかねける春の日をところがらともながめつるかな  清少納言

■ 定子の歌は読んだ記憶あるが、どこに書いてあるのか、大庭みな子の本を見たがないようだ。どこかにあったはずだけど・・・、ずっと後ろの方だった。

池田亀鑑校訂・枕草子・岩波文庫 [ 三〇一 ]
島内裕子校訂訳・枕草子・ちくま学芸文庫、[ 第二八四段 ]

■ ・・・に書かれている。
■ これの2つ前が「香炉峰の雪」で、これらは回想だ。
■ 千載和歌集は、平家物語でも有名な、平忠度に関しての話を知っていたくらいで、買ったのは、2024-05-29、のことだ。そのまま積読だった。今頃という感じではあるが、新古今和歌よりおもしろい。
■ ついでながら、「さざ波や志賀の都はあれにしをむかしながらの山ざくらかな」ほ春の歌だから初めの方で、66にある。

2026年9月18日金曜日

こうえんに オオルリ & コルリ ルリビタキ あえてうれしい るりいろののとり 2026-09-21

■ 2026-09-18
■ 和歌には詞書があるものとないのがある。
■ 短歌でも、2025年に買った。この歌集の歌にはすべて詞書がある。
  • 歌集 ゆふすげ 美智子
■ この人との場合、立場上詠まねばならぬときもあるので、いつ・どこで・どんなとき、の歌か、それは重要だ。記録でもある。
■ 千載和歌集の歌の詞書に「百首歌」とか「百首の歌」と書かれたものが多い。
■ 一般的に、題詠ということもあるので詞書はあった方がいい。
■ 歌は作りたいから作る、という人もいるが、会話、手紙、のやり取りと考え、そして、それを公開して、いわば、意見、考え方の表明だとするならば、あった方が分かりやすい。
■ 千載和歌集に、ある詞書をみて、こんな歌を作った。

▼


■ 詞書がなくても歌だけでいいものもある。例えば

公園に オオルリ コルリ ルリビタキ 撮ってうれしい 瑠璃色の鳥

訂正
▼
こうえんに オオルリ & コルリ ルリビタキ 
逢えてうれしい るりいろののとり

■ 昨日は鳥見に出かけた。


■ オオルリでも見られればいい、ということだったが、思いがけず、カメラをリュックから出してすぐ、サンコウチョウがいて。楽しかった。野鳥撮影は楽しいけれど、現地での時間もかかり、後の整理とかの作業もあるので、「ことのは」の方の時間が無くなり困る。

2026年9月16日水曜日

なかにし礼、と、浅丘ルリ子



この歌の「君」は誰のことかな・・・

■ 2026-09-16
■ ルリと言えば今でも使われる名前だけれど、そういえば、浅丘ルリ子はどうしているのかしらね、という。知らん、けど、ちょっと振り返ってみた。
『緑はるかに』のヒロインのルリコと、本人の本名から「浅」の1字をとり、『緑はるかに』のイメージから「丘」という字をつけて、「浅丘ルリ子」となった。


昔こんな頁」を作ったことがあった。