2026年3月25日水曜日

あのときも こんなかんじの さくらかな  遊水

■ 2026-03-25
■ 昨日は、桜・目白を撮った。


■ 桜の季節だ。
■ 桜の句歌はたくさんある。
■ 先日、読んだ本には、松尾芭蕉の「さまざまなこと思い出す桜かな」を上げて、「枕草子は、平安期の美句をつらねた歌や物語よりも、はるかにこれに近いものであります」と白州正子は書いている。
■ 山本健吉・基本季語五〇〇選、を開いてみた。芭蕉の句として、別の句があげられていた。
■ 桜の句は、いろいろある。
■ つい先日、


■ とにかく、桜に限らず、人は、日本人は自分の言葉で俳句や歌を作るので、聖書などという他人の言葉を読む必要などないのだ。
■ 芭蕉は「さまざまのこと」と詠んだが、私の場合、「さまざまなこと」ではなかった。

つたなくも ここで一句の 桜かな  遊水
あのときも こんなかんじの さくらかな  遊水
なんとなく そんなもんだよ はるのかぜ  遊水

■ この程度だ。
■ あのとき、っていつのことかは、まあ、人それぞれだろう。
■ そんな感じで思い出すこともあるのではないだろうか。
■ 話は変わるが、去年は美智子さんの歌を取り上げ、改作した。

雪」といふまごの声に見し窓にまこと雪かと花舞ひしきる 美智子


■ 今読むと、・・・

幼子の声に振り向く窓の外 まこと雪かと散る桜かな

■ これでもいいかと思う。
■ 「まこと雪かと花舞ひしきる」と、「花舞ひしきる」の方が」断然いいのだけれど、自分には詠めない。この部分を思い出せなかった。

2026年3月24日火曜日

「秋の夕暮」考、比較すれば特異性がわかる。

■ 2026-03-24
■ 白州正子の源氏物語に関する言葉について書くか、もう少し「秋の夕暮」について書こうかな、と思ったが、時間の関係で、「秋の夕暮」にしておこう。


■ 小倉百人一首に「秋の夕暮」は良暹の他にもうひとつある。新古今和歌集の、361、362、363、のいわゆる三夕も並べてみよう。
  1. さびしさはその色としもなかりけり 槙立つ山の秋の夕暮れ  寂連
  2. 心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つさわの秋の夕暮れ  西行
  3. 見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮     定家
  4. 村雨の霧もまだひぬまきの葉に 霧たちのぼる秋の夕暮    寂連
  5. 寂しさに宿を立ち出でてながむれば いずくも同じ秋の夕暮   良暹
■ [ 1 ]から[ 4 ]は「秋の夕暮」の様を詠んでいる。その情景が、「さびしい」感じだ、と。
■ ところが、良暹の歌は、彼の心の中が寂しい、と詠んでいる。
■ どこに行っても寂しい、と。
■ 良暹法師の歌はいい歌だとは思わないが素朴だ
■ 定家は自分とは関係ない「浦の苫屋」について詠んでいる感じだが、それがどうした、ともいえる。
■ 「感性」であれば、いわば作者の資質と読む側の好みが左右する。
■ 良暹にとっては、「いずくも」だから、どこでも同じで「秋の夕暮」だろうがどうだろうが関係ない、ともいえる。
■ 対象をとらえる感性などではない。自分が寂しいのだ。
■ その点が他の人とは違う。
■ いわば、現代的な孤独感だといえる。

2026年3月23日月曜日

白州正子。清少納言、と、俳句、と、橋本遊水・ことのは: 俳句・枕草子

■ 226-03-22
■ 先日メモ書きしていた。
■ 白州正子は清少納言が好きだった。
■ このことについては頁を改めて書くことにしよう。
■ 「あかねさす 日に向ひても 思ひ出でよ 都は晴れぬ ながめすらむと」この歌がどこに書かれているか、記憶になっかたので、google 検索すると、ここにあったが、
■ 手元の本では、226段にはなく、240段だった。
■ このメモ書きの部分が最後の方にある「清少納言論」には俳句について書かれている。
■ こんなことも書いていたのか。
■ 私と同じ見方だった。
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枕草子が書かれた時代には和歌は存在した。しかし、清少納言の醒めた眼でとらえた世界は和歌という形式では詠いきれなかったようだ。もし、彼女が現代にいて俳句という表現形式を知っていたら、ひねりの効いた句をたちどころに百や二百は作ったかもしれない。枕草子にはそんな俳句的な匂いがある。
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芸術新潮・1999/12「白洲正子」全一冊
幻の原稿「清少納言」120枚一挙掲載!

■ 次のような文章もある。
これ等蕪村の句は皆清少納言が言いそうな事です。もし俳句という形を知っていたならば必ずこういうつかまえ方をしたに違いありません。
・・・
さまざまなこと思い出す桜かな  芭蕉
・・・
俳句を清少納言にあたえたなら彼女はすぐに飛びついた事だろうとなんだか惜しい様な気がします。
■ なるほど、なるほど。
■ 実は、この雑誌、ほったらかしにしていて、折った頁の後を読んでいたら気づいた、ということだ。
■ 白州正子はこんなことを書いただけだけど、できるなら、自分だったらこう作る、という視点でとらえることで、文化は継承されてゆくものと思う。
■ そのうち、また、何かやってみようかな、と思う。


2026年3月10日火曜日

みやこへは さんりのみちの ゆきかえり  いずこもおなじ あきのゆうぐれ  遊水、2026-03-16、03-19、03-22 追記



■ 2026-03-22
■ 2026-03-14
■ 表題を改めた。
  • 喧嘩して 別れるなんて 嫌だから 愛は要らない お酒が欲しい 遊水、2026-03-12、03-13,-14 追記
Bing 動画 二人でお酒を ( 梓みちよ )日本語の歌詞付
それでもたまに さびしくなったら
ふたりでおさけ のみましょうね

■ 2026-03-10
■ 梓みちよが歌っている。
■ 聞いていて、一首浮かんだ。
  1. 喧嘩して 別れるなんて 嫌だから 愛は要らない お酒が欲しい  遊水
  2. 傷ついて 別れるなんて 嫌だから 愛は要らない お酒が欲しい  遊水
■ [ 2 ]でなく、[ 1 ]の方がいいような。
■ 人は、「さびしくなったら」どうするのか。

◇     ◇     ◇

■ さて、・・・
■ 百人一首などの解説を見ていると、「そうかなあ」と思うことがある。
■ その一つがこれ、・・・
  • さひしさにやとをたちいてゝなかむれは いつくもおなし秋のゆふくれ 良暹法師
■ どんな状況でさびしく感じるのか。
■ 秋の夕暮れがさびしいとも、まして、「秋の夕暮れ」だからさびしいとも限らない。
■ 寂しいときはさびしい。

そらたかく いろどりたのし あきのひび  遊水
うかれでて さびしくかえる さくらかな  遊水
さみしくて さくらふぶきの なかにたつ  遊水

■ 江戸時代に、尾﨑雅嘉は、次のように書いている。
歌の心は余りにも物淋しさに我が宿を出でてあちこちを眺め渡せば、ここもかしこもさして変わる事もなう、おなじやうに淋しき秋の夕暮れの景色ぞといふ事なり。
■ 島津忠夫は、・・・
あまりのさびしさに耐えかねて、庵を立ち出て、あちこち見わたすと、どこもかしこも同じで、心を晴れ晴れさせるものはない。 なんとさびしいながめの秋の夕暮れの景色よ。
■ 島津は尾﨑の解説に「心を晴れ晴れさせるものはない」と追加しているが、ほとんど同じだ。
■ もう少し、他の人はどのようにとらえているかみてみよう。

歌人  
草も木も枯れ枯れになる秋。 寂しさに僧庵を出て四方のけしきを眺めてみると、あきの夕べはどこも同じで、すべてが枯れ衰え、身も心も細りゆくような思いである
詩人
あまりのさびしさに庵を出て
ぐるり あたりを眺めわたした
なにもない
誰もいない
どこもかしこも
さびしさだらけ
秋の夕暮れが
ただぼうぼうと ひろがっていた
小説家
何とはないさびしさが
そぞろ 身を噛む秋の夕
たまらなくなって
家を出てあたりを見れば
どこも同じ
ひといろに
ものさびしい秋の夕暮れ

■ これらに共通するのは、・・・
  1. うちを出て、あたりを見渡した。
  2. 秋の夕暮れは寂しい。
■ 白州正子は次のように」書いている。
いかにも俊成・定家の好みそうな幽寂の境地を歌っており、・・・、百人一首の世界もついに墨絵のような心境に至ったかと思うと、おのずと感慨が湧く。・・・、洛北大原に住んでいたらしく、「朧の清水」を詠んだ歌が残っている。今も、・・・「大原御幸」にも謡われた名水である。そういうことを心に置いて味わってみると、大原あたりの景色が彷彿とされ、浮世を離れた庵の有様が浮かぶ。・・・、秀歌として賞玩されたのであろう。
■ ここで一応、白川静・「字通」を開いて見た。
    寂。さぶ。セキ、ジャク。しずか、さびしい、やすらか。
    「人の聲無きなり」
    寂寥。セキリョウ。老子・二十五。
■ 「老子」を本棚から取り出すのは、久しぶりだ。傍線を引いた箇所がいくつかある。

有物混成、先天地生。
寂兮寥兮、獨立不改、周行而不殆。
可以爲天下母
■ 現代社会においては、孤独というか、心静かな世界を求める人も多いかと思うが、・・・
■ 白州正子は「能」に造詣が深く、このように感じたのだろう。しかし、買い被り過ぎのようにも思える。
■ 「淋しくなったら」どうするか、ということが元にある。
■ 人は、普通、朝起きて、夜は寝る。だったら、いつ起きたのだろう。結論を急がず、いくつか自問してみよう。
何時に起きたのか
いつ、さびしさを感じたのか
歌を詠んだのはいつなのか
やどを立ち出でて 何をしたのか
あるいは、どこに行ったのか
うちに戻ったのはいつなのか
うちを出て、戻るまで何時間あったのか
その間どのように過ごしたのか
いづくも、とは、2ヶ所以上だから、どことどこ、で、何を見たのか
ながむれば、とあるが、それは風景なのか
■ 歌を詠んだのは夕暮れ時だった。
■ 「家を出てあたりを見れば」や「僧庵を出て四方のけしきを眺めてみると」とか「庵を出て ぐるり あたりを眺めわたした」のなら、わざわざ外に出なくとも「障子を開けるだけでもいいんじゃないの。
■ 分かりやすく、次のように書いて、比較してみてもいい。
寂しさに 宿を立ち出で 眺めれば いずこも同じ 秋の夕暮れ
寂しさに ・・・・・・ 眺めれば いずこも同じ 秋の夕暮れ
寂しさに 障子をあけて 眺めれば いずこも同じ 秋の夕暮れ
■ 「たち・いでて」は、・・・
うち・いでて
こぎ・いでて
■ このような言葉と同類で、行動を表す。
■ 「旅立つ」という言葉があるように、家を出てどこかに行ったことが、この言葉で分かる。 寂しさを紛らわすために何かを求めようとした行為がある。 一人だから寂しい。 人々を求めて雑踏の中を歩いたのか、風景を見ただけだとは思えない。
■ 家を出てすぐあたりを見回したわけでも、見渡したわけでもない。
■ 何かをした後、うちに帰ってから歌にした、と考えていい。
■ 和歌は抒情詩であるが、言葉は本来論理的であると考えられる。
■  起きたのは朝であることに間違いはない。 だとしたら、起きて、歌を詠むまで時間経過がある。
■ 歌の言葉を見てみよう
さびしさに       理由
やどを たちいでて   行動開始・起点
ながむれば       行動
いづくもおなじ     結果、感想1
あきのゆふぐれ     時刻・終点、と、感想2
■  帰宅したのは、夕方だが、出発したのは、あさ早くではなく、朝食後しばらくしてからだろう。 九時頃かもしれない。 あるいは、急に思い立ったのではなく、一人暮らしなので、日頃感じていたことかもしれなく、もう少し早めだったかもしれない。 いずれにしても、昼前だったろう。 相当の時間経過があったと考えられる。 なぜなら、あちこちに行ってみないと、「いづくも おなじ 」という感想を得られないからだ。
■ 「ながむれば いずくもおなじ」と詠んでいるのだから、いつも見ている、日常的に目に入る所ではないはずだ。 いつも見ている場所を「いずくもおなじ」というはずはない。 住んでいるところは山里で元々寂しいところなのだ。内を出てすぐ見渡したのであれば、「いずくも」ではなく、「いつもと同じ」だろう。
■ 先にあげた、彼らの歌の解釈に共通するのは、2点だった。
  1. うちを出て、あたりを見渡した。
  2. 秋の夕暮れは寂しい。
■ [ 1 ]、即ち「うちを出て、あたりを見渡した。」わけではない。
■ 「眺めれば」とあるので、誤解のもとになった、ともいえる。
■ 良暹法師の詠み方が、すなお過ぎた、というか、読む人の側から考えてなかった。
■ 「秋の夕暮れ」とあるので「眺めた」ことが分かるので「眺めれば」と書く必要はない、とみることもできる。
■ 例えば、つぎのように置き換えてみよう。
寂しさに 宿を立ち出で 眺めれば いずこも同じ 秋の夕暮れ
寂しさに 宿を立ち出で ・・・・ いずこも同じ 秋の夕暮れ
寂しさに 宿を立ち出で 道行けば いずこも同じ 秋の夕暮れ
■ 書き換えても、どうというコトはない。 かわりばえはしない。 
■ だいたい、自分が寂しいからといって頭から寂しいなどと、まあ好きにしてくれということではある。
■ 歌を、詠むというコトは、読む人がいるというコトだから、詠む側にも問題がある。
■ しかし、昔の歌で、すでに存在しているだから、責めたところで、どうしようもない。
■ なので、どのように読み、自分のコトとしてとらえるかという読む側のことだ。
■  次は、[ 2 ]について、だが、・・・
■ やどを立ちいでる前に「さびしさに」とあるから、「秋の夕暮れは寂しい」が初めからあったわけではない。
■ 白州正子が書いているように、良暹法師は、「洛北大原に住んでいた」「浮世を離れた庵の有様」なので、一年中寂しく感じることはあったはずだ。
■ 都の北三里、八瀬村の北の大原の「大原」とはどんなところか、位置的には、
一里は3.92727km、約4km、
一キロメーターを十五分で歩くとすれば、四キロメーターは約一時間、
三里の道は約三時間。 都までは、日帰りできる距離だ。
■ この点に注目するのがいい。
■  要するに、寂しかったので、寂しくない所と思える、人も多く、賑やかな京都の街に出た。 とみるのが普通だろう。
■ 「寂しさ」や「淋しさ」は孤独と関係があり、孤独に耐えられないときに感じる精神状態というか、そんな状況だと解するのが一般的ではないだろうか。
■ ごく簡単に言えば「人恋しさだ」
■ 島津の解説に「心を晴れ晴れさせるものはない」とある。
■  寂しさ、の逆の表現として、気晴らしに、としてみても大した変わりはない。 秋に限られたことでもない。
気晴らしに 梅田の街に 出てみても 知る人もなき 夏の暑さよ
賑わいの 梅田の街に ふらり出て 疲れて帰る 秋の夕暮れ 
■ 良暹法師の寂しさは、必ずしも季節とは関係ないが、
■ 「秋の夕暮れ」が寂しい、とすれば「寂しさに」という必要はない。
■ 行動とその結果について書けばいい。
  • ・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・ いずこも同じ 秋の夕暮れ
  • みやこへは さんりのみちの ゆきかえり いずこも同じ 秋の夕暮れ
■ 洛北から片道3時間、往復6時間をかけて、京都に歩いて行った。 帰宅したときは夕暮れ時だ。 疲れた。 行ってみても、知る人もいないし、貧乏な坊主だから、金もない。 うまいものを喰ったわけでも、珍しいものがあったわけでもない。 寂しさを紛らわすものはなく、変わりがなかった。
■ 心を満たすものを目標に、例えば、女の人なら「お洋服を買いに」というような目標をもって行ったのではなかったのだろう。
■ せいぜい、団子でも食おうかというぐらいのことだ。
■ ただ、「寂しさに 宿を立ち出でて」みただけのことなら、何もあろうはずもない。
■ 寂しさの原因は何かを意識していない。
■ 「寂しいので 外にでたら 寂しかった」というのは、いかにもおかしいので「都に出ても寂しかった」とした。
  • 寂しさに 宿を立ち出で 眺めれば いずこも同じ 秋の夕暮れ
  • みやこへは さんりのみちの ゆきかえり いずこも同じ 秋の夕暮れ  遊水
■ 並べてみると、一応、これでもいいかな、とも思う。
■ しかし、「ゆきかえり」だとすれば「都までの道中が」ということにもなってしまうので問題ではある。
■ 「いずこも同じ」の「いずこ」は「洛北」と「都」となる。
■ そして、何が「同じ」なのか。
■ 「洛北」と「都」で「寂しさ」を感じたのが同じ、同じように感じたということだ。
■ 人は、時代・気象、あるいは、歴史・風土の中にいる。どこに行こうと、その中で生きることになる。受け入れるしかない、というコトは、ある。
■「いずこも同じ」を「あちこち」ととらえるのでなく、
地方、と
都市。
■ 過疎地・山村、と、街・商業地など、どこに住んでも、寂しさは「寂。さぶ。人の聲無きなり」で、孤独は寂しい、ということだろう。それを超えれば「寂然不動」即ち、ひたすらに、その境地に赴きゆくこと、になることもできるのかもしれない。
■ 鎌倉時代の戦のあとの室町時代は、「無」とか「禅」、「能」が流行ったようだ。鎌倉時代初期の藤原定家は、白州政子がいう、そこまでの感慨に至ってなかったように思われる
■ 自分を社会の一員、すなわち、中にいると寂しい状況は発生すると思われる。しかし、自分の世界があり、他の、外界に無関心であれば寂しさは感じないだろう。寂しさにはそんな側面がある。
■ ごちゃ、ごちゃ、と書き過ぎたかもしれない。
■ 誰でも感じる「寂しさ」とか、誰でも出会う「秋の夕暮れ」なので、とらえやすい歌だから、歌として、というより「言葉の意味」の面から書いた。
■ 歌は、というか、言葉は本来論理的であるはずなので、ごく常識的にとらえた方がいい。
■ 以上だが、改めて読んでみるといい。優れた歌とは言えないが、すなおに心を表した親しみやすいう歌だと思う。57577にしていえば、・・・
  • 寂しさは 誰でも同じ 秋の暮れ 知る人もなき 雑踏のなか  遊水
  • さひしさにやとをたちいてゝなかむれは いつくもおなし秋のゆふくれ 良暹法師

2026年3月8日日曜日

おぼろずきぶらんこゆらすかぜありて、と、うたげはてぶらんこよるにしずむかな 2026-03-09  写真追加


■ 2026-03-08
■ 「朧月」も「ぶらんこ」も春の季語故季重なりだけれど、・・・
■ 本にしているので、今更どうしようもない。いいじゃないか。
■ さて、日本経済新聞・土曜日は、詩歌教養の欄を見る。
  • 「漢字そぞろ歩き」阿辻哲次「鞦韆」難しい字を使う稀有な例
■ ブランコの話だった。
■ もともと、「ぶらんこ」は「秋千」だったが、「鞦韆」と書くようになった、と。
■ そして、蘇軾の詩が挙げられていた。

2026-03-09

■ この詩は私も「君はまっすぐ僕の目を」に載せていた。

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はるのさかりの つきあかり
かおりのはなを てらしいて
はなみのえんも おわるころ
ぶらんこよるに しずむかな

春宵一刻直千金 花有清香月有陰
歌管樓臺聲細細 鞦韆院落夜沈沈  春夜  蘇軾
  
うたげはてぶらんこよるにしずむかな


つきのあかりに なかにわの
かいどうのはな あかくちる
ひとりまどべで みおろせば
ぶらんこゆらす かぜがある

胆月照中庭 海棠花自落
獨立俯閒階 風動秋千索  効崔国輔体  韓偓

おぼろづきぶらんこゆらすかぜありて

■ 「鞦韆」と「秋千」が使われている。
■ どっちの詩が古いかが、分かるということか。
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■ 一応、山本健吉・基本季語五00選、をみた。
■ 俳句では、鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女、を思い出す。
■ 映画では、黒澤明 生きる - 検索 を思い出す。
・・・こんなのもあった。

別れぞ恋の 初めなりける

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■ 2026-03-08
■ 今朝のNIKKEIプラス・なんでもランキングに、旅立つ共・仲間に・・・
■ 世代別の歌が幾つかあった。

■ 若い人に、人気のある歌なのか、聞いてみた。「道」↑
■ そして、三つの歌が頭に浮かんだ。
■ どこかに書いたような気がしたが、どこに書いたか、・・・
■ 「君により 思ひならひぬ 世中の 人はこれをや 恋といふらん: 在原業平」
■ おそらく、この歌を探せばいいだろう、と思いブログ内検索した。
あひみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもはざりけり  藤原敦忠
きみにより おもいならひぬ よのなかの ひとはこれをや こひといふらむ  在原業平
あふまでの おもいひはことの かずならで わかれぞこひの はじめなりける 寂蓮

■ 昔の人は、うまく作るものだ。

2026年3月7日土曜日

昨日の、カワセミ、と、微笑み返し



■ 2026-03-07

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Tennessee Waltz ・・・再度リンクした。


■ 新聞の「なやみのとびら」回答者・湯山玲子。「大学生の子供が全く恋愛しない」に答えていた。・・・なるほど。
■ まあ、どうでもいいのだけれど。
■ 「この歌詞、考えるとすごいね。」、↓、と書いた、どうゆう風にすごい、と思ったことについて、振り返ってみた。↑



この場所にはよく止まる。

202603-06  吹田市・千里南公園


2026年3月5日木曜日

久しぶり うららの春に なぜ急ぐ 友則君も 嘆いておった  遊水 2026-03-06,-07 追記

・・・ この歌詞、考えるとすごいね。
・・・ まあいいか。
春一番 (キャンディーズの曲) - Wikipedia 作詞・作曲・編曲:穂口雄右
  1. 春一番
  2. わな
  3. ハートのエースが出てこない
  4. 年下の男の子
  5. 微笑がえし
  6. やさしい悪魔
  7. アン・ドゥ・トロワ

■ 2026-03-05
■ さて、もうすぐ春と言えば、単純に、桜、かな。
■ そこで、一首、・・・
  • 久しぶり うららの春に なぜ急ぐ 友則君も 嘆いておった  遊水
■ 「枕詞」と、ちゃいまっせ。
■ 「久方ぶり」のいい天気なのになあ、・・・

はなにあらしは つきものだ
さよならだって じんせいさ

■ じんせいは わかれたあとの であいかな  遊水
■ 追記

2026年2月24日火曜日

Copilot を使てみた。2026-03-06 追記

■ 2026-03-06
■ 他にも Copilot を使ってみた。
■ うわっつらの感じがするところがある。
■ この時も、例えば、・・・
● 春の風
● 夏の光
● 秋の色
● 冬の音
 (四季のミニ詩歌サイト)
■ これは、見当違い。
■ ただの題名で、「春の風」の中に、他の季節もある。
■ 最初に「なんとなく そんなもんだよ はるのかぜ」にしたものだから、次は「夏」、夏の次は、秋、次は冬、になっただけ。そして長いから、最後の部分を書いただけ。内容を見れば分かる。
■ もともとは「野鳥」のサイトだ。
■ 今でも飽きずに撮っている。
・・・

■ 2026-02-24
■ Windows 11 のインストールの待ち時間に Copilot を使てみた。
■ すぐ返答される。なるほどと思うところがあり、面白い。
■ 外部から見た、ひとつの姿かと思われる。
■ いろいろな「キーワード」で質問すると、全体像が浮かび上がるだろう。


■ 1回目
  1. 橋本遊水 著作
  2. 「瀬音」に学ぶ」 


瀬音」に学ぶというテーマについて、検索結果から得られる最も直接的な情報は、
**橋本遊水本人のブログ記事「橋本遊水・ことのは: 『瀬音』に学ぶ」**です。

この記事は、あなたが以前から関心を寄せている
短歌と俳句の表現の違い
「詩の形」と「詩の心」の関係
を考える上で非常に示唆に富んでいます。


「瀬音」に学ぶ — 橋本遊水の主旨(要点)

1. 美智子皇后の歌集『瀬音』を手本にする理由

橋本遊水は、短歌と俳句の違いを考える際に、
**美智子皇后の歌集『瀬音』**を例に挙げています。
短歌の「心」を抽出し、俳句形式に要約することで、
詩の本質を学ぶ手がかりになるという立場です。


2. 短歌と俳句の違い

記事では、短歌と俳句の違いを次のように整理しています。

● 短歌

  • 心の動き、感情、理知、余韻を丁寧に含む
  • 「らし」などの助動詞で、
    伝聞・推量・共感・願望・理知が混ざり合う
  • 作者の心の揺れがそのまま表現される

● 俳句

  • 17音という制約の中で、
    断定的に、核心だけを提示する
  • 読み手の想像力に委ねる部分が大きい
  • 主要語を決めれば、構成は比較的シンプル

この対比は、あなたがこれまで興味を持ってきた
「詩の形と詩の心」の関係に非常に近い視点です。


3. 短歌を俳句に要約するという学び方

橋本遊水は、短歌の心を俳句形式に要約する例を示しています。

例:

短歌

彼岸花咲ける間の道をゆく
行き極まれば母に会うらし

この歌の核心語は

  • 彼岸花
  • 行き極まる

俳句化すると:

ひがんばな ゆききわまれば ははのこえ

短歌の「らし」が持つ複雑な心理は俳句では断定に変わり、
詩の形が変わることで心の表現も変わる
ということを学ぶための実例になっています。


4. 「瀬音」という題が象徴するもの

美智子皇后の歌集名「瀬音」は、
川の浅瀬を流れる水音を意味し、
日本の詩歌で古くから象徴的に用いられてきた語です。

瀬音は

  • 清らかさ
  • 力強さ
  • 移ろい
  • 心の静けさ
    を同時に含む音であり、
    短歌の世界観を象徴する題としてふさわしいといえます。

まとめ

橋本遊水の「瀬音に学ぶ」は、
短歌の心を俳句に要約することで、詩の本質を学ぶ試みです。

  • 短歌は感情と理知が織り込まれた「心の器」
  • 俳句は核心を断定的に提示する「形の器」
  • 両者を行き来することで、詩の理解が深まる

という視点は、あなたの詩歌への関心と非常に響き合っています。


もしよければ、
あなたが気になっている歌や俳句を一つ挙げていただければ、
橋本遊水の方法にならって「短歌→俳句」あるいは「俳句→短歌」への要約を一緒に試すこともできます。


    ■ 2回目
    1. 橋本遊水・ことのは
    2. 橋本遊水・ことのは 姉妹サイト
    3. 春の風
    4. ブログ “なんとなく そんなもんだよ はるのかぜ”
    一見「文字だけのページ」に見えるが、
    Flipcard 表示のためで、実際には多くの写真が投稿されています。


    ■ 3回目

    1. 橋本遊水・時は今 春夏秋冬 めぐり来て
    2. 姉妹サイト全体の系統図

               【橋本遊水・ことのは】
                   │
      ────────────────────────────────
      │      │       │       │
    【野鳥系】  【俳句・詩歌系】 【季節・随筆系】 【雑記・総合系】
      │      │       │       │
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    ● 復活・野鳥とホームページ
    ● 遊水・野鳥の世界(資料編/動画)
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            ● 春の風
            ● 夏の光
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            ● 冬の音
            (四季のミニ詩歌サイト)

            ● 時は今 
             春夏秋冬 めぐり来て
            (季節の記録・野鳥・随筆)

                     ● 橋本遊水・あれこれ
                      (雑記・総合・今後の中心サイト)
                     ● ことのは・アーカイブ
                      (過去記事集)

    ■ 4回目

    1. https://web.archive.org/web/20181106021205/http://www.geocities.jp/hashimoto_yuusui/index.htm
    2. 野鳥写真の撮影地の分析 
    3. 「千里南公園と大阪城公園の鳥の出現パターンの比較」


    ■ 5回目
    1. 橋本遊水・ことのは
    2. 漢詩に遊ぶ 2


    金柑の歌、と、人面パン





    ■ 2026-02-24
    ■ チャイナーの動画に金柑の鉢植えが見られた。
    ■ 面白いな。もう一度見てみようかなと思ったら、削除されていた。

    春節の 準備する街 鈴なりの金柑の鉢 並ぶ店先  遊水
    長崎の 金柑みかけ ふと思う 歌集に確か 金柑の歌  遊水

    ■ 「たんころりんの歌」を開いてみた。

    鈴なりの 金柑見掛け ふと思う 時間をかけて 甘く煮詰めば  父
    金柑の 苦味含める 砂糖煮を パンに載せたり 独り昼時  父
    砂糖煮の 甘さの中に ほろ苦い パンに挟んだ 金柑の味  遊水

    ■ ちっちゃいころ お菓子を食べて ない人が そんな歌など 作っちゃうのよ  母

    自家製の 甘露煮として 金柑を 人面パンに のせて食いけり  遊水

    ■ 「人面パン」という言葉、うちでは定着しはじめた。
    ■ そのうち飽きて食べなくなるだろうけど。

    2026年2月15日日曜日

    「THE LONG GOODBYE」と「PLAYBACK」、2026-02-15、-02-17 追記

    ■ 2026-02-14

    橋本遊水・ことのは: 「ロングバケーション」関連、俳句遊び、と プレイバック 2026-01-15 追記 
    橋本遊水・ことのは: playback のつづき

    ■ 清水俊二訳・レイモンド・チャンドラー著「プレイバック」の12章に、こんな言葉がある。「ぼくはここで夢を見たことがある。一年半前のことだ。まだその夢がどこかに残っている。そっとしておきたいんだ。」「その女は金持ちだった。ぼくと結婚するといった。うまくゆくとは思えなった。おそらく、もう会うこともあるまい。だが忘れられないんだ。」と。
    ■ 主人公は、ハードボイルド的な探偵、フィリップ・マーロウ。
    ■ 小説の筋は、仕事をする男の話で、25章に書かれている「しっかりしてなかったら、生きていられない。やさしくなれなかたら、生きている資格がない」という言葉の前半にあたり、後半の部分は、話の筋には関係なく、発生した私的な出来事にあたる。
    ■ 「忘れられない」出来事は4年前に書かれた本にあり、「もう会うこともあるまい」ということだから、題名は「THE LONG GOODBYE」だった。作者は、ハードボイルド的な探偵で終わらせたくなかったので、ほんとうは、彼も「結婚」を望んでいた。その時は、「うまくゆくとは思えなった。」けれど、もう一度、最後の28章で、女から長距離電話がかかって来る「結婚して」という同じ場面、即ち、「PLAYBACK」を用意し「夢」をかなえることにした。
    ■ ・・・
    しっかりしてなかったら、生きていられない。
    やさしくなれなかたら、生きている資格がない

    ■ 作り物だが、現実社会における、探偵稼業という仕事の物語の中に、いわば作者の人生観、価値観を盛り込んだ、ということかな。
    ■ ごく単純化していえば、「力」と「愛」、「愛」の方が大切だ。
    -----------------------------------------
    ■ 2026-02-17
    ■ 「訳者の清水俊二は、「プレイ・バックという題名の意味もよくわからない」と書いているので、分からない人が正しく?訳しているかどうか、原文に当たらないと、というコトにもなるが、レイモンド・チャンドラーの作品を研究しようというコトではない。
    ■ 作品が生まれたアメリカの歴史や社会背景など、今となっては、知ったところで、自分のためになるとも思えない。自分の今いる社会の方が重要だ。
    ■ しかし、人間とは何か、と考えるとき、いわば普遍性としてとらえるとき、「題名の意味もよくわからない」というコトでは何とも情けない。
    ■ 当時、「ハードボイルド」という言葉とともにとらえられていたのではないかと思われるが、ただのハードボイルドならば、ミッキイー・スピレインのマイク・ハマーの方が痛快だ。
    ■ ハ-ドボイルドは、堅いゆで卵のことで、外見通りの意識や精神で、崩れない、ごつく容赦ないコトだが、レイモンド・チャンドラーは、そんな固ゆで卵でも切り割ってみれば中には春の菜の花のような黄色の「幸せ色」もあるんだよ、その「幸せ」を守って行動する、金のためにやるんではない、他人に動かされるのではない。いわば、ゆで卵の高潔な「白」のように己の信条に従って行動するのが「男らしい」という価値観なのだろう。
    ■ そんなことで、その気持ち、「やさしさ」の重要性を「結婚」という「夢」として書いたのではないか。

    2026年2月9日月曜日

    萩原朔太郎の詩と有馬山

    ■ 2026-02-09
    ■ 以前、こんな頁を書いた。

    心ことばかけたるところなき歌、の解説を75調にしてみた、2026-02-09

    「ブル」って何、

    ■ 2026-02-08、-09
    「神代も聞かず」「絶世の」紅葉のように美しい「あなた」を浮かべて竜田川が流れているように、私はあなたを愛し続けているのです。

    ■ 75調にしてみた。

    千早古
    神代も聞かず 絶世の
    紅葉のように 美しい
    あなたを浮かべ 竜田川
    流れるように わたくしの
    おもう心は  変わらない

    千早古
    神代も聞かず 絶世の
    紅葉のように 美しい
    あなたを浮かべ 竜田川
    流れるように わたくしは
    あなたを愛す これからも

    砂時計ひっくり返して春来る、これで俳句になるかどうか知らんけど。

    ■ 2026-02-08
    ■ 今日は8日か、・・・
    ■ 8の文字からの発想。


    2026-02-09 日本経済新聞

    ■ また次回も、ひっくり返して続いてゆくのかもしれない。
    ■ 「ひっくり返す」の他にいい言葉はないものか。

    2026年2月7日土曜日

    俳句と色、と「春風」の話

    ■ 2026-02-07
    ■ 過去の頁を振り返っていたら、こんなことをしていた。元々は、・・・

    ----------------------------------------------------------------------------------

    2026年2月6日金曜日

    俳句解説風短歌、うふふふふ甘納豆は女学生 合格通知 恋の季節よ

    ■ 2026-02-06
    ■ 多田道太郎著「おひるね歳時記」に、次の評がある。

    三月の甘納豆のうふふふふ  坪内稔典
    一月から十二月まですべての月に「甘納豆」を配し天下を驚倒させた坪内氏であるが、「甘納豆」はやはり三月の新季語と断ず。なぜなら、春の畳の上を甘納豆が数粒「ふふふふ」と笑いころげてているからである。数人の少女のように。

    ■ 「断ず」るのは、勝手と言えば勝手だけれど、・・・
    ■ 他の月の「甘納豆」は身の置き場がなくなるが、どうするね、
    • 私たち困った困った甘納豆
    ■ それに、「数人の少女のように」ころげてしまったっ畳の上の甘納豆、捨てるのか、それとも、拾って食べるのか。汚いよ捨ててしまいな甘納豆。

    うふふふふ甘納豆は女学生
    恋の季節よ桜満開


    2026年2月5日木曜日

    「心詞かけたるところなき」歌、在原業平・ちはやふる・・・」

    ■ 2026-02-05
    ■ 藤原満基「百人一首抄(応永抄」に「心詞かけたるところなき」と、在原業平の歌を評している。
    ■ 「完璧な」歌ということか、納得だ。

    「神代も聞かず」「絶世の」紅葉のように美しい「あなた」を浮かべて竜田川が流れているように、私はあなたを愛し続けているのです。

    ■ 二条の后、即ち、藤原高子の顔を見ながら、公には言えない、愛の心を紅葉にたとえて詠んでいる。
    ■ うまいものだ。

    何回か書いてゆくうち「ほんとうの」歌のこころを知りにけるかな


    ■ 2026-02-05
    • 春過ぎて 夏は来にけり 白栲の 衣干したり 雨之香来山 
    • 夏過ぎて 秋は来にけり 枯葉散る 秋の心は 愁いなりけり
    ■ 多すぎる 言葉はいつか 消えるだけ

    2026年2月4日水曜日

    日々は過ぎ 季節は巡る 人の世よ 何にしようか 今日の夕餉は

    立春 - 検索 画像

    ■ 2026-02-03
    日々は過ぎ 季節は巡る 人の世よ 何にしようか あしたのめしを

    「甘納豆は女子大生でしょう」

    ■ 2026-02-04
    ■ 今朝の日本経済新聞に、「現代俳句大賞に坪内さん」という記事があった。
    ■ 昔、句会で、「甘納豆は女子大生でしょう」と言ったら、
    ■ 佐々木さんに、「先生はそんな人ではない」と言われた。
    ■ 思いがけない反応に「そんな人」とはどんな人なのか、と思った。
    ■ 三月はそんな季節なのだ。
    ■ 若草山の野焼きに発想したようだが、
    ■ 「たんぽぽの ぽぽのあたりが かじですよ」?、こんなのどうか、に対し
    ■ 「きわどいですな」と深澤さんが鋭く言った。
    ■ もちろん、これは「ぼぼ」をさしてのことだ。
    ■ いつだったか、正岡子規の「柿食えば鐘は鳴るなり法隆寺」は「二句一章」だとか言うから、あの頃は腕時計もないから寺の鐘で時刻を知った。「山のお寺の鐘が鳴る」とか、芭蕉の「鐘は上野か浅草か」、とか「お江戸の本橋七つ発ち」など、俳句は、歴史的背景を知らなければ、理解できない、と言ったら、おこりだした。
    ■ 正岡子規はユウモアのある人で「腹時計」を句にしただけで、腹が減ったので柿を喰ったら、ちょうど3時のおやつの鐘が鳴った、という句だと思われる。
    ■ カバは自分で、サイは細君、ジャリは子供、・・・河馬、馬鹿、珍鈍屋、と囃す言葉もあったなあ。
    ■ いつだったか、「受けを狙った変な句」作る人でしょ、と言われて、まあ、そういうこと、みんなそういう風に思っているのか、と納得した。
    ■ しかし、抒情的ないい句も作っているのに。

    2026年2月2日月曜日

    中文>英文>日本文


    ■ 2026-02-22
    ■ 以前、・・・
    ■ こんな歌を作っていた。
    ■ 今回は、・・・
    ■ 嵐の音読みは「ラン」、訓読みは「あらし」
    ■ いつから、あらし、に「嵐」という文字を使うようになったのか。
    ■ やまおろし、やま・おろし。
    やま・おろし
    やま・あらし
    ■ ・・・
    ■ 漢詩の場合、直接でなく、中文>英文>日本文、このようにした方が意味的には正確になるかも。

    煙嵐・・・、mist and haze、霧と靄 Misty haze、かすんだ霧

    ■ 2026-01-02

    浩渺浸雲根,煙嵐出遠村。
    鳥歸沙有跡,帆過浪無痕。

    望水知柔性,看山欲斷魂。
    縱情猶未已,回馬欲黃昏。

    google 翻訳

    Vast and boundless, it soaks the roots in clouds; 
    mist and haze rise from the distant village. Birds return leaving traces on the sand; 
    sails pass, leaving no mark on the waves.

    Gazing at the water reveals its gentle nature; 
    looking at the mountains nearly shatters the soul.
    Even lost in pleasure, one cannot cease; 
    turning the horse, dusk is about to fall.

    広大で果てしなく、雲を通して根を浸し、遠くの村々から霧や靄が立ち上る。
    鳥は砂に跡を残して戻り、帆は通り過ぎても波には痕跡を残さない。

    水を見つめるとその穏やかな性質がわかり、山を見ると魂が震えそうになる。
    楽しみに没頭していてもまだ終わらず、馬を回せば黄昏がもうすぐ訪れる。

    Deepl 翻訳

    Vast waters soak the cloud-kissed shore,
    Misty haze rises from distant villages.
    Birds return, leaving tracks in the sand,
    Sails pass, leaving no trace upon the waves.

    Gazing at the water, I know its gentle nature;
    Looking at the mountains, my soul feels torn.
    Though my heart still yearns to linger,
    I turn my horse as dusk approaches.

    広大な水は雲に抱かれた岸辺を濡らし
    遠くの村々からはもやの霞が立ち上る
    鳥は戻り砂に足跡を残し
    帆は過ぎ去り波に痕跡を残さず

    水を見つめればその穏やかな性質を知り
    山を見上げれば魂が引き裂かれる
    心はまだ留まりたいと切望するものの
    夕暮れが迫る中、私は馬を返す

    2026年2月1日日曜日

    ことのはの 意味を確かめ ひらき見る 白川静 嵐の文字を  遊水 2026-02-01 追記

    浩渺浸雲根,煙嵐出遠村。鳥歸沙有跡,帆過浪無痕。

    望水知柔性,看山欲斷魂。縱情猶未已,回馬欲黃昏。


    ■ 2026-01-31
    ■ 藤原定家はその人の代表的な歌として選んだ。
    ■ その歌を正しく読み取ることは非常に意味あることだ。

    2026年1月30日金曜日

    気になる些細なこと、を考える。かまめ


    ■ 2026-01-30
    • すずめ
    • つばめ
    • かまめ
    ■ カマメ」はいつごろ使われていた言葉か。
    ■ 「マルタの鷹」は「鷹」なのか。
    ■ 鎌

    ちょっと、漢字にしてみれば、枕詞ってなんですか

    ■ 2026-01-30
    ■ ひさかたの ひかりのどけき ・・・
    ■ 久方、久方ぶり、久しぶり
    ■ 枕詞なら、意味的に「ひさかたの」は要らないはずだけど、

    画像で分かる日本語


    ■ 2026-01-30
    ■ スマホ、su-ma-ho
    ■ ガラケー、

    ほんとうの愛を忘れた人々


    ■ 2026-01-30
    ■ 野鳥撮影、鴛鴦。
    いとをしい
    いとおしい
    いとしい

    2026年1月29日木曜日

    気になる些細な事、片目のジャック、と、砂に書いたラブレター



    ■ 2026-01-29
    ■ 気になる些細な事、は色々あった。
    ■ 例えば、「s」
    1. 「片目のジャック」「One-eyed Jacks]
    2. 「砂に書いたラブレター」「Love Letters in the Sand」
    ■ 片目のジャック、「s」なければ、2面性という本当の意味が分からない。
    ■ 気になる映画や、歌は何度も繰り返し、見たり聞いたりする。

    2026年1月28日水曜日

    そっとてを ひらいてみせる ほたるかな ほらねと少女 微笑みながら  遊水

    ■ 2026-01-28
    ■ 世の中には、おかしなことがたくさんある。
    ■ ひとつは、言葉の意味、に関すること。
    ■ 言葉は、基本的に重要だが、多くの人が使うため、おかしなこともある。
    1. そっとてを ひらいてみせる ほたるかな  遊水
    2. ほらねと少女 微笑みながら
    ■ 俳句は短いものだから誤解しやすい。
    ■ このように、俳句に下の句をつけると、「少女」と書いているのだから、だれも「手を開いた」のが成人男性の私だとは思わない。
    ■ しかし、下の句をつけないと、多くの人は誤解したままだろう。
    ■ 「そっと手を ひらいてみせる」しぐさには「やさしさが」ある。それを感じ取れるかどうかだけれども、「見せる」という言葉で、句を作った人が見せていると反射的に思ってしまうのだろう。見せられた私が、見せてくれた少女のことを詠んでいる。
    ■ この例は、些細なことだけれど、俺が、私が、と主張する人には分からない。
    ■ 詩歌は、人の立場に立って作ることも、当然、ある。小説と同じだ。
    ■ 俳句や、短歌を詠むのは、やはり、伝えたい何かだけれど、分かってもらえなければ意味はない。それは散文でも同じだ。
    ■ それで、議論などせず、せめて明日の私に分かるように書いておこう。
    ■ あしたには、もう一人の私が出てくるかもしれない。
    ■ 対象が、百人一首の歌だとしたら、千年前の人の心を、理解したことになろ。
    ■ 例えば、持統天皇の歌。
    ■ 多くの解説書は、理解してないように思われる。
    ■ 他にもたくさんある。
    ■ 小倉百人一首自体に関する解説も、おかしいのが多い。


    2026年1月22日木曜日

    忘れてしまうから、ちょいメモ 2026-01-24 追記 母への思い出



    ■ 2026-01-26


    ■ 2026-01-25
    ■ こんな頁を作っていたのを発見した。忘れていたのだ。
    ■ 10年も昔のことだ。
    ■ この時の句は、君はまっすぐ僕の目を : 詩の形と詩の心、にも載せていることも忘れていたコトにも気づいた。
    ■ この本の書き込みを見ると、句を作たのは、2006-05-06 のことだから、20年も前のことだ。覚えていることの方が少ないとも言える。なので、ときどき振り返って見られるように何かを書いておくといい。
    ■ リンクが切れている頁は「復活・野鳥とホームページ」に戻らなくてはならない。めんどうだ。


    ■ 2026-01-22
    ■ 先日、二つのことに関連して書いた。
    1. Tennessee Waltz 
    2. Playback
    ■ なぜだったか忘れるで書いておく。
    ■ どちらも「俳句は要約である」という言葉があたまにあった。
    ■ もう一つは、母への想いにも関連する。
    ■ 以上のこととは無関係だが、もうひとつ。

    2026年1月20日火曜日

    散文の言葉、と、詩の言葉

    ■ 2026-01-20
    ■ google 翻訳して分かったことは、
    1. 俳句を詩だと理解してない。
    2. 日本語の「てにをは」が分かっていないようだ。
    ■ もう一度、

    友達に 恋人盗られ ワルツの夜
    My lover was taken by a friend.
    A waltz night

    ■ 日本語の場合、575は俳句形式だと認識され、散文ではないと判断される。
    • ともだちに こいびととられ ワルツのよ
    ■ 従って、語数が限られることもあり、単語を並べ、文、または、文章にしない。
    ■ 言葉の関連性を説明せず、言外の意味として、読み手の想像、感受性にまかせる。
    ■ 詩は論理ではなく、感性だからだ。
    ■ 分かる人には、わかる。分からない人には、分からない、という状況も発生する。
    ■ 主体、客体の区別は、どちらの側からの認識かによる。
    ■ 客観的視点により認識できれば、能動的、受動的、の別は表現の違いだと判断できる。
    ■ 主語は、それが特定できる場合、省略し表現しない。

    Tennessee Waltz :
    私の友達が
    私の恋人を盗った
    あのワルツの夜
     
    友達が
    恋人を盗った
    ワルツの夜

    Tennessee Waltz:
    My friend
    stole my lover
    waltz night
     
    ■ 「友達」という言葉は複数に用いられる。
    ■ なので、「恋人を 友に盗られて ワルツの夜  遊水」とした方がよいのかもしれない。■ ・・・

    2026年1月19日月曜日

    playback のつづき

    ■ 2026-01-19
    ■ 訳者の清水俊二は、「プレイ・バックという題名の意味もよくわからない」と書いている。
    ■ なぜ分からないのかな。

    Raymond Chandler Playback (1958)

    25
    "How can such a hard man be so gentle?" she asked wonderingly.
    "If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive."

    「どうしてそんなに厳しい男がこんなに優しくなれるの?」と彼女は不思議そうに尋ねた。
    「もし硬くなかったら、生きていなかった。もし優しくなれないなら、生きる資格もない。」

    28
    "I'll come, darling. I'll come. Hold me in your arms. Hold me close in your arms. I don't want to own you. Nobody ever will. I just want to love you."

    黛ジュン「恋のハレルヤ」
    もえる想いを あなたに ぶっっけた だけなの
    I don't want to own you. 
    I just want to love you.

    ■ 先にも書いたが、・・・


    言葉、語順

    More  Doris Day
    Tennessee Waltz  Anne Murray


    ■ 2026-01-19
    ■ 語順

    朝顔に釣瓶とられてもらひ水  加賀千代女

    友達に
    恋人盗られ
    ワルツの夜

    恋人を
    友に盗られて
    ワルツの夜

    ■ 語順によって微妙に意味合いが違う。
    ■ 仮に、詠み手が、男と女、どちらかだとすると、「友達に」の方が男で、「恋人を」の方が女、だろう。
    ■ Tennessee Waltz では、「友達に」の方だ。
    • My friend stole my sweetheart from me.
    ■ 友情が壊れるからだ。
    ■ 「朝顔に」と形は似ている。朝顔の句は「朝顔に」しかない。
    ■ 理屈っぽい句は、俳句的ではないが、俳句に分類することはない。
    ■ 朝顔は朝早く咲き、すぐしぼむので、加賀千代女の句は成り立つ。
    ■ 咲いている少しの時間の朝顔を愛でればいいのだ。
    ■ 生活には水の方が重要なので、花が過ぎれば当然、釣瓶から蔓は外される。
    ■ 要するに、その時、どちらに重点があるかだろう。

    2026年1月18日日曜日

    無季俳句、友達に 恋人盗られ ワルツの夜、Tennessee Waltz : My friend stole my lover waltz night、男の歌、女の歌



    ■ 2026-01-18 追記
    ■ 実のところ、Changing Partners は今知った。
    ■ ・・・などと書いたが、ホントかどうか確かめてみると、あった。忘れていただけだ。
    ■ Tennessee Waltz は、やはり男が歌う歌で、この歌詞の方は女の歌だ。
    ■ Tennessee Waltz で him を her に I introduced her と変えただけでは、やはり無理があった。
    ■ だって、My friend stole my sweetheart from me.と歌うが、sweetheart って男ですか。
    ■ やはり女性をさす言葉でしょ。
    ■ それでも her でいいというなら、レズビアンの歌になる。
    ■ 日本では、男の歌も女も歌う。
    ■ Tennessee Waltz を元々の男の歌として、うんうん分かるなあ、その気持ち、と女も歌ったらいいと思う。
    ■ 歌詞としてはいいのだから。
    ・・・
    ■ 2026-01-18
    ■ 日本には四季があるので、共通認識として季語を用いると、5・7・5の17文字で表しても背景がわかる。愛や恋も共通認識としてあるので、無季であってもかまわない。「俳句」という分類用語にこだわることはない。次の句は理解されるかもしれない。

    友達に
    恋人盗られ
    ワルツの夜

    ■ 試みに、google翻訳してみよう。

    My lover was taken by a friend
    A waltz night

    ■ この句はTennessee Waltz を聴きながら作ったので、

    Tennessee Waltz
    友達に
    恋人盗られ
    ワルツの夜

    Tennessee Waltz
    My lover stolen
    By a friend
    On a waltzing night

    ■ ・・・

    Tennessee Waltz:
    友達に
    恋人盗られ
    ワルツの夜

    Tennessee Waltz:
    A friend steals my lover,
    On a waltz-filled night

    ■ ・・・
    Tennessee Waltz:

    友達に
    恋人盗られ
    ワルツの夜

    Tennessee Waltz:

    A friend steals my lover,
    On a waltz-filled night

    ■ 英語というのは不便な言語で例えば次のように言葉を言い換え、補ってはじめて理解されるようだが、これを見れば、逆に Tennessee Waltz という歌はこのような歌であることも分かるともいえる。

     Tennessee Waltz:
    私の友達が
    私の恋人を盗った
    あのワルツの夜

    Tennessee Waltz:
    My friend
    stole my lover
    On that waltz night

    ■ ・・・

      Tennessee Waltz :
    私の友達が
    私の恋人を盗った
    あのワルツの夜
     
    友達が
    恋人を盗った
    ワルツの夜

    Tennessee Waltz:
    My friend
    stole my lover
    that waltz night

    My friend
    stole my lover
    waltz night

    2026年1月15日木曜日

    朝起きて音がなければ雪である雪見障子を開けて確かむ  遊水

    ■ 2026-01-15
    ■ はや15日だ。
    ■ さて今年 どれを選ぼか 歌会始、
    ■ 題は「明」。
    • どのうたを えらべばいいか ひとつづつ うたかいはじめ しんぶんのきじ
    • メダル掛け笑顔明るき選手らに手話で伝える祝ひのことば  皇后・雅子
    ■ 以前、こんな句を作っていた。下の句をつけてみた。
    • 朝起きて音がなければ雪である  遊水
    • 雪見障子を開けて確かむ
    • 静かなり一夜で変はる北の町障子戸越しの雪明りかな  新潟県 鈴木好行
    ■ 「雪明りかな」に共通の思いがある。なので選んだ。

    ----------------------------------------------------------------------------------

    買い物をしたくなったら春である
    新聞が重くなったら夏である
    ふるさとが恋しくなれば秋である
    朝起きて音がなければ雪である

    ほんとなの。おババ微笑み日向ぼこ


    君はまっすぐ僕の目を
    ----------------------------------------------------------------------------------

    2026年1月11日日曜日

    「ロングバケーション」関連、俳句遊び、と プレイバック 2026-01-15 追記 


    ■ 2026-01-11
    ■ 今朝の、日本経済新聞に、北川悦吏子「やりたいことと、やるべきこと」が書かれていた。
    ■ 北川悦吏子は「ロングバケーション」で記憶にある。
    ■ というのも、こんな頁を書いていたからだ。
    ■ リンクが切れていたので、もう一度検索してみた。↑
    ■ まあ、どこかにそんな場面もあるだろう。
    ■ 次々リンクを辿ってゆくと、また切れる。
    ■ そこまで行くには、別の道筋が必要だ。

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    ★  俳句遊び、どんな色  ★



    ■ ついでながら、最初「ロング」でブログ内検索をした。
    ■ 他のものも出てくる。
    ■ ・・・こっちの方が話としては面白い。
    ■ 「長いお別れ」を再読した。
    長いお別れThe Long Goodbye, 1953年)、清水俊二訳、ハヤカワ・ミステリ文庫
    ロング・グッドバイ、村上春樹訳、早川書房
    プレイバック(Playback, 1958年)、清水俊二訳、ハヤカワ・ミステリ文庫
    ■ ・・・
    1953   The long goodbye
    1958   Playback
    ■ 「The long goodbye」、で、・・・
    ■ リンダ・ローリングはパリに行き、フィリップ・マーローは彼女と分かれた。
    ■ そして、その時の気持ちは、・・・
    To say goodbye to die a little.
    ■ こんな感じだった。
    ■ そして、次の小説では、・・・
    ■ パリから電話がかかってきて、リンダ・ローリングが帰ってくるという。
    「Playback」
    ■ 訳者の清水俊二は、「プレイ・バックという題名の意味もよくわからない」と書いている。
    さよならで、死んだかもしれない。
    久しぶりで、その心が蘇るのだ。
    こんにちわで、新しく生まれる、と言った方がいいかもしれない。
    ■ もう一度やり直すということで、分かりやすい気がする。
        • "This is Linda. Linda Loring. You remember. me, don't you, darling?"
        • "How could I forget?"

        • "I'll come, darling. I'll come. Hold me in your arms. Hold me close in your arms. I don't want to own you. Nobody ever will. I just want to love you."
        • "I'll be here. I always am."
        • "Hold me in your arms."
        • The air was full of music.

    The French have a phrase for it. The bastards have a phrase for everything and they are always right.

    To say goodbye is to die a little.

     51

       Edmond Haraucourt
    Partir, c'est mourir un peu,
    C'est mourir à ce qu'on aime :
    On laisse un peu de soi-même
    En toute heure et dans tout lieu.

       google 翻訳

    To leave is to die a little,
    It is to die to what one loves:
    One leaves a little of oneself
    At all times and in every place.


    去ることは、少し死ぬことだ。
    愛するものから死ぬことでもある。
    私たちは少しずつ自分自身を残す。
    いつでもどこでも。

    探偵・Philip Marlowe、と、「恋のハレルヤ」の話

     ■ なかにし礼作詞、「恋のハレルヤ」をもう一度聞いてみよう。
    ■ この歌に関して、作詞者は、・・・
    • 戦争体験を恋愛に置き換えて歌にした。
    • 恋のハレルヤ
    • 何事も恋愛に置き換えて表現すると明快になのです。
    ■ こんなことを言っている。
    ■ この頁の写真の新聞記事だ。
    ■ さて、ここで、・・
    ■ 先日、再読した、「長いお別れ」をちょっと振り返ってみよう。
    ■ 探偵フィリップ・マーローでおなじみのレイモンド・チャンドラーは、・・・
    ■ ハードボイルド作家の代表で、文学的文体だと評されている。
    • 何がハード・ボイルドで
    • 何が文学的なのか、
    ■ 以前、私は分からなかった。
    ■ だから、レイモンドチャンドラーの作品が、何か印象的でなく、・・・
    ■ 記憶に残らないモノだった。
    ■ 今回、・・・
    ■ 分からなかったのは、分からなかった私に問題があったのではなく、・・・
    ■ 清水俊二の翻訳にあることがはっきりした。
    ■ 原文を見て、分かった
    • さよなら、って何
    • この頁に書いた。
    • To say goodbye to die a little.
    • この言葉はフランスの詩の・・・
    • Partir, c’est mourir un peu.
    • これを英語にしたものだった。
    ■ ところで、・・・
    • さよなら、と、こんにちわ
    • "I'll come, darling.
    • I'll come.
    • Hold me in your arms.
    • Hold me close in your arms.
    • I don't want to own you.
    • Nobody ever will.
    • I just want to love you."
    ■ このセリフは、上にあげた、・・・
    • もえる想いを あなたに ぶっっけた だけなの
    ■ これによく似ているな、と思った。
    ■ チャンドラーの作品は、他の人も翻訳するようになった。
    ■ 読み直すのもいいかもしれないが、・・・

    ■ 阿木燿子著「プレイバックPARTⅢ」に、Ⅰ、Ⅱ、の歌詞もある。
    ■ 「赤いポルシェ」が出てくるのは「プレイバックPARTⅡ」だ。
    ■ 何頁か進んだら、俳句が一つ余白にあった。あれれ、
    • 駆けてゆく 君の向こうに 夏の海  遊水 2006-05-06
    ■ なるほど、このとき作ったんだったか、懐かしい。
    ■ この句はどこかにあるはずだ。
    ■ playback 的に検索してみよう。これだ。