2022年3月24日木曜日

ことば、と、文字

 ことば、と、文字
 
■ 百人一首というカルタ遊びは、
  • 読み上げられる歌を耳で聞いて
  • 下の句の札を探しとる
  • 速く取った方が勝ちになる
■ 声を耳で聞いて文字を目で探す。
■ 私は紙に書きつけながら歌を詠むこともあるけれど、
■ だいたい、頭の中で5・7・5・7・7の言葉を繰り返す。
■ 筆記用具を持ってないときは特に、覚えるまで何度も繰り返す。
■ そして、忘れないように、書きつける。
■ 歌は基本的には目で読むのではなく、聞くものだと思う。
■ だから、漢字交じりでなく、すべてかなで書いてみるのがいい。
  • ふくからに あきのくさきの しをるれば むべやまかぜを あらしといふらむ
■ まず、「しをるれば」にちょっとひっかかる。
■ 枯れるのではないか。
■ このようなことは、とりあえず置いておいて
■ この歌を漢字交じりに書くとしたら、どのように書くだろうか。
  • むべやまかぜを 
  • あらしといふらむ
■ この中で、名詞の部分を漢字にするとしよう。
■ やま・かぜ、を漢字にするか
■ あらし、を漢字にするか。
■ どちらもなのか。
■ 私だったら、あらし、は漢字にしないで想像させるようにするだろう。
■ 現代の我々はなんら疑問も感じないで「嵐」を「あらし」と読んでいる。
■ もともと、漢字は日本にはなかった。
■ だから逆なのだ。
■ 「あらし」を「嵐」と書くことにしたのだ。
■ ところが文屋秀康の時代はどうだったのか。
  • 山風を嵐
■ と書いて、この歌を単なる言葉遊びだとするのは短絡的だ。
■ 嵐という文字はいつ日本に入ってきて、いつから「あらし」と読まれるようになったのか。
■ まあ、そういうことだ。
■ 仮に、文屋秀康の時代に、あらし、が嵐ではなかったとするならば、
■ まさに彼こが、それをなしたということになり彼の功績と言えよう。
■ たとえ、彼が最初でなかったとしても、この歌で、あらし、に関する認識が広がったと考えてよい。
■ 音声としての、ことば、と表記としての文字、これが日本語では大切だ。
■ 繰り返すが、
  • この歌を単なる文字上の言葉遊びだとするのは短絡的だ
■ さて、この後だ。
  • ふくからに あきのくさきの しをるれば
■ この上の句、何とかならんかと思う。
■ しかし、この歌の場合、彼は彼で詠ったのだからそれでいいかもしれないと思う。
■ というのも、嵐という文字やことばについて言いたいことがあるわけではないからだ。
■ また、そのうち機会があれば考えることとし、すっきりしていないが、次の歌をあげておこう。
  • 山おろし庭の草木も枯れ荒れる山風なればあらしなりけり  //  遊水