2022年3月31日木曜日

源俊頼「山おろし」

 源俊頼「山おろし」

■ これらの頁で、嵐に関して、書いた。
■ そして、2」の「ことば、と、文字」の頁に
  • ■ また、そのうち機会があれば考えることとし、すっきりしていないが、次の歌をあげておこう。
  • 山おろし庭の草木も枯れ荒れる山風なればあらしなりけり  //  遊水
■ こんなふうに改作したが。
  • 山おろし庭の草木も枯れ荒れる山風なるはあらしなりけり  //  遊水
■ こんな風にした方がいいかもしれない。
■ といっても、いい改作ではない。
  • ■ 山下、山おろしは地方により
  • 六甲おろし
  • 比叡下ろし
  • ■ などと呼ぶこともあり、
■ などとも書いた。
■ 百人一首では「山おろし」は次の歌にも使われている。
  • 憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを(千載708)
■ 源俊頼はうまいと定家は評し、後鳥羽上皇もほめている。
■ その中で、定家についても書いている。
■ それで、思うのだが
■ 定家は後鳥羽上皇との関係についてどう思っていたのかを考えると、
  • われても末に逢わんとぞ思ふ
■ という気持ちがあったのかもしれない。
■ 要するに、定家は、百人一首の歌を彼の気持ちを代弁するように選んだ、と思うからだ。
  • おほけなく浮世の民におほう哉
■ この歌にしても歌の世界で頂点に立った定家もまた出家し「すみぞめのそで」だ。
  • ふり行くものは我が身なりけり
■ も定家自身のこととしてみてよい。
■ そして、この「憂かりける」の歌もまた、同様に見ることもできる。
■ 定家と後鳥羽院との関係は断絶し、歌に対する考え方の違いはあったが、
■ 歌に関する思いはどちらも強かった。
■ だから、
  • 憂かりける人、は、定家であり
  • 山おろし、が後鳥羽院だ
■ とみることもできそうだ。
■ そして、
  • 祈らぬもの、は定家だと考えることもできる。
■ 自分にまったく関係ないならば、無視すればいいだけで、
■ その人について何ら評論することはないだろう。
■ ところが後鳥羽院は定家について言及している。
■ 悪口を言われる覚えはない、と定家は心の中で思っていたのではないか。
■ なぜ定家は百人一首を選んだのか。百人一首とは何なのか、と色々書いてきた。
■ 源俊頼について、もう少し調べてみようかと思う。