源俊頼「山おろし」
- 百人一首 074 源俊頼朝臣 うかりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを - YouTube
- 心なき爱でココロが知られけり
- ことば、と、文字
■ そして、2」の「ことば、と、文字」の頁に
- ■ また、そのうち機会があれば考えることとし、すっきりしていないが、次の歌をあげておこう。
- 山おろし庭の草木も枯れ荒れる山風なればあらしなりけり // 遊水
- 山おろし庭の草木も枯れ荒れる山風なるはあらしなりけり // 遊水
■ といっても、いい改作ではない。
- ■ 山下、山おろしは地方により
- 六甲おろし
- 比叡下ろし
- ■ などと呼ぶこともあり、
■ 百人一首では「山おろし」は次の歌にも使われている。
- 憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを(千載708)
■ その中で、定家についても書いている。
■ それで、思うのだが
■ 定家は後鳥羽上皇との関係についてどう思っていたのかを考えると、
- われても末に逢わんとぞ思ふ
■ 要するに、定家は、百人一首の歌を彼の気持ちを代弁するように選んだ、と思うからだ。
- おほけなく浮世の民におほう哉
- ふり行くものは我が身なりけり
■ そして、この「憂かりける」の歌もまた、同様に見ることもできる。
■ 定家と後鳥羽院との関係は断絶し、歌に対する考え方の違いはあったが、
■ 歌に関する思いはどちらも強かった。
■ だから、
- 憂かりける人、は、定家であり
- 山おろし、が後鳥羽院だ
■ そして、
- 祈らぬもの、は定家だと考えることもできる。
■ その人について何ら評論することはないだろう。
■ ところが後鳥羽院は定家について言及している。
■ 悪口を言われる覚えはない、と定家は心の中で思っていたのではないか。
■ なぜ定家は百人一首を選んだのか。百人一首とは何なのか、と色々書いてきた。
■ 源俊頼について、もう少し調べてみようかと思う。
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