天皇はどこに住んでいたか
■ 平家物語・巻第五「都遷」の後半は、
■ インターネットでは見られないのかな、と思ったが仮名書きモノがあった。
■ 見にくい。
■ 手元の文庫本をざっと見てみよう。
■ 桓武天皇は、宮内庁・天皇系図によれば、50代で、781-806年
■ 平清盛が福原遷都し、
■ 安徳天皇が八一代、1180-1185年だ。
■ ・・・
■ 古事記、33代の推古天皇まで記載されている。
■ 日本書紀は、41代の持統天皇まで記載されている。
■ さて、第34代舒明天皇の時は奈良湖があった、
■ 奈良湖が無くなったのはいつかはと思い、ざっと見たが
■ この平家物語の記述では、名前が出てこない天皇もいて、あまり役に立ちそうもない。
■ ただ、漢風諡号で「神」と名のついた天皇に注目するのもひとつの道かもしれないと思う。
■ インターネットでは見られないのかな、と思ったが仮名書きモノがあった。
■ 見にくい。
■ 手元の文庫本をざっと見てみよう。
- 神武天皇より景行天皇まで一二代は、大和の国郡々に都を建てて、他国には終に遷されず。
- 然るを成務天皇元年に近江国に遷って志賀の郡に都を建つ。
- 仲哀天皇二年に長門国に遷って、豊浦郡に都を建つ。
- 神功皇后、女帝として、異国の軍を鎮めさせたまいて、帰朝の後筑前国三笠郡にて皇子御誕生、やがてその所を産宮とぞ申しける。
- その後神功皇后は大和国に遷って、磐余稚桜宮におはします。
- 応神天皇は、同じ国軽島明宮に住ませ給ふ。
- 仁徳天皇元年に、摂津国難波に遷って、高津宮におはします。
- 理中天皇二年に、又、大和に遷って、十市郡丹都を建つ。
- 反正天皇元年に、河内国に遷って、柴籬宮に住ませ給ふ。
- 允恭天皇四十二年に、また大和国に遷って、飛鳥の飛鳥宮におはします。
- 雄略天皇二十二年に、同じ国泊瀬朝倉に宮居し給ふ。
- 継体天皇五年に、山城国綴喜に遷って12年、その後乙訓に宮居し給ふ。
- 宣化天皇元年に、また大和国に遷って、檜隈入野宮に住ませ給ふ。
- 孝徳天皇大化元年に、摂津国長柄に遷って、豊崎宮に住ませ給ふ。
- 斉明天皇二年に、また大和国に遷って、岡本宮に住ませ給ふ。
- 天智天皇六年に、近江国に遷って、大津宮におはします。
- 天武天皇元年に、猶大和国に帰って、岡本南宮に住ませ給ふ。これを浄見原御門と申しき。
- 持統文武二代の聖朝は、藤原宮におはします。
- 元明天皇より光仁天皇七代は、奈良の都に住ませ給ふ。
- 然るを桓武天皇の御宇、延暦三年十月三日の日に奈良の京春日の里より、山城国長岡に遷って、・・・、延暦十三年、長岡京よりこの京に遷されて、
- 帝王は三十二代、星霜は三百八十余歳の春秋を送り迎ふ。
■ 桓武天皇は、宮内庁・天皇系図によれば、50代で、781-806年
■ 平清盛が福原遷都し、
- 咲き出づる花の都を振り捨てて風ふく原の末ぞあやうき
■ 安徳天皇が八一代、1180-1185年だ。
■ ・・・
■ 古事記、33代の推古天皇まで記載されている。
■ 日本書紀は、41代の持統天皇まで記載されている。
■ さて、第34代舒明天皇の時は奈良湖があった、
■ 奈良湖が無くなったのはいつかはと思い、ざっと見たが
■ この平家物語の記述では、名前が出てこない天皇もいて、あまり役に立ちそうもない。
■ ただ、漢風諡号で「神」と名のついた天皇に注目するのもひとつの道かもしれないと思う。