https://www.youtube.com/watch?v=_IMgnu_Slok&t=10s
中務 なかつかさ
中務 なかつかさ
■ 塚本邦雄は、全て凡作だとした。
■ それも、ひとつのとらえかただ。
■ 他の視点もある。
■ 先に、こんなことを書いた。
■ 百人秀歌の柿本人麻呂と入道前太政大臣の歌、要するに、実質的な最初と最後の歌は足引きの山鳥の尾のしだりおのながながし夜をひとりかもねん花さそふあらしの庭の雪ならでふり行くものは我身なりけり■ 定家にとって、どちらも上の句は不要で、下の句を取り上げたかった。と考えればよいだろう。■ それが彼の気持ちだった。■ このような意味で「百人秀歌」を研究したらいいだろう。
■ 藤原定家は、自分の気持ちを代弁する歌を選んだ、とすれば、・・・
人もをし人もうらめしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は 後鳥羽院
■ この歌の「人」は後鳥羽院にほかならない、ということになる。
■ 百首目は、もしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり 順徳院
■ この下の句と組合すと、定家の気持ちになりそうだ。
- 人もをし 人もうらめし 後鳥羽院 なほあまりある 昔なりけり 遊水
■ 定家は、百人秀歌で2人の歌を捨てた。
■ まあ、当然のことだ。