■ 同じ題で 以前も書いている。書き直したというコトだが、どうかな、と思う。
2026年3月24日火曜日
■ 2026-07-26
■ 地球は、太陽の周りを公転しながら自転している。なので四季があり、夜と昼がある、などと、百人一首の歌の話で、言及する必要があるのかね、嫌だね。まったく。
■ 国立天文台で調べれば、日の出、日の入り、の時刻は分かると思うが、普通、朝起きて、昼間に仕事などして、夜になると寝る。 一応、常識だ。
■ 起きて、寝るまでに何時間かある。
■ さて、そこで何をしようかな、というコトだが、何か心が定まらない、ということもあるだろう。
■ 喜怒哀楽、という言葉があるが、いかにもチャイナーぽい言葉だ。喜怒哀楽で気持ちを表せるような気がしない。
■ 「さみしいな」というときもある。
■ 独りでいると寂しい。なので、そんな時どうするのか。友達もいなければ、賑やかなところに行こうと思うかもしれない。人によって違うだろう。
■ まあ、そんなことを考えながら、読んでみるといい。
さびしさに やどを立ち出でて ・・・
■ こんな風に始まる歌がある。先は読まず、と言っても、既に、何度も読ん暗記しているが、もう一度、はじめに戻り、ここでじっくり考えよう、ということだ。あわてることはない。和歌は31文字しかない。もっとも、この歌は、字余りのようだけれど、残りは、5・7・7だ。先を急いではならない。彼は何をしようとしたのか。彼の気持ちに寄り添ってみようじゃないか。
■ 「やど」とは自分のうちのことだけど、まず、何時に起きたのか。そして、何時頃「うち」を出たのかね。限定しなくていい。例えば、7時に起きて飯を喰い、8時に出たと仮定すればいい。都合が悪ければ訂正すればいい。あくまで、仮定だ。千年も前の人間の行動を確定できるはずもないし、確定する必要もない。9時に内を出たのであってもいい。
■ 内を出て、出っぱなしではない。当然、帰ってきた。いつ帰ってきたのか。
「ゆうぐれ」だった。
■ 季節は秋、「秋の夕暮れ」は寂しい。まあ、普通の感情だ。
■ 「さびしさに」うちをでて、寂しい感じの「秋の夕暮れ」に帰ってきた。
■ なので「いずくも同じ」ことだった。寂しさが解消されたわけでもなかった。
■ 朝9時に出て、仮に、夕刻、5時に戻った、とすれば、8時間がある。
■ 8時間で何があったのか。
■ これを解決するには、彼がどこに住んでいたかを考える必要がある。
■ 「さびしさに」だから人があまりいない所だったろう。
〇 〇 〇
■ どこに住んでいたか、歌からは分からない。島津忠夫・新版百人一首に書いてあった。
晩年は山城国大原に籠った
さひしさにやとをたちいてゝなかむれは いつくもおなし秋のゆふくれ 良暹法師
■ なるほど。これについて考える前に、
■ 江戸時代に、尾﨑雅嘉は、次のように書いている。
歌の心は余りにも物淋しさに我が宿を出でてあちこちを眺め渡せば、ここもかしこもさして変わる事もなう、おなじやうに淋しき秋の夕暮れの景色ぞといふ事なり。
・・・
この法師の住まれたる所は山城国愛宕郡の大原なり。これは都の北三里のほかにありて、八瀬村の北に当たれり、・・・
今草府村寂光院の東南2丁ばかりに泉あり。土人これを朧の清水といえり
あまりのさびしさに耐えかねて、庵を立ち出て、あちこち見わたすと、どこもかしこも同じで、心を晴れ晴れさせるものはない。 なんとさびしいながめの秋の夕暮れの景色よ。
■ 島津は尾﨑の解説に「心を晴れ晴れさせるものはない」と追加しているが、ほとんど同じだ。もう少し、他の人はどのようにとらえているか見てみよう。
草も木も枯れ枯れになる秋。 寂しさに僧庵を出て四方のけしきを眺めてみると、あきの夕べはどこも同じで、すべてが枯れ衰え、身も心も細りゆくような思いである
いかにも俊成・定家の好みそうな幽寂の境地を歌っており、・・・、百人一首の世界もついに墨絵のような心境に至ったかと思うと、おのずと感慨が湧く。・・・、洛北大原に住んでいたらしく、「朧の清水」を詠んだ歌が残っている。今も、・・・「大原御幸」にも謡われた名水である。そういうことを心に置いて味わってみると、大原あたりの景色が彷彿とされ、浮世を離れた庵の有様が浮かぶ。特にこの歌を百人一首にえらんだ頃は、新古今の調べも定着し、その先駆けをなす秀歌として賞玩されたのでのであろう。
■ 「朧の清水」を詠んだ歌は、尾﨑雅嘉の解説に記載されている。「大原御幸」にも謡われた名水、とある「大原御幸」については、一応「平家物語」にもあたってみた。白州正子は「能」に詳しいのでこのような記述のなったのであろうが、想像しすぎかもしれない。
■ 寂光院には行ったことがある。当時も寂しかっただろう。大原は都の北三里にあった。良暹法師は、ここにあった庵を、おそらく朝に「立ち出でて」都まで行ったのだろう。
一キロメーターを十五分で歩くとすれば、四キロメーターは約一時間、
三里の道は約三時間。 都までは、日帰りできる距離だ
■ 片道3時間、往復で6時間、みやこで、団子など食う時間が2時間だとすれば、その日の行動が推定通りだったことが分かる。これを歌にした。「秋の夕暮れ」が寂しいのではない「自分自身が寂しい」そして、誰もがそんな気持ちになることがある。どこにいても、山里でも、賑やかだと思われる都にいても、寂しい時はさびしい。「人恋しさ」であるかもしれない。
寂しさは「秋の夕暮れ」どきに限るものではない。寂しいときは寂しい。
みやこまで 三里のみちの ゆきかえり いづこもおなじ あきのゆうぐれ 遊水
「七つ立ち」とは、江戸時代の時刻制度に基づき、暁七つの時刻に出発することを意味します。現代の時間に換算すると、午前4時前後にあたります。民謡『お江戸日本橋』の歌詞では、日本橋を出発した旅人がまだ暗い中で提灯を持って歩き始める様子が描かれています 暁七つは、明け六つ(夜明けの時刻)より1刻前で、春分の頃では3時22分頃に相当する場合もあります
「七つ立ち」は日本橋を起点として、旅立つことだが、同様に、「たち・いでて」という複合動詞は、このうたの場合、旅ではないが、移動してどこかに出発することを意味する。ただ立ち上がって外に出たということでは、もちろん、ない。
このような言葉があり、「打ち・出でて」は百人一首にある「田子の浦にうち出でてみれば~」の歌にあるが、これも何か変な現代語訳になっている。それは万葉集にある歌の原文を見ないからでもある。
田兒之浦従 打出而見者 真白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留
たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにぞ ふじのたかねに ゆきはふりける
「馬に鞭打ち~」と訳しているのは見たことがない。「漕ぎ・出でて」はさすがに舟を漕ぐという認識はあるようだ。しかし、交通手段としての、馬の文化は失われている。「立ち・出でて」も失われているが、YouTube で動画をみながら、小唄など口ずさんでみればいいように思う。ザ・ピーナッツも「お江戸日本橋七つ立ち」𝅘𝅥𝅮 を歌っているのを発見した。
「さびしさ」は、漢字では、淋しさ、ではなく、寂しさだろうが、一応、白川静の辞書を見てみよう。