百人一首3番目の歌聖の歌
■ 百人一首の1番、2番の歌 は天皇の歌だ。
■ これは万葉集に倣ったのだろう。和歌風に言えば、本歌取りだ。
■ 百人一首の3番目に、柿本人麻呂の「あしびきの・・・」の歌がある。
■ もっと他にいい歌があるのではないか、と思われるが、
■ 藤原定家がどのような意識や意図で選んだのか。
■ 恋の歌が多いもの関係がある。
■ さんざん恋の歌など取り上げ、最後に自分の歌を配している。
■ 恋や愛などの後の心境が、
- ながながしよを ひとりかもねむ
■ であったからだと推察できる。
■ 定家自身の歌の少し前の
■ 百人一首の91番には、後京極摂政前太政大臣の歌がある。
- 九条 良経
- きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに
- 衣かたしき ひとりかも寝む
■ 「ひとりかもねむ」だから寂しい心境だったか、といえばそうではないだろう。
■ それは彼の歌をみれば分かる
■ 定家の歌は寂しい歌ではない。
■ 西行の恋、などと比較しても、即ち、失恋ではなく、いわば「勝ち組」なのだ。
■ 百人一首を全体として理解するには最後の歌から読むのがいい。
■ 要するに、定家自身の歌を最高位に置くためには必要であり、その後の状況としての
■ 満足の「ひとりかもねむ」なのだ。
- 「かきのもとの人まろなむ、哥のひじりなりける」
■ とされる人の歌を、2人の天皇の次の3番目に置いた。
■ 実質的には1番だと考えてよい。
■ ここに置くのは定家の心境を強調する意味があった。
■ 飛鳥時代の柿本人麻呂の歌を鎌倉時代の藤原定家が取り上げているが
■ 歌としては定家が選ぶ時点での配列だ。
■ 定家自身の心境を歌聖と呼ばれる人の歌を借りて表しているということになる。
■ このように考えると、定家の選択と配置は「なるほどうまいものだ」と感心する。
■ だから、まあ、百人一首は興味深い。
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