万葉の遊び心・春尓成来鴨
■ 2022-01-11、雨。晴野雨読、鳥見散歩もできないので、ちょっと和歌の話しでも書こう。
■ 「春になりにけるかも」
■ 万葉集 巻第八
- 志貴皇子
- 石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨
- 石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも
- いはばしる たるみのうへの さわらびの もえいづるはるに なりにけるかも
■ 「春尓成来鴨」このように当て字する遊び心がある。
■ ところで、この鴨の種類は何かと思う。
■ おそらくマガモではないかという気がする。
■ 鴨が飛んで来る、ということで「来鴨」としたのではないか。
■ その辺は面白い。
■ 遊び心だ。
■ しかし、野鳥撮影している者にとっては、ちょっと待ってくれと言いたい。
■ 渡り鳥として飛んでくるのは「春」ではなく「冬」なのだ。
■ だから、
- 春尓 成来鴨
- はるに なりにけるかも
■ これは現実に合わないのではないか、ということになる。
■ どうなんだ、
■ というのは野暮というものか。
■ もともと当て字なのだから。
■ この歌をなぜ取り上げたのかを一応説明しておこう。
■ 今は冬。
■ 吹田市・千里南公園では約10年ぶりにホオジロガモ・オスが見られている。
■ 甲子園浜などではよく見られるが内陸部では少ないように思われる。
■ うちでも、この鴨が話題になった。
- 「かも」は万葉集では「鴨」が当て字として使われるんだよ
- へええ、例えば、?
■ と言われたので、先ず、伊藤博・校注・万葉集を見た。
■ 「かも」は歌の最後に使われるので、
■ 各巻冒頭歌群(原文)を見るとすぐ見つけられる。
■ 万葉集ではどういう記述になっているのかが分かる。
■ この歌はよく知られているのでとりあげた。
■ しかし、ここで問題が発生した。
- 石激
- 垂見之上乃
- 左和良妣乃
- 毛要出春尓
- 成来鴨
■ なぜこれが「いわばしる」なのかだ。
■ このように表記されるまえに、言葉として、即ち、音声としての言葉があったはずなのだ。
■ それが表記され、更に、訓読みされた。
■ 訓読みは誰によってなされたのか。
■ 他に読みようはないのか。
■ あるいは他に歌としてのことばはないのかと思う。
■ もともと「いわばしる」だったのかも疑問だ。
■ 「石激」を「いわばしる」と読みたくない。
- 雪も解け
- 水嵩が増し
- 水飛沫も多くなった
- 見ると
- その横に蕨が生えている
- ああ、春になったんだ
■ と、まあ、こんな感じだろう。
■ 蕨を見ているのだから、大きな滝ではない。
■ さて、わたしが作るとしたらどんな歌になるだろう。
■ 「上」という言葉も使いたくない。
■ 困ったな、
■ しばらく寝かせて置こう。
- ここだもさわぐ とりのこえかも
■ こんな歌もある。
■ この原文の表記はどうか。
■ 初句を思い出せば、調べやすい。
- みよしのの
■ だったと思い、下巻の最後にある初句一覧に当たると歌の番号がわかる。
■ そして、インターネットを使った。
- [原文] 三吉野乃 象山際乃 木末尓波 幾許毛散和口 鳥之聲可聞
- [訓読] み吉野の象山の際の木末にはここだも騒く鳥の声かも
- [仮名] みよしのの きさやまのまの こぬれには ここだもさわく とりのこゑかも
■ ここでは
- 鳥之聲可聞
- とりのこゑかも
■ なるほど、なるほど、鳥の声を聞いているのだか、こうなるのだな。
■ 歌に応じて表記を替えているのが面白い。
■ このように自然を読んだ歌の方が、好みなんだけど。
■ 百人一首では、人間に関係する歌ばかりだ。
■ その辺は百人一首のつまらなさだ。
■ ところで、ここに出てくる鳥は何か。
■ 吉野の山の梢で群れ騒いでいる鳥だから
■ 例えば、マヒワかもしれない。