菅原道真
■ 尾崎雅嘉は「百人一首一夕」に色々書いている。
■ それを読むと興味深いが、
■ 今、学問の神として崇められ、というか、親しまれ、
■ 又、たたり、怨霊の神としても知られている。
■ そんな後世のことについてはどうでもいいかもしれない。
■ 問題は目の前にあるこの歌だ。
■ この歌は何か好きになれない。
■ 自分のものでもない「自然の美しさ」を神に手向けるというのはどういうことか。
■ 感覚としては、むしろ、神により、というか、
■ 天により与えられた「紅葉の錦」を感謝するべきものではないか、
■ それが論理というものだろう。
■ 契沖は道真だとは言ってない。ただ「神」としている。
■ 表面的な表現としては、どちらも「神」だから同じ神だととらえることもできる。
■ そのように考えたとき、「紅葉の錦」を手向けたのだから
■ 「神のこころ」は即ち「紅葉の錦」となる。
■ それを読むと興味深いが、
■ 今、学問の神として崇められ、というか、親しまれ、
■ 又、たたり、怨霊の神としても知られている。
■ そんな後世のことについてはどうでもいいかもしれない。
■ 問題は目の前にあるこの歌だ。
■ この歌は何か好きになれない。
- このたびは ぬさもとりあへず たむけやま
- もみじのにしき かみのまにまに
■ 自分のものでもない「自然の美しさ」を神に手向けるというのはどういうことか。
■ 感覚としては、むしろ、神により、というか、
■ 天により与えられた「紅葉の錦」を感謝するべきものではないか、
■ それが論理というものだろう。
- とりあへず紅葉をぬさと手向山神のこころを神やうけけむ (契沖)
- 神のこころを
- 神やうけけむ
■ 契沖は道真だとは言ってない。ただ「神」としている。
■ 表面的な表現としては、どちらも「神」だから同じ神だととらえることもできる。
■ そのように考えたとき、「紅葉の錦」を手向けたのだから
■ 「神のこころ」は即ち「紅葉の錦」となる。
- ちょっと、おかしくないですか、道真くん
- 神のこころを 神やうけけむ