2022年8月21日日曜日

この次は俺の番か、2022-09-01 追記

  • このつぎは おれのばんかと マジおもう あにがたおれた れんらくがあり
  • りんじんが これはいじょうと きがついた いくつかたまった しんぶんのかず
  • オンライン パソコンつうじ めんかいす すこしかいふく しているようだ
■ 遊水 作

2022年8月20日土曜日

伊勢大輔、そのひばかりは めぐりきて

伊勢大輔

■ 菅原道真が建議して、その後は遣唐使は中止になった。
■ そして、その後、日本独自の文化が花開いた、と言われるが、どうになのか。
■ あとで、もう少しみてみよう。
■ 百人一首には女性の歌が21首ある。
■ 道真(24番)より後の時代の人からひとつ拾ってみた。
■ こんな歌もある。
  • わかれにしその日ばかりはめぐりきていきもかへらぬ人ぞ恋しき(後拾遺585)
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  • 原爆忌 そのひばかりは めぐりきて
  • いきてかえらぬ ひとぞかなしき  遊水
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2022年8月17日水曜日

菅原道真

菅原道真

■ 尾崎雅嘉は「百人一首一夕」に色々書いている。
■ それを読むと興味深いが、
■ 今、学問の神として崇められ、というか、親しまれ、
■ 又、たたり、怨霊の神としても知られている。
■ そんな後世のことについてはどうでもいいかもしれない。
■ 問題は目の前にあるこの歌だ。
■ この歌は何か好きになれない。
  • このたびは ぬさもとりあへず たむけやま
  • もみじのにしき かみのまにまに
■ これでは紅葉の錦は、道真が所有していたのかのようだ。
■ 自分のものでもない「自然の美しさ」を神に手向けるというのはどういうことか。
■ 感覚としては、むしろ、神により、というか、
■ 天により与えられた「紅葉の錦」を感謝するべきものではないか、
■ それが論理というものだろう。
  • とりあへず紅葉をぬさと手向山神のこころを神やうけけむ (契沖)
■ こんな歌もあるようだ。
  • 神のこころを
  • 神やうけけむ
■ 1」の「神」は天神、即ち、道真のことだろうけれど、
■ 契沖は道真だとは言ってない。ただ「神」としている。
■ 表面的な表現としては、どちらも「神」だから同じ神だととらえることもできる。
■ そのように考えたとき、「紅葉の錦」を手向けたのだから
■ 「神のこころ」は即ち「紅葉の錦」となる。
  • ちょっと、おかしくないですか、道真くん
■ 契沖は、ちょっと皮肉を込めて、
  • 神のこころを 神やうけけむ
■ としたのだろうな、と思ったりする。
 

2022年8月15日月曜日

小野小町、応援隊2

小野小町、応援隊2

■ 平安時代前期9世紀頃の女流歌人
■ 3首取り上げてみた。
■ 孤独感があり、共感を覚える。
  • 木がらしの風にも散らで人知れず
  • 憂き言の葉のつもる頃かな〔新古1802〕
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  • はかなしや我が身の果てよ浅みどり
  • 野辺にたなびく霞と思へば〔新古758〕
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  • うたたねに恋しき人を見てしより
  • 夢てふものはたのみそめてき(古今553)
■ 今の世に、どれだけの人がいるか、知ろうとは思わない。
■ 自分と言葉を交わす人には限りがある。
■ ただ、千年以上の昔の人の歌に、心が生きている。

2022年8月13日土曜日

短歌、2首、星越町こそ 哀しけれ

■ 今朝の日本経済新聞・読書、欄に「ドナルド・キーンと俳句」の書評があった。
■ 石川啄木の歌をひとつ思い出した。
  • 函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花
■ ここで、一首+
  • 新居浜の 星越町こそ 哀しけれ 更地になりて 衛星写真  遊水
  • われもまた はるなつあきと あゆみきて 霜天に満つ 時となり  遊水

2022年8月9日火曜日

安倍仲麻呂


安倍仲麻呂

■ 落ち着いたいい歌だと思う。
■ ついでに、玄宗、楊貴妃
■ 元正天皇・霊亀2年6月、716年、第8次遣唐使
  • 阿倍仲麻呂、吉備真備、僧玄昉ら留学
  • 16歳。
■ 17年後、聖武天皇・天平5年、遣唐使、天平7年、735年帰国。
■ 仲麻呂は留まる。
■ 朝衡と改名。
■ 15年後、
  • 遣唐使 - Wikipedia
  • 天平勝宝6年(754年)
  • 藤原清河と阿倍仲麻呂らの第1船は、暴風雨のため安南(現在のベトナム中部)に漂着
  • 鑑真は来朝。
  • 清河と仲麻呂らは755年に長安に帰還る。
  • 70歳で死亡
■ 阿倍仲麻呂は結局のところ唐で一生を終えたので、
■ ただ、百人一首にある歌を繰り返し口ずさむしかない。
  • ふりさけ みれば
■ この言葉遣いは、いい。
■ 李白、王維、包佶、趙驊、ら詩人の友がいたということは何よりで、
 彼の人生は豊かなものだったと思う。
  • 王維「送秘書晁監還日本国竝序」(『全唐詩』巻127より) (sakura.ne.jp)
  •   送秘書晁監還日本 王維
  • 積水不可極 安知滄海東
  • 九州何處遠  萬里若乘空
  • 向國惟看日  歸帆但信風
  • 鰲身映天黑  魚眼射波紅
  • 郷國扶桑外  主人孤島中
  • 別離方異域  音信若爲通
  •  
  • 包佶「送日本国聘賀使晁臣卿東帰」
  • 趙驊「送晁補闕帰日本国」

  • 仲麻呂「銜命将辞国」
    • 銜命将辞国、非才忝侍臣、
    • 天中恋明王、海外憶慈親、
    • 伏奏違金闕、騑驂去玉津、
    • 蓬莱郷路迷、若木故園隣、
    • 西望懐恩日、東帰感義辰、
    • 平生一宝剣、留贈結交人、
  •  

2022年8月6日土曜日

かささぎの橋

鵲の橋

■ 幾つか拾ってみた。
  • 振り放さけて三日月見れば一目見し人の眉引思ほゆるかも(6-994)
  • 世間は数なきものか春花の散りのまがひに死ぬべき思へば(17-3963)30歳
  • 春の苑紅にほふ桃の花したでる道に出で立つ乙女(19-4139)
  • 物部の八十乙女らが汲みまがふ寺井のうへの堅香子の花(19-4143)
  • 石瀬野に秋萩しのぎ馬並めて小鷹狩だにせずや別れむ(19-4249)
  • 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鶯鳴くも(19-4290)
  • 我が屋戸のいささ群竹ふく風の音のかそけきこの夕へかも(19-4291)
  • うらうらに照れる春日にひばりあがり心悲しも独りし思へば(19-4292) 36歳 753-02-25
  • 新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや頻け吉事 (20-4546) 42歳、最終歌
■ 大友旅人
  • 験なき物を思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし(3-338)
  • 生まるれば遂にも死ぬるものにあればこの世なる間は楽しくをあらな(3-349
■ 年齢にもよるだろうが、
■  大友家持は父旅人と比較し線が細い感じだ。
■ 優しさがある。
■ それゆえか、貶められ不遇だった、とするのは適当とは思えないけれど、
■ 大友一族は当時の政争に巻き込まれたという感じか。
■ 家持は、武人で桓武天皇の延暦元年に、東宮太夫兼、陸奥按察使鎮西将軍として赴いた。
■ 同3年に中納言になり、同4年に亡くなっている。68歳 785-08-xx
■ ついでながら、薨ずる、とか「みまかる」という語がパソコンでは変換されなかった。
■ 家持は鷹を飼っていて、万葉集にも幾つか歌がある。
■ 小鷹狩りの小鷹は大鷹の雄で、雌より小柄で鶉などを対象にした。
■ さて、
  • かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける(新古620)  
■ 「鵲のわたせる橋」を現実の「宮中の御橋」とするようだが、
■ 宮中のことなど知らないことだし、大伴家持の心を推測することではなく、
■ 鵲の橋は、仰ぎ見る天の川として捉えたい。
  • あまのかわ ふりさけみれば かささぎの はしとわたして よはふけにける  // 遊水
■ 霜ということばから、
  • 月落烏啼霜満天
■ こんな漢詩も思い浮かべた。
■ カササギはカラスの一種で、ユーラシア大陸+北アメリカに広く生息する。
■ 水滸伝にも出てくる。喜鵲と言われ、縁起がいいので
  • 月落鵲啼霜満天
■ この方がよさそうにも思うが、どうかな、
■ 関係はないけれど。
  •  

2022年8月2日火曜日

天智天皇、秋の田の

  1.  皇室の系図一覧 - Wikipedia
  2. 天皇の一覧 - Wikipedia

  3. 乙巳の変 - Wikipedia

  4. 百人一首 001 天智天皇 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ - YouTube

  5. 新嘗祭 - Wikipedia

■ 昔の天皇の名前にどんな文字が使われていたのか

■ 「神」ついては先に書いた。

■ リンクした天皇一覧を見ると、淡海三船が選んだとされる天皇の名についての記述がある。

■ 百人一首関連で、天皇に関して多少取り上げた。

  • 天智天皇

■  「天」の文字が使われてい天皇は、

  • 38代 天智天皇

  • 40代 天武天皇

■ この2人だ。

■ 「天」という文字の意味からすれば、、エライ人という当時の評価だろう。

■ ただ、大化の改新の時の乙巳の変(いっしのへん)は暗殺だ。

  • 今昔物語・巻二十二・大織冠、始めて藤原の姓を賜はれる語 第一

  • 水滸伝・第二、・・・蹴鞠の話しがある。

■ こんな話を読むと、蹴鞠に関する印象が良くない。

■ まあ、いいか。

  • 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ 

  • わが衣手は 露にぬれつつ

■ 天智天皇がこの仮小屋で実際に袖を濡らしたかどうか、

■ また、この歌を自らが詠んだかどうかは別にして、

■ 率先して、

  • 田植え

  • 刈り取り

■ を神事として行う態度を示したのだろうと思う。

■ 農業は国の基本であるし、

■ 農業は自然に左右されるので、最高位の天皇が自ら神に祈ることになる。

■ このような意味で、この歌があっていいし、天皇が詠んだとしてよい。

■ 百人一首を選んだ藤原定家、即ち、藤原一族としても、

■ 天智天皇を先頭に置く考えは当然のこととしてあっただろう。