2021年11月11日木曜日

定家と俊成の表歌

 定家と俊成の表歌

 ■ 「表歌」は 「おもてうた」つまり代表作で、俊成・定家親子の自選の表歌はそれぞれ次の歌だ。

  • 藤原俊成 夕されば野辺の秋風身にしみて鶉なくなり深草の里
  • 藤原定家 こぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつつ
■ 俊成の歌は印象的な言葉遣いではないので読み飛ばされてしまうかもしれないが、・・・
■ 定家の歌の方は百人一首でよく知られている。
■ どちらも昔の歌をふまえて詠まれている。
■ だから彼らは自らの「表歌」としたのだろう。
■ この「だから」という意味は現代と彼らの時代ではまったく違う。
■ 現代では、昔の歌で記録に残っているものは研究されていて書籍やインターネット検索で容易に見られる。
■ ところが彼らの時代には、印刷技術がなく人が手で書き写さなければならなかった。
■ だから昔の歌を多く知っていること、即ち、知識は彼らの評価力という知性を支えていた。
■ 万葉集の歌も現代のようにかな交じり文で読んでいたわけではない。
■ 漢字で書かれていた。
■ 定家はそれを読み解いて自らの歌に置き換えた。
■ 単に置き換えたのではなく、自分たちのこととして歌っている。
■ 俊成の場合は必ずしも自分のことではないように思う。
■ 俊成は伊勢物語百二十三段・在原業平の歌をもとにし、
■ 定家は万葉集・笠朝臣金村の歌をもとにした。
■ 多くの人々が生きてきた。
■ 時の流れの中に人はいる。
■ そして歌が詠まれた。
■ 歌の心を詠み継いでゆくということは大切なことだ。
■ それが言葉であり和歌・短歌だと思う。
■ 自分なりに知ることで今の自分があり次の時代があるように思う。
■ これらの歌を読み、私は次の歌を詠んだ。
  • 藻塩焼き 心焦がして 来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪ろかも   遊水
  • 鶉鳴く 伏見の里の なごり今 地名に残る 深草の秋   遊水
■ 時は流れ、人がいなくなっても、心は言葉に残る。
■ 人は心を言葉として文字に込めるのだ。
■ 文字からその心を読み出し自分の歌にすることで理解が深まるかと思う。
■ また、それを読むことでどのように理解したかが分かる。
■ 俊成の歌の「秋」は「飽きる」の「あき」でもあった。
■ それは伊勢物語にさかのぼることで分かる。
■ 同様な意味の掛詞として「あき」を使い次の歌もできる。
  • 夏されば外の遊びもあきの風 さびしさ寄せる人もなき浜    遊水
■ 言葉を文字として定型にすることで、単なる音声として拡散し消えることがなくなり、
■ 覚えやすく記憶として残り易くなる。
■ 忘れても容易に音声として心を呼び覚まし考え感じることができる。
■ 誰にでも使える、定型という言葉の箱
  • 5・7・5・7・7
■ この31文字「みそひともじ」の歌の存在が日本の特徴といえるだろう。
■ 日本語とは何か、そのひとつが定型詩の短歌や俳句だ。