2022年7月31日日曜日

はつなつのかぜ

はつなつのかぜ

■ 昨日はカワセミ が5羽いて、
■ 写真を撮っていたとき、俄雨であやうくびしょ濡れになるところだった。
■ 激しい雨が、しばらく続いたので、木陰にいたが、どうしても濡れてしまった。
■ 今は夏、クマゼミの声が激しい。
■ 夏も春から突然変わるわけではない。
■ 春夏秋冬、季節は365日かけて、ゆっくり移ってゆく。
  • はつなつの かぜとなりぬと みほとけは
  • をゆびのうれに ほのしらすらし  会津八一
■ こうした歌ができればいいな、と思う。
  • 春過而 夏來良之 白妙能 衣乾有 天之香來山 // 持統天皇 万葉集
■ 先日、2022-07-28、紀伊国屋で、馬場あき子の「百人一首」を買った。
  • 春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天の香久山
  • この歌を読みながらふと思うのは、「春過ぎて」と初句はなぜ必要だったのか、ということだ。「夏は来ぬ」ではじまっても一向におかしくはない。もし初句に比重をかけて読むなら、眼前にある鮮やかな光景を目にするにつけても作者の内面的な驚きは、むしろ知らないうちに「春は過ぎて」いたことにあったといえる。
■ こんなことが書かれていた。
■ 立ち読みして、買うの止めようかなと思ったが、他山の石にはなるだろう。
■ 初夏の短歌という意識で作ったことはないので、
■ 私はそのときどうなるか分からない。
■ 会津八一のように
  • はつなつの
■ という言葉を使えばよかったかもしれないが、
■ あるいは、持統天皇の時代には「はつなつ」という言葉はなかったのではないか、と思う。
■ 万葉集を調べてみたらいい。
■ とりあえず、古今集、新古今集。
■ 手元の、古今和歌集をみると「はつなつ」という言葉は、初句、4句には使われていないようだ。
  • 「夏は来ぬ」ではじまっても一向におかしくはない。
■ とするなら、どのようになるのか、作例をあげればいいだろう。
  • むしろ知らないうちに「春は過ぎて」いた
■ のではなくて、
  • 知らないうちに、夏が来ていた、ということだ。
  • 夏来るらし
■ 「らし」は「らしい」「ようだ」
■ いつの間にか夏になっていたようだから、
■ 「春過ぎて」と肯定せざるをえない気持ちだった、ということだろう。
  • [ 歌のこころ ]
■ を見て、馬場あき子は
■ 尾崎雅嘉著「百人一首一夕話」を読んでいないのかと思ったが、
■ 主な参考文献に記載されていた。
■ まあ、いいか。
■ 私が参考にした部分ではなく、別の所を参考にしたようだ。

*  *  *

■ 以前こんなことを書いていた。



2022年7月28日木曜日

小野小町、応援隊

小野小町、応援隊

  • 海人のすむ 浦こぐ舟の 
  • かぢをなみ 世をうみわたる 我ぞ悲しき // 小野小町
■ 人の歌を理解するためには、自分の言葉で詠んでみるのがいい、と思うが、
■ 人の歌の言葉そのものを伝えるには、本歌取りするしかないのかもしれない。
■ ここにあげた小野小町の歌は、やはり、上の句がよくない。
  • 伊勢の海 
■ とするのもひとつの方法だ。
  • 伊勢の海 浦漕ぐ舟の 梶を無み 世を倦み渡る 我ぞ悲しき // 小町・遊水
■ 応援隊、といってもひとりだけれど、とりあえず。
 
 

2022年7月27日水曜日

分かれ道、短歌と俳句、ドイツ語訳を追記、2022-07-28 +

分かれ道、短歌と俳句


■ 「瀬音」より、平成七年 、題「道」 

  • かの時に我がとらざりし分去れの片への道はいづこ行きけむ // 美智子

■ この歌は google での翻訳はうまくゆかなかった。

■ 「分去れの」という言葉が翻訳できないようだ。

■ 次のような散文にしてみた。

 

日本語英語、google 翻訳
 
  • あの時に
    私が選ばなかった
    もうひとつの道は
    どんな人生だったろう

 
  • At that time
    I didn't choose
    Another way is
    What kind of life was it

     

 

■ 選択しなかったもうひとつの道、即ち、もうひとつの人生が気になるということは、

■ これでよかったのかという一抹の寂しさを感じたのではないだろうか。

■ この歌をみて、私の言葉で俳句にした。

  • わかれみち むこうのみちは どんなあき 

■ 俳句のままでもいい。

■ 春でもなく、夏でもない「秋」という季節が気持ちを表すことになる。

■ 短歌にするため下の句を加えた。

  • ふとたちどまる ときぞかなしき // 遊水

日本語英語、google 翻訳
 
  • 分かれ道 
    向こうの道は 
    どんな秋 
    ふと 立ち止まる時ぞ悲しき

 
  • Forked road
    The road over there is
    What kind of autumn
    Suddenly when I stop, I feel sad

     

 

■ 「向こうの道」が訳しにくいようだ。

■ 「ふと」という言葉は文字数を合わせるためにいれた。

■ なにかの時にそんなことを感じることがある、ということだ。

■ 英訳としては、気に入らないが、まあ、いいか、・・・

■ 他の歌にすることもできるかもしれない。
■ 日々何らかの選択をして生きている。

■ おそらく、違いはあれ、誰でも似たような気持ちになることがあるだろう。

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2022-07-27 追記

ドイツ語英語、google 翻訳
  •  
  • Damals,
    als Ich mich
    an der Weggabelung befand
    und die eine Richtung wahlte,
    wohin hat wohl jener Weg gefuhrt,
    den ich nicht beschrichtten habe?
  •  
  • At that time,
    as I myself
    was at the fork in the road
    and chose one direction
    where did that path lead to
    which I have not written about?

 

 

■ これでいいのだろうか。

■ 例えば、

  • 多和田葉子

■ 彼女だったらどう訳すだろうか。

■ 2022-07-28 +

■ このサイト↑に訳詩があったので、もう一度

 

ドイツ語英語、google 翻訳
  •  
  • Damals, als ich mich
    an der Weggabelung befand
    und die eine Richtung wählte,
    wohin hat wohl jener Weg geführt,
    den ich nicht beschritten habe?

  •  

  • Back then when I
    was at the fork in the road
    and chose one direction
    where did that path lead to
    that I haven't walked?

 

■ 以前も見たような気がして調べてみた。

■ このあたりで、何か、ごちゃごちゃ書いていた。

 

日本語ドイツ語、google 翻訳
 
  • あの時に
    私が選ばなかった
    もうひとつの道は
    どんな人生だったろう

 
  • Zu dieser Zeit
    Ich habe nicht gewählt
    Ein anderer Weg ist
    Was war das für ein Leben

 

 

2022年7月25日月曜日

花さそう、について、もう一度

  1. 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり  // 百人一首 096 入道前太政大臣
  2. 花さそふ比良の山風ふきにけり漕ぎゆく舟のあと見ゆるまで  // 後鳥羽院宮内卿
■ どちらが先に詠まれたのか、と気になったが、・・・
  • 入道前太政大臣 藤原公経、西園寺公経  1171‐1244 年
  • 後鳥羽院宮内卿 生年没年不明
■ 入道前太政大臣の歌は最初読んだときから言葉の続きがおかしいと気になった。
■ 「花さそふ」という言葉にこだわりすぎている感じだ。
■ 「花さそふ」について、比較すると、後鳥羽院宮内卿の方がよい。
■ 入道前太政大臣の歌は次のようにすれば「花さそふ」という言葉はなくなるが、
■ 分かりやすくなる。
  • あらしふく にわのさくらの ゆきならで ふりゆくものは わがみなりけり // 遊水
■ 意味的には、
  • 桜の花が、花吹雪、雪となって降っている。
  • その雪ではないけれど、私も古り、年老いてしまった。
■ こんな感じだろう。


2022年7月19日火曜日

戦なき世

 戦なき 世は望まれど 今日もまた 武器が欲しいと 言いつのる人  

2022年7月13日水曜日

心なき身にも無念は知られけり

  • 心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ  西行 新古今362
  • 心なき身にも無念は知られけり 射殺されたる人を思えば  遊水

2022年7月4日月曜日

山辺赤人は馬に乗っていた。田子の浦にうち出でてみれば

山辺赤人は馬に乗っていた

■ 万葉集に様々な植物や動物が歌われている。
■ 馬も出てくる。
■ 日本書紀 巻第二十九、天武天皇、に
  • 婦女乗馬 如男夫 其起干是日也
■ とあり、いわゆる万葉の頃は
■ 馬はたくさんいて、移動手段として、馬がよく使われたと思われる。
■ これは、百人一首の歌を読むときにも知っておくべきことだ。
■ 以前に、何度も取り上げたが、
■ まとめの意味でもう一度、取り上げておこう。
  •  田兒之浦從 打出而見者 眞白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留
  • たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにぞ ふじのたかねに ゆきはふりける
  •  
  • 水際まで 駒打ち駆けて 見返れば 富士は真白に 立ちにけるかな   橋本遊水
  • みぎわまで こまうちかけて みかえれば ふじはましろに たちにけるかな
■ 複合動詞にこんなのがある。
  • たち・いでて
  • うち・いでて
  • こぎ・いでて
  • わき・いでて
■ 一番分かりやすいのは、舟を漕ぐだ。
■ うち・いでる、は馬に鞭を打ち走らせることだ。
■ 万葉集の原文を見れば
  • 打出
■ となっている。
■ 2022年の現代において、日本では、移動手段として馬は使われない。
■ 従って、馬に関する意識は低いか、ほとんど無いのが現状だろう。
■ たとえば、中西進のように
  • 田児の浦を通って出て見るとまっ白に富士の高嶺に雪が降っていたことだ
■ こんな、つまらん認識になる。
■ 馬に鞭打つイメージがあれば、
■ かなり動的に、駿河湾に向かって馬を走らせる様が映画のように目に浮かぶ。
■ 青い海に向かって、水際まで走らせ
■ 馬に乗ったまま、振り返ってみると、
■ 真っ青な空に、真っ白な富士山がドーンと立って見えるのだ。
■ まあ、そういうことでしょう。
■ だから、この歌は好きだ。
■ アニメにすれば山辺赤人の感動が伝わってくるように思う。

2022年7月2日土曜日

虢国夫人遊春図に描かれている楊貴妃

虢国夫人遊春図に描かれている楊貴妃

 
■ 虢国夫人遊春図の虢国夫人はどの人か
■ 多くの人が書いているようだが、
■ これは事実をひとつづつ見てゆけば簡単に分かる。
■ しかし、この図の主題について書かれていないような感じだ。
■ それは、題名が「虢国夫人遊春図」とあるからで、
■ 無理はないかもしれないが、
  • ■ 主題は彼女ではなく、楊貴妃だ。
■ これもすぐ分かる。
■ では、なぜ題名が「虢国夫人遊春図」かという疑問が出てくる。
■ 絵としては寸詰まりのような気がするからだ。
■ 右端にもう少し何かが書かれていたのではないかと思うが
■ これについては今のところ何とも言えない。
■ さて、
■ 楊貴妃の時代は日本で言えばどの時代になるのか。
■ 遣唐使は菅原道真の建議以降中断している。
■ 百人一首で
  • 阿倍仲麻呂の歌は、7番目
  • 菅原道真の歌は、24番
  • ■ 古事記は玄宗皇帝即位の年に作られている。↑
■ 虢国夫人遊春図を見ると髪型などが身分によって決められていたようだが、
■ 日本では天武天皇のころに決められていたようで、
  • 女の40歳以上のものは髪は結い上げてもいいし、結い上げなくてもいい
  • 巫女や神官は神は結い上げなくてもいい
■ などとある。
■ また、
  • 婦女が 男子のように馬に乗るようになったのはこの日からである
■ と日本書紀・巻第29、にある。
■ 要するに馬がたくさんいた、ということになる。
■ そして、
  • そもそも政治の要は軍事である。
  • それゆえ文武官の人々は、務めて武器を使い、乗馬を習え。
  • ・・・
  • もし違反し、馬・武器に不都合なところがあり
  • 装備にかけるところがあれば、親王以下諸臣に至るまで、みな処罰する。
■ とある。
■ いわば皆兵制だ。
■ 唐の時代に関心を寄せるのもいいが、
■ 日本の同時代にも興味深く感じる。