2016年12月31日土曜日

去年今年、この季語は大晦日に使う方がいい



■ 12月、あるいは、大晦日に使うと、・・・
■ 去年一年と今年一年、というような時間が意識できる。
・・・
■  2017-01-02 追記
■ この句自体の良しあしとは別に、・・・
■ 1月1日に、この句を読んでみると、違いがよく分るだろう。

2016年12月24日土曜日

氷の鳥、と、鳥の色、異国では氷の鳥と呼ぶそうな雪降る枝に翡翠の色

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いこくでは こおりのとりと よぶそうな ゆきふるえだに そにどりがいる

■ こんな短歌を作ったけれど、・・・
■ 少し、変えてみよう。
■ 例えば、・・・
  • 雪降る枝に翡翠がいる ・・・ これが原型だった。
  • 雪降る枝に翡翠がい ・・・ それからどうした。
  • 雪降る枝翡翠のさま ・・・ こうすると、観察しているような感じにもなる。
  • 雪降る枝の翡翠の色
■ ・・・ 色彩故に、雪の白、鳥の青、と、視覚的印象が鮮明になる。
■ カワセミを知らなければ、意味はないけれど、・・・
■ ここで、ちょっと、どれがいいと思う、と訊いてみた。
  • 色、がいいんじゃない、・・・
  • 綺麗だから
■ ・・・、と、まあ、そういうことではないか、分かりやすい。
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いこくでは こおりのとりと よぶそうな ゆきふるえだの そにどりのいろ
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■ カワセミ、と呼ぶのもいいけれど、まあ、私の好みとしては、・・・
  • そにどり
■ ・・・、かな。
■ カワセミはカメラマンには人気のある鳥で、・・・
■ 近くの、あちこちの池にいるものだから、・・・
■ 私も、よく、撮影する。

2016年12月21日水曜日

風呂のふた開けて冬至と知りにけり

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■ この句を作ったときほど意識していないけれど、・・・
■ 毎年、こんな感じだ。

いこくでは こおりのとりと よぶそうな ゆきふるえだに そにどりがいる

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カワセミ 雪 2017-02-08 追加


■ 大阪、都市部では、雪があまり降らないので、撮る機会が少ないけれど、・・・
■ 雪とカワセミの写真はたくさん撮られている。
■ 私も、幾つか撮っているような気がする。
■ ヨーロッパなどで、雪が降る所では、もっと多いかもしれない。
■ 翡翠の呼び名は、意味的に幾つかある。
  • 日本やチャイナーの場合は、「色」
  • 英語やフランス語では、「漁」、生態
  • オランダ語やドイツ語では「氷」、生息環境?
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異国では 氷の鳥と 呼ぶそうな 雪降る枝に そにどりがいる



2016年12月13日火曜日

水中花、の句

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■ たまたま、tripitaka から、水中花に関する頁を書くことになった。
■ つまらん句ながら、いくつか俳句も作った。
■ つまらん、といっても、どれかひとつくらい自分の記憶に残るかもしれない。
  1. この夏も これで終わりか 水中花   遊水
  2. この恋も これで終わりか 水中花
  3. あの人と これで終わりか 水中花
  4. アイツとは これで終わりか 水中花
  5. あの娘とは これで終わりか 水中花
■ ・・・
  1. キスもせず あれもしないで 水中花
  2. こちらから 言い出せなくて 水中花
  3. どのように 花が開くか 水中花
■ そのうち、また、作ってみよう。
■ 駄句の山 なお累々と 重ねつつ
  • あの頃の 記憶に残る 水中花



2016年12月10日土曜日

山茶花、の、句

■ 山茶花の俳句は幾つか書いている。
■ 例えば、・・・
  • さざんかや わがすむまちが ここにあり  
■ この句はいつ頃作ったかは分かっている。
■ 自分のホームページ、ブログのどこかにも書いたけれど、・・・
■ どこだったか、・・・
■ あまり作っていない。
■ 今日、こんな頁が閲覧されていた。
■ ここにも、つまらん句で、覚えてなかったけれど、・・・
■ 山茶花、があった。
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■ 2016-12-11、追記した。

2016年11月29日火曜日

わかれみち むこうのみちは どんなあき

■ ・・・
■ ・・・
  • 分かれ道
  • 向こうの道は
  • どんな秋
  • google翻訳
  • A parting road
    The way over there is
    What fall
■ ・・・
■ 紅葉も色々ある。
■ 「秋」も色々ある。
■ そのように、人生も色々だ、ということ、・・・
■ この俳句での「秋」は季節や自然としての秋ではなく、比喩的に用いている。
■ 秋という言葉を用いたのは、秋という季節に感傷的な感じがあるからでもあるし、・・・
■ 俳句では季語が必要だからだ。
■ ・・・
■ これらの時期にどんな感じを抱くのか、・・・
■ 俳句は詠み読まれるもので、・・・
■ 皆が体験する季節、すなわち、同じテーマに関して、・・・
■ 自分は何を感じ、どう表現するか、ということだ。
■ どのような言葉で表現するか、・・・
■ ・・・
■ それぞれの人生を逆に秋として表現した、ということか、・・・





2016年11月22日火曜日

さりげなく 扇子を使い 嫉妬心 

■ こんな頁を書いた。
■ 俳句は、一つの作品だから、・・・
■ 自分のコトから離れて、・・・
■ 例えば、ここでは、・・・
  • 嫉妬心
■ こんなコトに関する俳句はどう作るのか、というコトだ。
■ それで思い出したけれど、・・・
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しらゆりの しっとにくるうた においかな




■ こんな句を作ったことがある。
■ そして、・・・

2016年11月19日土曜日

白帝城、に関して、また、書いてしまった。

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■ こんな頁が閲覧されていた。
■ それで、以前、こんな4行詩を書いていた。
■ ・・・、と、また、引用したけれど、・・・
■ 同じものが何度もあると煩わしいので削除した。2016-11-20
■ 以前も、何か書いたような気がして検索すると、・・・
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■ これだ。
■ 思いついたとき、すぐ、書くので、・・・
■ 以前、書いたことと同じようなことになることがしばしばある。
■ 適当な時に整理するのがいいのだろう。

2016年11月18日金曜日

昔作った俳句

■ この頁に、昔作った俳句の頁へのリンクを付けた。

2016年11月12日土曜日

ジェームズ・カーカップに関して

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■ ジェームズ・カーカップに関して、このブログでも書いたことがある。
■ もう少し、きれいに、まとめた方がいいだろうが、・・・
■ まとめの手掛かりになるのかな、と思い、・・・
■ これをリンクした。
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■ 言葉はそれぞれ異なる。
■ しかし、共通するコトも多いだろう。
■ 単に、翻訳、解釈するだけでなく、・・・
■ 自分の言葉で、詩として作り直すことが重要だと思う。
■ その過程で、・・・
■ 違う部分、共通する部分が明らかになる。

2016年11月10日木曜日

ボーカロイドで聞く百人一首

■ 毎日更新していると、過去の頁は埋もれてしまう。
■ この「ことのは」は毎日更新していないので、・・・
■ 探すのが楽かもしれない。
■ ここにリンクしておく。
■ 詩歌を主にしたブログなので、ここにあった方がよい、という理由もある。
■ ボーカロイドで聞く百人一首
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■ ついでながら、・・・
■ これも「ことのは」にあった方がよいような気がしてリンクした。


2016年10月31日月曜日

「妻」という文字がある歌

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■ こんな頁が閲覧されていた。
■ 「妻」という文字がある。
■ これで、思い出した。
  • 非凡なる才もなければただ今の喜怒哀楽を妻と分かちて
■ こんな歌も作っていた。

2016年10月21日金曜日

百済観音、忘れていたけれど、・・・

■ 昔、こんな頁を作っていた。
■ たまたま、今、見つけた。

2016年10月17日月曜日

2016年10月14日金曜日

ジェイムズ・カーカップ、の、詩

■ こんな頁が閲覧されていた。
■ で、・・・
■ 氏名で検索すると、・・・
■ こんなのもあった。

2016年10月9日日曜日

歌は、詠むもの歌うもの

■ こんな頁を書いた。
懐かしいアルバム

2016年9月19日月曜日

いつかみた ならのうらまち うらどおり とおくむこうに やくしじのとう

杉本健吉、西ノ京(薬師寺)、1959年



訂正、やさしく、優しく、keyboard の話

■ 日本語キーボードでは「さ」と「そ」は隣りあわせだ。
■ で、間違った。
■ 「漢字変換」していれば、すぐ気が付いただろうけれど、・・・
■ 平仮名だけだと、誤りに気付かないこともある。

2016年9月18日日曜日

百済観音、会津八一、と、私

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■ こんな頁を書いた。
■ 百済観音の歌を作った。
  • みぎのてを やさしくそっと さしのべて くだらかんのん たちにけるかも
  • つまみもつ ゆびのかたちも かろやかに くだらかんのん たちにけるかも
■ で、逆に、・・・
■ 会津八一は、どんな歌を作っていたか、全集を開いてみた。
  • ほほえみて うつつごころ に あり たたす くだらほとけ に しく ものぞ なき   八一
■ なるほど、・・・
■ 百済観音に関する、・・・
■ 人それぞれの思いだ。


みぎのてを やさしく そっと さしのべて くだらかんのん  たちにける かも

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2016-09-15  日本経済新聞・十選

■ 百済観音の左の手については、以前、歌にしていた。
■ 今回は、百済観音の右の手だ。
■ 昨日、大阪城公園に行く電車の中で、作った。
  • みぎのてを
  • やさしく そっと
  • さしのべて
  • くだらかんのん
  • たちにける かも
■ ・・・


2016年9月17日土曜日

三体詩 3

■ こんな頁を書いた。

三体詩、と、新幹線、ふけゆく あきのよ たびのそらに

2016-09-15
■ 2016-09-15
■ 文庫本を一冊鞄に入れた。
■ 机の上にあった、三体詩、だ。
■ パラパラ頁をめくっていると、こんな詩があった。
  •   旅懐   杜荀鶴
  • 月華星彩坐来収
  • 嶽色江聲暗結愁
  • 半夜灯前十年事
  • 一時和雨到心頭
■ さて、難しい文字はない。
■ 意味的にも、だいたい分かる。
■ 詩を理解するとは、解説することでなく、・・・
■ 自分の言葉に置き換えた詩にすることだ。
■ ただ、これを四行翻訳詩にするには、・・・
■ どうだろう。・・・
■ まず、適当に、作って、また、そのうち見直すことにしよう。
  • つきのあかりは いつしかきえて
  • やまかげくらく かわおとかなし
  • よふけのあかり こしかたのこと
  • いちどにどっと あめふるおとに
■ 内容的には、よくあるコトだろう、・・・
■ 誰しも、独り、こんなコトをふと思うこともあるだろう。
■ 題の、・・・
  • 旅懐
■ まあ、万国共通の思い、ということだろう。
■ ↑、上に歌をリンクした。
■ 列車のなかで、・・・
■ 紙片に書き付けると、眠たくなった。


2016年9月15日木曜日

画像で見る俳句、2012-12-27に何をしていたのか

2012-12-27
■ たまたま、三体詩、に句があるのに気づいた。
■ 私の字だ。
■ 「梅林」とあれば「冬の園」は重なり、良くないと気付きすぐ訂正したようだ。
■ 平凡な句だ。
  • 2012-12-27
■ この日に何をしていたのか、振り返ってみた。
■ まず、・・・
■ 27,28 に写真を撮ってなかったのか、・・・
■ この日は、OLYMPUS  E-M5 を持って高町池あたりを散歩したようだ。
■ だから、野鳥撮影をする気はなかったのだろう。
■ このあたりには梅林はない。
■ しかし、モズはよく見かけるから、姿を見たのかもしれない。
■ ところが、このカメラは12-50mmのレンズだったから、・・・
■ モズは撮れなかったに違いない。
■ 高町池から、更に、千里南公園まで行ったのかもしれない。
■ ここには梅林がある。
■ モズがいてもおかしくない。
■ ところで、モズといえば、・・・
■ こんな動画を撮っている。
■ ここは梅林だ。
■ 尾羽を振る様が分かる。
  • 梅林に 尾を振るモズの 姿かな   遊水
■ ・・・
■ 成鳥だったら、尾羽はもっと長く、尾を振る感じはよく分かる。





2016年9月14日水曜日

ふたを開けると、音楽が聞こえてくるかもしれない。

■ こんな頁を書いた。
■ そして、・・・
■ リンクした。
  • 投げ返した理由
  • ■ 何かをきっかけに色々思い浮かべることはある。
    ■ 俳句の中に何かがあるからだ。
    ■ それに気づいたとき、人は何かを思いだす。
    ■ 言葉の中に、そして、俳句の中に、心が静かに眠っている。
    ■ 俳句は、小さな箱だ。
    ■ ふたを開けると、音楽が聞こえてくるかもしれない。
    ■ オルゴールのように。
■ 関連頁、下の方に、・・・

画像で見る短歌、東大寺

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2016-09-13  日本経済新聞・十選
東大寺大仏殿 - Wikipedia    東大寺大仏殿 の画像検索結果


東大寺・毘慮舎那仏
東大寺 大仏  画像
  いかにして このだいぶつを つくりしや そのプロジェクト おもいえがきて
東大寺・金剛力士
  いくたびか たずねきてみる におうぞう そのぞうけいの たくましきかな

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2016年9月10日土曜日

画像で見る短歌、阿修羅 2

  きんぱつに あおいめをもつ あしゅらぞう ふくげんされて ならのちにあり

○ くちびるを かみしめきっと にらみたる あしゅらのみぎの そのかおぞよき

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  • 唇を かみしめきっと 睨みたる 阿修羅の右の 顔ぞよきかな
■ 意味的には次のような区切りになる。
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■ 
  1. くちびるを かみしめきっと にらみたる あしゅらのみぎの かおぞよきかな
  2. くちびるを かみしめきっと にらみたる あしゅらのみぎの そのかおぞよき
■ 1、2、の違いは「黄色」の部分だ。
■ 「 2 」の場合は、・・・
■ 「あしゅらのみぎの」で切れる感じだ。
■ 即ち、・・・
  • くちびるを かみしめきっと にらみたる 
  • あしゅらのみぎの 
  • そのかおぞよき
■ 「 1 」の場合は、・・・
  • あしゅらの
  • みぎのかお
  • ぞ よきかな
■ 「右の顔」と続くような感じだ。
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2016年9月9日金曜日

画像で見る短歌、阿修羅

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2016-09-09  日本経済新聞・十選
■ 日本経済新聞・十選、あおによし・奈良への憧憬
■ 今日の1回目は阿修羅だった。
■ 以前、奈良まで行った。
■ その帰りの電車の中で、書き付けたのだろう。
  1. 唇を かみしめきっと 睨みたる 阿修羅の右の 顔ぞよきかな
  2. ふりぬれど おさなきほほの かたちして まゆねよせたる あしゅらかなしも
■ こんな歌が書かれていた。
■ これらは、・・・
■ ・・・、にあるはずだと思い見直すと、・・・
■ 少し表現を変えているのが分かった。
■ なるほど、そうだったのか、と人の短歌のように読んだ。
■ もう、ずいぶん前の話しだ。



2016年9月8日木曜日

朝顔の俳句、後、と、跡

■ こんな句ができた。
■ 俳句として、いい句だとは思えないけれど、・・・
■ 種の違いにもよるが、・・・
■ 朝顔の(咲いて、すぐ萎む)特性が詠まれている。
  • ASAGAO  GA
  • HIRAITA
  • ATO  NO

  • AME  NO
  • ATO
■ ・・・
  • 朝顔が 開いたのちの 雨の跡
  • このようにも読める。
■ 「が」を「の」にかえると、・・・
  • 朝顔 (開いた後の) 雨の跡
  • 朝顔の雨の跡、という意味にも捉えられる。

懐かしく見た、睡蓮の歌

■ こんな頁が閲覧されていた。
■ ついでに、・・・
■ この頁を、懐かしく見た。

2016年9月1日木曜日

画像で見る短歌

■ ブログ「春の風」の、こんな頁が閲覧されていた。
■ これと同様の方法で、例えば、短歌の意味を知ることができる。
■ こんな頁が閲覧されていた。
■ この時、他の頁も含めて、アクセスがあったのは、次の国からだった。
  1. 日本
  2. アメリカ合衆国
  3. フランス
  4. エジプト
  5. ウクライナ
■ おそらく、日本語に関心のある人がアクセスしたのだろうけれど、・・・
■ 果して、どのように理解されたのか、ちょっと、気になった。
■ ・・・、というのは、ひらがな表記だからだ。

  1. いかるがの すらりとたかき みほとけを いこくのひとも そばでみており
  2. いかるがの さとにといきて みあげたる くだらほとけの ほそきこしかな
  3. つまみもつ ゆびのかたちも かろやかに くだらかんのん たちにけるかも
  4. きんぱくの はがれおちたる こうはいを ささえるくろき たけのふしかな




  1. そのころは ひかりかがやく たまむしも いまはくちはて くろずみにけり
  2. そのずしを かざるがために いくひきの たまむしとりて むしりたりけん
■ 日本人であれば、ことばがき、で分かると思われるが、・・・
  • 詞書(ことばがき)
  • 和歌で,その歌を作った日時・場所・背景などを述べた前書き。題詞。序。端書き。
■ 日本人でなければ、或は、日本人であっても知らなければ理解しにくいかもしれない。
■ 実物を見た方がいいだろうが、・・・
■ 画像で見ると分かりやすいかもしれない。




2016年8月31日水曜日

無處不傷心、と、ランボー「無疵な心」

■ こんな頁が閲覧されていた。
  • 2016/08/31
  • 唐詩選に次の五言絶句がある。
  •       題慈恩塔  荊叔
        漢国山河在 秦陵草樹深
        暮雲千里色 無處不傷心

    これを読んで、二つの詩を思い出した。前半から杜甫、後半からランボーである。ランボーの詩は
    季節よ城よ無疵な心がどこにある (ランボー)
    である。原詩は知らないが、この翻訳はうまい。実にうまい。「無疵な心」には感心した。訳者は小林秀雄ということだが、彼は荊叔の詩を知っていたのだろう。翻訳するとき「無處不傷心」の部分がふっと浮かんできたかのようである。反語的な表現がよく似ている。そっくりである。このように訳されると、あたかもランボー自身が知っていたかのようである。
■ 「原詩は知らないが」、などと書いている。
■ そうか、今まで調べたことがなかった。
■ 取りあえず、・・・
■ 今日は探鳥に行き、・・・
■ また、後でゆっくり見てみよう。
■ 例えば、↓、こんな感じで、秋の渡りは11月初めまで続き、・・・
■ その後は、冬鳥の季節なので、・・・
■ いつになるか分からんが、・・・



2016年8月29日月曜日

不器用に 友も作らず 生きてきた 時々妻と 喧嘩しながら

■ 今日は台風の影響で悪天候だ。
■ 散髪などに向いている。
■ 家を出て、傘をさし、バスに乗り、行った。
■ 傘を見ると、「耐風」などと書かれている。
■ なんなんだかねえ、・・・
■ 台風に、耐風か、ぼんやり外を見ていると、・・・
■ ひとつ歌ができた。
  1. 俳句の575
  2. 短歌の57577
  3. 都都逸の7775
■ このような詩形は、昔から、日本人に馴染みだ。
■ だから、・・・
■ 日本人なら、辞世のひとつも、詠めなきゃダメだよ、などと言ったこともある。
■ まあ、それが素養というものだろうけれど、・・・
  • そんなもの どういでもいいさ あきのかぜ
  • ひところは じせいのうたと おもうたが どうでもいいさ あきのかぜふく
■ と、いうことかな、・・・
■ 歌は、こころが言葉となり口から出てくるだけで、・・・
■ 無教養の豊臣秀吉でも、・・・
  • 露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢
■ まあ、その時、そう思ったのだろう。
■ それで、どうした。
■ そんな人生、つまらんと言えば、つまらないが、・・・
■ 歌というのは内容ではない。
■ 形であり、言葉なのだ。
■ つまらんというなら、ひとつ詠んでみろよ、ということになる。
■ いい歌を作ろうなどすると、なまじ知識が邪魔をする。
■ それに、・・・
■ 私の場合は、天下を目指したわけでも、何に、なったのでもないのだから、・・・
■ つまり、そんな心などないのだから、そんな歌が出てくるはずもない。
■ 平凡なのだ。
■ で、・・・
  • ぶきように とももつくらず いきてきた ときどきつまと けんかしながら
■ バスの中から雨にくもった外を眺めているとこんなコトになったのだ。
■ 時々?、・・・
■ しょっちゅうじゃないの、・・・
■ まあ、歌だから、いいじゃないかよ、時々で、ということだ。





2016年8月24日水曜日

関連する写真、青花の壺

■ こんな頁が閲覧されていた。
■ これで思い出したが、・・・
■ 関連する写真の頁があったはずだ。
■ あとで、探してみよう。
■ これだった。


たんころりんの歌



■ 「たんころりんの歌」は、国会図書館とか、幾つか、図書館にあると思われるが、・・・
■ 作ったのは80部だ。
■ 当時の包装紙のまま、手元にも数冊ある。
■ もともと、一周忌の記念として、ごく個人的なモノのつもりだったが、・・・
■ 今読み返して、ひとつの時代の記録かと思う。
■ 例えば、・・・
  • エンディバー初雪の日に帰還せり   節夫
■ 世に、こういう俳句は、あまり、見ないような気もする。
■ で、このブログで公開しようか、と思う。
■ 取りあえず、・・・
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2016年8月6日土曜日

朝顔や 蔓は虚空を 掴まんと

■ ようやく、今年も咲いた。

2016年7月26日火曜日

2016年7月21日木曜日

篆刻、の、コト

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漢詩、篆刻

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照る紅葉 二月の梅に 勝りけり
 
  •    山行 杜牧
  • 遠上寒山石徑斜
  • 白雲生處有人家
  • 停車坐愛楓林晩
  • 霜葉紅於二月花
■ 以前は、よく、こんなことをしていた。
■ 文字も書いたが、書き直したい。



 

白帝城に関する詩、と、篆刻

■ これ、あなたが買ってきた本でしょ、・・・
■ 見ると、白帝城の詩だ。
■ なるほど、・・・
■ しかし、篆刻の文字って、色々勝手に書くもんだ。
印譜
 

kiss、関連

■ こんな頁が閲覧されていた。
■ で、色々書いたモノもあったような気がして「夏の光」の「分類」を見てみた。
■ これだ。

2016年7月17日日曜日

燈花

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白帝城に関する詩

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■ NHKラジオ番組に「漢詩をよむ」がある、ようだ。
■ 漢詩やってるよ、とうちのモノが言う。
■ これに関しては、私も、李白の詩を素に4行詩を書いていた。
  • あさやけのころ ふなでして
    そのひのうちに かえりつく
    きしべにさわぐ さるのこえ
    たちまちとおい かわくだり
  •   早發白帝城  李白
  • 朝辭白帝彩雲閒
  • 千里江陵一日還
  • 兩岸猿聲啼不住
  • 輕舟已過萬重山
■ この詩の他にも白帝城に関する詩をあげていたようだ。
■ 後で見てみよう。
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■ ついでに、・・・



2016年6月10日金曜日

はまなすの はながさくころ にほんかい

■ ・・・

あのひとは とうになくなり なつのうみ

■ ふと、こんな句が浮かんだ。
■ だから、どうだった、ということではないけれど、・・・

2016年6月7日火曜日

いつのひか おぼえてないが あかとんぼ

■ 俳句同人誌が届いた。
うろこ、No.41   (クリックすると拡大する)
うろこ発行所

2016年6月6日月曜日

昔のある日を、拾ってみた

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  (発想の転換

O, the loneliness --
not knowing how all the days
go drifting away --
A cicada still chanting
in summer of long ago
過ぎてゆく日日のゆくへのさびしさやむかしの夏に鳴く法師蝉   斎藤史
 

さびしさや ときはかなたに すぎてゆく ただセミがなく とおいひのなつ   遊水
淋しさ や 時は彼方に 過ぎてゆく ただ 蝉が鳴く 遠い日の夏

関連サイトB

■ 更新した。

祭り、で、思い出した歌

■ こんな頁が閲覧されていた。
  • 俳句、向こう岸  2015/09/03
  • ここに、・・・
    湖の向こうの村の秋祭り  遊水
■ この句の「祭り」からちょっと、・・・
■ あれはどんな歌だったかな、と開いてみた。
■ ふうむ、・・・

ケリの写真、や、オオルリの動画

■ 写真に、俳句をLyncした。
■ 「おいおきろ」には幾つか野鳥がいる。
  • おいおきろ れっしゃのまどに ゆきげしき
    ひんやりと ひたいにははの あたたかさ
    てのひらに みつぶ ひとりの かぜぐすり
    ゆきのよも うたはこころを つなぐから
    ああそうだ いつかまよって じんちょうげ

    はるのひは のんべんだらりと すぎゆくか
    しんりょくや こんなちかくに あおいとり
    こうえんの すざいはこびの ことりたち
    ここちよい かぜのきせつと なりにけり
    ケリとんで さなえにかぜの わたりゆく

    たにこえて こっちにきたか ホトトギス
    あれよあれ あれじゃわからん なつのかぜ
    ひさしぶり であったひとと アオバズク
    あのひとの おもいでとおき アオバズク
    こうすいの ほのかにきせつ うつるかな
■ 野鳥の写真はたくさん撮っている。
■ ここに詠まれた鳥たちの写真もある。
  • 青い鳥 オオルリ、コルリ、ルリビタキ
  • 巣材運びの小鳥 エナガ、ハッカチョウ、他
  • ホトトギス
  • アオバズク
■ 「こんな近くに青い鳥」は、・・・
■ 参考



2016年6月4日土曜日

「や」、「けり」

■  こんな頁が閲覧されていた。
■ こんな俳句を作ったのはまずかったが、・・・
■ これについては、この頁、↑、にもリンクした。
■ ↓、この頁にも書いた。
■ 「や」、「けり」をひとつの句の中に使うのは「ダメ」なのだ。
■ しかし、短冊にまで書かれてしまうと、・・・
■ もはや、手遅れなのだ。
■ しかし、直せないかな、とも思ったが、・・・
  • 山茶花や
■ この上5を変えるしかないのだろうが、・・・
■ どうも言葉が浮かばない。
■ 気持ちとしては、強調したいわけではなく、むしろ、曖昧な感じなのだ。
  • 山茶花、か、・・・
  • 山茶花か 次の言葉に 迷いつつ
■ こんな感じなのだ。

2016年6月3日金曜日

歌、と、碑

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■ 吹田市・南千里の碑   ■ 会津八一


■ こんな頁が閲覧されていた。
■ この碑は、「会津八一全歌集」・中央公論社、に写真があるが、・・・
■ 私が見たのは、春日大社・万葉植物園?だった。
■ 撮った写真も、どこかにあるはずだが、・・・ 
■ それは、まあ、いい。
■ 碑は、書として、歌として、拓本にとられることを前提にしているので、・・・
■ 掛け軸に仕立てるのに適した大きさになっている。
■ 今、勝手に拓本をとることはできないのかもしれないが、・・・
■ 会津八一としては、・・・
■ どんどん、拓本を採ってもらいたかったのではないか、という感じだ。
■ 書として、本人も気に入っていたのだろう。
会津八一




2016年6月2日木曜日

俳句、短歌、のコト

■ 俳句や短歌、いわゆる詩歌として、意識して作っている訳でなく、・・・
■ 単に、文字数の上では、
  • 俳句 5・7・5
  • 短歌 5・7・5・7・7
■ こんな感じのモノ、疑似俳句、疑似短歌、は沢山作っている。
■ 言葉使いに馴れるためだ。
■ こんなモノだけれど、・・・
■ 中には、俳句として、取り上げていいのもあるような気もする。
■ 例えば、・・・

2016年5月25日水曜日

あの娘の笑顔

 こんな頁が閲覧されていた。
■ そして、今、気付いたのだが、・・・
  • いちねんすぎて おもいだす
  • みんなのえがお はなのした
  • けれどもみんな もういない
  • ただはるかぜと もものはな 
  • 去年今日此門中
  • 人面桃花相映紅
  • 人面不知何處在
  • 桃花依舊笑春風  題都城南荘  崔護
■ こんな風にしていたけれど、・・・
■ この漢詩については、・・・
■ 後日、次のように改定していた。
  • いちねんすぎて おもいだす
    あのこのえがお はなのした
    けれどあのこは もういない
    ただはるかぜと もものはな   遊水
■ 追記、2016-06-02
■ 記憶力低下の表れだ。


2016年5月13日金曜日

こいおもう よしいいさむも たくぼくも それぞれのとち それぞれのかわ

■ なんか、うまく書けないが、・・・
■ この時は、こんな文字しか書けない状態だった、ということか、・・・
■ 下手でも、なんでも、時々書いてみんとアカンわ、・・・
■ だんだん、下手になる。
■ 昨日の朝、出かける前に書いたが、バスの時刻を気にしながらではよくない。
しらかわの ながれにそいて いしだたみ あゆみとどめて いしぶみをよむ   遊水



2016年5月9日月曜日

昔の俳句の整理

■ 「関連サイトA」の、・・・
■ ・・・、から、
■ 次のモノを複写した。
■ そのうち、見直すことにしよう。
  1. 駆けて行く
  2. 空を見ていた
  3. おいおきろ

2016年5月8日日曜日

かけてゆく きみのむこうに なつのうみ

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■ こんな頁を書いた。
■ 単なる連想で、直接関係はないが、・・・
  • 「これっきり」
■ こんな言葉のある歌を聞いた。
■ そして、その歌の中に、・・・
  • 駆、海
■ こんな文字があった。
■ 以前、母が言っていた。
  • うちから、水着のままで、すぐそこの海まで駆けて行った。
■ そんなことを思い出して、作った俳句だった。
■ それを、本に書き付けていた。

桐の話

桐の話
                               
   花の肖像画《 ボタニカル・アート

植物学的細密画をボタニカル・アートという。
植物を意味するボタニという言葉の響きがよくないせいか、
あまり一般的でなかったようだが、
教育テレビで「植物を描く」講座が放送されテキストが販売される等して、
興味をもつ人も多くなってきたのではないかと思う。
俳句を始めて植物の本も見るようになった。
佐藤達夫「花の画集a、b」(ユーリーグ社 : 1995.6)を時々開いて見る。
ボタニカルではないが、
伏原納知子の「四季の花のスケッチ」(講談社 : 1995.3)も楽しい本である。
写真がなかった頃は植物を絵で記録した。
標本の代わりの絵、説明するための絵であったが、
観賞する絵としても、写真にはないよさがあり、いいものである。
雑誌「サライ」のVol.8  No.19から新連載「百花物語」が始まった。
この瀬戸照の絵も美しい。
絵画といえば、例えばゴッホのように、
個性が尊重され、それがなければならないかに思われている。
人の心やとらえ方を絵に表現する、それが芸術性だと。
確かに個性的な絵画はそれなりのよさがあるが、
いま私は、例えば、ゴッホの絵などには殆ど興味がわかない。
ただ、原雅幸の描く風景画、画集でしか見たことはないが、
確固とした存在そのものである静かな絵に心ひかれる。
俳句でも作者臭のない作者から自立した、
けれん味のないあっさりした句がいいと思う。
自然そのものに人が感じる美があり、不思議がある。
ボタニカル・アートに美的、知的魅力を感じるのも
それにいくらか共通するものがあるような気がする。

   ロシアの王女《 ポロウニア

以前、アメリカ(カナダ?)で車を走らせているとき、
遠くの方にうすい紫の雲のように見えたが近付くと桐の花だった、
という文章を日経新聞で読んだとき、
日本のパスポートの表紙の図柄にも使われていた桐、
「七五の桐」「五三の桐」など紋章にも使われている桐だから、
日本の樹だという認識だったので、軽い驚きがあったことを記憶している。
桐は大気汚染に強く都会や海辺でも育つそうで、
大阪市内にある、勤務先の工場の敷地内にも何本かあり、
私は毎日目にしていた。
そして、

  きりのはなみあげるころになりにけり
  遠くから目印にして桐のはな

と、桐を題材にした俳句などを作っていたので、
驚きとともに興味深く感じた。
そのとき、「桐」の英語名を確認のため和英、英和の順に辞書をひいた。
手持ちの辞書には簡単な記述があった。

paulownia : キリ(木の)。[ Anna Pavlovna ](ロシア王女)にちなむ

簡単すぎる記述であったため、
このアンナ・パブロウナとはいつの時代のどんな人で、
なぜこの人の名をつけたのか、
そして名付けた人は誰なのか、そんな疑問がわいたが、
何年かたった。
たまたま図書館で見た、
大きくてどっしりした本に名前を見付けたのは私としてはうれしい発見であった。
さっそく借りて帰った。

 □  桐に学名を付けた男《 シーボルト

ドイツ人 Philipp Franz von Siebold ( 1796-1866 )
長崎沖に着いたのは一八二三年八月八日で、
オランダ人になりすまして上陸したのは十一日のことであったそうな。
西欧人は香辛料や茶などを手に入れようと競って東洋にやってきたが、
代々医学で知られた家柄のシーボルトは
薬草など植物に興味をもって日本にやってきた。
そして、800を超す日本の植物を何人かの人に描かせ残している。
うち200図の印刷を企画し、
結局150図が「FLORA  JAPONICA」として出版され、一八七0年に完成した。
彼の死後のことである。
立派なボタニカル・アート(植物画)で桐の図も見られる。
当時、本の出版は一大事業であったことだろう。
この本「フローラ・ヤポーニカ(シーボルト日本植物図譜、講談社)」の献辞に
「オランジュ公夫人にしてロシア公爵出身、アンナ・ポウロウナ妃殿下に」とあり、
資金援助を受けたようである。
高く大きくたくさんの花を咲かせる桐、
その上品なうす紫の花の色、
シーボルトはその花に自分と一つ違いの女性アンナのイメージを重ね見たのか。
こうしたことを考えながら桐の絵を見ると、
花の肖像画という言葉が似合うのである。
こうして、シーボルトによって、桐の学名が付けられ、
西欧に伝えられたことを知り、
またボタニカル・アートが好きになり、
「花の肖像画」という言葉を見つけた
大場秀章著「植物学と植物画」(八坂書房)を買ってきたり、
「ボタニカルアートの世界」(朝日新聞社編)を図書館から借りてくるのである。

 □ 信じられない《 ピンからキリ

 「ピンからキリまで」とよくいう。
最低から最高まで、とか、初めから終わりまで、ということだが、
英和辞典で調べたあと「桐」を広辞苑で引いたとき、
「ピンからキリ」の「キリ」の意味をそこに見た。
辞書を引く面白さはこんな関係なさそうなことを知ることでもある。
 「キリ」はクルスの訛で十字架が転じて十ということ、とある。
「なるほど」「キリは十」だったのか……
キリの意味が分かれば「ピン」はすぐ分かる。
ヤクザ映画で「ピンゾロのチョウ」などと賽の目を表現する。
ピンは、キリが錐でないように虫ピンのピン等ではなく、このピン、
即ち一で、「ピンからキリまで」は「一から十まで」ということになる。
しかし、何かすっきりしない。
  「ピンからキリ」という表現は隠語めいた響きがあり、そんな語感が引っかかる。
元々どのような歴史的背景のもとで使われたのだろう。
「ピンはね」などと同類でヤクザ言葉ではないだろうか。
だとしたら、
キリが十字架のクルスからきているとするのは何かちぐはぐで馴染めない。
  一応、
ピンがポルトガル語のpinta (点)を語源とし、サイコロやカルタの一を表すとしても、
キリが果たして十だろうか。
サイコロの目は一から六だし、花札は一月から十二月で、十ではない。
辞書の説明はもっともらしいが
「一から十まで」というのは十進法に慣れすぎた人の解釈のようで
何かイカサマくさい。
  花札は十二の図柄、各四枚、計四十八枚の札で最後に桐がある。
桐と鳳凰である。
この取り合わせは広く知られていたのか、
古くは枕草子に次の記述がみられる。
ついでながら引用しておこう。

    季題の宝庫《 枕草子

桐の木の花むらさきに咲きたるはなほをかしきに、
葉のひろごりざまぞ、うたてこちたけれど、
こと木どもとひとしういふべきにもあらず。
もろこしにことごとしき名つきたる鳥の、えりてこれにのみゐるらん、
いみじう心ことなり。
まいて琴に作りて、さまざまなる音のいでくるなどは、
をかしなど世のつねにいふべくやはある、
いみじうこそめでたけれ。

 文中の「ことごとしき名」の鳥が中国の想像上の鳥、鳳凰である。

□ 遊びの中の四季《 花札

花札は、
うんすんカルタが寛政の改革で禁止された後それにかわるものとして作られ、
京都の天狗堂から売り出されたのが始まりだそうで、
図柄は次のものであった。

  松    梅       桜
  藤    杜若(菖蒲)  牡丹
  萩    薄・月     菊
  紅葉   柳(雨)    桐
 
 冬の桐も堂々として、様になるので十二月に位置してもおかしくない。
古くは「桐一葉落ちて天下の秋を知る」というように
(元々中国では青桐をさすが、日本では桐も含み)
花よりも葉の方で知られた木であった。

  繁る葉を落し尽くして大木の
      枝に無数の桐の実ぞ鳴る

と私も歌にしている。
この十二月に当たる「桐」が
隠語としては最後を表す身近なかっこいい言葉だったのではないだろうか。
言葉について考察する場合、
時代や社会背景を無視してはならず、
「ピンからキリ」がヤクザ言葉だとするならば、
このキリは花札にあるように、桐からきていると考える方が自然だ。
「キリ」が最後なら
「キリがない」や「みキリ」「これっキリ」などという言葉も何か関係があるのか……。
おそらく、最後を表す言葉として「キリ」という語があり、
花の咲く時期(五・六月)に配さず、
洒落っ気で「桐」を最後にもってきたに違いない。
最後に出す札を切り札という。
キリ……切る、伐る、剪る、……桐は生長が早く切ってもすぐ芽を出す、
逆に、
まっすぐで節のないものを得るためには二・三年で根元から切った方がよい。
「此木、切れば早く長ずる故にキリという」(大和木草)のだそうである。
納得である。
 それにしても、花札の図柄は句・歌の題材になるものばかりで、
ヤクザ専用ではいかにも惜しい気がする。
やくざといえば,オイチョカブでの役に立たない数の八九三からきているそうだ。
花札と似たような大きさで株札というのがある。
一頃はやったヤクザ映画で手本引きという賭博のシーンがよくあつた。
親が肩から掛けた羽織の中で片手で札を繰り、
その一から六までの数のどれかをあてる賭博に株札が使われている。
デザイン的には洒落たカルタだ。
単純でしかも組み合わせで手の種類が多く、
数字とか優劣を決め易いものは賭博に使われ易く、
人がのめり込み易い遊びとなるが、
遊びというものにも流行・廃りがある。
花札もごく庶民的な遊びで、
裁判所の人たちの間でもよく遊ばれていたようだが、
ある時、仕事の方が疎かになり社会問題となり裁判官の職を失った。
それから花札の地位が下落してすっかり嫌われるようになったのだそうな。
そして、時とともに遊び方まで忘れられていったのである。

□ 時への想い、樹木への思い

さて、欧米に移植された桐は最初は観賞用だったそうだ。
日本では、
桐の/水を吸収しない、ひずみがない、比重が0.280.3で軽い、木目が美しい等の/特性を活かし、
箪笥や琴など材木として使うために植えられてきた。
現在は台湾、アメリカ、中国産のものが多く使われているのだそうな。
良質の桐は
会津桐や県花としている岩手県の南部桐が有名で
冬は寒い所である。
桐箪笥の三大産地は、静岡県藤枝/埼玉県春日部/新潟県加茂だそうな。
輸入材が増えるにつれて、日本の桐が顧みられなくなってゆくようだが、
桐にとっては見捨てられた方がかえっていいのかもしれない。
植物が本来もつ逞しい生命力で、樹木は自然に返るのである。
昔は娘が生まれると桐の木を植え、嫁ぐときそれで箪笥を作った、などと聞くが、
私の知る限り、そんな人は一人も居なかった。
いかにももっともらしいが、
昔なら十五・六で嫁にゆく。
伐ったあとの乾燥時間は何日か、また制作日数は、等々考えれば、
元々そんな習慣があったことさえ疑問になってくる程である。
しかし、年頃になった娘をもつ男が、そんな話を思い出して、
昔だったら、そろそろ今年は伐ることになるかもしれないな、
などと思ってこの木を見上げたのかもしれないな、
と見上げるのかもしれないね、と言う。
木や花に寄せる記憶や思いは人さまざまである。

  きりのはなみあげるころになりにけり

私は日頃目にしている桐を見て、ただそのままこの句を作っただけだが、
こんな観賞をされると、この句はその人のものだな、と思う。
自分で句を作らなくても、
こんな風に感じることのできる句を幾つかもつことのできる人は幸せだと思う。
そして私は、
そんな風に読んでもらえる句がもう少しできたらいいなと思うのである。