寂しさは誰でも同じ秋の暮
■ ストンと気温が下がり、急に秋になった感じだ。
■ で、また、取り上げてみよう。
■ 和歌、57577を、俳句形式に略すとすれば、
■ 例えば
■ 良暹法師のように「眺め」なくてもよい。
■ ところで、
■ 次に、これらの俳句を短歌にするとしたら、下の句77をどうするのか。
■ 以前は
■ 彼の歌のように「立ち出で」なくても意味的には通じる。
■ 作りようによっては「さびしさ」という言葉もなくてよい。
■ 彼の素朴さというか、無技巧とか彩のない表現が誤解を生んだのだろう。
■ しかし、彼は過去の人だから、彼の歌の言葉は変えようもない。
■ 今、私たちが接するとすれば、なるべく彼の心に沿って理解せざるをえない。
■ 言葉の中にどんな心があるのか、それが、いわば鑑賞というものだろう。
■ 買うのを止めようかと思ったが、買ってしまった本、・・・
■ へええっ、そうなん、そういうことなんですかね。
■ 京の都から3里北に住んでいた彼は、
■ 近隣の農家の人と今年の出来はどうですか、などと会話でもしていれば
■ そう寂しさを感じることもなかったかもしれないが、
■ 賑やかだろう京都の街に出てみようと思い立った。
■ まあ、行ってみれば分かる。
■ 京の街であれ、どこであれ、さびしさには変わりない。
■ 朝、うちを出て、帰ってきたのが夕方だ。
■ そんな距離なのだ。
■ 途中の風景も秋の色で、うちの周りとたいして違いもない。
■ ようやく帰り着いて、脚を投げ出した、そんな情景が目に浮かぶ。
■ それをただ、そのまま歌にしたのだろうが、歌としてろくに推敲することもなかった。
■ 別に、誰かと競うような歌ではないからだ。
■ その単純なところが、なるほど、
■ 分かるなあ、と思うのだ。
■ で、また、取り上げてみよう。
■ 和歌、57577を、俳句形式に略すとすれば、
■ 例えば
- 寂しさは いずこも同じ 秋の暮
- 寂しさは 誰でも同じ 秋の暮
■ 良暹法師のように「眺め」なくてもよい。
■ ところで、
■ 次に、これらの俳句を短歌にするとしたら、下の句77をどうするのか。
■ 以前は
- 寂しさは 誰でも同じ 秋の暮
- 知る人もなき 雑踏の中
■ 彼の歌のように「立ち出で」なくても意味的には通じる。
■ 作りようによっては「さびしさ」という言葉もなくてよい。
■ 彼の素朴さというか、無技巧とか彩のない表現が誤解を生んだのだろう。
■ しかし、彼は過去の人だから、彼の歌の言葉は変えようもない。
■ 今、私たちが接するとすれば、なるべく彼の心に沿って理解せざるをえない。
■ 言葉の中にどんな心があるのか、それが、いわば鑑賞というものだろう。
■ 買うのを止めようかと思ったが、買ってしまった本、・・・
- 馬場あき子著「百人一首」に
- [歌のこころ]
- 草も木も枯れ枯れになる秋。寂しさに草案を出て
- 四方のけしきを眺めてみると、秋の夕べはどこも同じで、
- すべてが枯れ衰え、身も心も細りゆくような思いである。
- この歌は「秋」という季節のさびしさを平均的にしかうたっていなてようにみえるが、一首の中では「いづこもおなじ」に深みのある個性がみえる。単に「どこもおなじ」だといっているのではない。自然の移ろいの中に生きる人間が、万物が枯死する冬へと向かう自然の生気に感応しているのである。
■ へええっ、そうなん、そういうことなんですかね。
■ 京の都から3里北に住んでいた彼は、
■ 近隣の農家の人と今年の出来はどうですか、などと会話でもしていれば
■ そう寂しさを感じることもなかったかもしれないが、
■ 賑やかだろう京都の街に出てみようと思い立った。
■ まあ、行ってみれば分かる。
■ 京の街であれ、どこであれ、さびしさには変わりない。
■ 朝、うちを出て、帰ってきたのが夕方だ。
■ そんな距離なのだ。
■ 途中の風景も秋の色で、うちの周りとたいして違いもない。
■ ようやく帰り着いて、脚を投げ出した、そんな情景が目に浮かぶ。
■ それをただ、そのまま歌にしたのだろうが、歌としてろくに推敲することもなかった。
■ 別に、誰かと競うような歌ではないからだ。
■ その単純なところが、なるほど、
■ 分かるなあ、と思うのだ。