2019年5月4日土曜日

こんな頁が閲覧されていた。

■ こんな頁が閲覧されていた。
■ みるとリンクが切れていた。
■ ヤフーのジオシティーがなくなったからだ。
■ で、当ブロクに再録した。↑

かにかくに

かにかくに
■ 石川啄木の歌にこんなのがある。
かにかくに渋民村は恋しかり
おもいでの山
おもいでの川
・・・ 吉井勇・解説「啄木歌集・一握の砂」より
 よく知られていると思う。
■ 京都の街を歩いていると、次の、碑があった。
かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる   吉井勇
■ よく似ている。
 だからといって、盗作ではない。
 友人だった、吉井勇が石川啄木のことを想いながら作ったのであろう。
■ なるほどなあ、・・・
■ 歌っていいなあ、・・・
しらかわの ながれにそいて いしだたみ あゆみとどめて いしぶみをよむ   遊水
■ 歌の世界では、いいな、と思ったとき、それを取り入れることはよくある。
■ あなたの歌を読みましたよ、いい歌ですね。・・・ということであろう。
■ そして、私はこう思いますよ、・・・、と。
■ 元の歌が、よく知られていれば、こうして、言葉が、受け継がれてゆくことに問題はない。
■ むしろ、言葉の本来のあり方だろう。
たくぼくも よしいいさむも こいおもう それぞれのとち それぞれのかわ   遊水
■ 言葉を使うことにより、それぞれの思いを、そして、それぞれの心を、言葉に込めるのだ。
■ そして、言葉により、思いを共有する。
■ 私たちが、その言葉を使う前に、既に、多くの人たちにより、言葉に心が込められている。
■ 言葉を使うとは、長い長い間に、多くの人によってこめられた、思いを、言葉の中に見出すということだ。
■ そして、同じように、見つけることができたとき、伝わり、分かる。と、いうことだろう。
■ うまく見つけられなかった場合は、誤解、といったことになる。
■ 言葉は単なる道具でもなければ、符号でもない。
■ 使うことによって、形作られる、心だ。